第2話 組織委員会はガラス張り?

5人が目指すのは、虎ノ門ヒルズ。2014年6月開業の地上52階、地下5階建ての高層ビルだ。高さは247メートル。商業施設の他に、事務所フロアと居住スペース、そして眺めの良い高層階にホテルを併設する。

約10分の道のり。広海と千穂、幹太は互いの大学の友人、めぐみと海を紹介し合った。

屋外エスカレータに乗ってエントランスに入ると、吹き抜けにドラえもんと瓜二つの『トラのもん』が待っていた。背丈が1メートルほどの模型で、藤子・F・不二雄プロと共同制作したネコ型ビジネスロボット。虎ノ門ヒルズのマスコットだ。

エントランスの脇にある芝生広場に出た5人はビルを見上げる。大型テレビを並べたような全面のガラス窓に、青空と白い雲が反射していた。

「ここの8階に入っているの」

「東京オリンピックの組織委員会だろ」

「正確には、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会」

「1カ月の家賃が4,300万円だってさ」

幹太の頭には既にデータとしてインプットされている。海がスマホの計算アプリで素早く計算した。

「年間にすると5億1,600万円。2015年3月の入居から3年。単純計算で既に15億4,800万円払ったことになる。これから先、五輪後の残務を考えて年度末、2021年3月までの想定で、更に15億4,800万円。つまり30億9,600万円かかる計算」

「だから、去年のゼミで『組織委員会は即刻、豊洲へ引っ越すべし』って提言したんだよ、な」

幹太は、広海と千穂に同意を求めた。

「それ、いいわね。どうせ使ってないんだし。毎月、何百万円も維持費がかかってるんでしょ、豊洲」

「1カ月に500万円とか700万円とか言ってたわ。東京都の負担なのよね」

「オリ・パラも東京都の開催なんだから、丁度いいよな」

「だろ」

幹太は得意そうだった。元々は同級生だった“課長”志摩耕作のアイデアの請け売りではあったが。

「でも8階なんだよね。展望のいい高層階じゃなくて…」

「あのさ、そんなロケーションが良かったら家賃だってもっと高いはず。基本、デスクワークだろ。なおさらバッシングの対象になるね」

めぐみの疑問を幹太が一刀両断に否定する。

「リサーチ不足よ、カンちゃん。上層階は居住スペース。更に上にはホテルが入ってるの。だからオフィスは下層なの」

「何階にあるかは基本、問題じゃないの。所詮、五輪終了までの期間限定の“仮設”の事務所がこんな超リッチでセレブなビルに入らなきゃいけない理由がないってこと。そうだったでしょ」

リッチでセレブー。虎ノ門ヒルズに対する千穂のイメージだ。

「同じ仮設なのに、被災地とオリンピックじゃ天と地の差があるのね」

眩しく光るビルを見上げながら、広海も収まりがつかなかった。

「でもさ、やっぱ、現地に来てよかったよな。新聞の記事やテレビ映像だけじゃ、実感が沸かない。お二人さんが腹を立てているのも、ここに来たからこそ。真面目な視察には意味がある、ってことさ」

「不真面目な視察なんてあるかよ」

意味深な海に、幹太。

「あるよ。例えば地方議会の議員さんの視察。前に香川県だっけ、うどん県ね。スイスとドイツに6人の議員が海外視察に行ったんだな」

「私も見たわ。フジテレビよね。その一行をこっそり尾行したの、スタッフが。カメラ回しながら。そしたら議員のセンセーたちは、マッターホルンの展望台でいきなりの自撮り。笑えるのは天気が最悪で、ほぼ視界ゼロ。背景は切り立った雪山じゃなく塗りつぶしたような一面の霧なの。ホワイト・アウト状態。後はミュンヘンだったかな、ビアホールで昼間っからジョッキをぐいぐいあおっていたわね」

めぐみは地元の議員じゃなくて、安堵したのを覚えている。

「で、実際に視察をしたのは姉妹都市での交流とちょっと。時間にして4時間程度だったらしい。9日間の日程だよ」

海も知っていたから、結構な視聴率だったかもしれない。

「後は?」

「観光の他にすることないじゃん。何たって自撮り棒持参なんだから。いいおっさんが」

「でね、視察に必須の報告書。これも視察という名のツアーを組んだ旅行会社に作ってもらったらしいのね。まあ、900万円も払ってくれるんだから、そのくらいのサービスはするわよね。写真や資料のデータ・ベースは豊富だろうし」

