第131話 挿話8

 静寂の中、マリオンだけが歩き始める。それに僕は続くことにした。

 何も納得なんてできていなかったけど、彼女を助けたいならこうするべきだと思った。


「ちょ、ちょっと待て」


 マリオンが戸口に手をかけた時、やっと男が声を上げる。

 それは正気を取り戻したというよりも、これまでの勢いの惰性で止めただけ、という感じだった。


「そんなことを口から出まかせを言ったってだめだ。俺たちはアンスの遺志を守るぞ」


「でまかせではありません」


 ちょっとイライラしているのがわかる。

 彼女は立ち振る舞いよりもずっと年頃の女の子らしいところがあるけれど、それが悪い意味で出てきてしまったようだった。


「なら、証明してみろ」


 売り言葉に買い言葉。そこまで相手に合わせる必要はないのかもれない。

 でもマリオンはそれに向かい合ってしまった。


「……それではこの腕輪を渡しましょう。確認してください。これは聖女の証です」


 旅の道中、彼女がずっとつけている腕輪。

 割と大きめなので掲げて見せればすぐにわかる。


 これはかなり厄介なものだ。

 三つの色が異なる宝石が並んでおり、見るからに安いものではない迫力がある。

 聖女として活動する時は付けるならいなのだそうだが、実はこの腕輪、自分では外せないようになっている。

 魔術等ではなく単純に細目に作られているので手の甲を通らない。外そうと思ったら専用の鍵を使って開く必要がある入念さだ。その鍵はユークスが持っており、何か理由がなければ外すことはない。

 なぜ、こんな決まりがあるのかわからない。

 無理やり想像するなら、昔は何かの魔術具で聖女の力を封印か溜めておくかする風習があったのかもしれない。それが逸失してしまい、代わりにこの鍵付きの物をつけておくようになったとかだろうか。


「私はこれを外すことはできませんが……。カイル、あなたなら壊すことくらいはできますよね」


 さっきからマリオンの思い切りが怖い。

 それでも向けられた手をとり彼女のやりたいようにさせてやる。


「確認してください。この腕輪は大切なものなので簡単には外せないようにできています」


 鍵穴を相手に見せ、押し付けるように触れさせる。

 証明しろ、といったはずの男の方が、勢いに押されて熱いものでも触ったかのように手を離した。しかし、他の者たちの手前、それではいけないと思ったのかおっかなびっくり検分を始める。


