第137話 戦いの中で見えるもの(下)

 何はともあれ人手が必要だ。

 現地の安全は確認したのでサウラやみんなと合流することにする。

 嘆きの峡谷を越えられそうだと知った居残り組は素直に喜んだのだが、実際にその場の地獄絵図を見るに至って少しずつ顔色を悪くしていった。流石に二度目の俺たちはちょっと慣れてきていると思うが、気持ち悪いものは気持ち悪い。


 せっかく苦労して難関を突破したのに晴れ晴れしく通り抜けるというわけにはいかなかった。でも、確実に結果は出した。

 遺骸の向こうに渡った荷物満載のサウラ二体。それが俺たちのやり遂げたこと。

 目的は果たした。あとは片付けをしよう。





 以前普通のスキュラを解剖した時に気が付いたこととして、体内にやたら多い脂肪層のことがある。

 なぜそんな構造なのか正確なところはわからないが、いくつか仮説は立てられる。

 もともと動かない動物なので摂取した栄養を蓄えておくため、というのが一つ。

 もう一つは砂漠の苛酷な環境で生きるためだ。ラクダのこぶなんかがこれにあたる。

 あれも同じような成分なのだが、脂肪分というのは分解する時に水が発生するのだ。

 ある期間、水を飲むことができなくても、エネルギーを代謝する過程で発生する副産物で生理を賄うのである。海水中で生きる哺乳類、クジラなんかも同様の代謝を行っているらしい。

 そして、人類史においてある時期、クジラからとれる脂肪は多種多様な用途に使用されていた。

 その一つが燃料である。


 遺骸の前に立ってメイリアに預けていた杖を握る。

 マナの薄いこの大陸にあって、今この時だけ例外的にマナの潤沢な嘆きの峡谷。その魔力に願う。崩し、壊す、砂に帰す。殺戮の後の怨嗟。それにうまく寄り添って目的を達成する力にする。

 最初に行うのは遺骸の解体。崩れ落ちる巨体に巻き込まれるのは勘弁して欲しいから、外殻だけでもさっさとばらしてしまおう。

 そして先ほどの脂肪分を回収したいという理由もあった。


 脂肪と一言で言っても成分は複雑な構造を持っている。

 だから確実な組成を把握することは難しい。しかし、そのほとんどが炭素と水素で構成されるのは事実だ。少量の酸素、リン、窒素などもある。

 そして脂肪とはすなわち不飽和脂肪酸。リノール酸とかオレイン酸とか言われるあれだ。構造をよく考えながら土魔術の要領で少しずつ排出していく。


 ……これ、かなり気持ち悪いな……。

 サンドワームにたかられた巨体から黄色い汁を含んだべとべとしたものが漏れ出しているのだから当然なのだが。さっさと終わらせてしまおう。


 他に何をしたというわけでもないけれど、ざりざりと音をたてながら巨体が崩れていく。体の成分を一部抜き取ったことでいよいよ構造を維持できなくなってきたらしい。良い感じだ。

 勝手に崩壊していく遺骸はそのままに、抜き取った脂肪を魔術で操って運んでいく。あたりのマナで足りない部分はスキュラの方からもいただいて。

 次の目的は燃焼。ここにある全てを焼き尽くし灰塵に帰すのだと、マナに訴えかけながら。

 完全に呪術や黒魔術な感じだが、結局やろうとしているのはお掃除だ。

 自分の心が塗り替えられないように注意が必要だな……。


 人のいない方向はもう水鉄砲みたいに適当に放出した。範囲がかなり広いのでちまちまやっているといつまでたっても終わらない。


「なあ、これ本当にやっちゃっていいのか?」


「ええ、お願いします」


 俺のやらかした結果にかなり引きながらも、ジョゼさんは健気に役目を果たそうとしてくれている。残りの作業は全員でやる。いわゆる火付けである。

 地獄をもっと地獄にするのだ。

 峡谷の入口から順に出口まで。当然危ない作業なので燃焼ペースに気を付けながら。あと、臭いが凄いので早く終わるのを願いながら。

 幸いというかなんというか、二割ほど済んだところで火の周るペースが上がった。峡谷内は比較的風の方向が一定なのだが、それが延焼を助ける方向に働きだしたようだ。

 巻き込まれるわけにはいかないのでこれで撤収ということになる。

 後は勝手に燃えてくれ。


 魔物が肉の焼ける臭いを美味そうだと感じるかどうかはわからないが、集まって来たところで飛んで火に入る夏の虫である、まさに。俺たちが戻ってくるころには焼け野原ならぬ焼け峡谷が広がっているはずだ。


