第128話 挿話5

 自らの親しい人が戦いに赴く。自分は相手の無事を祈ることしかできない。

 それはとても苦しいものだ。

 私の兄は騎士だから、そんな経験を幾度となくしてきた。

 幸い兄は努力家で、才能があり、運が良かった。だからこれまで、危険に立ち向かっても必ず無事に帰って来た。

 その事実がどれだけ私の心に温かいものを運んできたことか。

 かといって誰かの背中を見送ることに慣れたりは決してしない。


 先ほど私は祈ることしかできない、そう言った。

 しかし、もしかしたらこの言い方には語弊があるかもしれない。

 私は『祈ることができる』から。私の祈りは力を持つ。


 物心がついた時には私は聖女候補だった。

 他に候補はいないと聞かされていたからほぼ『次期聖女』として内定した状態だ。

 両親の記憶はなく、当代の聖女であるスルヤ様に聖女としての在り方を学びながら育った。

 境遇だけを聞いた相手から暗に同情されるようなこともあったが、当時の私はそれがどういうことなのかは良くわかっていなかった。比べる相手なんていなかったから。

 何に同情されているのか、同情とはなんなのか。

 どちらにせよ、彼らの心の内が推し量れるようになった今も、当時の私が不憫だったとは思わない。

 それは確かに私を気にかけてくれる兄がいて、スルヤ様も間違いなく家族だったから。


 彼女の教えは独特だ。誰か他の人がいる時は、怖い顔をしてイセリア教の教義を語る。教本を暗唱させたり、式典での立ち振る舞いの練習だったり、そういうこともやった。

 でも二人しかいない時はそんなことはしない。


「人前に出る時は見た目だけは取り繕いなさい。頭の中で何を考えていても良いから、聖女っぽく見えるように振舞うの」


 年齢に見合わない子どものような言い方。私はこれが嫌いではなかった。


「頭の中ではイセリア様に背いてもいいのですか?」


 それは当然の疑問だと思う。


「いいわよ。女神様なんて信じても信じなくても」


 教会の中で生きる他の人達はこんなことは絶対に言わない。

 聞く者が聞けば目を剥きそうなことを絶対口にしてはならない人間が言う。

 しかし、当時の私にそんなことはわからない。


「ただね、祈る時だけは別。祈りの対象はいつでも人。大切な人でもそうでない人でも良いけど、それは守って。そして相手のことをちゃんと考えなさい。この二つのことができているのなら、後はどうでも良いわ」


 なげやりだけど温かい。当時のことを私はそう記憶している。


「みんなの事を平等に愛し、等しく祈らなくても良いのですか? そんな人に女神様は力を与えてくれますか?」


 イセリア教では表向きは博愛をうたっている。

 現実は肌の色や信仰、種族等での差別が存在しているが、やはりこのときの私はそれを知らない。

 真面目な時間に教えられたことと矛盾する考えに、ただ混乱していた。


「そうしたいなら、貴方の大切な一人だけの為に祈ったっていいわ。それが本物なら女神様は力をくれる。好きな人と嫌いな人、平等に愛するなんて無理でしょう。女神様だってそれくらいのことはわかってるんだから。それに自分の事を信じる人間だけに力を与えるほど不寛容でもない」


 ところどころ難しくて理解できなかったが、それでもスルヤ様は正しいことを言っているなと思った。

 確かに女神様自身が差別をしているのなら、私たちが博愛を説くのもおかしな話になる。逆なら許されるのだ。


「わかりました。でも、さすがに一人だけのためには無理ですスルヤ様」


「あらどうして?」


「私はいつも、スルヤ様と兄様の二人の安寧を祈っていますから」


 僅かに目をみはるスルヤ様。


「……その言い方はまずいわね。男を虜にする時のやり方よ。大切な人が現れるまでとっておきなさい。今使って良い言葉ではないわ」


 本音を伝えただけなのに、なぜたしなめられているのかわからなかった。


「……それなら教えを変えておきましょうか」


 そんなことが許されるのも彼女ならではだ。


「いいこと、貴方は今、家族である私とユークスのために祈っている。だけどいつか貴方の前には同じくらい大切な人、別の家族が現れるわ。それは唐突ですぐには受け入れられないことかもしれない。だけど心に従うの。忘れないで」


