第155話 幸運の女神は準備を愛する(上)
早速翌日から集落でできる仕事を進めながら神殿の調査、アニエスさん救出の下準備を始める、……つもりだったのだが。
エンセッタの人々は基本的に静かな時を過ごしている。
祈り、信仰を伝え残す。それが生業で、これに畑の世話等の生きる為の作業を行うのが日常だ。
外の人間に求められる一番の仕事である物資の搬入は早々に終わらせてしまったので、俺たちはただのお荷物になるかとも思われたのだが、そんなこともなかった。
当たり前だが、閉ざされていたこの場所には多くの耐久消費財が不足している。
食料ほど緊急性はなくても、使っていれば道具は朽ちていくものだからだ。
そして、俺の研究している魔術はこの手の修理や製造と相性が良かった。
水車周りの機械を修理したことは翌日には人々の耳に入っており、すぐにフィーアさんやギース氏を通した陳情として俺のもとに届く。……明らかにキャパシティを超えた量で。
これまではフルーゼが対応していた。
しかし彼女は忙しい身だ。みんなもちゃんと遠慮して最低限のことだけを任せていたのだろう。
そこに同様の仕事ができる人間が増えたのだからこの状況も致し方なし。
物資の貴重なここでただ無駄飯を食らうわけにはいかない。
俺とメイリアはギース氏達を通訳に、しばらく大車輪で村の修理屋さんをすることになった。
下手をするとこのまま滞在中の時間をがんがん削られるはずだったのだが、そこはそれ、業務管理といえば頼れる人員、フヨウがいる。
彼女は仕事がパンクしていると見るや、瞬く間に陳情の窓口を一元化、業務の優先順位を割り振るシステムを構築してしまった。
彼女が優秀だったのはそこにこの地特有の信仰を取り入れた点である。
言葉もまともに通じない場所でどう交渉したものか、うまく祭司的な人物をリーダーに置き、日々の教えの一環としてその業務をアウトソーシングしたのだ。
ここまでのわずかな時間、水路の破損から鍋鍬の修理まで、言葉も通じずどれくらい急ぐのかも曖昧な仕事がひっきりなしに投げ込まれてくる状況は俺たちを疲弊させていた。
それに対する処置である。
製造修理業務の内容は変わらずとも、必要な仕事と締切が明確なら計画的に動くことができるようになる。
いつ終わるともしれない作業というのは常に余力を求めるからな……。
一方で、こういった仕事を全部ではないとはいえ、一身に背負っていたフルーゼは逆に少し時間に余裕ができた。
そこで彼女には案内役という立場で、一仕事こなしてなお余裕そうなフヨウと一緒に神殿の方を調べてもらっている。
来(きた)るアニエスさん救出のための予備調査として。
日中はみんなそれぞれの役割を果たし、夕暮れ時のわずかな時間に報告を兼ねた会議。
そんな日々も数日が経過し、集落から穴のあいた鍋が一掃され、衛生用品に困らなくなった頃。神殿の調査からもある一つの結論が出ようとしていた。
それは、アニエスさんの居場所の推定。
神隠しのからくりを解き明かす上で本質といって良いものだった。
「神殿の地下?」
「最も怪しい場所がそこだ」
二年近く前、神殿における正室と呼ばれる部屋、そこから隠し通路でつながった場所からアニエスさんは行方不明になった。
現在はその部屋自身が閉ざされており、内部がどうなっているか確かめたものはいない。
この地全体に訪れた異変と、元からあった神殿に対する『畏れ多いもの』という印象が工事を伴う類いの調査をさせずにいたからだ。
しかし、フヨウが力を貸すことで状況が大きく動いた。
石壁を壊さずとも、彼女の超感覚は俺たちの知るものとは異なる神殿の姿を明るみに出す。
目に見えずともただ歩き触れるだけで音、匂い、そしてマナの流れ、そういったものが、空間や構造、生物の存在を知らせてくれる。
穿った見方をせず、ただ状況から考えるなら行方不明になった隠し部屋の石板の裏側、そこがアニエスさんの居場所のはずだったのだが……。
「それは、隠し部屋よりもっと下ってことだよな」
「ああ、地面よりも低い場所だ。神殿からくみ上げられる地下水の水面とそう変らない高さだろう」
フヨウの感覚では別の場所にいる目算になるのだという。
「少なくとも、隠し部屋という空間付近には気配がない。生き死にを問わずな」
あまり想定したいものではないが、普通に考えれば食事を保証されていない密室に年単位で留まった相手が絶対に生きているとは言えない。