「確かに、外れないようにできている……」


 そう言って他の者たちの方を向いた。


「では、その証をここで壊します」


 そういって今度こそ、その左手を僕に向けて掲げて見せる。


 どうせなら派手にやろう。

 自分の知りうる知識を総動員して儀式に見えるように腕輪を壊すことにした。

 赤い石の組成は酸素とアルミニウム。適度に反応させながら小さな火花とともに粉々に砕く。

 マリオンの腕がやけどしないように気を付けながら。青い石も同様に。

 最後の緑の石はケイ素やベリリウムも多い。でもやるべきことは同じだ。


 全ての石が粉になって地面に落ちた後、最後に腕輪の素材をそれぞれ分離して球体に丸め込んでしまう。

 白金、ニッケル、クロム……。

 その素材で皿を作り、宝石の粉をそれぞれ乗せて出来上がりだ。


 マリオンはサッパリした顔で左手首をしばらく触っていたけど、僕の仕事が終わったのを確認してから言った。


「これで良いでしょう。そちらのものは差し上げます。工芸品の材料くらいにはなるでしょう」


 そういっても動かない男たちを前に、今度こそ建屋の扉を開いたのだった。





 間一髪間に合った、という言葉がしっくりくる。

 アンスというセリの父親はこの二日間で治療を行った中でもっとも重篤な症状を示していた。吐血で汚れた枕元を見るに、内臓にもかなり負担がかかっている。

 病気の治療とは別に治癒の奇跡を使ったけれど、それでもまだ意識を戻すことはなく眠ったままだ。ただ、安らかな寝息、それだけでも周囲の人間は救われる。


「俺に出来ることはなんでもする。言ってくれ」


 ひとしきり涙にのせて感情を発露させたセリは、感謝の言葉とともにそういった。

 それに対する僕たちの要求は一つ。

 他の獣人に同様の症状を示す者がいるかどうかという質問だった。

 時間が経過すればまた獣人は僕たちに反駁(はんばく)するかもしれない。マリオンのやったことに対する衝撃が残っている間にみんな助けてしまいたかった。

 回答は、「他にはいないはず」というもので、作戦の出番はなかったのだけれど。

 獣人は全体的に奇病の被害が小さいのだという。

 調子の悪い人の中でも顔色が優れないくらいで、アンスの様に寝込む者はいなかった。

 全体に『強い』種族なのだと思う。アンス自体には奇病が流行る前から関節に痛みを示す持病があったそうなので、それと今回の病気、二つの相性が悪かったのかもしれない。


 治療を終えて建屋を出た僕らを待っていたのはアデリーナさんだ。

 獣人の男たちは残っていなかった。

 どうやら、彼女がうまく話をまとめてくれたらしい。ここでまた問答が起こるのは嫌だったので助かる。


「あの人達のこと、悪く思わないでくれる? 彼らも辛い中で仲間の言葉を守っていただけなの」


 そこに異論はない。マリオンだってそのはずだ。


「そんなつもりはないですよ。ルイズから聞いていませんか。僕の義姉は獣人なんです。彼らがエトアで苦しんだことも多少は知っています」


 驚いた顔をするアデリーナさん。


「そんなこと、何も……」


「だとすれば、そういって近寄ろうとする方が良くないって判断したんでしょう。あの子は勘が鋭いから、それが正しいのだと思います」


「……そう。信頼しているのね」


 なんとなく、本音がこぼれたのだなと思った。


「それで、聖女をやめるって、本気なの? さっきはそんなことも聞けなかったけど」


「概ねそのつもりです。教国にとって、この旅に送り出した時点で聖女(わたし)は半分死んだことになっているのではないかと。いつ何が起こるかわからないような旅ですから。詳しくは聞いてはいませんが、次の候補もすでに選定されているはずですよ。私が行方不明になってしまったというのなら、形だけの捜索をしてから次代の聖女に代替わりして終わりでしょう。十年か二十年か、それくらいの間は奇跡も使えないと思いますが聖女が不在になったりはしません」


 その間くらいは国がなんとかしろということだろうか。


「厳密に言えばそれまでの間、私はこのまま聖女ということになりますが……、壊した腕輪は本物ですから我慢してもらいましょう」


「あれは……、それじゃあ、もうあの腕輪は本当に戻ってこないってこと?」


「カイルならできるかもしれません。ただ、私には無理ですね。そのつもりもありません」


「僕にも無理だよ」


 形を真似しても細かい意匠が思い出せない。

 似たようなものを作るのが関の山だろう。


「それなのにあんなに思い切りよく……。もしかして前々から計画していたのかしら。できたら事前に教えて欲しかったわ」


 もう終わってしまったことだとやっと気が付いたのかもしれない。

 どこか肩の力の抜けた言い方に変わっていく。


「それは無理だったんじゃないかなぁ。僕も知らなかった話ですし」


「あら、私はちょっと考えていましたよ。もう、聖女をやめてしまってもいいんじゃないかなって」


 だからあんなに淀みなく文言を続けられたのか。

 でも、なんでそんなにこっちを見ながら言うのだろうか。


「呆れた……。とんだ不良聖女もいたものね。でも本当にお手上げだわ。ルイズもあなたも。最初の私がどれだけちっぽけだったんだろうって思わされるわね」


「え?」


「なんでもないわ。それよりも、治療の方、手伝ってくれるんでしょう。まだまだ辛い人はたくさんいるんだから。こうなったら最後までしっかりそっちの方を手伝ってもらうわよ。人助けに、聖女とか勇者とか関係ないんでしょ?」


