第143話 日々の終わり(上)
私たちの事業をもう大人は無視できない。
それだけ目立つことをやった。最初から成功することを目指して実験していた以上、このことが周囲に大きな影響を与えるであろうことは計画の内だった。
だから最初は優等生の顔で協力を得て、常に享受した利益のほとんどをみんなに分け与え、諍いの原因とならないように注意を払い続けた。
母の立ち位置を考え、時に実験を遅延させてでも、長老たちの面子を重視した。
地下を流れる伏流水のように、発言力という見えない力を蓄えて、根を延ばすように協力者を増やす。最短の道とは直線を進むことではない。
事業が仮止めを受けている間も頭の中は自由だ。
人を育て、アニエスとともに自分たちに何ができるのかを考え続けた。
いつしか、私の近くには魔術の才ある子どもが少しずつ集まり始めていた。
そんな中でも異彩を放っているのはもちろんアニエスだ。
どこまで調べても特殊なオドを持つ彼女のような子は他にはいなかった。
最初こそ自身を苦しめたその力を、今、彼女は使いこなし始めている。
神殿の地下に蓄えられた魔力を使わなくても、彼女は自分のオドだけで魔術を操ることができるのだ。
普通の人間には限りがあるはずのものなのに、底が見えない。
魔力をくみ上げる段階のない彼女の魔術は誰よりも速やかで誰よりも力強いものとなった。
魔術を使用する子が増えるにしたがって、それを他人に隠すことは難しくなる。
当然そのときの手立てもこれまでの間に考えてあった。
言い訳の根本はもちろん神殿だ。私たちはあくまで天の力の恵みを得て生きているのだ。
正しく学び祈れば助けは得られる。
それは幼少より受けた教えに反するものではない。
そして、事実こういった超常の力の発露は初めてではないということが、神殿の内部には記録されていた。
研究の過程で集落に残された記録を読みつくした私が目を付けたのは神殿のあちこちに残された文字と思しき彫刻。
ありがたい教えだと伝えられたそれは、何故か読み方の多くが逸失していた。
遺されたのは一部の単語のみ。
文法も記載方法もカーラや周辺諸国のものとはずいぶんと異なる。
しかし、私はある一つのことに気が付いてしまった。
文節の区切り方。それが北大陸の言語と共通しているように見えるのだ。
北の言葉と南の言葉、双方を学んだ私、あるいはアニエスだけが気が付くことができるそれを解読してみようと思った。
隠れて魔術を使用し、形を写し取った文字の解読はやはり難解だったが、予想は間違っていなかった。北の言語と文法的な共通点が確かにある。
南の言語と異なり、文字が表音であることも理解を助ける。
わかったことがあれば芋づるのように他の単語を把握することができるのだ。
暗号を解読するようなそれはなかなか面白く、時間をかけて文面は少しずつ把握されていった。
その中に、魔術と思しきものと神殿の関連が記載されているのを私は発見することになった。
曰く、
『魔の技を欲するならば、天に地に希(こいねが)え。仁と信のために。其
は地にありて想いによりて沸き立たん。刻め、力に表裏あり――』
驚きはした、アニエスと興奮しながら随分と話し合った。
しかし、納得できる部分だってあった。
この神殿は、明らかに魔術的な特徴を持っているのはアニエスの循環の経緯からも明らかだったからだ。私が考古学を学ぶ人間ならば一生を捧げる覚悟をしたかもしれない。
幸か不幸か、私の関心と目的は別の場所にあったが、この発見は大人たちの中でも真面目に受け取られることになった。
その下地はこれまでの振る舞いで作ってあった。
この時にはもう、母は神殿の巫女としての御役目を受けて正式に祭事を取り仕切る立場にいた。
そんな人間の娘が失われた天の言葉を紐解こうとしている。
これは多くの有力者たちにとって喜ばしいことであったようだ。
そんな中で私の使う魔術は『天の恵み』を証明するものとして徐々に受け入れられていった。
過ちとはそれ即ち、物事が万全であると錯覚することである。
これまでやってきたことが上手く行っているという実感があった。
ここまでくれば、父と母が共に暮らせる日々は夢ではなくなったと、そう思っていた。
しかし、無欠というものは存在しないのだ。
予兆は私の手の届く場所、すぐ隣から始まった。
十五歳。
北の大陸なら成人として認められる齢になった私は、あいも変わらず日課の水汲みをアニエスといっしょにしていた。
とはいっても魔術の修練を行った私たちにとってそれは大変なものでもなんでもなく、二人で相談事をしたり、神殿での調べものを行う次いで程度の仕事でしかない。
異変は、そんな日常の中で生まれた。
「っ……!」
突如、アニエスが蹲ってしまった。
空の瓶が地面に転がる。
この時点ではまだ私は事態を軽く見ていた。
「どうしたの? 足でも捻った?」
今日のアニエスは口数が少なく、もしかしたらちょっと体調が悪いのかな、とは思っていたのだ。
必要なら二人分の水汲みくらい私がやるから休んだら、と声をかけようとしていた。
膝を地面に投げ出してかがんだ彼女は、足ではなく右目の上の方、おでこの辺りを押さえている。なんだろう、木の実でも落ちてきたのだろうか。