命を落としている想定もある程度はやらなければいけないことだ。
しかし、フヨウの見立てでは、少なくとも隠し部屋で死んでいる様子はないのだという。
その根拠は臭いによるものだ。
もとより、人の鼻というものはかなりの精度を誇るバイオセンサーだが、彼女のそれは文字通り桁が違う。
遠く離れた死の気配も、風のない場所ならわかってしまう。
例え石壁に阻まれた密室だとしても。
「でも、最後に確認した彼女は、『石の中』へ入って行ったんでしょう? そういったこともわかるものなんですか?」
「本当に石の一部になっているというのならわからないかもしれない。しかし、『生きている』という仮定をするのなら、話は別だ。マナの流れがそこにはないからな」
長い時間を密室で過ごす場合の必須要素。
人間という繊細な機械を維持する裏技は俺の知る限り魔術しかない。
魔術が働いているというのなら、そこにはマナへの影響が必ずある。
「そして、図ったような大きなマナの循環が地下にあるのも確認している。生き物の気配にせよマナの動きにせよ、何かあるというのなら地下の確率が高いだろう」
最悪、石室の調査自体は石壁を力業で取り除いて奥を見ることもできなくはない。しかし、集落の人の印象を考えると非破壊調査を優先するべきだ。
「だけど、地下に何かあるとしてそこへ向かう道ってあるのか? 神殿のことだからそういう場所ってだいたい管理された区画になっているんじゃないかと思うんだが」
先を考えようとする俺の疑問に答えたのはフルーゼだった。
「神殿の行き来できる範囲に『地下へと向かう通路』はないわ。フヨウさんとかなり入念に調べた結論よ」
「だったら結局正室を塞いでいる岩をどうにかした方がいいんじゃないか」
なんとか他の当たり障りのない方法を検討するべきでは。
「地下に行く方法自体はあるかもしれないんだ」
道はないけれど、方法はあると。なんだろう。空気孔か落とし穴でもあるのか。
「この集落の人達が、毎日神殿にお参りしているのは知っているな」
「ああ、大きな瓶を担いでるあれだろ……、あっ」
そういうことか。
「なんですか? 何かわかったんですか?」
「ああ、神殿には地下水がある。井戸や湧水じゃなくて、魚がいるような大型の地底湖だ。つまり、水路で一か所に繋がっているんだよ」
地下へアプローチするというのなら、ここを通るのは道理かもしれない。しかし……。
「……確かにそれなら目的の場所へ行けるかもしれませんが……途中の水場、どうするんですか? 船を用意すればなんとかなるっていう感じじゃないですよね」
その通り。
中にどれくらいの空間があるのか俺にはわからないが、人の手の入っていない地下空洞。
水があるというのなら経路そのものが完全に水没していることもありえる。なんならキロメートル単位でそれが続くことも。
仮に前世の技術をつかった道具があったとしてもそこを通り抜けるのはかなり難しそうだ。
そんな苦悩はあるものの、俺はフヨウとフルーゼを信用している。
俺たちが簡単に気が付くようなことはすでに分かっているはずだ。
なのにこの提案をしたということは何か方法があるということなのだろう。
「先に間違いを訂正しておく。私が提案しようとしたのは地底湖を通る方法ではない」
……あれ? 俺の勘違い? 話に乗ったメイリアの視線が痛い……。
「アインの考えはほとんど正解よ。私たちもそこを地下水の一部だと思っていた。調べてみると違ったの」
話を聞いてみると、神殿付近でアクセスできる水場というのは何か所かあるらしい。
そのうち一つがフヨウの調査によって他の水場とは繋がっていないことがわかった。
「水位が他の水場と異なるんだ。一か所だけ妙に高い。どこかでつながっているというのならどこも高さは一緒になるんじゃないか?」
フヨウの言う通りである。
気圧は均等にかかるので水面の高さが異なるならそこに繋がりはない。
「長年かけて雨水が溜まったのではないかと思う。私の見立てでは、もともと神殿の一部だった場所だ。直接正室の真下へ出られるかはわからないが、少なくとも地面より下の部分であの周辺を調べることができると思う。近づけばまた、中がどうなっているかわかるかもしれない」
新たな調査が可能であると。新しい情報が入るというならやってみる価値はあるか。
「問題はそこにある水なの。さすがに泳ぐわけにはいかないし、フヨウさんはそれなりに距離があるっていうし。ここを通るためにアイン達の力を貸して!」
