第130話 挿話7
二十人以上に施術を行った。
この集落の規模は大きくない。
そんな中でこの人数が死を目前にしていたということは恐ろしいことだった。
僕たちはギリギリ間に合ったと言って良いのかもしれない。
他の、喫緊でない患者のことを考えれば、十全に動ける人の数の方が少ない。
仮にこの奇病を乗り切っても、こんな山奥の集落では冬を越せるかどうかは危ういままなんだ。
でも、奇跡はあった。無理だと諦めていたものを取り戻した。その事実が彼らに力を与えてくれる。
まだ多少は時間がある。対策を練ればまだ間に合う。
そんな考えのきっかけを作ることはできたはずだ。
当然、僕らもかなり消耗している。
奇跡と、ただ言葉にするだけなら簡単だ。けれど、これまでだれにも成し得なかったことが何の代償もなく形になるわけがない。繊細な魔術の行使、真剣な祈り。
その二つは確実に僕たちの体力を奪っていく。それでもここまでやりとげることができたのは、苦しむ人のことを、ただただ心配し、安らかであることを願う人達がいたからだ。
魔術とは願いの術、想いの術。僕たちの仕事はそれを形にする最後の段階でしかない。
そんな後押しを受けて、集中力を最後まで振り絞った僕たちは仲間の前で倒れるようにして意識を失うことになった。
「……聞いたわ。本当に治療を成功させたのね。ありがとう。私が……、意固地になったせいで助かる人を死なせてしまうところだった……」
翌日、報告と今後の対策について話し合うために会ったアデリーナさんは、まず感謝の言葉を口にした。
それから、昨日聞くことができなかったこの村の詳しい話を教えてもらう。
前回僕らがここを訪れた時にはここまで酷い症状を訴える人はまだいなかったのだそうだ。多くの人が不調を訴えてはいたが、日々の営みはなんとか成り立っていた。
だからこそ、王国の調査団はこのことをそこまで危険視していなかった。
鉱山で行われた調査が『対策十分』であったこともそれを後押しした。感染症でもない以上、ちょっと珍しい風土病としてしか見ていなかったのだろう。
それが急変したのは本当にここ数日。
大半の人間がなんらかの症状を訴えたのを見計らったかのように、ぽつりぽつりと強い症状を訴える人が現れ始めた。
強い痛み止めで症状を抑えるのに手いっぱいで恢復の見込みはない。
原因が水にあるとわかったからといって、その水を摂るのをやめても症状は治まらない。なんとかやりくりして蒸留した水を取らせ続けていたがそれを全員に行渡らせるのは無理という状況だった。
時期を同じくして、助力を願い出る冒険者、ルイズが現れる。
「僕たちを疑う声はなかったのですか?」
自分たちのことをそういうのもおかしな話なのだが、いくらなんでも怪しい。
人が苦しい時に急にあらわれる救いの手というのは典型的な詐欺の手口だ。
「……あったわ。でもそれどころじゃなかった。人は本当に辛い時、救いになると言われれば毒でも飲むものよ。あなたたちは魔術師なのでしょう? 学院で習わなかった?」
これは魔術師が毒物の扱いに長けているという事実から出た言葉だと思う。
とはいってもほとんどの毒の扱いは会派が独占していて普通は学ぶことはない。
どちらかというとその対策が中心で、そういった意味では似た様な話を聞いたことはある。
「だから、人から与えられたものには気をつけろ、と教えられました。あなたも疑っていたのではないですか?」
今の言い方なら、彼女にはまだそれだけの余裕があったように思う。
「……私がみんなに言ったの、信じて欲しいって。それで被験者を募ったのよ。結局ほぼ全員が施術を受けることになったけれど」
どういうことだろう。
「なぜそこまで信用してくれたのですか」
それは本当に単純に疑問に思ったことだった。
「ルイズを、ずっと諦めずに話を続けてくれたあの子のことを信じられると思ったから」
口数の少ない彼女が雄弁だったとアデリーナさんは言っている。
