第五章

第147話 祝福

「おかしいな、あれ、みんな見えてるよな?」


 後ろを振り向いてフヨウとメイリアに確認をとる。


「こちらから見えるんだからそうなんじゃないですか? ああ、もしかしたら方角的に眩しかったりするのかも」


「これだけ日が高くなれば、さすがにこちらがわからなくなることはないと思うぞ。久しぶりに現れた客に驚いているんじゃないか?」


 それもそうか。

 俺たちの知る限り、一年半以上も街道が閉ざされていたのだ。

 旅人が現れるというのは想定の範囲外なのかもしれない。


「とりあえず、人がいるのは確認できたんだ。悪いけどギースさんたちにも声をかけてもらえるか?」


 一緒にやって来たギース氏たちは、大分後ろに遅れてサウラの面倒を見ながらゆっくりとこちらに向かっている。

 俺たちが斥候をしている形になるのだが、必ずしもこのフォーメーションをとる必要はない。ここに向かうまでの旅路で魔物の気配はさっぱりなくなってしまったからだ。

 単純に彼らは緊張しているのだ。

 嘆きの峡谷を越えて、エンセッタの集落が近づいてくるにつれ、挙動不審になっていく海の男たち。

 無理もない。

 幾度となく魔物の群れに立ち向かってまでこの地を目指した理由が彼らにはある。

 一方で塩の備蓄など、悲観的にならざるを得ない材料がずっと心の底にあったのだろう。峡谷を超えるまで蓋をしていたそれが、漏れ出てきたというわけだ。

 無論、ギース氏同様に、そんなことはないはずだと俺が説明を行った。

 しかし、全てを払拭できたわけでもない。

 人の気持ちとは理屈だけで決まるわけではないのだ。


 一方で、俺がこうしてどこか緊張感にかけるやりとりをしているのは、フルーゼを信用しているから、かどうかはわからない。

 実のところ、十年ぶりに顔を合わせる幼馴染に別の意味での緊張はしている。

 とはいっても、集落が壊滅しているなんて予想はしておらず、平静を装って二人と一緒に先行したというのが現状だ。


 少なくとも目前に迫った集落に異常はなく、そこに並ぶ幾人かの住人に諍いや緊張の様子はない。

 むしろリラックスしているようにすら見える。

 ただ、こちらに反応してもらえないのが考え物だな。

 何か大きな声で話しかけてみるか?

 俺たちはあまり南大陸語が上手くないので、片言になってしまうが。

 ……先行した俺たち全員、コミュニケーションに難ありって、このフォーメーションだめじゃん……。


 取り急ぎ、メイリアに後方のギース氏達をせかしてもらっていると、向こうの集団から一つ抜け出てやってくる影があった。

 この地域特有のターバンを被っている。

 背はあまり高くないが、子どもというわけでもないだろう。女性、だろうか?


 無視するわけにもいかず、フヨウと一緒にゆっくりと歩みよりながら方針を決める。

 なんとか片言で時間を稼いではやくギース氏に来てもらおう。それくらいならできるだろう。


 少ない語彙の中から少しでも有用そうなものを思い浮かべつつ、対面した人影はやはり女性だった。

 とても若い。俺とあまり変わらない年頃に見える。


「――――」


 残念ながら想定通り理解できない南大陸語を話すと、遅れてターバンを取り外した。

 はらりと零れる紫がかった不思議な色合いの髪。

 フィーアさん? 十年以上も昔に面倒を見てもらった雑貨屋の女性を思い出す。

 いや、年齢が異なる。

 彼女だって相応に齢を重ねているはずだ。

 ということはまさかフルーゼだろうか。

 いや、絶対違うともいえないが、この髪色の人は他にもいるかもしれないしな。

 親戚の方の可能性もある。


「何か言った方が良いのではないか?」


 ぎりぎり俺に聞こえる声で催促するフヨウ。いや、あなたが対応してくれてもいいんですよ?

