第159話 暗闇を照らすもの(中)
黒曜石という石がある。
打製石器の素材として使用されていたことで有名だ。
火山のある場所で手に入る鉱石なので日本でも数千年以上もの間、利用されていた。
南アメリカなんかでは何百年か前まで使用されていた実績もある。
そうして道具として長きに渡って活用されたのには理由がある。
それは、モース硬度五という、ほどほどに硬質な物性と、削り割った場合の断面の鋭さだ。
当然、天然石なので品質にはばらつきがあるが、質の良いものであれば金づちで割った破片だけで重ねたコピー用紙をスパッとカッターの様に切り裂くことも可能なくらいだ。
金属の様に精錬に高い技術やエネルギーが必要ない点を考えると非常に便利な素材であると言える。
黒曜石がそんな特殊な物性を持つ理由。それはこの石が天然のガラスだからである。
組成は八割が二酸化ケイ素。俺たちのよく知るガラスと同じ。
残りのうち一割ほどは酸化アルミニウム。
その後もナトリウム、カリウム、カルシウムとおなじみの物質が続く。
金属元素を取り込んで粘りと色が沈着された以外に大きな差異はない。
もしも、もしも俺たちの様に、ガラス質を魔術によって再現できる人間が過去にいたとするならば。
この物質を人工的に作り上げることは可能だ。
物性としてそこまでの強度は見込めないが、一トンやそこらの石材を支える柱としての活用だってできるかもしれない。
そして耐候性。
俺たちが化学物質を保存するのに使用しているように、何かを長期間保存するのには適している。
他の物質。例えば産業資材として便利な金属ならどうだろうか。
鉄、銅やその合金。
強度のあるものはほとんど全て空気中で酸化される。
神殿がどれくらいの使用期間を想定したものかはわからないが、こちらを使っていたとするならば現在も機能を維持できていたかは怪しい。
ガラスだって強度の点でリスクはあるのだが、こうやって要所要所で使用するならば素材としての有用性で軍配が上がるのかもしれない。
つまり、この地には過去に高度な魔術を操り、化学的素養を持った人、あるいは知的生命が存在したという仮定が成り立つ。
彼らはそこに当たり前に存在する物質と、当たり前にある技術を使用してガラスエレベーターともいえる駆動系を確立していた。その証が目の前にある壁なのだ。
「……いつものやつが始まったようですが……。先輩、この柱、もしかして魔術で動かしたりできそうってことで合ってますか?」
「……あ、ああ。そういうことだ。フルーゼの言う通り、この柱はガラスなんだよ。多分神殿の中で色々活用するために『誰か』が作った素材。切り出しの石なんかとは違うはずだ」
なんとなく思考を遮られた恥ずかしさがあるが、今しがた考えていたことを簡単に説明する。
「なら、試して見るか。うまくやれば上の岩を壊さずにどけることができるんだろう」
「ああ、それに正室までの道も一緒につくることができると思う」
「……私、やってみたいわ。アイン、この石がどんな物質なのか教えてもらえないかしら」
「私も興味はあるんですが、すぐには出来なさそうですね。ちょっと悔しい」
学習意欲が高いことは良いことなので、想定される構成物質を分離をしながら確かめて一つ一つ教えていく。
はたして、元からの予想通り、黒曜石と非常に似通った元素で構成されていることが確認された。
また、オドの通り方から特定の数学的な連続性をもった分子構造をしていることも確認できた。
やはり、岩から削り出された素材ではない。
これだけの均一性が自然界から得られる可能性は低いと見て良いだろう。
物性を確かめるように俺とフルーゼで魔力を交わし、少しずつ黒い塊を変形させていく。
程なく、天井まで伸びていた柱は室内を埋め尽くすように下がり、押し上げられていた岩が姿を見せた。
これが正室を塞いでいたやつだろう。
代わりに上部に現れた空間に向かうように、ガラス物質を階段状に変形させて出来上がりだ。もともと、人が通る想定の穴ではないので多少不格好だが、ロープなんかを兼用すれば俺たちにも十分通行できるだろう。帰り道を心配しなくてよくなったのもありがたい。
「ここが、正室なんだな」
人工黒曜石の階段を上った先。
話に聞いていたいわくの部屋に、思わぬ入口から入ってくることになった。
「……やっと、帰って来た……」
一人、長い時間を後悔の念とともに過ごしたフルーゼだけが、俺たちとは異なる感慨に耽っている。
「フルーゼ……」
「わかってる。ここはただの通り道。私たちの目的はアニエスを連れ戻すこと」
俺たちではなく、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「気負う必要はない。必要ならこの部屋には何度でも来れるし、私たちだってそれに付き合う。忘れるな」
フヨウの言葉は俺たち全員の言葉だ。それを忘れないで欲しい。
「……さっきから気になってたんですが、この部屋のマナちょっと変じゃないですか? 妙に静かっていうか、私、こういう経験二度目なんですが」
言われてみれば、不思議な感じはする。
マナというものは生き物が活動していなければ基本、強く動くものではない。