「……ありがとうございます、仲間のことを信じてくれて」
ルイズは今、人手の足りない集落の中でユークスと一緒に仕事の手伝いをしている。
また、ちゃんと感謝を伝えないと。
そんな話をしていた時のことだった。凄い勢いでこちらに近づいてくる反応がある。
万が一のことがあった時にみんなを庇える位置を探して踏み出した時、それが到着した。
「ここに、外から来たお医者様がいるって本当か!」
簡単な立て付けの戸が外れそうなほど急に開かれると、勢いよく中に入ってくる小さな影。膝に擦り傷のある子どもらしい子ども。
「セリ……」
アデリーナさんが名前らしきものを呼ぶ。その声からは困惑が伝わってくる。
「あんたか、それともそっちの人か? どっちでもいい、頼む! 俺の父ちゃんを、助けてくれ……。あんたたちなら、あのおかしな病気を治せるんだろ!」
……だいたい事情がわかった。
彼の父親は今この時も病に苦しんでいるのだ。
「あなたの御父上はどこに?」
マリオンの問いかけ。
これから取る行動は決まっていて、それを確認するかのような聞き方。
そこには苦しむ人がいる。僕らにはそれを癒すことができる。確かにやるべきことは決まっていた。
ではなぜ、昨日助けた人達の中にその人が含まれていなかったのか。
その答えは少年の明るい色をした髪の毛から飛び出た特長的な耳にある。
獣人。この集落で向かい合うべきもう一つの問題だった。
少年に父親の居場所へ案内してもらうことを決める。
同時にアデリーナさんに打ち合わせの中断を願い出た。この要治療者の話が僕たちのところに来ていない理由を、彼女は知っていたはずだ。
だけど、止められることはなかった。ただ、僕たちに同行することだけを願い出る。
「……セリ、なぜ言いつけを破った」
急ぎ向かったその先、ある家屋の前にはこれまでこの集落で顔をみることのなかった三人の男が待っていた。
他の建物とは趣の異なる、石壁の家。その入口に立ちふさがるように彼らは立っている。
どうやら、この奥に要治療者が待っているらしい。
「だって助かるんだぞ、ガラんちもルースのところも今日は朝飯に粥を食べたって……。昨日までは痛み止めを飲まないと飯も食えなかったのに、今日は薬も飲んでないって。だったら父ちゃんだってもしかしたら!」
「だめだ! お前だって納得していただろう。こいつらを村に入れても、俺たち獣人は関与しない。エトアの力は死んでも借りないと、アンスは、お前の父は言ったはずだ」
「それは、みんな奇跡なんて嘘っぱちだって、そう言ってたからだろ! やってみたら上手くいくかもしれないじゃないか!」
「お前は知らんのだ。イセリア教が俺たちに何をしたのか。お前の母親を殺したのはこいつらなんだぞ!」
視線をこちらに向けて話始める。
それは僕やマリオンを非難するというよりは、自分たちを納得させるために言っているように聞こえた。
「……でも」
この話は、セリの勢いを抑えるにはてきめんだった様だ。
おそらく、僕らとその宗派は異なると言っても納得はしてもらえないだろう。
家族を奪われる悲しみに、僕からかけられる言葉はない。
「……でも、父ちゃんまでいなくなるなんて、助かるかもしれないのに……」
言葉にできないだけでセリは分かっている。
取り戻せない過去はあっても未来を選ぶことはできると。
だから難しいとわかっていても説得の言葉をやめられない。
「男だろう。父親との約束を守れ。あいつの遺志を、汲んでやってくれ」
その考え方は僕には理解できない。
でも少年には反論の難しいことだったらしい。泣きそうな顔で、自分が選ぶことのできない目の前の道をただただ縋り付くように諦められないでいる。
そのやりとりの一部始終を見ていた僕が声をかけようとするより少しだけ早く、マリオンが口を開いた。
「あなた方が、御父上が憎いのはエトアですか、イセリア教ですか?」
ここにいて、当事者であるはずのマリオンが話に参加した。
ただそれだけのことであるはずなのに、男たちはどこか面食らった様子だった。
