第135話 戦いの中で見えるもの(上)
息せき切って戻って来た俺たちを見て、ジョゼさんは目を丸くする。
暑さから身を守るために岩の影に隠れて、食事中だったらしい。保存食を喉に詰まらせて咽(むせ)ている。
ちょっと悪いな、とは思うがこちらだってそれどころではないのだから我慢して欲しい。
「いったいどうしたって言うんですか……、化け物に足でも生えて追いかけて来ましたか?」
水を飲んでようやく落ち着いたらしく、こちらに現状を確認してきた。
冗談を言うだけの余裕があるのが羨ましい。
「やつが癇癪をおこしやがってな……、巻き込まれないように逃げて来たんだよ……」
お世辞にも若いとは言えないうえ、循環も使えないギース氏は息も絶え絶えだ。
「……作戦は失敗ですか?」
「少なくとも『鬱陶しい』と思わせることくらいはできたみたいだが……」
首を降りながらこちらの方を見る。
説明しろ、ということだろう。
俺たちより後方にいて、感知も使えないギース氏はわからないことも多いということだろう。
「毒はある程度効いたみたいです。少なくともフヨウは矢を当ててくれました」
マスクとゴーグルを外しながら答える。
合流できたことで、やっと防護服のままだということに気が付いた。
湿度の低い風は、こんな気温でも気持ちよく感じるほどに汗を乾かしてくれる。
「それは見えた。しばらくは反応もなかったみたいだが」
あの距離でそれがわかるのか。
さすが海の男。目の良さはかなりのものだ。
「遅れて毒が回ったんじゃないかと。どれが効いたかはわかりませんが」
「でも怒らせたってことは、殺せてはないんだろ。大丈夫なのか?」
「詳しいことはこれからですが、あの毒は時間が経てば回復するようなものではありません。多少は弱らせることに成功したと思いますよ」
「……失敗とも成功ともいえないか。とりあえず、よく戻ってきてくれた。生きているなら次がある。それで今後のことなんだが……」
「ちょっと待って下さい。動けない化け物はともかく、サンドワームの方はいいんですか? あっちはあっちで荒れてましたけど。ここまでやってきたりしませんか?」
話に割り込んできたメイリアの意見はもっともだ。
暴れる化け物の被害を主に受けたのは、近くで密集していたワームたちだろう。
俺たちの様に遠く逃げてくる可能性もないではないが。
「それがな、このあたりにはあんまり反応がないんだよ。虫よけのお陰かもしれないけど」
逃げてくる時に俺は殿(しんがり)としてずっと警戒を続けていたが、こちらを追いかけてくる様子はなかった。あるいはこれからやってくる可能性もあるが、やつらの優先順位は俺たちの捕食というわけではないだろう。
それでも数が数なので注意は怠れない。
これまでにないスキュラの動きにワームがどういった反応を示すか、その予想に苦慮していると、フヨウから思わぬ意見があった。
「むしろ、化け物の方へ向かって行ったのかもしれないな……」
「暴れる化け物に立ち向かったっていうのか?」
ギース氏の疑問は尤もだ。
「ここに逃げてくる途中、風にのって気になる臭いがした。あれは、アインの言っていた『ふぇろもん』というものではないかと思うのだ」
ワームの生態を研究していた時に立てた仮説だ。
目の良くないあいつらは、聴覚や嗅覚が高い可能性がある。特に嗅覚。
砂漠に肉でも落ちていようものなら、いの一番に発見するのはこいつらなのだ。
そして、巣を持ち、時として連携らしき動きを見せて獲物を狙う以上、嗅覚を情報交換に使っているのではないかと。
そういった機能を持つ昆虫は珍しくない。
有名なのは産卵期に異性をひきつけるものだ。それと並んでよくあるのが、『集合フェロモン』や『警戒フェロモン』と呼ばれている、巣を形成したり、危険から逃亡のための機能なのだが、スキュラはこれを使ってワームを操っている可能性がある。
味方となるワームの巣に生まれるのではなく、自身がいる場所をワームの巣にするために集める。
これは、移動のできないスキュラが共生関係を持つ上で納得のできるものだった。
特に『嘆きの峡谷』という場所は砂地も少なく、なぜあそこまでサンドワームが集まっているのか、という疑問は以前からあった。フェロモンを分泌できればこの疑問は解決する。
「暴れながらワームを集めるのか?」
「ふぇろもんが考えながら分泌されるものならそういうことはしないだろう。だが、これは生き物に元から備わった力なのだろう? 不安や危険、恐怖といった感情や状況に応じて発生したものならそういうこともあり得るんじゃないか?」
自分を守るために味方を集めたということか。
ミツバチやアリが頭を使って集団行動をしているわけじゃないもんな。あり得ない話じゃない。
「なるほどな」
「結局どういうことなんです?」
「わからない」
「ダメじゃないですか……」
そうは言ってもわからないものはわからないのだ。
今目の前にあることだけが真実ということになる。
「船乗りは考えても意味のないことは考えない。そんなことよりこれからどうするか決めるぞ」
ギース氏が良い感じにまとめてくれた。確かにその通りだ。
結局、俺たちは待つことを選択した。時刻は既に昼を過ぎている。