「無論、そのつもりです」


 忙しくなるのだろうなと思う。

 アデリーナさんは意趣返しの様に仕事を積み上げてくるだろうから。

 そうして同じだけのことを自分でもやるのだろう。短い付き合いだけどなんとなくそういう人なのだと思った。

 自分に厳しくやってきたから人に強くあたる様に見える。

 この集落の人達はそんな彼女のことをよくわかっている。お互いの信頼がやっと見える距離まで近づくことができた。

 ここがスタートだ。これからやることの為に、この地を訪れたのだから。





 一日はあっという間に過ぎ去った。

 アデリーナさんの言葉に嘘はなく、一切の手加減なしに僕たちは走り周ることになった。

 奇病の研究、原因の究明、検討、要治療者の選定と治癒、人員不足により後回しになっていた雑務。

 やるべきことはいくらでもあって、ありがたいことに僕たちにはそれができる。

 病に苦しむ人を結構な人数助けることはできた。

 それでも目前まで迫っていた危機をなんとか乗り越えただけで、まだまだ問題は多い。この二日でできたことは時間稼ぎの範疇を出ないだろう。

 これからも病気との闘いは続くし、遅れに遅れている冬越えの準備もある。

 そちらの方は人手が命なので僕たちの力だけでは限界があるだろう。国の援助が必要だ。王国に対して、ただ勇者の立場で提言しただけでは弱いと思う。

 この地で行われている奇病の調査に進展があったことを交渉材料に、調査補助という名目で申請するのが良いだろう。

 そうすれば、後は勇者や隣国の聖女に恩を売りたい人達が頑張ってくれる。

 実際にはそこには元聖女しかいないわけだけれど、どうにかはなるだろう。


こうして治療と対策、雑務のため一日を使い切った僕は用意された宿泊のための家へと戻る途中にルイズと出会うことになった。

 もう、ほとんどの家は灯も落とすような夜更け。

 こんな時間に朝以来の再会だ。

 彼女は他者に循環を施すことができ、体力もあるので僕とは違う場所でこき使われていたのだと思う。だけれど、日々の鍛錬のたまものか、その顔に疲れはない。


「カイル様」


「お疲れ様。そっちもやっぱり大変だった?」


「時間一杯仕事はありましたが、治療を行っていたお二人ほどではないと思います」


 僕らのことを持ち上げてくれるのはうれしいけど、恐らく彼女が休む時間もあまりないほど働いていたというのならばよっぽどの話だと思う。


「先ほどまでは冬支度の薪割りをしていました――」


 そこで僕は少し珍しいものを見た。

 ふっと、ルイズが笑顔を浮かべたのだ。

 彼女は別に鉄面皮というわけではないけれど、日常の中でころころと笑うほどでもない。好きな甘いものを食べる時だって、笑顔を浮かべるというよりは目を見開いて真剣に吟味するのだ。


「どうかした?」


 邪魔するのも悪いかなと思ったけど、受け答えをしないわけにもいかない。

 最低限の相槌だけを打つ。


「いえ、斧よりも使い慣れたものの方がやりやすいので剣を使っていたら、みんなに驚かれてしまいました」


 それはそうだろうなと思う。こともなげに言うけれど、そんなことは普通できない。


「子ども達も喜んでくれて。獣人の子も、人族の子も」


 今は人手が足りないから、単純な作業には子どもの出番も多い。

 そんな中で一緒に作業をしていたのだと思う。


「少しやりすぎたかもしれません。でも、これで冬を越せると言ってもらうことができました」


 恐らく、尋常じゃない量の薪を一人で準備して見せたのだろう。

 音もなくバラバラになっていく木を前に言葉を失う人達の様子が思い浮かぶ。


「今回はお世話になりっぱなしだったね。ルイズがいなければ、この冬のことを考えることもできなかったと思う」


「……それはカイル様とマリオンの方でしょう。聞きましたよ。色々と無理をされたって」


「確かに、無茶苦茶だったね。でも、マリオンは状況を言い訳に自分のやりたいことをやったんじゃないかなって。でも、それで良いんだって思ったから手伝ったんだ」


 そこでルイズはもう一度表情を変える。

 普段でも珍しいルイズの笑顔。それがさっきとはまたほんの少しだけ色を変えて現れる。それはどこか、僕たちを見るエリゼ母さんのことを思い出させるものだった。


「そうですか」


 たった一言に何か見守るような感情が込められていて、驚く。


「そういえば」


 なんとなく恥ずかしくなって話題を変えることにした。


「結局、どうやってアデリーナさんのことを説得したの? 僕たちとフヨウのことは話さなかったんだよね」


「どうやって、というほどのことではないです。何度か通って話をしました。彼女にとって何が大切で、どうしてここにいるのか。私たちにとって何が大切で、なぜここを訪れたのか。そんなことを」


 彼女はずっと、対話というものを続けたらしい。

 僕らが当たり前にわかっていて、それでも疎かにしてしまうことを、手を抜かずに。


「きっと、分かり合えると思ったので」


「どうして?」


 確かに、彼女は真摯に集落のことを考えている人だ。

 立場が違っただけで話が通じないということはなかった。

 だけれど、たった一度出会っただけでルイズがそう判断した理由は気になった。

 その問いに、ルイズは短く答える。


「彼女がアイン様と、とてもよく似ていると、そう思ったからです」

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