自然、人のいない巨大建造物である神殿の内部では元々あまり強い干渉は感じられないのだが、それにしても静か過ぎる気はする。
前にもこんなことはあった。
「大聖堂の託宣の時か!」
「魔術は使えそうですし、あの時ほど強い物ではないですが」
「どういうこと?」
事情を知らないフルーゼ達に、俺たちが経験したことを説明する。
魔術の行使できない不思議な部屋。
その原因がたった一振りの剣によるものだったこと。
今はそれをカイルが持っていること。
「色々あったとは聞いていたけれど、本当に御伽噺みたいな話ね。さすが勇者様」
「当事者としては大変だったんだぞ。ちょっと何かがズレていたら今ここにこうしていることもなかったと思う」
「ルイズならそれでも活躍できそうだけど、アインとカイルは大丈夫だったの?」
「それが、先輩、これで結構戦えてたの。護衛してもらった私が保証する」
「最後に全部カイルが持って言ったけどな。俺だって日々の修練は欠かしてないんだぞ」
甲板の上でだって一通り素振りはしていた。なかなか足腰の鍛錬になるのだ。
「みんな変わるわよね。十年も経ったんだから」
フルーゼだって綺麗になった、と言いたい所なのだが、さすがにみんなの前で口に出すほどの勇気はない。
「成長はしたかもしれないけど、俺の知る限り変わらない所は変わってないよ。それはそっちだって同じだぞ。エンセッタにはフルーゼの功績が沢山ある。ちょっと見ただけでわかるよ」
「私、変わってないかしら」
返答が難しいな。
「少なくとも、最初に会った時にわかるくらいな。でも、大人になったなとは思うよ」
このへんが精いっぱいだ。
「そう、そうね。もう大人。でも大人でも友達は友達よね」
「当たり前だろ。十年経とうが五十年経とうが友達だよ」
前世ではそれだけの年を重ねることはできなかったのでちょっと切実だ。
「さっさとアニエスさんを助けよう。それから長い友達付き合いをするんだ。俺たちにも紹介してくれよな」
発破をかけたつもりだったのだが、
「ちょっと気が向かないかも」
なんでだ。
「だってアイン、女の子を沢山連れてるんだもの。私の友達もとられちゃう」
「友達ってとったりとられたりするものじゃないだろう……」
「……そうね、アニエスを信用しないとね」
フルーゼの答えに笑い声が上がる。一方、俺の心はしぼむばかりである。
「……もういいよ。さっさとこの部屋を調べよう。全部それからだ」
強引な話題変換だったが、ここで反対されることはなかった。
優しさが身に染みるよ……。
「この部屋で気になるものっていったら、この石像ね」
部屋のすみには首のない像が立っている。
不思議なほど存在感が薄いが、話に聞いていた通りその手にはしっかりと指輪をはめていた。
「たしか、異変と関係があるんだったよな。見たところ、特に変な所はないみたいだけど」
魔力的に静かなこの部屋でも、特に大きなマナの反応は感じられない。
「下の部屋のように、なんらかの魔術的な機構はあるようだ。この部屋は特殊なのでわかりにくいがな。そもそもそれ自体が機能の一つなのかもしれないが」
普通でない以上は理由がある、か。
しかし、なんでマナを鎮めるような部屋を作ったのだろう。
連想するとするなら滅菌室? あるいはクリーンルームとか、外部からの浸食を防ぐため。
あとは測定のために環境からの影響を除外する防音室のような感じだろうか。
考えてみれば入口を閉め切る構造もそういった目的に合っているような気がする。
「指輪はこのままにしておいた方が良いですよね」
「……アニエスのお願いだから守りたいけれど……」
「少なくとも他の場所を調べてからだな」
キーアイテムではあると思うが、明らかに魔術的な力を持っているので、おいそれと触れない方が良さそうだ。
しかし、不思議な指輪だな。
俺の知る魔術具と比較すると、明らかに魔法石にあたる石が小さい。
まじまじと眺めていて一つ気が付いた点があった。
「なあ、フルーゼ、ちょっと気になったんだけど」
声掛けをしながら胸元を探る。
「この像の彫刻、意匠がペンダントと似てないか?」
「え?」
驚くフルーゼの声にみんなが集まる。
「言われてみればそうですね」
目ざといメイリアがすぐに同意を示した。
「……元はおばあちゃんの持ち物なのだけれど、この神殿の巫女をしていた人なはずだから……」
フィーアさんが出奔する前に命を落としたと聞いているが、この形自体が信仰に関係のあるものなのだろうか。
「大儀式を行う時はこの部屋を使うはずだから、そこに入った人が意匠を覚えて作ったのかしら?」
出自が近いのだからそういうこともあるか。
「こうしてみると、この石像、指輪以外にも色々と身に付けられそうな形をしているよな」
頭こそないが、首部分は残っているのでこのペンダントもかける余地はある。
「……もしかしたら、そのために作られたものなのかもしれないぞ」
じっと何かを考えるように像の方を注視していたフヨウが口を開いた。
「この像は手だけではなく、全般にマナを制御する経路が見られる。首の部分も例外じゃない」
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