第129話 挿話6

「この間は門前払いしてごめんなさい」


 一転したアデリーナさんの態度に困惑する。


「いえ、事情があってのことだと思いますし、あなたは苦しむ人のことを考えてああ言っていたんですよね」


「……半分はそう……。あなたたちをここに招き入れなかった理由は聞いたかしら?」


「まだです。ルイズの連絡には話ができるようになった、ということしか書かれていませんでした」


「……律儀ね……。ならまず、そこから説明するわ。とはいってもそんなに難しいことじゃない」


 一拍。言葉とは裏腹に何か続けるのに決意している様子が見て取れる。


「ここはね、獣人を受け入れた集落なの、……エトア教国で迫害され、命からがら逃げのびてきた人たち。王国まで逃げて来たからといって、すぐに人族みんなを信用できるようになるわけじゃない。イセリア教徒もたくさんいるしね。だから人の少ないこんなところで暮らしている」


 前に会ったとき、なぜあんな対応をされたのか理解できた。

 後ろのマリオンやユークス達からも沈痛な感情が伝わってくる。二人は種族が異なるからといって迫害を行ったりしない。そう信じられる。それでも、自国で起きたことが原因で嫌悪の情を受けたことに内心大きな揺さぶりを受けている。


 ここにいる獣人たちの気持ちは複雑なものであるはずだ。目の前にいる人間が自分を、家族を虐げてきたわけではない。頭でわかっているからといってすぐに受け入れられることではないと思う。

 それでも僕らはフヨウと家族になることができた。

相手を獣人としてくくらなければ、相手を人族だからと対話をやめてしまわなければ、関係を築き直すことはできる可能性がある。

 それは長い時間がかかるもので、僕たちが一朝一夕に手に入れられるものではないけれど。この集落の人達は傷ついた彼らを受け入れ、ひとりひとりの顔をしっかりと見て仲間になったのだろう。そんな気がした。


「だから聖女の奇跡を信じることができない。その鎧の意匠が恐ろしくて耐えられない。そんな人達が何人もいる。一緒に暮らす人族も同じようにあなたたちを信用していない。女神からはそれでも恩寵を賜ることができるものなのかしら」


 マリオンとユークスを見ながら続ける。

 この質問に答えるのは僕じゃない。だからマリオンが口を開いた。


「……できる、と答えることは簡単です。そしてそれは私たちの本心でもあります。でも、皆さんは受け入れられない、違いますか?」


「……そうでしょうね。彼らはまたイセリア教と関わるくらいなら死んだ方がマシだと本気でそう考えている。でも、そのために集落全体を巻き込むつもりはないの。自分を虐げた相手ではない。そうわかっていても憎しみを捨てられない。そんな相手でも、助けてくれた仲間の病気を治療してくれるなら力を借りても良いと、そう考えたのよ。いいえ、あなたの仲間がそう説得した」


 いつも言葉は少ないけれど、ルイズにはお世話になりっぱなしだ。

 どうやったのかはわからないけれど、真摯に問題に向き合って話し合いの場を作ってくれたのだということは容易に想像できる。

 そして、獣人の人達が仲間を思う気持ちも知る事ができた。

 ――この問題、必ず解決しなければいけない。病も、わだかまりも……。


「……それで、あなたたちは肝心の治療、できるのかしら? さっきも言ったけれどこの集落には女神の威光は届いていないわよ」


 正直に言えば、それは分からない。

 少なくとも、ロットクラブの生物毒であったり重金属中毒は僕の魔術では対処のできないものだ。

 原因がわかっても解決はできない。頼みの綱はマリオンの奇跡ということになるけれど、正直に言えば彼女のそれは怪我の治療と比べると病気とは相性が悪い。


「『威光』というものはそう大切なものではありません。女神の慈悲は間違いなくこの地にもあるはずです」


 だけど、彼女はそう答えた。

 ここに来るまでに僕らで考えたたった一つだけの選択肢。うまくいくという確証はない。だけど、苦しんでいる人がいるのならば選ばない理由はない。


「私たちと会っても良い。そう言ってくれる患者さんのところへ、案内してください」





 集落は辺りの木々に溶け込むようにひっそりと存在している。

 本来なら木漏れ日の中に人の気配のある暖かな村なのかもしれない。しかし、今この時は居住者と同じようにどこか命の輝きを失いつつあるような空気が漂っていた。

 質素な家屋の奥。閉めきられた部屋に要治療者の壮年の男性が横になっている。

 ただ、ときおり聞こえるうめき声が、彼の受けている苦痛を端的に示していた。ここまで案内してくれた青年はそれが自らの痛みであるかのように顔を歪める。彼自身も軽度の症状があらわれているのか顔色が悪かった。

 ここには仲間の中でマリオンと僕だけがやってきている。

 治療のためには魔術が必要だからだ。レッダも魔術が使えるけど、治療のために十分な技能であるとは言い難かった。


「親父、お医者様を連れてきたよ。もしかしたら病気、治せるかもしれないって」


 患者はそれに答えることはできない。青年はこちらを振り返り、続けた。


「いつもなら、これから薬師様が用意して下さった痛み止めを飲む時間です。それで何刻か睡眠をとることができる。処置が難しそうなら早めに切り上げて下さい。薬を煎じるのにも準備が必要ですから」


