第132話 引き絞られる弓(上)
「全員止まれ! ここを拠点にするぞ!」
ギース氏の号令に一同が従う。
そこは大きな岩がいくつか転がっており、風よけ、日陰と確かに休みやすそうな場所だった。足元も岩盤で、サンドワームが近寄りにくい構造なのも良い。
ここの所、周辺の地形にはかなりの変化が見られるようになっていた。
しばらく続いた、まさに砂漠という感じの砂丘の連なりは姿を潜め、風食された大岩が目立つようになっている。
おかげでここまで悩まされてきた砂嵐には対策が立てやすくなった。また、件のワームも地質の固い場所では移動に制限があるため、対応しやすい。そのはずなのだが……。
「前と同じなら、岩礁帯をぬけると一気にワームの数が増える。予定通りサウラはここで待機だ」
話は聞いていたが、やっぱりここからが本番なのか……。
これまでの道中でも昨日あたりからサンドワームとの接触率が極端に上昇していた。
前述の通り、そんなにあいつら向きの地形というわけでもないのに、何故なのだろう。
そのあたりにこの道を突破する糸口はないだろうか。
サウラはおとなしい動物ではあるが、さすがにこいつらだけを置いていくわけにはいかない。ギース氏の二名の部下が面倒を見る手はずになっている。
経験上、魔物が出る恐れがある場所に二名で待機というのは少し不安な状況だ。
守り、逃げやすい場所を選んではいても、対策は多い方が良い。
ということでちょっとした罠をしかけておくことにした。
「たったそれだけでいいのか」
俺の振りまいた溶液を見ながら居残り組のジョゼが言った。
「これでもかなりの量なんですよ。これ以上使ってサウラの方が嫌がっても困るので」
空になった手元の小瓶。
その中に入っていたのはピレスロイド系製剤と呼ばれる物質。簡単に言えば虫よけだ。
蚊取り線香の有効成分だと思ってもらって間違いない。
この物質、哺乳類と鳥類には影響が少なく、節足動物や爬虫類には効くというなかなか便利な特徴がある。
サンドワームもその例に漏れず、この物質を微量でも内服させると極端に動きが悪くなるのは確認済み。前世の昆虫ほど強い効果がないのは単純に体重が重いためだと思われる。
毒や薬というものはほとんどの場合重量当たりいくら、という計算方法で容量が決まるものだ。
はっきりと試したわけではないものの、サウラは爬虫類に近い生理特性を持っていると推定されるので、距離や量に気を使ってこのあたりに散布することになった。
余談が続くことになるのだが、この物質、厳密に言うと俺の前世の知識から合成したものではない。というのも、ピレスロイドと呼ばれる物質群はかなり多くの種類の成分からなり、それぞれが複雑な構造を持っている。
立体構造なんかも関係してくるので、俺の脳内の知識だけで合成するには少し不安があった。魔術はこういった不安で失敗につながったりするので馬鹿にならない。
そこで活躍したのが俺が所長を務める研究所だった。
この世界でも昆虫が嫌う植物というものがあり、その中から有効成分を分離することは以前より考えていた。
そうして集めた薬草の中から、菊酸と呼ばれる構造を含む成分を分離。
ありそうな構造を総当たりするという力業で式を同定したものなのだ。
つまり、この世界で生まれた構造を確認したものであって、必ずしも前世の自然界に存在したものではない。
そんな、この世界オリジナルの殺虫剤を砂地を中心に撒いていく。
地中にあれば空気や光のせいで失活もしにくいし、砂を体内に多量に取り込むサンドワームには有効だった。
散布の仕方も工夫することで、サンドワームの移動を誘導し、逃亡用の経路を確保できるようになっている。
「この小瓶一つで一回分です。一日一回同じ部分に散布してください。夕方が良いと思います」
そういって同じものを五本渡す。
二日間俺達から音沙汰がなければこの地を離脱してもらうことになっているので三本はそれ以降の緊急時用だ。
一方、これからサンドワームの多発地帯へと向かう俺たちは俺たちで同様のものを持っている。今回の作戦の肝といえる物質の一つかもしれない。
打ち合わせの時間は短い。
ここまでに来るまでに何度も計画を確認しているからだ。言葉少なにお互いの無事を祈って出発することになった。
最初に十五人いたメンバーが今は三分の一。でも、負傷者はまだゼロ。
ここからが本当の死地になる。
うまく砂地の少ない地形を選び、マナ感知を活かして進む。
それが功を成したのか、接敵自体は結構あったものの、今のところ被害は出ていない。
しかし、敵地を進むというのはそれだけで体力を消耗する。
幸い、嘆きの渓谷へと近づいたことで道中は岩稜帯が続き、四方八方からの砂風に悩まされるということはなかった。
風はずっと強いままだが、これなら先へ進むことは可能だ。
「ここを先へ進めば例の化け物が見えてくる。一度休憩だ」
実質、戦闘前の最後の休みということだ。