 とりあえず、曖昧な笑顔を浮かべて時間を稼ぎながら説明するべき順序を組み立てた。

 まずは俺が北大陸の出身で言葉がわからないこと、そして後から言葉のわかる者が来ることを説明しよう。そうしよう。


『北、来る、言語、否定』


 文法を無視した単語の羅列。

 ただし発音だけはしっかり聞き取れるようにゆっくりと話す。

 どこか茫洋とした顔でこちらを伺っていた女性はその途中で目を大きく見開いた。


「お父さん!」


 はっきりとした北大陸語。そして王国で一般的なイントネーション。

 彼女が視線を向ける方角を見れば、そこには年甲斐もなく汗だくになって走ってくるギース氏の姿があった。

 と言うことはつまり、この子は多分フルーゼだ。

 綺麗になったなーと思う。おしゃまで明晰だった彼女が、そのまま成長したらこうなるというのは納得だ。

 多分彼女は俺のことには気が付いていないが、それを今すぐに説明する気にもならなかった。

 当たり前だ。目の前では、今生の分かれを覚悟していた二人の家族が、今まさに奇跡の再会を果たしているのだから。

 邪魔をするのは野暮というものだろう。


 歓声が上がる。少し離れた集落の方角。

 さきほどより幾分近づいて来ていた住民たちがフルーゼを祝福している。

 そのうち何人かはみんなに報せるためだろうか、踵を返して走り出した。

 あ、転んだ……。

 一人だけ砂地に滑ったのだが、そんな彼も笑顔を浮かべている。

 世界の全てを祝福するような笑い声。


 俺やフヨウは、この幸福な光景の中で部外者にすぎない。

 それでも、この景色を作る手伝いをしたという自負がある。

 頑張って良かった。ここまでやってきて、本当に良かった。





 集落の半ばに位置する少しだけ大きい日干しレンガで造られた四角い建屋。

 その中で、俺たち三人は待ちぼうけを食らっていた。

 あの後、サウラとみんなが追い付いて来たタイミングでなし崩し的に集落へ入ることに成功したのは良いものの、気が付けば周りはお祭り騒ぎ。

 人が集まって来ても早口で何かをまくし立てられるだけでは俺たちには何を言っているか理解できない。

 曖昧な笑みを浮かべて相槌を打っていると、なんとなくこの部屋まで連れて来られることになった。

 その間でギース氏達は別行動。

 たしかにあそこまで無理をしてこの地を訪れた以上、みんな一刻も早く会わなければいけない人がいるのだろう。

 フィーアさんだって待っているはずだ。それにしたってこの扱いはないのではないか?

 ひとりぼっちではないのが救いではあるが、仲間外れ感は否めない。

 なんとなく会話も続かなくなり、部屋の中を見渡してみる。


 結構広めの部屋だと思う。

 ここに来るまでに見て回った建屋の数々は多くても部屋が六畳ほどの部屋が三つもあれば上等といった感じの大きさだったので、ここは有力者の家か、共用の施設なのだろう。

室内に机や椅子はなく、その代わりに上がり框(かまち)の様に部屋の入口に段差があった。

 そこへ靴を脱いで入室している。

 入口は細かい刺繍の入った布で遮られているだけで戸も存在しない。

 全然雰囲気は異なるのだが、どこか前世の日本を彷彿とさせる所があって郷愁を感じないでもない。

 座面の代わりに床全体に絨毯のようなものが敷かれているので、そこに三人並んで座っていた。

 なぜ車座にならないのか。

 その理由は目の前の壁面に設(しつら)えられた何かにあった。


「これ、やっぱり宗教的に大切なものですよね」


「ここが神殿のおひざ元である以上、そうだろうな」


 祭壇、と言うのが近いと思う。あるいは仏壇。

 壁に直に書かれた太陽をモチーフにしたらしき絵と、小さな台。そのうえには小鉢に水と獣脂で作ったと思われる火の消えた蝋燭が並んでいた。


 部屋に入ってすぐに見える位置にあるそれに、背を向けるのも気が引けた結果がこの座り位置である。

 何か挨拶か祈りでも捧げた方が良いのかもしれないが、俺たちにはイセリア教の祈り方しかわからないし、それだってフヨウの前でやろうと思うものでもないので、こうしてただ観察を行っているのである。


「誰か来るみたいだが、結局、入口に背を向けて迎え入れてしまって良いのか?」


 一際早く人の気配に気が付いたフヨウが問いかけた。

 そうなのだ、祭壇は部屋の奥にあるので、今は入口に背を向けて座っている。

 しかし、そうなると、今度はやってきた誰かに失礼だ。

 この地の礼儀作法は分からないが、俺たちが無礼に感じるようなことはするべきではあるまい。


「しょうがない、入口に向いて座り直して、相手の様子を見て行動を決めよう」


 そそくさと座り方を変えるのと、入口の幕が上げられたのはほぼ同時だった。


「――お待たせして申し訳ありませんでした。……お客人が南の言葉を話されないとは露知らずご無礼を」


 流暢な王国訛りの北の言葉。

 マナの反応でなんとなくわかっていたことだが、入室してきたのはフルーゼだった。

 しかし、なんだかちょっと会話に齟齬があるな。

 最初に言語が不自由であることは話したつもりだったのだが、上手く伝わっていなかった様だ。

 それに、


「最初に迎え入れるべき時にも、詳しく話を伺うこともせず……」


 ギース氏との再会のことだろう。

 家族との再会に野暮なんて挟むつもりはまったくないのだが、これは完全に俺のことを知らされてないな……。

 あるいは十年前のことを忘れているという可能性もあるが、文通を続けていたのだからそれはないと信じたい。もしかしたら俺のこの姿は手紙の印象と違ったりするのかな。

 悶々とした気持ちでどう切り出すべきか考えている間も、一通りの謝罪と挨拶が続く。


「――この地には北の言葉を解するものがほとんどおりません。何事かあれば、私(わたくし)、フルーゼに御申しつけ下さい」


 よし、ここだ、今こそ再会の挨拶の時。そう思って口を開こうとした矢先、続く言葉があった。


「――、――」


 南大陸の言葉。俺たちにではなく部屋の外に対する声かけは、それまでの口調からは幾分大きく、一念発起したなけなしの決意はいとも簡単にへし折られてしまった。


「今、お茶の準備をさせています。しばらくお待ち下さい」


「あ、お気遣いなく」


 思わず出た受け答えに、両隣から、脱力したような気配がマナを介して伝わって来た。

 えーえー、わかっていますとも。

 お二人とも俺のへたれっぷりが気にくわないのでしょう。

 いや、本当、十年ぶりの再会って結構緊張するんだって。

 言い訳をマナに乗せるような器用な技術はないので、心の中でそうつぶやくだけにとどめ、今度こそしっかりと話す。

 家族の再会とはいかなくとも、俺だって頑張ってここまで来たのだ。

 あまり情けないままではいられない。


「フルーゼ、話を聞いてくれないか」

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