返事のない彼女に近づいて、やっと異常に気が付くことができた。
赤い瞳が輝いている……。
比喩ではなく、魔力を帯びた、暗いはずなのに強い赤。
そして、抑えた手元。指の隙間に異変はあった。
最初はかさぶたか何かだと思った。黒くくすんだそれは、見慣れたアニエスの肌とは全然違う色だったから。
しかし、さっきまで怪我もしていなかったのにかさぶたができるわけがない。
ならこれは何なのか。心なしか隆起しているようにも見える。
何が起きているのかは理解できていなかったが、アニエスが苦しんでいるのは分かった。だから、とっさに彼女に触れようとした。循環を整えるために。
しかし、目的を達することはできない。
そこにあったのは溢れるほどの魔力の奔流。人の身のうちに収まるようなものではなかったから。
一度触れた手を、無意識に離してしまう。
あまりの魔力に熱を感じたかのように錯覚してしまったから。
日常の中に唐突に現れた絶望。
何がなんだかわからないまま、目の前で苦しむ友人を眺める。
悲しさと恐ろしさと苦しさが一度に襲い掛かってくる。
私の心の奥底にずっとあり続ける不安。
自身の無力さに対する恐怖が湧き上がって心を満たす。冷たい諦め。
――無力なんかじゃない。
暖かい否定。
相反するように体に熱を与えたのは『友人は助けるもの』という当たり前の実感。
陳腐にすら感じるそれは、遠い昔に誰かから与えられたもの。
とても大切な思い出。
わずかな時間に脳裏を巡った、ない交ぜの感情は、整理されることのないままに私を突き動かした。
すなわち、友を助ける方法を模索する方向へと。
抱えていた瓶を投げ出し、動けないアニエスを抱える。
自分の全身に魔力を行渡らせ、最大限の力で神殿に向かって走り出した。
判断は直感で行った。
もしかしたら人の多い集落の方がまだマシな選択である可能性もあったが、戻ろうなんて少しも思わなかった。
日々人が通り続けて作り上げた林間の細い道を、これまでのどんなときよりも疾く駆けた。
神殿が見えた頃、私の選択には一定の効果があったことがわかる。
アニエスの体内で暴れまわる様に行先を求めていた魔力が僅かに鎮静化していた。
そしてやっと思い出す。
彼女の特殊な魔術特性と神殿には関係があったことを。
そんなこともわからずに私はここまでやってきていた。
アニエスの額を確認する。
そこには明確に隆起した黒い骨のようなものが浮かび上がっている。
今朝まで、こんなものはなかった。
……この魔力異常と関係しているのは明らかだ。
オドの鎮静化のためか、ぐったりしてしまったアニエスにはまだ声をかけず、神殿の内部へと向かう階段を上る。
いつも水を汲む地下への経路ではなく、祭事を執り行う正室の方へ。
そこが神殿の中心に最も近く、彼女の魔力に関与する力が最も強いと考えられるから。
その入口へ着くと、やっと抱えたままだったアニエスを石床の上へと下ろす。
予想通りオドの暴走は随分と軽くなっているが、いまだに尋常でない魔力が循環している点は変化がなかった。
それでも、多少は楽になったのか息が穏やかになっている。
「アニエス」
目を閉じて眠ったように動かない彼女に声をかける。
「…………」
返事はなかった。気絶してしまったのだろうか。
魔力異常とこの角の様なかさぶたは、それほどまでに彼女を苦しめているのか……。
そっと額に手を置き、角のようなものの周囲のオドを確認すると、その部分に特異な流れがあることが確認できる。
全体をみてもオドの流れは強すぎて、私の力では到底制御することができない。
せめて、少しでも楽になるようにと、ただただ祈りながらオドの澱みを僅かにでも正していく。
それが功を奏したのかはわからない。
そう時間を置かずにアニエスに反応があった。
「う……」
薄く瞼が開かれる。
そこから漏れるような暗く赤い光は、最初ほどではないものの、確かに宿ったままだった。
ゆっくりと目を開いたアニエスは、しばらく焦点の合わない目でこちらを見ていたが、がばりと急に起き上がり、私に抱き着いて来た。
想定外に続く想定外。
私はまたも何もできずに後手に回ることになってしまった。
私を強く抱きしめたままのアニエス。
「……気が付いた?」
「――……え?」
しばらくされるままになっていた私は、やっと我に返って声をかけることにした。
彼女は少なくとも自分で動けるところまで回復している。
今なら話もできるかもしれない。
「ぅ、ぁ、あ……」
最初は意味のないうめき声だった。
「フルーゼ……」
それからやっと聞くことができた意味のある言葉は私の名前。
ほっとしたところで、彼女の双眸に大粒の涙が溜まっていることに気が付く。
辛かったのだろう。
もう一度、彼女の手を取って彼女を抱きしめる。
今度は私から、そっとやさしく。
肩に触れたとき、大きくびくりと反応があった。
どうしたのだろう。
何か恐れるようなことがあっただろうか。
その後すぐに彼女の体の力は抜け、緊張がとけたことを伝えてきた。
すすり泣く彼女を慰めながら、もうしばらくの時間をそこで過ごすことになった。
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