第138話 おとぎ話の続き

 幼少時、夜眠る前に両親から聞かされるお話の定番は、お姫様を助けるために海賊になって彼女をさらう男の話だった。

 せがんで何度も聞いた。このお話のときは決まって父と母が二人で語り聞かせてくれるから。


 我が家では両親ともに昔話をしてくれていたけれど、だいたいはどちらか一人だけで一つのお話をして「今日はお終い」という形で締めくくられる。

 母が話し手の時は神殿の奥で眠る宝石の精や、ある日突然神様の声を聞いた女の子と幼馴染の男の子の話。

 父が話し手の時は航海の先に新しい島を見つけて宝探しをする冒険家や、定番の勇者の物語。なんとなく傾向がある。

 でもこのお話の時だけは、二人で仲良く順番に何があったか語り聞かせてくれるのだ。

 細部は日によって違ったりもする。

 だけど、最後は決まって「実はこのお話はお父さんとお母さんのことなんだよ」と終わるのだ。

 眠りに落ちる際、両親が自分といっしょにいてくれる。

 それだけでも贅沢な話なのに、「めでたしめでたし」の後に今このときの現実に続いていると明かされる。そんな素晴らしいことが他にあるだろうか。

 だからこのお話は内緒にしなければいけないんだよ、という締めくくりがまた幼心をくすぐってくる。

 それはつまり本当はお姫様な自分の新しい物語が始まる序章でもあるということを意味するから。

 かつての私は身分を隠すお姫様として生きていた。

 今となっては恥ずかしいばかりだが、忠実に言いつけを守って外に漏らさなかった点だけは褒めてあげたい。


 そんなおとぎ話を信じていたのには理由があって、父は船乗り、母は当時住んでいた街から遠く離れた国の出身で、周囲の人とは異なる髪の色をしていたから。

 お話と一応の辻褄が合ったからだ。

 母の髪の色は私にも受け継がれていて、それは周囲の子どもたちから見ると浮いていたと思う。

 だからというわけではないが私は当時、独りで過ごすことが多かった。

 それでもかまわないと思っていた。

 父の仕事柄、いずれその地を旅立つことは決まっていたし、友人が出来ても離れ離れになってしまう。

 物語の秘密を守るのにも都合が良い。


 私は私なりの考えを持って、孤高――当時、そんな言葉自体は知らなかったのだが――に生きようとしていた。

 だから友達のいない私にとって、ほとんど唯一の話し相手である両親の存在は大きい。

 自然と二人が抱える悩みというものを意識するようになっていた。

 何か大きな不安。

 幼少の私には隠された、そうであるが故(ゆえ)に辛いもの。

 両親の忙しい日中、暇を持て余した私の目的はそれを取り除く方法の模索になっていく。

 しばらくの思考の末、辿り着いた答えは強くなることだった。

 不安や悩みというものは信頼されていなければ打ち明けてもらうことすらできない。

 強くなければ信頼なんてされない。強くなければそれを解決なんてできない。

 子どもらしい単純な答え。

 当時の私には残念ながら『悩みに寄り添う』という方法はまだ早かった。

 まず力が必要であると、そう判断した。


 拳によって得られるもの。けんかの強さが必要な力でないことには早い段階で思い至る。

 そういったものはすでに父が持っていて、それでは解決できていないからだ。

 女で子どもの私が得ようとしても無駄だろう。

 ただ、それがわかった所で上手くいくわけではない。

 子どもの知恵を振り絞って必要なものを考えた結果にたどり着いたのはやはり子どもらしい答え。

 みんなが憧れる不思議な力、魔術だった。

 今思えば本当に幼い判断だ。


 しかし、この答えは正解だった。

 この答えが、正解だった。

 この時、この判断をする以上に意味のある方法なんて、一つもなかった。


 全ての条件がピタッと一致するように、私の目の前に舞い降りた魔術の才能があるという子どもの噂。

 好機というものは目の前にあったら必ず掴まなければならない。

 父の聞かせる物語の中では当たり前のことだった。

 入念に調査を行い、接触を果たし、交渉を行った。

 その結果私が得たのは魔術を伝授してくれる教師ではなく、もっと素敵なもの。

 ――初めての友人だった。


 それまでの生活に不満なんてなかった。

 父がいて、母がいてくれたから。これは本音だ。

 二人の悩みだけが私の問題で、日々は単純だった。

 アイン、カイル、そしてルイズとの出会いはそこに変革をもたらす。

 どんどん刺激的に、複雑に。見たことのないもの、聞いたことのない話、経験したことのない物語……。

 寝台のおとぎ話の続きの、夢の世界がそこにはあった。


 もちろん、楽しいことばかりだったわけではない。

 世界の変化とは自身の変化だ。

 幼い私が持っていたなけなしの自信は砕かれ、当然のように痛みを伴った。

 自分のことをちょっとは優秀だと思っていたから……。

 でもそれで構わなかった。

 両親の夜話の主人公にだって苦境はつきものだったから。

 次に待っている展開は大逆転の勝利と相場は決まっている。


 事実、奇跡は当たり前の様に起きた。

 ほんのわずかな人間だけが持っているという魔術の才が私にもあると判明した。

 でも、子どもにだってわかる。これは自分の力ではない。