 その言葉の節々に僕たちを信用しきれない様子がうかがえる。

 それでも、藁にも縋るつもりで受け入れたのだ。家族の苦しみを楽にしたくて。

 僕らもその点については同じだ。そして、この奇跡のためにはその気持ち一点だけでも曇りなくみんなで共有する必要がある。


「それでは治療を始めます」


 まず僕が男性の肩に手をあて、丁寧にオドの循環の下準備を始めた。

 この活性化は病気には良く効くけれど、彼の様な痛みのある人の場合は症状を刺激してしまう可能性もある。

 無理は禁物だ。あくまで準備。彼の体のオドの状態を調べるようになだめるように。

 ……それは酷いものだった。オドは本来体を魔術的に支える骨であり肉のようなもの。それが全体でささくれ立ち、自身を苛むように乱れている。

 流れを整えようとしても、オド自身が拒むみたいに逆の方に向かう。

 ……危険な状態と言わざるをえない。最低限の下準備が済んだら次の段階へ移った方が良さそうだ。

 オドの状態を確認しながら、代謝の途上にある毒、本来体内にあってはならない物質を可能な限り思い浮かべる。

 ここではアデリーナさんが治療のために行っていた研究結果が役にたった。

 彼女はここで、症状を和らげる薬を処方しながら奇病の抜本的な解決のための研究を続けていたのだ。その中には患者の血液まで試料として保管されていた。

 これを得るために、処方した薬草の対価を求めないということまでしたらしい。その熱意がどこから来るのかはわからない。でも、少なくともそれが苦しむ人を救う糸口になる。

 アデリーナさんはその試料を独自の魔術で分離、分析し、健康体の血液(自分のもの)と含まれている成分に違いがあることを確認していた。その成分とこのあたりの水系から得られる水に共通点があることも。凄いことだと思う。

 僕はほとんど兄さんから教えてもらったことを利用してそれを知った。そして、この知識というものに絶大な信頼を寄せている。それほど先進的なものだからだ。

 彼女は兄さんの知識と同じ場所にいる。それが彼女の学んだ師によるものなのか、才覚によるものなのかはわからないけれど。


 なんにせよ、実際の血液試料を分析したことで、この地域の病気にかかわる金属成分の把握はできた。とはいっても、これを生きている人の体から無理やり取り出すことはできないけれど。今はそれが『ある』ということを意識するだけ良い。


 オド循環すら、まともにはできなかったけれど、それでも男性は少し楽になったらしい。短くうめき声混じりだった呼吸が安定し始めた。ここで僕は右手を彼の肩から離してマリオンに向ける。治療の様子一切を見逃すまいと目を見開いていた彼女は即座にその手に触れた。

 事前にとるべき行動は話し合ってある。

 言葉はいらない。マリオンは空いた右手を僕の代わりに男性の肩に充てた。


 僕にできる治療法では届かない。『なぜ』病が起きているのか、きっかけを知ることは出来てもそれを取り除くことができないからだ。

 マリオンの、聖女の力をもってしてもこの奇病を即座に治療することはできない。

 恐らく、病気の原因を彼女が認識できていないから。

 聖女の奇跡にはそういうことが往々にしてあるらしい。毒を治療したければ毒について知る必要がある。学び、自らそれを受ける。兄さんの言う免疫、あるいは抗体というものが近いのかもしれない。歴代の聖女はそれを成そうと自ら毒を服して慣れようとする人もいたという。結局それは自身の寿命を縮めることになり、後世に受け継がれることはなかったけれど。

 それぞれの問題点を二人で克服する。それが僕らが選んだやり方だった。

 言葉では伝わらない情報をオドにのせて共有する。

 男性、僕、マリオン。三人の中を巡ったオドは癒しの力を持って男性の中に戻っていく。


 ――わかる。

 男性のオドのささくれ、それが緩やかに納まり和らいでいく。

 呼応するように、血中の重金属も体外に排出されているはずだ。

 もしも、これを僕の魔術だけで行おうとすれば男性の命は保証できない。なぜなら、人の体でおきる営みはあまりにも繊細で、僕の想像の中で正しい変化を組み立てることができないから。急に変化させれば、生き物はそれに耐えることができないだろう。

 逆を言えばそれによって人を害することもできるということだけど、時間もかかるし証拠を残さない暗殺くらいにしか使えないので兄さんは無駄な技術だと言っていた。


 そんな無茶も聖女なら成し遂げる。それが奇跡というものだから。

 命を救う願いを届ける魔術を越えたなにか。それが目の前で起きている。


 男性の変化は劇的だった。顔色は悪いままで汗もかいている。だけれど先ほどのようなうめき声は最早なく、オドの循環に至っては健常者との違いは見当たらない。

 そんな彼の循環をしばらく整えてから治療は終わった。


「成功、したはずです。体力が随分落ちているようですから、しばらくは何か食べやすいものを少しずつとって快復に努めて下さい。そのあとは軽い運動を」


「……まさか、今のだけで本当に病が治ったっていうのか?」


 自分の言葉遣いが乱れていることにも気が付かないほどに動転している。


「……今、それを断言することはできません。病気の原因もありますから、しばらくはアデリーナさんの指示に従って治療を行って下さい。これだけで悪いのですが、僕らは他の方の所へ向かいます」


 この集落にはまだまだ苦しみ、命の危機に瀕している人がいる。

 危険な人だけでももう何人か周っておきたかった。


「ああ、あぁ、行ってやってくれ。こんなに安らかな親父の寝顔は久しぶりだよ。もう、生きているうちは見られないと思ってた……」


 涙と一緒に零れる言葉。


「ありがとう……」


 その一言を聞いた時、繋いだままだったことすら忘れていたマリオンの左手が強く握られるのを感じた。それを僕はしっかりと握り返す。

 ――これからだ。

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