第141話 縁(下)

「秘密の特訓?」


「そう。『魔術』って言葉を聞いたことがない?」


 そこだけを北大陸の言葉で確認してみる。

 南の言語では対応するものがないのだ。少なくとも私が調べた範囲では。


「?」


 突然出てきた北大陸語に、うまく発音すらできなかったらしい。この様子だと存在そのものを知らなかったと考えて良さそうだ。


「北の方ではね、ごく稀に不思議な力を使うことができる人がいるの。それが魔術」


「わたしにそれが使えるってこと?」


「そうなんじゃないかって思ったの。何を隠そう、私も使えるわ」


 正確にはアインの考えた術を学んだだけで、王国における魔術というもの自体は全然知らないのだが、とりあえず自信満々にそう言っておいた。

 考えてみればアインだって同じ状況だったはずで、その真似だ。

 教師は堂々としている方が生徒は安心して学べる。


「この間、水汲みの時に体調を崩してたでしょ。あれも魔術が関係しているんじゃないかと思うの」


「へぇー」


 どこか他人事の様な感想。

 出会ったばかりのころのぶっきらぼうな反応はなりを潜め、最近は年相応よりも幼い様子を見せることが多い気がする。

 身寄りの少ない彼女のそういった様子を咎めるべきかどうかは最近の私の課題だ。


「あなたのことなのに……」


「だってまた調子がおかしかったらフルーゼが治してくれるでしょ。私好きだよ。あれをするとすーーっと気分が楽になったから」


「次に調子が悪くなった時に私が近くにいるとは限らないでしょう。神殿で足でも踏み外したら死んじゃうわ」


「うー。わかった。特訓はともかく、秘密なのはなんで」


「このあたりの人は、魔術のことを知らないみたいなの」


 私自身が両親以外にその話をしたこともないが、他の人からそれらしいことを聞いた覚えもない。

 南大陸に到着したころは、あまりの魔力の薄さに強く落胆したりもした。

 最初の頃はそれが理由で魔術師がいないのかと考えたのだが。

 エンセッタに到着してから、それは違うということがわかった。ここには潤沢なマナと地下の魔力が存在する。水源に近く、あたりに緑がそれなりにあるからだろうか。砂漠という土地は魔術と相性が悪いものなのかもしれない。

 アインの教えてくれた魔術は、時間がかかるだけで他の地域でも使うことができたので、慣れが重要な可能性もある。

 目下、そういったことも併せて研究中だ。

 そう研究。私が学んだ魔術の効果を最大限に発揮させる方法。

 これは、アニエスの力にも意味があるはずだ。


「自分の知らない不思議な力を、子どもが使っていたらどう思う?」


「……嫌だと感じると思う」


 答えは正解と言っていい。ただ、予想外に辛そうな顔をさせてしまった。

 もしかしたら彼女は、見た目の違いでこの地で疎外されたという感覚を引きずっているのかもしれない。失敗だ。


「そう。だから私はずっとこのことを黙っていたの。お母さんは知っているけどね。あなたの魔術も私たちだけの秘密にした方が良いと思うわ」


「フルーゼがそう言うなら」


「秘密って悪いことではないわ。自信の源になるの。実は私はこんな力があるのよって。それはずっと使わずに隠しているほど効果がある。アニエスも、隠れて力をつけて、いつか本当に大変な時に、大切なものの為に使えばいい。それは誰も真似できないこと」


