第8話 巨額な広告費を少しだけ
給付型の奨学金は、大学に進学しないで就職した社会人の同級生に対して不公平だ―。
そう思いを
「企業が奨学金制度を作るのはどうだろう。現在も一部にはあるが、大企業による給付型奨学金制度を一般化する。税制の優遇などで、名だたる大手企業はリーマンショック以来の利益を上げているって言うし。やる気になれば難しくないと思うよ」
恭一の考えに幹太が待ったをかける。
「それって社内留保ってヤツですよね。でも折角の利益も下請け企業にはあまり回らず、溜め込んでいるって話じゃないですか。本来、下請けに回すべきお金を奨学金に回すのもどうかなって」
経済対策として政府が打ち出した法人税の優遇制度なども、狙い通りには機能していないのが現状だ。給与所得の増加も大企業については実現しているものの、中小・零細企業まで行き届いていない。総理が自画自賛するアベノミクスの“果実”は実のところ、国民全体には配分されていない。
「それはそれで大手企業が責任持って何とかしなきゃいけない問題だね。けれど、それとは別に奨学金のために回せる資金に余裕はあるはずだ」
「例えば?」
自ら良いアイディアが浮かばないのか、間髪入れず愛香が恭一に答えを求める。恭一はカウンターの隅に置いた新聞を手に取ると、数ページ
「仕方がないな。例えば広告費。新聞、雑誌の広告やテレビ、ラジオのコマーシャル。エキナカの広告や電車の中吊り、街頭の液晶広告もそう。君たちも知ってる通り巷には毎日毎日、数多くの広告が溢れている。電車の中吊りやドアの上に設置された液晶広告なんて、乗客のほとんどがスマホをのぞき込んでいるきょうび、どれだけ効果があるのか、って心配してしまうよ。経営者たちは自宅からの送り迎えも含め、会社があてがう運転手付きの高級車にしか乗らないから、電車の中の現実なんか知る由もない。広告費予算も十二分にあるから、コスパ意識が働かないんじゃないかと思う。全国紙の全面広告やテレビCMを打つには相当のお金が必要だ。恐らく数千万円単位の額だろう。新商品のキャンペーンなら数億円規模になるだろう。大手と言われる企業の広告が掲載されない日はないし、民放のテレビやラジオでは四六時中CMが流れている。年間で何十億という広告費を使っているはずさ。これを毎月少しだけ減らして、給付型奨学金の原資に当てるだけで相当の人数分になると思うよ」
「新聞の1回の広告代を仮に5千万円としよう。月に5万円の奨学金なら一社で1,000人分を賄える。一部上場企業に数えられる有名企業は100社や200社に留まらない。仮に300百社とするなら、30万人分だ。何も広告を打てなくなるわけじゃない。月1回か2回、広告の掲載やCMの放送を減らすだけだから、商品や企業イメージのPRが不足するとは思えない」
恭一は続けた。
「企業の広告費は税金じゃないから、大学生の奨学金に使っても大きな問題はない。広告は会社のイメージや商品PRのための経費だ。ほんの少し減らすだけだけど万一、反対の意見があったとしよう。『広告効果が下がる』ってね。みんなはどう思う」
一番先に反応したのは幹太だ。
「全然問題ないでしょ。新聞や雑誌の広告って、元々それを読んでない人には届いていないわけで。テレビCMもいろんな放送局に毎日毎日、日に何回も同じCMを流していますよね。『数多く流した方が効果があります』っていうのは局とか代理店の論理ですよね」
恭一が頷く。広告やCMというのは身近なテーマなのか、広海たちのリアクションも早い。千穂が続いた。
「逆に、『わが社は返済の必要のない給付型奨学金制度で毎月1,000人の学生を応援しています』とかの広告を打ったら企業イメージもアップするんじゃないかしら」
「それだけじゃないわ。直接広告を打つまでもなく、学生の間で話題になる。どこどこの会社は年に何千万円奨学金を負担している、ってね。実際に奨学金をもらっている学生にも、もらっていない学生に対しても。リクルート対策にすっごく有効だと思うんだけど、どう思う?」
広海の意見も的を射ている。そう、的は“得る”ものでなく“射る”ものだ。言葉は聞きかじりでなく、正確に使おう。
「制度の作り方にもよるけど、“学生の囲い込み”にも有効な手段になるかもしれないし。奨学金の給付で学生を“縛る”のはどうかと思うけど、優秀な学生に就職してもらうための対策のひとつにはなるよね。精神的な絆みたいな関係を築ければさ」
「なかなか筋のいい発想だ。議員のセンセーに聞かせてやりたいね」
恭一も満足そうだ。メンバーに合わせて“センセイ”とは言わずに語尾をわざと伸ばして“センセー”と発音したのも広海は聞き逃さなかった。実際、牛丼チェーン大手の吉野家が
政府は女性の社会進出、主に管理職登用や結婚出産などで職場を離れた女性の職場復帰の推進などを含めた一億総活躍社会を謳い、安定雇用を図るための同一労働同一賃金制度の検討も始めるという。テーマに掲げるのは簡単だ。聞こえはいいが、実現へのハードルは相当高い。“美辞麗句”の見本市のようだと恭一は思う。新聞の見出しを指差して愛香が聞く。
「ねぇ、ねぇ、ドーイツ労働ドーイツ賃金ってどういうこと?」
「同じ仕事の内容なら、対価となる賃金に差があるのはおかしいから、同額にしようという考えのことさ。ドイツ人の労働者にドイツ・マルクで賃金を支払うってことじゃないよ」
「全然面白くなーい。分ってるわよ、そのくらい。大体現在のドイツの通貨はマルクじゃなくって、ユーロだしね。残念でした」
愛香と幹太のやりとりは放ったままで、広海が誰にともなく疑問を投げ掛けた。
「それって、コンビニのレジを大学生のバイトが打っても、店長が打っても同じ賃金ってこと?」
「ピザの宅配で、新人のバイトもベテランも同じ時給っていうことかな?」
千穂が例示を広げて見せた。
「簡単に言うとそういうことだ。だけど実際には、処理の早さとか、正確さとか、同一労働の定義づけが難しい。手際が悪く、お客を待たせるレジの担当とスムーズに買い物客を
恭一はテーブル席用の紙ナプキンを畳む手を休めない。店のカウベルが音を立てた。入って来たのは広海たちのクラス担任だった横須賀だ。
「先生」
意外な登場人物に、広海と幹太の声がハモった。
「何だ。そんなにビックリすることもないだろ。高校の教師だってコーヒーくらい飲むさ。なぁ、キョーイチ」
恭一は畳み終えた紙ナプキンをまとめてカウンターの引き出しに仕舞うと、スツールから腰を上げて迎え入れた。
「いらっしゃいませ」
卒業以来、広海たちが喫茶「じゃまあいいか」で横須賀と顔を合わせるのは初めてだった。広海たちのゼミの偵察だろうか。幹太も愛香も少しだけ身構えるように無言になる。
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