 一つ残念だったのは、遺骸から魔法石が回収できなかったことだ。

 解体時にあわよくば、と思っていたのだがその反応は推定数千トンの体内奥深くにあり、とても掘り出すことができなかった。

 体内の中心、ほぼ地面に位置するあたりだったのだ。

 とはいえ、この巨体がまともに燃えつきるということもないような気がする。

 脂肪分も抜いてあるし。後日回収することもできるだろう。


 こうして、南大陸の一部の人々を恐れさせた怪物との戦いは終わりを告げた。

 実働だけなら三十分足らず。

 それ以外のほとんどの時間は準備と片付けということになる。

 戦い、特に戦争の本質とはこんなものなのかもしれない。





 獣臭い油の燃える臭いから一刻も早く逃げようとそそくさと峡谷を後にした。

 勝利の余韻も山場を越えた安堵もあったものではない。

 それも落ち着いたころにギース氏が俺に声をかけてきた。


「お前に謝らないといけないことがある」


「……なんでしょう?」


「これから行く神殿についてだ。まだ言っていないことがある」


 お互いに知った仲ではあるものの、決してなんでも話し合う関係というわけではない。

 内緒なことなんていくらでもあるとは思うが、行先の話ともなれば確かに重要かもしれない。


「……この期に及んで黙っていたということは、大切なことなんですね?」


「……そうだ。場合によってはお前たちを騙していたということになる」


 ……穏やかではない。

 ただ、それを今は打ち明けようというのだからここでは待つしかない。


「俺たちの荷物。二匹目のサウラのケツに乗っているデカいやつ。あれが何か知っているか?」


「いいえ。ただ大切なものだとだけ聞いていますが」


「あれはな、塩なんだよ。この峡谷の先、エンセッタを含めた全域で、塩が採れないんだ。まだあの化け物が出る前、それを運ぶのは俺の仕事だった」


 内陸部なのでそういうこともあると思う。

 一般的に塩というものは沿岸部で採れる。

 海から遠い場所の場合は、地殻変動でかつて海だった場所が干上がって岩塩になったというケースが多い。なら、かつて海でなかった場所なら塩もないだろう。


「ええ、それで?」


「……それで、じゃ、ねえ。お前にわからないわけないだろう! 人が生きるのに塩は必要だ! 化け物はどれだけの間、あそこに陣取ってた? 一年半だ! その間、手に入るはずのものがなかったんだぞ! そんなこと……」


 ずっと黙っていたことすら辛かったのだろう。

 その勢いは次第に弱まり、涙を流せないだけの泣き言のようになっていく。


「つまり、ギースさんはこの先の集落が塩の不足で全滅しているんじゃないかと、そう考えているんですか?」


「そんなわけない! ……フィーアは、フルーゼは無事だ! 家族の俺がそれを信じてやらなけりゃ……」


 やっと現状がわかって来た。

 最初にギース氏が言った通り、これは懺悔なのだ。

 ずっと家族が想像もつかないような苦しみにあることにおびえ続け、それでもあきらめるなんて選択肢を取ることができず、果てには俺たちを騙して協力させたとか、そんなことを考えているのかもしれない。


 ここでいきなり話を変えるのだが、俺は世の中にはある種の『魔法』というものがあると思っている。

 魔術ももちろんそうなのだが、それ以外に、だ。

 今、ギース氏が打ち明けた話もその一つかもしれない。知らなかったことを知らせることで、考えを根底から覆して塗り替える。

 その結果を絶望に。ほんのちょっとの言葉が死ぬほどの苦しみを相手に与えるのだ。これは呪い、魔法と言える。


 世の中の何割かの事柄は、一つの系が存在する時、そのまったく逆の現象も同時に存在する。

 呪いがあるのなら、解呪もある、ということだ。

 全ての事柄がスキュラに与えた毒と同じわけではない。


「ギースさん。今自分でも言っていたでしょう。もう少しフルーゼのことを信じてあげて下さい。じゃないと、この後に会った時に「しっかりしてよ」って叱られちゃいますよ」


 年頃の娘に叱られるというのは、男親の視点で考えるとかなり堪える事態なのではないかと思う。


「…………?」


 疑問、訝しみ、猜疑、そして僅かな希望。瞳の奥に揺れる混乱。

 縋ってはならない蜘蛛の糸を降ろされた罪人の顔でギース氏はこちらを見つめている。


「エンセッタで塩が手に入らないというのなら、備蓄があるはずですよね。封鎖前にどれくらいそれがあったかわかりますか?」


 人間が一日に必要とする塩分というのは諸説あるが数グラムあれば恒常的な生存は可能だろう。一キログラムで一人の人間が一年生きるくらいだろうか。


「……もって半年分ってところだ。それがどうした……」


 全然足りない、必要量の三分の一しかないと、そう思っている顔だ。


「フルーゼには、それを十倍長持ちさせる力があります」


「なんだと? 何を言っている? そんな話は聞いたことがないぞ」


「特に話す理由がなかったからでしょう。それくらいフルーゼにとっては簡単なことなんですよ」


 『分離』を行う魔術。

 化学操作の基礎の基礎にして、魔術を使うと尋常でなく便利な奥義。この技をフルーゼは最初に会得している。

 塩として人に必要な塩化ナトリウムは安定な物質なのでそう簡単に消え去ったりはしない。多少汚い話になるが、体外に排出されても塩化ナトリウムのままなのだ。

 命が懸かっている状況になれば、フルーゼは排泄物を集めて塩分を採集するくらいのことはやる。そういう強さを持った子だ。

 マナと地脈から離れたこの地だが、彼女は魔術が使えると言った。

 それを信じたい。最悪、オドだけでも塩の精製は可能だと思う。


「つまり、塩の問題はそんなに重要じゃないってことですよ。ああでも、節約のために薄口のものばっかり食べている可能性はありますね。だから、あの荷物、喜んでもらえると思いますよ」


「……信じていいんだな」


 それは、フルーゼが味の濃いものを求めているかどうか、という話ではないだろう。


「俺ではなく、フルーゼのことなら。どちらにせよ、『海の男は自分の眼で見て判断する』んでしょう」


「そんなことは当たり前だ。話はこれで終わりだ。さっさと行くぞ」


 自分から謝罪を始めたはずの彼は勝手に先に進んで行ってしまった。

 しかし、それも仕方がない。

 彼の基準で言うならば『男が一生のうちに涙を見せて良い』場面というのは数が限られていて、今はその時ではないだろうから。

 どうしても早急に一人になる必要があったのだ。

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