「……フルーゼはできるよ?」


「そうね、じゃあ私たち二人だけができること。悪くないでしょう?」


 しばらく考えていた彼女は、私の説得に頷いて答えたのだった。





 私の知る魔術は多くない。

 でも、その中にも優先順位というものがあって、まず重要なのはオド循環の管理だった。彼女の不調は循環の不備から起きたものだと考えられるためだ。

 私の時も、最初にこの循環を学んだわけだが、今回は少し事情が異なる。

 彼女に断って肩に手を置き、オドの様子を確かめる。

 するとやはり、緩やかだが確かに動いている様子が確認できた。

 彼女はもとからこの魔術を使用できるのだ。それも無意識に。

 ではこの前の不調はなんだったのか。あの時は確認したオドに動きはなかった。

 慣れない水汲みで魔術に支障を来したのだろうか。


「あの時、コツを掴んだって言ってたでしょう? 今、それを試してもらっても良い?」


 気になっていたのは対処法もだ。

 私は循環を行う時、全身の状態を知覚し、そこに注意をはらってオドを満たすように流し込んでいく。

 どちらかというと集中して行っているのだが、彼女は『気を抜く』と言った。

 正反対といって良いやり方だ。


「うん」


 理由を聞くこともなくアニエスが答える。そして反応は劇的だった。

 ゆるやかに循環していたオドの量が爆発的に増加し、体からあふれ出るように大気に分散していく。

 直観的にまずいと感じた。自分のオドを最大限にアニエスの体内に流し込んで干渉しながら循環を整え、可能な限りゆるやかなものに変える。


「っ、わかった、もう大丈夫だから、もとに戻せる!?」


 オドが暴走し、彼女の制御を離れてしまった可能性もあった。

 初めての状況ではあるが、最悪気絶させてでも止めなければ危険だ。

 そこまで覚悟しながらの発言だったが、ありがたいことにオドの循環はすぐに収まり、何事もなかったように元の緩やかさをとりもどしてくれた。


「? どうしたの?」


 一瞬の緊張で額に汗を浮かべていた私を見て、アニエスが聞いてくる。

 何から説明したものだろうか……。


「……そうね、最初に一つ決まり事。私のいない場所で『気を緩める』のはこの間みたいに体調が悪い時だけにして。お願い」


「? わかったよ」


 納得したというわけではないようだが、お願いという言葉が効いたのだろうか。

 受け入れてもらうことができた。


 それから、循環というものがどういうものなのか、何ができるのかということを説明する。


「――じゃあ、重たい物を運んだり、早く走ったりできるようになるってこと?」


 その通りだが、彼女の場合は勝手が違う。


「いいえ、アニエス。あなたはいつも、循環を『使っていた』の。元から重たい物を運んだり早く走ったり『していた』のよ。まず最初に、もっと循環しない訓練をすることになるわ」


「つまり?」


「重たい物がもっと重たくなったり、早く走れなくなったりする」


「えー……、それじゃあ特訓の意味がないよ……」


「鍛えるっていうのはそういうことでしょう。循環はとても危ないのよ。頼り切っていると急に体が動かなくなってしまうかも。あと、太ったり」


 いつも怠けているということだから、そんなこともありえるのではないか。


「それは嫌!」


「じゃあ、訓練しましょ。大丈夫、循環を使わずにただ普通に暮らしていれば自然に体が鍛えられるから。それから循環を使えば今よりもっと凄い力が使えるようになるわ」


「なにそれ! 『ガイアスの試練』みたい!」


 それはカーラ全域に残る昔話の一つだ。

 たしか、重い鎖と手かせをずっとつけていた男がそれを解き放った時に、途方もない力を発揮するという部分がある。

 南大陸の男の子は誰しも、一度はこの話に憧れて鉄の腕輪を欲しがったりするものらしい。確かに、今回の件と一致する話だ。


「そうね、それと同じ。いつも抑えていれば、大切な時に凄い力を出せるようになる、かも」


「かも……」


「なるわ」


 言い直す。とにかく彼女にやる気になってもらわないと話にならない。


「わかった、訓練、する!」


 彼女が素直な子で良かった。

 動機はともかく、私たちの訓練の日々はこうして始まった。





 だけど、この最初の段階で思いのほか訓練が難航することになった。

 集中したり、緩和したり、そんなことを試して見るのだが、力加減がうまくいかない。

 循環量を増せば循環しすぎるし、減らそうとしてもあまり効果がない。

 頑なに彼女の体はオドを回し続けるのだ。

 確かに魔術の才能はあるけれど、どう扱ったものか途方にくれることになった。


「うーん、うーん」


 なんとか集中しようとしている様子は可愛らしいのだが、どうにも進展する気がしない。どうすれば、良いのだろう。

 彼女の循環を止める方法。……ん? そもそも循環が止まったから問題が発覚したのではなかったか? 一度は今より抑えられた時がある。

 あれは、最初の水汲みの時だったはずだ。


「ねぇアニエス? 最初に水汲みに行ったときに調子が悪くなったわよね。あの時みたいなことって最近あった?」


「んー? 全然」


 ハズレか……、良い発想だと思ったのだが。

 なら、あの時は特別体調が悪かったのだろうか。


「あ、でもね、水汲みに行くの嫌じゃないんだ。神殿の近くに行くと気分がすーっとするの」


 ん? どういうことだろう。

 神殿はたしかに神聖な場所なので気持ちが洗われるということもあるかもしれないが……。みんな毎日お参りという名の水汲みに行くので、どちらかというと内心面倒に思っている人の方が多いはずだ。

 それが、気分が楽になる、と。

 ――物は試しだ。

 ちょっとそっちの方を考えてみよう。アインも言っていた。

 思いついたことは大切にしないといけないと。

 どうせ水汲みには行かないといけないし……。





「前に調子を崩したのはこの辺だったわね」


 水瓶を担いだまま後ろを振り向く。休憩の木がこの先にあるから確かだ。


「もうなんともないよ」


 休憩場所で瓶を降ろしてアニエスのオドを確かめると、本人の申告通りいつも通りの循環が行われていることが確認できた。本番はこれからだ。


「今日の訓練はここでやるの。いつもの集中をお願い」


 当時の不調が体調によるものでなければ、場所が関係している可能性があった。

 神殿の近くはマナも比較的濃いので、魔術的な作用があるのかもしれない。


「うーん、うーん」


 いつもの可愛らしい声。

 これまで、効果が出たことはなかったのだが……、循環が抑えられていく。

 呼応するように顔色が悪くなるアニエス。


「……もういいわ。がんばったね」


 額の汗ばむ様子を見て訓練を中止することにした。

 循環の抑制ができていた。

 あれだけ試してだめだったことがこんなにもすんなりと。

 原理は分からないが、魔術の訓練にはどうやら場所が関係しているようだ。

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