第136話 戦いの中で見えるもの(中)
予想通りというか、思わずしてというか、フヨウの言葉は現実となっていた。
俺たちと化け物との戦いは、知らない間に決着が付いてしまっていたようだ。
仮の拠点で一晩を過ごし、フヨウ、ギース氏と三人で斥候にでた俺たちはその様子を目の当たりにすることになった。
「……これはまた随分派手に暴れたな……」
創作の中でしか聞かないような言葉を一言一句違わずにギース氏が口にする。しかし、今回ばかりは本当にそうとしかいえない状況なのだ。
崩れた峡谷はところどころ土砂で埋まり、最初に訪れた時とは異なる地形になっている。あれだけうごめいていたサンドワームの姿は見られず、地下にもそれらしい反応はない。
だからといって、やつらが完全にいなくなってしまったのかというと、そんなことはなかった。
スキュラの化け物、やつが『かつて』存在した場所におびただしい数の死骸が残っている。俺たちがこの地を離れたたった一日の間に干からび、生々しさは控えめになっているが、流れた血液が固まり、青銅色を超えて黒のようになっている様はグロテスク以外の形容表現が思い浮かばない。これだけの数がいれば、まだ生きているものもあるのではないかと警戒しているのだが、マナの動きをみてもそんな様子はなかった。
「あの時とはまた違う臭いがする」
「それって、前に逃げた時に、こいつが放出したフェロモンじゃないかって言ってたやつか?」
それでサンドワームを集めた。
この様子を見るとあながち間違っていないのかもしれない。化け物の周囲は明らかにワームの密集度が異常だからだ。
「ああ、その匂いもまだするにはするが、それ以上にこのあたり一帯はもっと苦い、他の臭いがする。魔物の血とは違う臭いだ。発生源はサンドワームの死骸からだと思うが……」
よく嗅ぎわけられるものだ。
俺には一帯を覆っている死臭と言う他ない不愉快な臭いしか感じられない。
乾燥し、日光が強いことから腐敗臭というほどではないのが救いだが……。
「警戒フェロモンかもしれないな」
スキュラの出したものではなくサンドワームが今わの際に放ったもの。仲間を道連れにしないための断末魔の叫びだ。
「今一お前たちの言うことがわからないんだが、この化け物が臭いでワームたちをかき集めた。集められた魔物は化け物の癇癪に巻き込まれて被害を受ける。それで危険な場所だってことがわかって仲間を逃がす臭いを発生させた。そういうことか?」
ギース氏にもフェロモン仮説は説明してあったが、直観的にはわかりにくい話だったかもしれない。ただ、認識としてはそんなに間違っていないと思う。
「そういうことじゃないかと思います。はっきりした証拠はないですが」
現実にはもっと凄惨なことになっていたのだろう。
警戒フェロモンが出始めたからといって集合フェロモンが消えてなくなるわけではない。
異なる指示の元、まったく逆の方向へ移動しようとする集団の間で混乱があったのではないかと思う。
巨大スキュラの攻撃で死に、自分たちの重さで圧殺され、そうしてフェロモンのバランスが警戒に偏るまで虐殺が行われたのだろう。
その結果がこの、ワームにまとわり付かれて死亡したスキュラの巨大で奇怪なオブジェということだ。見た目通りの陰惨な成り立ちだった。
推測が正しいなら、そんなものができるきっかけを作ったのは俺ということになるが……。
あまり気分の良くない考えを振り払い、検分を再開する。
スキュラからは理由があってまだ三百メートル以上距離をとっているのだが、ここにはすでにやつの触手による破壊痕が出始めている。
間合いを大きく超えて被害が出ている理由は、そこの砂礫に埋まった触手が説明していた。
直径一メートル、長さは百メートルを大きく超えるであろうそれは、向こうの死骸とくっついていない。それ自体が蛇かミミズの魔物のようにうねっている。
