小説・政治的未関心Ⅲ 12人の呆れる日本人

鷹香 一歩

第1話 国会議事堂と首相官邸

「うわっ、テレビで見たまんま。でっかいなぁ」

「そりゃそうだろ。テレビで観るのと違ったら困るし」

地方から初めて東京見物に来た夫婦のようなやりとりは、大宮幹太おおみや かんた瀬戸内海せとうち かい創明そうめい大学の1年生だ。そしてもう一人、学科は違うが同じ大学に通う秋田千穂。幹太とは剣橋つるぎはし高校のクラスメートだった。

「思ったより、大きいかなぁ。でも、あれっ、こんなんだったっけ? って感じもするし、何かビミョー。小学生の時、社会科見学で来たことあるから」

「それは、チホが小っちゃかったからだろ。子供の頃の印象は大人になって変わるもんさ。街や建物が幼い頃の記憶より小さく見えるのはよくある話だよ。何せ基準になる自分が小さかったんだから」

と幹太。東京タワーや成田空港で初めて見たジャンボ・ジェットにも同じような印象を持ったことがある。

 地下鉄千代田線を国会議事堂前駅で降り、坂道を登って正面玄関前まで来た。2018年3月下旬。日曜日で国会はやっていない。でも、観光客らしい外国人や親子連れが入れ代わり立ち代わり、記念写真に収まっている。スニーカーにデイ・パック姿が定番だ。このまま坂道を下り、日比谷公園や皇居周辺を散策するのだろう。「春の陽気に誘われて」のフレーズが似合いの遅い朝だった。

瀬戸内は名前とは裏腹に、日本海に面した新潟の出身だ。入学後に幹太と意気投合し、「渋川ゼミ」に興味を持った海が「んじゃ、モチベーションを高めようか」と言うので、日本の政治行政のランドマークでもある国会周辺を見学に来たのだ。ちなみに「渋川ゼミ」は、渋川教授のゼミではない。幹太や千穂が高校時代から通う喫茶『じゃまあいいか』のマスター、渋川恭一に頼み込んで作った幹太たちが“”ゼミのこと。すべては「18歳選挙権」の導入から始まった。


「生活感がないのが特徴だな」

吐き捨てるように海。車通りも少ない無駄に広い道路の角という角には制服姿の警察官が立つ。窓という窓を網で覆った薄いブルー基調の機動隊のバスとパトカーが、まるでそこが定位置であるかのように並んでいる。「いつでも向かって来んかい」と言わんばかりの警備態勢に生活感があるはずもない。

「この辺って、安保関連法案の強行採決とかで抗議行動やったところだよな」

「日曜の真昼間だぜ。誰がデモやるかよ。議員のセンセーもいないのに」

議員をカタカナの“センセー”で呼ぶのは、学校の先生などと区別するための渋川ゼミの共通認識である。国会中継でも互いを“先生”と呼び合う議員や、ご機嫌取りのように取材でも持ち上げる一部記者への軽い批判でもあった。

「あら、平日の夜だって仕事帰りの人たちが、公文書の改ざん問題とか森友・加計問題の真相究明を求めてデモやってるわよ、センセーたちはいないけど」

千穂は社会科見学にやって来た“小6男子”相手に説明してくれるバスガイドのようだ。

「“お上りさん”お約束の正面玄関もいいけどさ、オレは政治の裏側が見てみたいんだよね」

そう言いながらも、可動式の塀の隙間からしっかり写真だけは押さえる海。

「何? 政治の裏側って。ちょっと何言ってるか、分からない」

サンドウィッチマンの富澤たけしのフレーズを真似るのは千穂。お気に入りのお笑い芸人だ。

「だから、裏側だってば。国会議事堂の正面ってみんな知ってんじゃん。行ったことはないけど、ギリシャ神殿みたいなホワイトハウスだってイメージもできる。でも、議事堂の後ろ側って見たことないから興味あるんだよ」

「確かに。でも“政治の裏側”ってのはオーバーだよな」

幹太が同意を求めるように、千穂を振り返る。

「ひねた“小6男子”が考えそうなことね」

3人はシンメトリーになった議事堂正面に向かって右側、つまり参議院側に沿うように反時計回りに進む。塀の内側には視界を遮るように隙間なく植栽が施されていた。警棒を手に仁王立ちした警備員と視線が合うのも何となくバツが悪い気がするので、横断歩道を渡って距離を取る。