この周囲に人間にとって安全な場所というのはあまりない。足の遅いサウラを連れて無理に移動するくらいなら、比較的安全な岩地であるここで身を守ろうということになった。
みんなが警戒を続けてくれている間、俺とフヨウは作戦の後始末をする。
あまりにも危険な薬物を連続で使っていたので、それを中和する薬液で手指を拭き取る。防護服も脱ぎ去り、他の物と一緒にならないように封印だ。
「どうもべとべとして落ち着かないな」
中和剤、グルコン酸カルシウムの溶液を腕に塗り込みながらフヨウが言う。
「そう言わずにちゃんとやってくれよ。安全のためなんだから」
これは最後に使っていたフッ化水素酸対策の物質だ。
カプセルにして投入したので万が一にも付着なんてしていないとは思うが、それでもその百分の一パーセントが恐ろしい。
ほんの薄い溶液が皮膚に付けば、それはゆっくりと体に浸透していき、骨のカルシウムと反応してフッ化カルシウムを生成する。
その過程で付着部位は大きく腫れあがり激痛を伴う。
当然の様に一定量以上で死に至るし、その道中は信じられないような苦痛で彩られている。恐ろしい物質なのだ。
「お前の処置は完璧だったよ。手についたりなんてしていない」
「……信用してくれるのはうれしいけど、本当に危ない物質なんだぞ」
何度も言ったんだけどな……。
「別に疑ってなんていないぞ。ただまぁ、そんな臭いは一切しなかったからな。なら、体になんて付くはずがない。私には私の判断した理由があるんだ」
毒には無臭のものもある。だからあまり過信しないで欲しいなとは思う。
ただ、彼女の言うこともある程度正しい。嗅覚というのは物凄く繊細な感覚だ。
閾値(いきち)が極端に低く、これを超える物質分析というものはあまりない。
信じられないほど僅かな物質を認識するスーパーバイオセンサーなのだ。
獣人である彼女は、そんな感覚が俺たちを大きく超えて過敏なわけで、そういう点ではいくつかの毒については漏洩はなかったと考えて良いのかもしれない。
「……わかった。フヨウを信じる。でもちょっとでも気になることがあったら言ってくれよ」
「わかっている。私はもとよりお前のことを信じているんだ」
未練がましく警告を続けると、完膚なきまでに抑え込まれてしまった。
こうなるとこちらから言えることはもうない。
「あの化け物、これからどうなると思う」
だから、話題を変えるために聞いてみる。
「さあどうだろうな」
返答は予想通りで、それはそうだよな、と思うものだった。
しかし予想に反して続きがあった。
「ただ、私はもうあの化け物との戦いは終わったんじゃないかという気がしている」
「どういうことだ?」
「サンドワームの群れと巨大スキュラのことだ。あれはなんというか一個の強い生き物というよりは集団で強くなった化け物だ」
そうかもしれない。
スキュラはどんなに強大でも、おそらく自分だけで生きながらえる力の弱い種族だ。
サンドワームも単体ならあまり強い魔物ではない。
「強い集団というのは統一した意志がないという弱点があって、時々それが強みになることもある」
なんだか禅問答じみてきた。
置いて行かれないように、フヨウの言わんとすることを考えてみる。
「生きていくためにまったく合理的でない動きをしなければならないことがあるんだよ。心当たりがあるだろう」
そんな俺に対するフヨウのヒント。
おそらく商会運営のことを言っているのだと思う。
最短距離を走って儲けを出そうとすると、場合によっては職員は理解を示してくれないものだ。
「うまく集団を維持する者は、そこを強固な意志や教育による統制で乗り越えようとする。だが、それよりもっと強い集団というものがあるんだがわかるか?」
「……わからない」
正直にそう答えざるを得なかった。
なのにフヨウは優秀な生徒だと言わんばかりの目でこちらを見てくる。
「意志で統一しようとしない集団だよ。それぞれが勝手に動こうとする結果集まった者たちだ」
「でも、そんなの瓦解するに決まってる。ありえない話じゃないか」
「そうだな、あまりない話だ。でもありえない話じゃない。結果的に集団になっているから強いんだ。でもまあ、今回はあまり関係ないかもしれないな」
フヨウが言い出したことなのに、あっさり切り捨てられてしまった。
「巨大スキュラとサンドワームの群れは、合わせて『化け物』なんだ。あの巨体のせいで忘れがちだが、組み合わせじゃないと力を発揮しない。おそらくあのスキュラの意志で統制されていた強固な集団。それが正体だ」
フヨウは中和剤の瓶を片付けながら続ける。
「そして強固な集団というのは、ほんの一点が崩れるだけで全てがなくなってしまうということがままある。山の様な堤が一つの小石を取り外すだけで綺麗さっぱり流されてしまうんだ。お前と私はその『致命的な小石』を取り除いたんじゃないかと思ってな」
そんな実感はなかった。フヨウだって最初に『わからない』とそう答えていた。
なのに、この言葉にはどこか確信があると感じさせる部分があった。
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