第149話 備えが無駄になるとき

 そう広くもないエンセッタの中で中心に位置する広場。そこが宴の会場となっていた。

 俺たちに用意された部屋のある建物からすぐだ。

 これならフヨウたちも迷ったりはしないだろう。


 そこかしこに御座代わりの肌理(きめ)の粗い布が敷かれ、何人かの人間が思い思いの場所に座っている様子が見て取れる。

 先導してくれる子はするするとその合間を縫って進み、奥にいるフルーゼの元へと向かう。近くにはギース氏達もいるようだ。


「アイン君? 本当にアイン君なの?」


 ギース氏に説明不十分の文句でも言おうと会話の輪へ向かうと、俺たちに気が付いた向こうの方から話しかけてきた。フルーゼでもギース氏でもないもう一人の人物。


「フィーアさん、ご無沙汰しています」


 今度こそは正解のはずだ。

 フルーゼとよく似た色の髪、面影の残る顔立ち。

 俺の知る彼女はいつも動きやすい麻のエプロンを着ていたが、今は他の人より少し上等そうなローブを羽織っている。


「あんなに小さかったのに……。背も伸びて、なんだか男の子って感じね……」


「十年以上も経ちましたから」


「そう……、もうそんなに前のことになるのね」


 なんとなく、手持無沙汰で会話を聞いていたギース氏が口を開く。


「俺たちがここまでやって来れたのは、掛け値なしにお前たちのお陰だ。フルーゼが手紙を出し続けていなかったら、俺は今でもギタンの港で走り周ってた。遅くなったが、ありがとう」


「そうだったわ。つい懐かしくて。まずお礼を言わないといけなかったわね」


 ギース氏の言葉に、フィーアさんも姿勢を正して続く。


「エンセッタを代表し、巫女頭、フィーアが感謝申し上げます。この度の扶(たす)き、誠にありがとうございました」


 そでをすり合わせるようにして礼をする。この地域の作法だろうか。

 フィーアさんの礼とともに、ざわりとした反応が周囲から伝わってくる。

 北大陸語での会話の内容はあまり伝わっていなかった周りの人にも、この行動が何を意味するかは分かったようだ。

 昼にフルーゼから少し話を聞いたのだが、どうやら彼女がこの集落では有力者の一人であるというのは本当らしい。

 こんな場に一人で立たされてしまったことを幾分後悔しながら救いの手を求めて傍らに目線を向ける。

 そこにいたフルーゼは案内役の子との会話をやめ、にこっと笑った後に俺にはわからない言葉で周囲に大きな声で話をし始めた。


「――――」


 確かに知っているはずの彼女の声。なのに人生で初めて聞くような不思議な感覚。

 祝詞のように、謳うように。マナに影響を与えていると錯覚するほどの存在感を持って会場へと広がっていく。


「凄い技術ですね」


 いつの間にかフヨウと一緒に近くまでやって来ていたメイリアが言う。

 どうやら身だしなみの準備とやらが間に合ったようだ。


「何を言っているのかわかるのか?」


「いいえ、全然。でも、何をしようとしているのかはわかります」


 禅問答をしているつもりはないのだが。


「……貴族や王族は多かれ少なかれ、人前で話す技を学びますが、中には秀ですぎて参考にならないほど上手い人間があらわれることがあるのだそうです。野放しにしてしまえば扇動者に使われてしまうので、注意するように言われましたが。本当にいるんですね、あんな人」