「なーんだ、普通の建物みたいに窓が並んでる」

「正面側と同じような造りで壁だけの、のぺーとした後姿を予想してたんだけどな」

「デパートみたいな?」

「そうそう。美術館とか博物館とかみたく…」

「博物館とかは外光が入らない方が機能的だもんね。でも考えたら国会ってさ、本会議場の他にも委員会室とか会議室も必要だし、政党ごとの控室とかも要るもんな。窓だってあって当然だな」

「オレ、ピラミッドみたいな生活感なし、を期待してたんだけどなぁ」

海は水色のシャツ姿の警備員の視線を感じながらスマホを構えると、シャッターを2度押した。

「マジ? 写真撮るか?」

「ほら外国人のあの女性も撮ってんじゃん。あっ、そこのお姉さんも」

どうやら議事堂の後姿に興味を持つのは、海だけではないらしい。もしかして、旬な情報としてインスタ映えするのだろうか。3人は次の信号で議事堂側に戻ると塀沿いを歩いた。

「ねえねえ、ほら見て、塀の上。ピアノ線みたいな細い線がずっーと張ってあるの、約5センチ幅で2本」

「あっ、本当だ。まんま、スパイ映画だな。トム・クルーズの『M:I-2』」

「あれは赤外線センサー。演出で見えているけど、裸眼では見えない」

海の親切過ぎる解説に、千穂は噴き出しそうになった。

「じゃ、『ジュラシック・パーク』みたいに高圧電流が流れてたりして…」

「可能性はあるけど、にしては細過ぎだろ。警備室とつながっているとは思うけど、電流直撃はないんじゃないかな」

「石投げてみようか」

「やめとけよ。マジ捕まるから」

「ほら、あれが首相官邸」

ミッションを背負ったチームを気取った“小6男子”に、千穂が交差点を挟んではす向かいを指差した。

明らかに警備の人数が多い。出入口はアルミだろうか、銀色に鈍く光る折り畳み式の棒が格子状に張られていて、入ろうとする者を拒絶していた。

「バリケードだな、マジの」

「全然、見えないなぁ。中」

ムダに背伸びする千穂。

「塀もスッゲェ高いし。塀っていうより壁。それに竹かな、壁の内側には背丈の高い樹木が並んでる。何ならパンダも飼えそう。監視カメラがほら、そこにもあそこにも。SECOMしてますか? って」

幹太が指さす。

「SECOMかどうかは分からないけど、監視カメラって、あんなに目立っていいの?」

「クーッ、いいんです。むしろ、目立つことで抑止力になってる。『お前はもう監視されてる』ってね」

「お前は川平慈英? それともケンシロウか?」

「カメラに向かって手、振ってみるか? 『はい、キムチー』って満面の笑顔でさ」

「止めなさいよ。警備員、集まって来たらどうすんのよ」

「あれ? 写真撮る時の掛け声って『はい、チーズ』じゃねーの?」

「韓国ではキムチ。ドイツはスパゲティ。第一、『チーズ』じゃ口角上がらねぇじゃん。日本人は“”でシャッター切らないと」

「確かに。『チー』でシャッター切らないと笑顔にならないか。キムチやスパゲティの方が理にかなってるな。でもオレ、彼女限定で唇を前に出した『ズ』でもいいいかな」

「広海に言いつけちゃおうかな」

「あれあれっ、そういうカンケイ?」

「そういうカンケイなの」

全く、“小6男子”は何を言い出すか分からない。

官邸の南角まで進むと様相は更に変わった。コンクリートだろうか、ほぼ垂直に聳え立つ壁。裕に5メートル以上ある。

「まるで、城だな。マジ、要塞」

「城石みたいに積み上げてないから、足のかけ場がない」

「これじゃ、伊賀忍者も甲賀忍者もお手上げだよね」

「ロック・クライマーは?」

「無理、無理。指を掛ける隙間もないもん。姫路城より熊本城よりも堅牢だよ」

「でも、ドローンには敵わなかったんだよな」

2015年4月、一機のドローンが首相官邸の屋上で見つかった。しかも、雑誌で見かける個人が趣味で楽しむ市販タイプの機体。2日後、元自衛官の男が威力業務妨害の疑いで逮捕され、その後、メーカーはGPSで首相官邸を飛行禁止空域に設定し、国も遅まきながらドローンの飛行エリアを制限する法改正を行った。