自身の運動エネルギーに耐えかねてちぎれ飛んでしまったのだと思われる。
そんなことがあるのかと、そう思うかもしれない。
しかし、重さをざっくり推定してみればこの触手、一本あたり百トンほど。どうやらそれが先端速度で音速を超えて飛んでいたのだ。強烈な力が秘められていたに違いない。
雑に計算してみたところ、TNT火薬換算で一トン近い数字が出た。
桁が大きすぎて結局よくわからない。運動の仕方によっても計算は随分変わってくると思うが、この付け根の部分に大きな負担がかかっていたのは間違いないだろう。
それをこいつはオドの循環で強化して耐えていたのだ。
そして、そこは俺達がせっせと毒を送っていた部分でもある。
感覚が失われ、呼吸器の機能が阻害される。
オドの循環はうまくいかず、なのに最大限の力をふりしぼって百トンを超える質量を無数に振り回す。その結果がこれだ。
一番身近にあるのはこの一本だが、他の場所にも外れてしまった触手によるものと思われる破壊が各所に見られた。
厳密には痛覚を持った生き物なのかはわからない。それでも、もし、こいつが痛みを感じていたならば驚嘆したのだろう。
信じられないような痛みから逃げるために一層暴れまわる。完全に悪循環だった。
いずれは限界がきてオド循環をまともに維持できなくなる。そんな中で臓器の一つ一つが悲鳴を上げて絶命したのではないかというのが現状の見立てだ。
「本体の方も確認してみます。ギースさんはここで待っていて下さい」
「……大丈夫、なんだな?」
「ええ、死んでいると思いますよ。でも化け物ですから何かあってもおかしくない。身軽な俺の方がそんな時も逃げやすいと思うので。フヨウは弓の準備をして後ろから援護してくれ」
「わかった、気を付けていけよ」
「ああ」
たった一人でスキュラの死骸に向かって歩く。
そこに命の反応はない。ただただ巨体が横たわるのみ。
しかし、それだけのことが恐ろしい。すぐ近くに見えるはずなのに歩いても中々近づけない。一方でどんどん視界に占める割合が増えて行く。強くなる血の臭い。同じく強くなるマナの反応。
そう、ここにはマナの反応がある。
理由は二つ。おびただしい数のサンドワームの死骸に残ったオドが大気に発散したもの。そしてスキュラ自身の体内から感じられる反応だ。
過去に経験した似たような状況としては、師匠たちと一緒にアロガ・ベアと戦った時、そして海龍丸の竜骨を見つけた時だろうか。
おそらく、魔法石がそこに眠っているのだと思う。
怪物の体を維持していた膨大な魔力。それとも関係しているかもしれない。術具として考えるなら、これまでこんな規模のものには出会ったことはない。
国宝級素材の可能性がある。
そんなことを思い浮かべると、少しだけ巨大で気味の悪いオブジェクトへの恐怖が揺らいだ。いつだって人は欲によって動くのだ。
とはいえ、慢心したまま歩いてよいほど安全な場所でもなく、慎重に周囲の確認を続ける。
マナ反応なし、風に吹かれるもの以外で動くものなし。
ついに目の前に迫った化け物は、もう全体を視界に収めることもできない。
これまでは一方向からしか見ることができなかった巨体の反対側を見るために裏側に回り込むことにした。
当然のことだが、特に何事もなく歩みを進める。『嘆きの峡谷』に突如あらわれた鉄壁の門番を乗り越えた瞬間だ。
ここに来るまでに少なくない犠牲者が出ていることを考えると、その顔を知らない人達に、やり遂げた旨を伝えておかなければという気になる。
ありがとうございます、皆さんの遺してくれた情報で、怪物を乗り越えました。
束の間、感傷に浸っていたのだが、上方から聞こえる不思議な音で我にかえることになった。
なんだこれ、「ぐい」とか「ぎい」とかそんな感じの聞いたことのない音だ。
強いていえば丈夫なゴムが変形しながら擦れるような……。
剣を構えて音の出どころを探る。マナ反応はないので魔物の類ではないと思う……。