「何が言いたいんだ」


「フルーゼさんは生まれ持って人の上に立つ人間だということです。私個人としては正直見なかったことにしておきたいところですが……」


 結局、説明になっていないが、どうやらフルーゼが凄い演説をしてメイリアがモヤっとしているということらしい。

 なんにせよ俺の友達だ。王国のいざこざに巻き込むようなことは本当にやめてくれ。

 こんな遠隔地にいれば杞憂だとは思うが。


 そう長い時間かかることもなく話を終えたフルーゼは、最後に魔法を解くように冗談を言って笑いをとったらしかった。

 そんな如才ない姿をみれば、彼女がメイリアの言うような技を持っているということが俺にだってわかる。

 が、流れからすればこれも俺が助けを求めたからやってくれたことなのだろう。


「ありがとうな、助かった」


「あら、この程度で感謝されていたら、私たちはずっとあなたにお礼を言い続けないといけなくなっちゃうわ」


「そんなものかな。ところで、あれって何を言っていたんだ?」


「内緒」


 なぜそこで意地悪をするのかと詳しく話を聞きだそうとしていたところでフィーアさんが声をかけてきた。


「みんな揃ったみたいだし、宴を始めるわよ」


 今の演説は丁度良く人々の注目を集めていた。

 その熱が冷めないうちにということだろう。

 二、三、大きな声で語り掛けると、そばにいた老人がそれに追従してなし崩しに宴の開始と相成った。





 分かっていたことだが、ささやかな祝いだ。なにせ食べられるものは決して多くない。

 それでも想定していたよりも料理の品目は多く、肉や魚を使ったものもそれなりに準備されていた。

 聞けば、今日のために特別に用意した新鮮な肉も含まれると言う。

 それはつまり今朝まで生きていたという意味だ。思わず手を合わせてから口にすることになった。

 俺の知る限り、南北大陸両方でこんな習慣は存在しないのだが、周りにいるほとんどの人はそんなことは知らないはずなのでまあいいだろう。


 宴は早々にヒートアップしていく。その理由は俺たちが持ち込んだ物品にある。

 一つは以前も説明した塩。内陸部にあるこの地域に人が住むための生命線の一つ。

 予想通りフルーゼの知識と術でこれまでやりくりしてきたようだが、不足していた点は変わらない。

 用意された料理の数々は俺たち、特に船乗りにとっては薄口に感じるものだったが、ここの人たちにとっては違ったようだ。

 『味』という刺激はかなり強いようで一口一口に感想を言い合いながら食べている。

 塩だけではなく、甘味、酸味、辛味と料理をする上で必要不可欠な素材はどれも不足していたようだ。

 近隣で採れる薬草等でやりくりをしていたようだが、味付けの選択肢は多い方が良いだろう。


 今回の旅ではここまでやってきた人数が多くないため持ち込めた物資はごくわずか。

 そのうち、大半は件の塩と旅に不可欠な水だったので、残りともなれば集落全員に行渡るようなものはない。それでもギース氏が優先して運んだ物がある。

 酒だ。船旅に不可欠な品。

 それは強ければ強いほど良い。酒精を減らしたければ現地調達の水で薄めれば良いからだ。

 とはいえ、そこは船乗り。なぜかストレートで飲まない者は腰抜けという悪習があり、それを真に受けた集落の男たちが次々と撃墜されて、もとい沈没していく。

 エンセッタでは酒造の習慣はないようだから、日常的な飲酒なんてしていなかった者たちだ。急にあんなに強いのを飲めばこうなるのもむべなるかな。

 せっかく持ち込んだものなのだからもっとゆっくり消費していけば良いのではないかとも思ったのだが、ギース氏の顔を見てそんな気も失せた。


 彼は俺の話を聞くまで集落の存亡について悲観的だった。それでも塩を運んだのは僅かな可能性で生き残った者たちを救うため。

 それでは酒を運んだのはなぜか。塩の様に、なければ死ぬようなものではないのに。

 今回の様にみんなを救うことができたのならば、こうしてふるまえば良い。

 そうでなかったのなら……、

 ――弔い酒にするつもりだったのだ。


 自分にとって世界で最も大切な家族。

 そんな相手が、少なくない可能性で死んでいるかもしれない。

 無力な自分に何ができるのか。そういった考えの末に選ばれた酒を積み込む時の彼の胸中。二人分の人生を送ってなお、俺には思い及ばないところだ。


 それでも、そんな苦悩は全て無駄になった。

 必要ないのならば、さっさと処分してしまう方が良い。意味の無い苦しみなど、一夜の夢と忘れてしまうべきなのだという気持ちは、酔いだけが理由ではない彼の赤ら顔を見れば明白だ。

 だから、さっきからずっと袖で顔を拭い続ける彼の様子を誰も茶化したりしない。

 それは自分たちのために必死になってくれた人間がいるという証に他ならないから。

 ただ、黙って空いた杯にお替りを注ぐだけなのだ。


 御座の上に並んでいた人々は自然と車座になって各々の話に花を咲かせ始めた。

 一つの輪はしんみりと話し込み、他の輪では飲み比べが始まる。

 ジョゼ達二人はちゃっかりその中に紛れ込んでいたりもする。

 おそらく大切な人がそこにいるのだろう。ギース氏も若干会話がおぼつかなくなりながらもフィーアさんの隣を離れない。


 俺たちはというと、来賓として上座で横並びに座っているだけで、ちょっとテンションを合わせきれていないところがあった。

 せめて言葉がわかればもうちょっとできることもあったと思うのだが……。


「――――」


 薄口の料理に少しずつ手を付けていると、声をかけられた。

 顔を上げてみると何人かの子ども。

 親たちがはめを外しているからか、所在なげだった彼らは同様に暇そうな俺の元にやってきたのだろうか。

 それぞれの顔を眺めると、挑戦的な顔でこちらを見つめるリーダー格の女の子。

 とその陰に隠れるようにもう一人。


「――――」


 続く言葉に横から窘めるように、ここまで案内をしてくれた男の子が口を開く。

 なんとなく流れはわかるのだが、核心的な部分が不明ではどうしようもない。

 フルーゼの方に目を向けると、


「『あなた達が本当に私のお師匠様なのか』って。さっきそんな話を少ししたから」


 例の演説の時だろうか。

 実際には教えたのは俺だけのはずだが、どんな説明をしたのだろう。


「実はね、この子たちは魔術が使えるの。ちょっとだけだけど。私が教えたから。それで調子にのらせちゃったのかもしれないわ。ごめんなさい」


 特別な力というものはどうしても気持ちを大きくさせる。それは大人ですらそうだ。


「良かったらなんだけど、お手本、見せてあげてくれないかしら。アインの魔術ならどんなものでも、充分証明になるはずだから」


 そうは言ってもな……。何をして見せれば良いのか。


「……良い案が浮かばない。二人とも助けてくれ」


 困ったときは仲間を頼ろう。


「声をかけられたのは先輩でしょう。そこは先輩がなんとかしないと」


 一瞬で灰になる仲間の絆。

 なんか、さっきからちょっとだけ俺に冷たい気がするんだが……。


「私は魔術が使えるわけではないからな。アインならこういう子を喜ばせるのは得意なんじゃないか?」


 もう一人からも大真面目に切って捨てられる。孤立無援だ。

 んー、しょうがない。何か考えてみるか。

 目の前の子はもうちょっと焦れ始めているし、短時間で準備できる物。何があるだろう。

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