初対面の海とめぐみがテンポよく事の顛末を説明した。

「あんたたち、何か前から渋川ゼミのメンバーみたいよ。全然違和感ないし」

広海は議員のセンセーたちの行動に腹を立てながら、きょうの集まりには満足していた。

「ねぇ、お腹空かない? 空いたよねぇ、カンちゃん」

甘えたように千穂。さっきのチホちゃんとは“別人”だ。

「確かに。あっ、言っとくけどオレ今、金欠だからムリ、奢るの。バイト代まだ入ってないからさ。割り勘前提で、銀座線なら上野でも行く? 安くて美味い店知ってるから」

「いいわよぉ、安くて美味い店で。高くて美味い店は広海と二人きりの時に取っておいてもぉ」

千穂が軽くかけたカマに広海は顔色一つ変えない。が、ほんのり照れながら「バーカ」と言うのが精一杯の幹太を千穂は見逃さなかった。


「まだ時間もあるし、ここまで来たんだから豊洲まで足を延ばさない?」

「豊洲は東京メトロの有楽町線で月島の先だけど、目的地って新市場だよね。だと最寄り駅はゆりかもめの市場前駅。新橋で乗り換えて13番目か」

「有楽町線の豊洲駅から2駅分歩くか、どうする? ゆりかもめだと、ぐるっと遠回りになるけど」

広海の提案に、幹太と千穂がルートを考える。スマホで検索できるので、路線図の確認も秒殺だ。

「めぐみちゃんとか、上京組にはレインボーブリッジやフジテレビのあるお台場も通るから、観光ついでにゆりかもめにしようよ」

珍しくミーハー的な発言は広海だ。

「正しくは、ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線。あー、言えた。よく噛むんだよね」

「ってか、ゆりかもめの正式名称を日常生活の中で使う場面が分からないし」


「東京ビッグサイトとかディファ有明にだって行く機会もあるだろうし。そうそう、広海の実家の父島に行く時に『おが丸』に乗る竹橋も通るしな」

「じゃあ、せっかくだから帰りは豊洲まで歩いて、月島で途中下車してもんじゃ食べるってどう?」

好き勝手にアイデアを出し合う剣橋組。

「賛成ー。東京見物だ」

「異議なし」

「でも割り勘、な」

何だか楽し気な広海たちに、めぐみも海も反対する理由はなかった。


 2015年開業予定だった豊洲新市場、東京中央卸売市場は有害物質対策として計画されていた盛り土がされていなかったり、実際に有害物質が検出されたため2018年秋に延期された。青果物棟、水産卸売棟など3棟の屋上にはメガソーラーシステムが設置され、約2,000キロワットの発電が可能という。

「やっぱ広いわ」

「でも、実質空っぽなのよね、まだ。維持費だけがムダに掛かっている金食い虫」

「でっかい虫ね」

「1日に500万円とかっていう維持費って、開業しても掛かるんだろ」

地方出身のめぐみや海にも“日本の台所”の移転問題は大きな関心事だった。

「もちのロン。出店する業者が割り勘で負担するらしいわ」

「でも、それって商品代金に上乗せされるんだよね。築地の維持費と比べてどれくらい割高なんだろう。心配になるよね」

「でも、家庭用のエアコンや冷蔵庫、テレビなんかも消費電力は新製品の方が少なかったりするから、意外とリーズナブルかもよ。まあ、開業したらマスコミが調べるでしょうから、期待しましょ」

言葉とは裏腹に、千穂はあまり期待していなかった。

「10月11日だっけ、開業。あと半年か。スケジュール通り順調に運ぶのかな」

「元々2年も遅れてるんだから、もう大抵のことではビックリしないけどね」

「そう言えば地下水の有害物質って、どうなったんだろう。基準の100倍以上のベンゼンとか検出されて以降は全然、音沙汰ないまんま。これって意図的? 何か一抹の不安があるんだけど」

「あれっ、豊洲の安全宣言ってどうなったんだっけ?」

広海の言う通り、移転延期のスケジュールが発表されて以降、急に情報が少なくなったのは確かだった。

「後さ、築地は築地で『食のテーマ・パーク』にするって小池知事言ってたけど、あれもどうなったんだろう。開業までに少し調べないと」

広海たちは不慣れな新生活と、森友学園・加計学園などの疑惑に気を取られる中で、ゼミでもテーマの一つにしていた築地から豊洲への市場移転についてすっかり抜けていたことに気づいた。

「アウト・オブ・眼中だったな、豊洲」

幹太が呟いた。

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