なんとなく音は風の強弱に呼応しているような気がする。
目を凝らして遺骸の上部を確認していて遂に、音の出どころに気が付くことになった。
上部分の殻が剥げかけて風に煽られひらひら動いている。
あ、これヤバい。直観でそう感じる。
反射的に循環全開の身体能力で大きく後ろに飛び退いた。
しかし、結果的にその行動は杞憂に終わることになる。その殻は風に吹かれて遂に本体から外れた後、風に乗ってフラフラと舞い上がってしまったからだ。そのまま俺の上空百メートルほどまで上昇すると、不安定に飛行したあとに峡谷の壁に着地した。
砂状の岸壁を削りながらざりざりと滑り降りてくる外殻。それは俺とはずいぶんと離れた場所だった。
なんとなく過剰に反応してしまって気恥しい気分になる。遺骸の裏側だったからフヨウ達にはそんなに見えなかったと思うが……。
どちらにせよ危ないな。
目的だった魔物の死亡は確認したし、一度戻るか。こんな状態で生きているということは流石にないだろう。裏側に生きた触手が残っているということもなかったし。
「甲殻が剥がれ飛んだのか?」
先に俺の様子を見ていたらしいフヨウに聞かれる。
「ああ、そこからも見えたのか。変な音がしてたから、確認してたらちぎれて飛んで行った。驚いたよ」
「こっちまで伝わって来た。姿が見えないままだったら確認に行こうかと思っていたところだ」
先手を打って自分の情けないところを説明したのだが、案の定バレていた。フヨウのマナ感知は本当に精度が高いな……。
「ありがとう。まぁ、見ての通り大丈夫だったからさ。あいつも死んでいるよ。ただ、今回みたいにボロボロ崩れ落ちてくるようだと危ないなと思っていったん戻って来たんだ」
事前の調査によりスキュラの外殻はカルシウムを主体に構成されていることがわかっている。
感覚的には貝殻と近い。軽量高強度の天然高性能素材だ。お陰で風ひとつでバンバン飛んでいってたみたいだが。いくら軽いとはいってもあの大きさなら一つ百キログラムやそこらはあるだろうし、それが飛び回っているのは正直危ないな。
かといって全部崩れさるのを待つ時間もない。すでにここで一日滞在しているのだ。
難関を突破したのだからできれば先に進みたいとは思うが。
そういった内容をギース氏にも説明する。
「……そうか、息の根、止まってたか」
ギース氏の、化け物に対する感情は簡単には想像できない。
俺たちとは異なり、仲間を失いながら数か月に渡って戦ってきた因縁があるのだ。
しかし、物思いにふける時間は僅かだった。
さっぱり切り替えて次の提案を出してくる。
「まあ、崩れるのが危ないっていうなら横をさっさと通り抜けちまうのも手だな。いつもいつも殻が飛んで来るってわけでもないんだろう。戻ってくる頃には落ち着いているかもしれねぇし」
一刻も早く家族の安否が確認したいギース氏らしい提案だ。
「どちらかというとワームの死骸の方が厄介だ。ここは砂漠だからな。こんなに食い物が落ちてりゃ、魔物が集まってくるかもしれねぇ。あいつらは共食いもするから、新しいワームの巣にでもなると困る」
警戒フェロモンが風で飛ばされてしまえばそういうこともあり得るか。そんなに巣をつくるのに便利な場所とも思えないが、一度集まっている以上、絶対にないとは言い切れない。
この世界は、どこかロールプレイングゲームに似た部分がある。
だが、強敵を倒してしまえばすぐ次にいけるというわけではない点は、これが現実であると強く俺に訴えてくる。
無論、現実である以上選択肢だって無数にあるはずなのだが……。ん……?
そんな考えの中で一つアイデアが浮かんでくる。
「ちょっと思いついたことがあります。うまく行けば問題解決、できるかもしれませんよ」
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