しかし、憎しむべき相手からかけられた、どこか他人事のようなその物言いが癇に障ったのか、すぐに感情を乗せた答えがくる。
「両方に決まっているだろう! そんなことになんの意味がある!」
勢いに押されることはなく、マリオンは静かに続ける。
「意味があるのです。ではエトアとは何ですか? 王ですか、教皇ですか?」
「全部だ! あの国に住んで、意味のない罵倒を繰り返しながら俺たちの仲間をうばったやつら全部だよ!」
「それはエトアの地に住む者すべてなのですか」
問いかけというよりも、知っている答えを辿って確認するような聞き方。それは彼らの怒りに燃料を注ぐ。
「そうだ、全部が憎い、焼き尽くしたいほどに憎いんだよ。それが俺たちの、アンスの答えだ。なぜ、憎しみを暴きたがる。悲しみすら俺たちには与えたくないのか!」
アンスとは、この家の奥にいるセリの父のことだろう。
まだ助かる可能性が残っている人。マリオンはただその人の為に問いかけを行っている。
「では、過去の、エトアの地に住んでいたあなたたちの仲間もまた憎いということですか」
「そんなこと、あるわけないだろうが! ……そういうことか。説法で煙に巻くつもりか。それだ、言葉で俺たちを殴る理由を決める。正当であると主張する。そのやり方こそがイセリアだ、エトアなんだよ」
これまでわからなかったマリオンの考え、それを掴めたと思ったのか男は続けた。
憎しみの矛先を得た彼の言動はこれまでで最も苛烈になっていた。
マリオンはその焼け付くような感情に向かいあうことをやめない。
「ならば、エトアの者でなければ御父上を治療できるということでしょうか」
「なんだ、言い負かせられないと思ったら、話を変えるのか。いいよ、付き合ってやる」
燃え上がった感情の行き場を求めて男は答えた。
「そうだね、お前たちじゃなければ、エトアじゃなければ縋ってだって助けたい。ここまで一緒に生きてきた仲間だぞ。持ってるものならなんでも渡せる。あいつの命のためならな。でも、それはお前たちじゃない! イセリアの加護なんてもんじゃあ断じてないね!」
「わかりました、それでは治療に入りましょう。カイル、急ぎましょう。あまり時間は残されていないかもしれません」
「おい待て! あれだけ話したのに何を言っている。あんた達は勇者と聖女なんだろう。許すわけがない。今生、治療を願い出ることなんてないぞ」
「それをしたのはあなたでも御父上でもなく、この少年です。そして私たちはここに苦しむ人がいるのなら、願われなくても助けます。それにあなたたちは関係ありません」
めちゃくちゃな答えが返って来た。
これには僕もマリオンが何を言っているのかわからなかった。
ただ、彼女の覚悟だけが感じられる。冗談で言っているわけではないらしいと。
「今までの問いかけはあなたたちの気持ちを確認したのではありません。受け答えもできないであろう御父上の考えを聞いたのです」
そこに何の違いがあるのかという男たちの表情。それでももう、質問の言葉もない。
「私の立場が、エトアがイセリア教が、聖女という言葉が御父上の治療の妨げになる。それは事実なのでしょう。本人の願いが妨げられては万が一にも魔術が成功しない可能性があります」
「なんだ……、失敗したときのいいわけをするためにそんなこと聞いていたのか、だったら……」
マリオンは今度は男の言葉に耳を傾けなかった。ただ自分の言葉を続ける。
「だから私は、今日を限りにイセリア教の教えを捨てます。エトアの籍も必要ありません。どうせ私の資産等というものもありませんしね」
彼女の意志が、再び男を黙らせる。
「マリオン・オーディアールは聖女であることを、辞めます」
予想できたはずの言葉、予想できなかったその言葉がこの場に集まったほとんどの人間の時間を止めた。
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