第154話 報い(下)

 必要なことは言った。続けるべき言葉も心の内にある。

 だけど、俺のそんな計画は、遮られることになった。

 他ならぬ彼女の笑い声で。


「……ふふ……ふふふ…………、もう、やりすぎ」


 結構緊張してたのに、失笑ってのは酷くないか? そう言おうとして気が付く。

 フルーゼの不思議な色をしたアーモンドの様な瞳に大粒の光があることに。


「昨日から、ずっとずっとこうあって欲しいって思い続けていたことが続いているの。絶対に無理だって、そう考えていたことが。私のおとぎ話は終わったんだって。なのにお膳立てされたみたいに。これは夢で、今にも目が覚めて、またあの静かな絶望に後戻りすることになるんじゃないかって。不安になっていたら今度はフヨウさんとメイリアまで相談に乗ってくれて。出来すぎでやりすぎよ。なんだか全部、アインが私のことを騙すためにやっているんだって言われた方がしっくりくるわ」


 酷い言われようだ。


「二人はそんなことに加担したりしないぞ」


 それぞれ芯のある人間だ。

 自分で納得しなければ、俺がどんなことを言ったいって、てこでも動かないだろう。


「そう、そうなんでしょうね。自分の意志でアインを信頼するっていう結論を出したのね……」


 フルーゼは、そこで腕を上げ、豪快に涙を拭き取った。

 砂にまみれた袖をものともせずにごしごしと。

 どこか女の子らしい印象とはそぐわない、だけど不思議と彼女らしいと感じられる所作で。

 初めて俺に話しかけてきたときの力と意志に満ち溢れた目、それが戻って来たと感じた。

 十年の時を経ても変わらなかった彼女が今、目の前にいる。


「……アインは嘘つきなのね」


「は?」


 思いもよらないことを言われて面食らう。


「フヨウさんのこともメイリアのことも手紙で名前は知っていたけど、こんなところにまでやってきてくれる人だとは思っていなかったわ。それがあなたの嘘。思いつきみたいな理由で南の大陸まで渡る人を心配して付いて来るなんて、ただの友達はそこまでしてくれない」


 タイミングの問題もあって、エトアの事件のことなんかを書いた手紙は彼女の元には届いていない。それも関係しているのかもしれないのだけれど、不思議と口をついて出た言い訳はシンプルだった。


「二人ともいいやつなんだよ。仲間なんだ」


「ええ、そうなんでしょうね。とても大切な仲間。十年前の私の時の様に、あなたはずっと彼女たちのことを助けてきたんでしょう。それであなたは手紙に書くの、『新しい友達ができた』って、こともなげに。二人だけではなく、色々な人を。今思えば、カイルやルイズの手紙にもそんなことが書いてあったような気がする。あーあ、また二人にも会いたいな。そして話を聞きたい。アインがどんなことをしていたのかって」


 言い返したいことはあった。

 でも、もう今の彼女は俺の言葉を必要としていない。だから黙って聞くしかない。


「あなたたちの話を聞くばっかりっていうのも嫌。私の話もしたい。新しい友達ができたってちゃんと紹介したい。アニエスは凄い子なんだって」


 何かがしたい、欲しい。

 こっちに来てからそんなことを言う彼女を初めて見たかもしれない。

 欲はそれ即ち、生きる力。先へ進むための原動力だ。


「ねえアイン。私、やりたいことがいっぱいあった。やっと思い出した。やらなきゃいけないことじゃなくて、やりたいこと。その中でも一番大切なこと。友達を助けたいの。また、十年前みたいに、力を貸して、お願い」


「言ったろ。そのためにここに来たんだって」


「うん、でも私の意志で伝えたかった。私がやりたいことのために私が始める。それが必要なんだってそう思ったの」


「わかった。できることがあったら言ってくれ。俺だってフルーゼの友達の話をちゃんと聞きたい。賭けてもいいぞ。フルーゼだって絶対その子のことを助けてるんだ。手紙になんて書かない当たり前のやりかたで。そんな話を聞きださないと不公平だ」


 軽口を返せることがこんなに嬉しい。

 でも、ここからは難題だな。話に聞く限り神殿という場所は謎で満ちている。

 それを解き明かさなければならない。みんなで力を合わせるのはは必須条件だろう。


「ああ、それと、ここに来た理由、もう一つあったんだ」


「なあに?」


 心なしか水を差されたという表情で返答された。

 ごめん。でも大切なことなんだ。


「このペンダント。返さなきゃって」


 汚れなんかはないと思うのだが、ずっと身に着けていたものなのでちょっと気になる。

 表面は魔術も使ってきれいにしてみたが、あんまり変化はなかった。


「……まだ持っていてくれたの?」


「当たり前だろ。不意打ちで渡されて、びっくりしたんだぞ」


「……嬉しいけど、受け取れないわ。また、お願いをしてるから」


「覚えてないかもしれないけど、俺は前の時に言ったんだ。「友達なんだから一緒に遊ぶだけだ」って。何かもらうようなことはしてない」


「もう……」


 なかなか受け取ろうとしてくれないフルーゼに、ひとつ提案してみる。


「ならさ、こうしよう。俺はペンダントをフルーゼに返す。それでアニエスさんを助けに行く。それでさ、うまく彼女が帰ってきたらそのペンダント、俺にくれ。今度はいきなりじゃなくて、商談として。手紙にも書いたろう。俺、みんなと商売を始めた商人なんだ」


「結局同じじゃない」


 そんなことはない、納得しているかどうかというのはとても大事なことだ。


「そのペンダント、お守りなんだろう。だったらしばらくはフルーゼが持っていた方がいい。そんな気がする」


「わかったわ。交渉成立ね。うん、なんだか色々思い出してきた。昔の私たちはこうだった気がする。気分が上を向いて来た」


 出来ないか、出来るか、そこに分かれ目という物があるのなら、左右するのは気の持ちようだ。


「うん、そうだったな」


 しみじみとしていたのだが、そのあたりでフルーゼは少し焦った顔をした。


「あ、いけない、遅くなっちゃった。お母さんたちが心配しているかも」


 俺との話し合いはギース氏たちも納得の上なので叱られるようなことはないと思うが、帰宅が遅くなれば心配はするだろうな。


「送っていくよ」


「お母さんたちに今日会っていたなら知っているでしょう。すぐそこのお家よ?」


 確かに、角を曲がる必要があるから、ここからは見えないが、フィーアさんの家はここから近い。そもそも集落自体が大きくない。

 だから断られるのも止むなしかと思ったのだが。


「……いいえ、送ってもらおうかしら。メイリア達には悪いけど」


「二人はこういう時にちゃんとしておかない方が怒るよ。マナーにはうるさいんだ」


「ふふっ、なんだかお姉さんかお母さんみたいね」


 実際にフヨウは俺の義姉だし、その距離感にはしっくりくる。

 角を曲がって歩くほんの僅かな間、他愛もない話をして過ごす。たった一分足らずの時間。

 だけどそれは、やっとフルーゼと再会したのだと実感できる貴重なひと時だった。

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