「あれは、意外な盲点だったね。警備員を何十人も配備して、監視カメラで24時間体制でチェックしてるのに、無人のラジコンの侵入をあっさり許してしまった」

「ドローンってさ、ローターって呼ばれるプロペラの音が結構うるさいんだけど、交通量の多い都心のノイズの中じゃ目立たない。官邸って庭や建物もたくさんあるから敷地も広いわけよ。監視カメラって基本、下向いてるし。上からの侵入は想定外だったんだな。これからは、レーダーで空中も警備するのかな?」


 国会周辺の“視察”を終えた幹太たち3人は、地上36階建ての霞が関ビルの前に出た。高さは147メートル。超高層ビルのハシリで、1968年の建設当時は日本一高いビルとして教科書にも載っていた。でも、今は昔。世界貿易センタービルに抜かれると、サンシャイン60や新宿都庁などに追いつかれ、大阪のあべのハルカスは高さ300メートル。しかし、さらに東京駅前には390メートルのビルの建設が予定されている。しかし、国内の超高層ビルの高さ競争は、イマドキの大学生にとって新鮮味はない。中東や中国では、高さ634メートルの東京スカイツリーを遥かに凌ぐ高層ビルの建設が続いているからだ。


「広海たち、もう来てるかなぁ」

独り言のように千穂。霞が関の官庁街の外れに位置する旧文科省庁舎で、広海と待ち合わせている。後方に銀色に輝く新庁舎ができたが、法務省に次いで古い建築はその存在感を示している。地下鉄・銀座線の虎ノ門駅の6番出口を上がったら、もう目の前だ。

「オンタイムね。やっぱりチホだわ」

午前11時。文部科学省と文化庁、スポーツ庁の看板が並んだ正面玄関に広海と岬めぐみが立っていた。めぐみは広海と同じ首都海洋大学の1年生。新入生歓迎コンパでドギマギしていためぐみに広海が声を掛けたのがきっかけだった。

「待った?」

「ううん、全然。私たち、どうせ銀座線で行くんならって、途中の『外苑前』で降りて寄り道して来たの」

「『外苑前』で寄り道って、もしかして…」

「そう、新国立競技場の工事現場。どこから持ってきたの、って数の鉄骨が敷地を取り囲むように組み上げられていて、『いよいよ後2年ちょいか~。オリ・パラ本番はまだ大学在学中だし、ボランティアでもしようかな』って思っちゃった。ねぇ」

広海が何気にめぐみに話を振った。

「うん。上京するまでは、テレビの中でしか見ない場所だったからすっごく新鮮。それに神宮外苑って、家族連れやカップルが多いじゃない? ジョギングやボードする人も」

 山形出身のめぐみにとって、神宮外苑は抱いていた都会のイメージとはまるで別世界だった。

「春は桜、秋には銀杏。外苑はまあ、都会のオアシスっていうか、都会のスキー場かな」

目をハートマークにして、視線を宙にさまよわせる幹太に千穂が一言。

「ボーっと生きてんじゃねぇよ。大体、都会のスキー場って、意味分かんないんだけど」

「出た、『チホちゃんに叱られる』。本家のチコちゃんより怖いかもよぉ」

屈託のない笑顔を見せる広海に、幹太がいたずらっ子のように口を尖らせる。

「カップルにとっては異性が3割増しに見える。デートにはピッタリってことさ。苗場や志賀高原みたく」

「やっぱり苗場や志賀高原か。確かに蔵王じゃ、3割増しには見えないもんな」

めぐみは妙に納得した。

「ふ~ん。で、カンちゃんは何人連れてきたの? 外苑デート」

広海に突っ込まれ、幹太が口ごもる。

「ヒロミはチホちゃんより怖いゾー」

と千穂。

「まぁ、いいわ。後でゆっくり聞いたげる。目指すのはあそこよ」

広海が指差したビル群の先、強い日光を反射する全面ガラス張りの一際高い高層ビルが見えた。

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