今後、ゆっくりできるのは、作戦を成功させた後か、逃亡を成功させた後か。
どちらにせよ多少はうまく行った時だけだ。なんとか全員無事でその場を迎えたいものだと思う。
渓谷の厳しい丘陵を背にみんなで保存食を口にする。
そんな中、俺とフヨウだけが少し異なる動きを見せていた。
俺の方はというと、考えてきた作戦の一つが可能かどうか確かめている。
「どうだ?」
顔だけ向けて俺に問うギース氏に首を横に振って答える。
「難しそうです。この岩、地質が脆いので変形させるのは簡単だけど、作ったトンネルを維持するために補強が必要です。それに思っていた通り魔力が少なすぎて掘り進むのがどうしてもゆっくりになる。今回の作戦では使えないと思います」
言ってみれば、危険は迂回しよう、という考えだった。
丘陵を登るのが無理、渓谷を進むのが無理。ならば穴を掘って進もうと。
しかし、予想できていたことだがマナが薄すぎる。
気候も安定しない魔物のいる場所で悠長に土木作業をする作戦は有効ではなさそうだ。掘り出した土砂の運び出しや通気など、他にも問題が起こる可能性もある。
ただし、これはあくまでプランB。
魔物のことが手に負えない場合に何ができるかという視点から考えた方策に他ならない。今回が無理でも、今後人を集めればまったく無理とは限らない作戦ではある。
本命の作戦の成否。それは今フヨウが行っている作業。それにかかっていた。
岩壁の下に専用の小道具を置いて固定。そこにしなった棒状の物を引っ掛ける。
この棒、見た目も決して華奢なものではないが、その強靭さは印象を大きく上回る。
長さはフヨウの身長を越え短めの槍ほど。それとは別に、俺が事前に準備していたポリアミドの繊維を、棒がよりしなるように張っていく。
見た目の静かさとは相反する大きな力が満ちている。
出来上がっていくのは歪んだ三日月のようなシルエット。
そう、これは弓だ。特注の。
冒険者はあまり使わない大型で取り回しが悪く、手入れの面倒な形状のもの。
そこまでしてこの弓が存在するのは、ただただ射程と威力を上げるためだ。
どちらも、弓の存在意義といっていい重要な数字。それでも、ここまで大きいものはあまりない。
大の男が二人がかりでも弦が張れないようではどこでも使い道がないからだ。
そんな作業をフヨウは一人でやっている。無論オドを最大限に循環させながら。
弓の端を固定した小道具からは、これまた俺の準備した化繊のロープが伸びている。
それを両手で引っ張り、調整しながら腿の防具にもう片側を引っ掛けてゆっくりとしならせていく。
この道具を使わなければフヨウは弦を張ることができない。どんなに力が強くても、彼女の体重では弓がしなりきらないからだ。
本来なら、数人で手伝うべきだと思うのだが、フヨウはその申し出を断っていた。
細かい調整を行うために。少しでも射撃の精度を上げるために。
砂の渦巻く嵐の中での長射程スナイプ。この神業が俺たちの作戦の肝だった。
もともと、この弓を海龍丸に乗せたのは気まぐれからだ。
俺たちの船には火器がないので敵対する船が攻撃を仕掛けてきた時の対策の一つだった。とはいっても、ほとんどのケースでは足の速さを活かして逃げれば良いので出番はない。こちらからの攻撃にしたって海上にはそれなりのマナがあるので俺が魔術で質量弾をお見舞いするという手もある。
それでも、この弓を持ってきたのは偏にフヨウの射撃の精度の高さ故だった。
俺の魔術弾はそれはもうまっすぐ飛ぶ。
弾丸の形状を工夫すればそこそこ目的の場所へ向かうし、射程も長い。
でもそれは風がなければの話だ。
海上のような常に風の吹く、揺れている場所では、フヨウの弓にはかなわない。
彼女は、風を読んで矢を射てるからだ。
どうやっているのかはわからない。彼女の鋭い感覚が関係しているのだとは思う。でもそれだけでは説明できない技だった。
視、嗅、聴、触、魔、もしかしたら味覚まで、六つの感覚を総動員しているのだろう。
そしてそれらを束ねてイメージする力。それは彼女の弓を魔法の域まで高めていた。フヨウは魔弾の射手なのだ。
だから、船上で相手の船をピンポイントで射つ必要があったときのために、この弓は船の倉庫で眠っていた。結局、大方の予想通り、そんなことは起きなかったが今、この時役に立っている。
しかし、どうにも冒険者的な戦いの場になると、このポリアミドという素材は凄く出番が多いな。
物凄く丈夫な繊維が作れるので、その使用先が多用なためなのだが。耐火性だとか引っ張り強度の向上だとか、関連して研究したことをフル稼働しているのが現状だった。
カイル達に持たせた物も活用してくれているだろうか。
フヨウは弓弦を張った後もしばらくの間調整を続けていた。そしてあるとき、一つ頷くと「準備が出来た」と言った。その一言が、作戦開始の合図だ。
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