ふっきれたかのように気楽に難題を投げてくる。
でもそれでいい。なんとかできるかどうかよりも、まず全員で考えたいのだ。
それに、これまで話した情報から考えれば、現地調査の結果次第でやりようはありそうな気がする。
結論から言えば、水中経路を進む目途は立った。
しかし過程はめちゃくちゃ面倒なものとなった。
問題になったのは予備調査だ。実際に現地に向かい、俺たちが進みたい場所がどんな所なのか把握する。
そしてある程度正確な測量データを取った。これが難題だったのだ。
欲しかったのは水深と水面高の絶対値。基準面は地底湖の水面ということになる。
方法としては魔術のレーザーで水平面をとり、分度器とロープで角度と距離を測る。それだけ。とにかくそれを繰り返して高低差を細かく算出し、合算した。
計算機のないこの世界では非常に面倒なものではあったが、今回のメンバーは学識豊かだったり地頭が優れていたり、こういった作業に向いていたのが幸いした。(自頭という言葉はありません)
俺たちは測量の専門家というわけではないが、そこそこ正しい数字を得ることができたのではないかと思う。
フルーゼなんかはこの作業の繰り返しで三角関数というもに関してかなり理解を深めたようだ。ちゃんと効果のあるOJT(業務上学習)というものもあるんだな。
得られた水底の座標はプラス二メートル程。
つまり、俺たちの通りたい場所の地面は地底湖水面より幾分高いということになる。
必ずしも地底湖より上である必要はないが、通行中に水圧でどこかから水が流れ込む状況は避けられそうだ。
「どうだ、なかなか立派にできたろう」
最後の検算を三人に任せて俺が行っていたのは土木工事だった。
内容は空池の作成。
つまり通路から抜き取った水を外に出してため池を作ろうという算段である。
地底湖に繋がった場所へ流し込んでしまうことも考えたのだが、エンセッタの集落で農業用地拡大に伴い、井戸水の不足が懸念されることから予定を変更した形になる。
水を溜めておけば今後集落まで誘導する水路を作成することもできるだろうという考えだ。
神殿付近では今一農作が上手くいっていないそうだが、水に原因があるわけではないことはフルーゼの研究によって確認済である。本当に優秀な子だ。
それにしても地底湖とは呼ばれていても、エンセッタより水面の標高は高いんだな。
神殿が高台にあることからなんとなく理解していたことが今回の測量ではっきりした。
地学については詳しくないけれど珍しい地形なのかもしれない。
「まあ、ロムスであれだけ水周りのことをやっていましたからね、今更腕を疑ったりしませんけど、本当にこんなに広い場所が必要なんですか?」
今回の池の容量は約五百立方メートル。
学校なんかにあるプールより少し大きいくらいだろうか。
水没した地下道内の水は概算三百立方メートルないくらいなので余裕は見てある。
事故対策として浅めに作ってあるので広く感じるかもしれない。
この地域には雨季が存在し、正直どんなに大きく作ったところでキャパシティとしては不安があるのだが、それは逃し弁を工夫することで対策してある。
詰まりにくいように各所へ排水され、鉄砲水の原因になったりはしないはずだ。
「なになに? ロムスでもこんなことをやっていたの? 私がいたころから変わってるのかなぁ?」
「私は先輩が大改造した後しか知らないけど、絶対全然違う場所になっていると思う……」
「そうだな、一時期アインは土木工事にはまっていた時期がある。外から見た感じはそこまで変化していないが、カイルも駆り出して徹底的にやっていたから細かい部分は別物になっているはずだ」
「……いいなぁ、面白そうだなぁ……」
女性陣はここ数日で随分仲良くなったらしい。
明らかに俺のいない場所でも会合が行われており、疎外感がすごい。
しかし、雰囲気的にそこへ入り込むことも許されないのだ。
それでも、友人を助けるという使命がある中でフルーゼが強く気負っていないのは良いことだと思う。
緊張すれば必ずしも事を誤るわけではないが、自然体というものはそれ以上に良い状態なのだ。戦いの奥義であると師匠も言っていた。
「水を逃す場所はこれで良いかもしれないが、結局どうやってここまで運ぶんだ。流し込もうにも一度汲み上げなければいけないだろう」
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