 意味は分からなかったが、いつもの教えと矛盾したりはしないと思った。


「はい、スルヤ様」


 だから素直に答える。

 この日はいつもはお茶だけが出る休憩時間に教会では珍しいお菓子がついていた。

 それを「みんなには内緒よ」というスルヤ様と一緒に食べる。

 彼女の愛に対する照れ隠し。

 気持ちに気持ちで答えるということが幸福というものなのだということと一緒に、私はそれを学んだ。





 スルヤ様はある年の冬、流行り病の治療に赴き、そのまま帰って来なかった。

 元々高齢で体力が落ちている時に、自身も病にかかっているというのに、その体を押して治療行為を続けたのだという。

 当然、周囲もそれを制止した。それでも無理をした。


 これが彼女の言う『周りが見ている時に聖女らしく振舞った』結果だとは到底思えなかった。真の祈りでなければ奇跡には届かないから。

 スルヤ様は自身の求めるようにふるまった結果、命を落とした。


 この記憶は私の心に深い傷を残し、今もなお癒えてはいない。

 大切な人を送り出すということが怖い。

 兄を見送る度に自制を総動員してきたが、もう無理だ。


 カイルと出会ってしまったから。

 彼が強い人だということは最初に会った時から知っている。それでもダメなのだ。

 加護、私の祈り、全てを総動員したはずなのに、何日も寝込むほどに消耗して帰って来た。

 そしてそんなことをこれからも繰り返そうとしている。

 見送ること。それがもうできない。


 そんな私は、これから聖女らしく振舞うことができるだろうか。

 人のために祈ることができるだろうか。

 迷いがあってもそれをやめようという気持ちはない。

 今のこの迷いこそが、あの時交わした約束そのものだから。



 ◇◆◇◆◇



「……この蟹が病に関係しているのですか?」


 調査の結果、病気の元となっている『なにか』があると推定された場所。

 そこに「治療の役に立てるかもしれないから」といってついてきたマリオンが問いかけてきた。

 目の前には拳二つ分ほどの大きさの、沢蟹というには大きすぎる魔物が数えきれないほど密集している。


「うん、そうだと思う。このあたりの水は凄く鉛の濃度が高いんだ。他にもただの湧水とは思えない成分が沢山入っている。上流でも確認したけど全然違う。原因がこのあたりにあるのは間違いないよ。そこにこんなに魔物がいるなら、少なくとも調査が必要だね」


 奇病と鉱毒の関係性を調査して向かったエルンの街。

 そこには軽症ながら確かに似たような症状を訴える人がいた。

 感染経路をたどるとやはり生活用水による経口感染が怪しい。

 しかし、この地域の水は鉱山とは関係がない。それでも水質を調査してみると重金属の濃度が有意に高い事実が確認できる。

 なぜだろう。

 地殻変動などの理由で地下水脈が合流したりしているのだろうか。

 そういった疑問から上流地域の調査に移ったのだが、今度はそちらに異常がないことがわかった。

 わかったのはいいけれど、そのせいで余計に混乱がうまれる。

 どこで水は汚染されているのか。

 そういったことを調査していて出会った風景がこの魔物だった。

 この魔物が水を汚しているいるのか、水系に異常があるから魔物が集まるのか。それを確認する必要がある。

 幸い、この魔物自体はそこまで強くなかったし、極端な攻撃性もないらしい。

 何体か素体として捕獲して持ち帰ることにしてみた。

 専門的な人か機関に調査をお願いすることになるだろう。





「そいつはロットクラブじゃないか」


 専門家を探す一環としてやってきた冒険者ギルドで、予想外に早く手がかりを得ることができた。

 詳しく聞いてみると、この地域でよく見る魔物というわけではないらしい。

 単に毒性のある危険な生き物として火山地帯で有名なのだという。

 誤食を避けるため見分け方も正確に把握されており、それが捕獲してきたものと一致する。

 念のために詳しい人に調べてもらう方針は変えないけど、この生き物の情報は集めておいた方が良さそうだ。


「詳しい話って言ってもな……。人が住めないような火山の辺りにいる。そんなところだと珍しく美味そうな見た目をしているだろ。間違って食うなよってよく言われるんだが。あと、たまに人里の沢まで下りてきたら駆除することになってたはずだ。毒を運ぶからって。あんたも上にそのことを報告しておいた方がいいかもしれないな。うまくすれば報奨金がもらえるかもしれないぞ」


 報奨金という言葉も嫌いではないけど、今はこの情報の方が価値がある。

 どうせ、あんなに数がいる魔物は僕たちだけでは駆除できない。

 この魔物については地域の兵に任せて一度ルイズのところに戻った方が良いかもしれない。

 あちらでも何かわかったことがあれば、この情報と合わせて見えてくることがあるかもしれない。

 手早く魔物の発見報告を行うと、勇者の名前でこの地域の領主に奇病との関連性を示唆した手紙を出しておく。

 同時に、鉛を始めとした重金属の毒性について何かわかることがないか兄さんや王都の知り合いにも確認しておくことにした。

 ロムスにいるはずだけど、正直兄さんが何か月もじっとしているとは思えない。もしかしたら遠出しているかも……。

 僕達も移動を繰り返しているから、うまく連絡がとれる可能性は低い。でもできることはやっておいたほうが良い。





「そっちも収穫があったか! さすがに女神に選ばれただけのことはある。みんな優秀だな!」 


「そっちも、ってことはルイズがうまくやってくれたの?」


 奇病に苦しむ集落、そこへと向かう途中で落ち合う約束をしていたレッダ。

 彼は、再会の挨拶もそこそこに情報交換を進めるとそういった。


「ああ、わだかまりがとけたってわけじゃなさそうだが、少なくとも第一関門は突破できたみたいだぞ。アデリーナって薬師と話はできるようになったらしい。付き添いがあれば集落へ入ることも出来そうだって話だ」


 良い知らせだった。

 今回の調査でわかったことと、彼らの病気を照らし合わせればもしかしたら抜本的な解決の糸口がつかめるかもしれない。

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