 友人から分け与えられたものだと。

 感謝があった。簡単には返しきれないものだとも思った。


 夢の物語には必ず終わりの時が来る。それが夢というものだから。


 初めてできた友人との日々には最初から期限があった。

 とても悲しかったけど、顔には出さないと決めていた。

 これは恩を返すための第一歩だからだ。別れを経ても友人がいなくなるわけではない。

 力と素晴らしい時間をくれた皆には、また必ず会おう。

 会って今度は私が素晴らしい何かを渡すのだ。

 その時まで忘れられてしまわないように、物心がつく前に祖母に貰ったペンダントをアインに渡す。

 これは『静謐と縁のペンダント』だから、いつか再会するためのきっかけになってくれるはず。

 文通の約束だってした。大丈夫、また会える。


 それから、とてもとても長い時間旅をして、私は母の実家があるという、この地に帰ってきた。

 カーラという国にあって特別な聖地。神殿の守り。

 エンセッタという集落。


 特別な感慨はない。

 ここで過ごした記憶はないし、お話の中で登場するここに住む人達にはあまり良い印象はなかったから。

 もちろん、お話と現実は異なる。

 旅をしている間に聞かされた、この地へ向かう理由はおとぎ話とは『少しだけ』違ったから。

 でも少しだけだ。

 本当だったのは、この地で特別な存在だった母を父が助けたこと。

 それがこの地域の人には『海賊に拐(かどわ)かされた』と認識されていたということだった。

 その若さにも関わらず、政治的、宗教的に発言力が強いという不安定な立場だった母。

 本人の意志とは関係のない所で権力者の跡目争いに巻き込まれ、土地を離れた。

 社会を知るためという名目で滞在していた港町で父と出会い、葛藤の末に二人は結ばれた。

 おとぎ話の大冒険は少しだけ控えめで、代わりに親族間のつまらないやりとりはあったけれど粗筋は同じだ。

 神殿とは距離を置いた母だったが、祖父母との連絡はひそかに取り続けていたらしい。

 私が産まれた時には顔を見せたともいう。

 父の仕事の都合で北の大陸に住居を移した後も手紙のやりとりはあった。

 そして伝えられるとある報せ。


 エンセッタで起きた流行り病。それには集落の有力者たちも例外なく罹(かか)った。

 最も重要なはずの神殿の巫女だった女性、私の大伯母にあたる人物も亡くなってしまった。

 それだけならお悔やみの言葉だけでも済むが、問題はともに亡くなった人たちにある。

 次代の巫女、その系譜。

 呪いのようにその人達は病魔に伏した。

 実際の神殿の執務をとりまとめ実権を握っていた人物がいなくなり、神事が成り立たない。それ以上に、巫女がいなければ神殿の存続すら危うい。

 祖父母は、母の所在を隠し通せなくなった。

 かくして、「帰ってきて欲しい」という意味の言葉が綴られた手紙が送られてくるようになる。

 そんなものは無視すれば良いと感じるのは薄情な私だけの考えだ。

 あるいは父も同じ気持ちだったのかもしれない。

 しかし、母は違った。彼女にとっては今もなお故郷で、そこには大切な人達がいる。

 どのような迷いがあったにせよ、彼女はまたこの地の土を踏んだ。それが全てだ。


 父と離れて暮らすことになる。

 南の大陸に到着してしばらくしたころ、両親からそう伝えられた。

 二人の表情は沈痛なものだったが、私はそれに奮起した。

 やっと、戦うべき相手が見えた。

 彼らの不安を払拭するために動くことができるようになった。そう思ったから。

 新しい地は私の戦場になった。父と母が共に暮らせる日々を取り戻す。

 そしていつか会うアイン達に自慢してやるのだ。「私はやってやった」と。


 まずは地盤固めだ。

 父と離れ、責任者として祭り上げられた母。

 私に言いつけられたのはいずれ母の手伝いができるように、この地の言葉と神殿について学ぶことだった。

 言語については必要になることが分かっていたので、旅の間母からみっちり学んでいた。

 そのおかげであまり困るようなこともなく、すぐに他の子たちと一緒に学ぶことになった。

 日に数時間、みんなで集められ、年老いた祭者の教えを聞く。

 そこまで難しいことではない。


 大人の前では神事を学ぶ優等生、子どもの前では話のわかる新入り。

 二つの顔を使い分けて居場所を作った。

 大人に認められれば子どもの声を伝える便宜を図り、子どもの中で一目置かれるようになれば、大人の言うことを聞くようにそっと誘導する。

 そうやって、『器用で使える奴』になるのだ。


 立つ位置に気を付けていれば、知っておくべきことは自然と集まってくるようになる。

 それをまた、価値のある場所で活かすのだ。

 一年とかからないうちに、私は子どもたちの顔役的存在になった。

 これで第一段階は突破だ。

 私が母の重しになるようではいけないから。この土地で孤立するわけにはいかない。 


 初めて経験した雨季。それが明けて、そろそろ新しい一手を指さなければいけない。

 そう考えていたころに、一つの変化が私を待っていた。

 不思議な目の色をした少女、アニエスとの出会いが。

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