第121話 黒波(上)

先制で二人『半』。悪くない戦果だ。

 立ち上がるのが遅れた奥の一人に向かって飛びかかりながら考える。

 フェイントを入れて移動の軸をずらしながらすれ違いにレバーに一発。苦しいと思う。本当にごめん。

 でもこれで部屋の隅を取ることに成功した。

 複数の面からの攻撃を受けずに済む。言い換えると袋のネズミと言えなくもない。

 でも、それは錯覚だ。

 端の男がさっきまで座っていたテーブルがしっかりしたものであることを確認すると、膝を使って柔らかくそのうえに着地し、踏み台にして高く飛び上がる。

 この酒場は、ギタンの他の建物と同じく石造りだ。

 しかし、ホールの天井を高くとるためか、上部は吹き抜けのようになっており、木製の梁が何本か通っていた。

 それを掴んで上に上がりながら、驚愕の目でこちらを見ている集団に改良トウガラシ爆弾をお見舞いする。

 空中で弾けたそれは真上を向いていた彼らに狙ったように直撃した。


 ……やばい、やりすぎたかもしれない……。

 心の中で謝りながら、蹲る彼らに背中に装備していたトリモチ付きアラミド投網を投じる。これでまず動くことは出来まい。

 ちなみに、このトリモチ、御多分に漏れず魔術で作成したのだが、粘着性と凝固しにくさのバランスでかなり苦労した一品だった。

 結局分子量の高い脂肪酸とアルコールをエステル結合させることで解決したのだが、なんというか餅というかゲルという感じのものになっている。

 もう少し専門的に言えばエラストマーだ。


 あと一人。

 喧嘩に及び腰だったのか、冷静に状況を確認しているのか少し離れている男の後ろに降り立ちながら背中に手のひらをあてる。

 南大陸はマナが薄く、戦闘用の魔術というものは使いにくのだが、オドに関するものは別だ。

 体内魔力に干渉して揺さぶりをかければ、慣れていないものは普通に手足を動かせなくなる。

 御多分に漏れず硬直している男の膝をできるだけ優しく横から蹴り、立っていられなくしたところで、店内に動く者はいなくなった。

 あとは、カウンターの下で丸くなっているマスター的な人。

 本当ご迷惑おかけしています……。


 『都合の良い展開』としてはこのあたりでボス的な感じでギースさんが登場してくれるやつなのだが……。

 数秒の沈黙の後、店内に広がるうめき声に耐えられなくなった俺は助けを呼ぶことにする。


「アバスさん! もう良いでしょう! ちょっと申し訳なさ過ぎて耐えられません!」


「……ごめんなさい、思ってたよりすごい喧嘩だったから……。もう、仕事を女の子任せにしてるからもっと口だけかと思ってたわ」


 そういって現れた彼女こそがこの顛末の黒幕だった。

 しかも、何か聞き捨てならない感じのことを言われてしまった。


 とにかく、これで『個人的』な目的の半分は果たされたことになる。

 急いでフヨウ、メイリアと共に倒れてうめいている人達の介抱に向かった。





「本当にすみませんでした」

 全員の症状が落ち着いたタイミングを見計らって頭を下げる。 

 彼らにとっては何がなんだかわからないはずだ。

 いきなり襲撃を受けたあとで、当の襲撃者に頭を下げられているのだから。

 かといって謝罪しないわけにはいかない。今回の件については彼らは完全に被害者なのだ。


「……ちゃんと説明してくれ。アバスさんがそこにいるってことは何か関係しているんだろ」


 最初に仕掛けてきた男が代表して問いかけてきた。


「説明も何も、お客が『黒波』に会いたいっていうから連れてきただけよ」


 ……それでは絶対的に説明不足だ……。


「……そんなこと言ってもわかってるでしょう。それでなくても船長は今忙しいんです。些事に関わってる暇はありません」


「その忙しい理由の方に関係があるっていうから連れてきたの。あんたたちずっと言ってたじゃない。陸の男は腰抜けばかりだって。腕の立つ人、探してたんでしょう?」


 その言葉に、男たちは驚いた目でこちらを見つめて来たのだった。





 ギース氏のことを、アバスさんは知っていた。彼が今何をしているのかも。

 そもそも『黒波』という異名はこの港街ではちょっとは知れたものなのだという。船乗りや港湾関係者には世話になった人間も多く、アバスさんの夫もそんな中の一人だった。

 そんなプチ有名人なギース氏は最近、自身の船を貸しに出し、ある一つの目的のためにカーラの国内で活動しているらしい。

 すなわち、魔物と砂嵐に閉ざされた神殿への道の突破。

 目的は定かではない。

 しかし、彼の周りに家族の影がないことから推定はできる。恐らく、妻と娘に会うため。

 つまり、俺たちの探すフルーゼはそこにいるということになる。


 ここまでの探索は恐ろしいほど順調だ。

 なにせ到着したその場で神殿の現状に関わる情報が入った。

 手がかりとなるギース氏の元までも、ほぼ直通で来ている。

 それは、フルーゼが、国を揺るがすような大きな事件の渦中にあるからでもある。

 ここまでが順調でも、これからがそうだとは限らないということだ。


 しかし、それだってまずギース氏に会ってみなければ話にならない。

 そうアバスさんに説明したのだが、彼女の答えは曖昧な拒否だった。

 曰く、実力のないものに過酷な砂漠は渡れない。未来ある若者の無茶は受け入れられない、と。


 確かに、それが必要なことなら神殿へ向かうことも考えたとは思う。

 しかし、そこまで無茶をするつもりはなかった。あくまで目的は安否確認なのだから、道が一時的に閉ざされた程度なら手紙の一つも託して帰る、あるいは他の経路を探す等の手もあるのだ。俺たちだって身近な街道の封鎖は経験したことがある。


 しかし、アバスさんはそういった説明に首を振った。「迂回路はない」と。

 砂漠の中にある神秘の遺跡、そこに人が至る道はたった一つだけなのだと。

 確かに、最初に聞いたときも『唯一の道』と言っていたかもしれない。


「でも、魔物については近く討伐隊が編成されるんじゃないかって聞いてます。そうすれば砂漠の民なら砂嵐も抜けられるって」


 港の男が話していたことを説明してみる。


「無理だ。船長が都(みやこ)まで行って何度もかけあったが、あいつらは動くつもりはない」


 隣で話を聞いていた男の一人が答えた。


「でも、エンセッタの神殿はこの国の人達にとって大切なものなんでしょう?」


 軍を動かすには及ばない程度なのだろうか。


「大切なのは神殿そのものってことだろう。あのあたりには人はあまり住んでないし取れる農作物もない。人に被害が出ても知れてるって考えなんだ。あそこには巫女様だっているってのに」


「神殿さえ残れば、そこに行けなくても良いと」


「今はな。大量に出た魔物っていうのはサンドワームのことなんだが、あいつらの寿命はそんなに長くない。数年すれば数を減らすだろうって算段らしい」


 確かに、エルオラ街道の封鎖を解く時も五年以上の期間がかかっている。

 数年かけて様子を見るというのはこの世界ではそうおかしなことではないのかもしれない。

 しかし、俺はその期間に街道に残された爪痕を知っている。

 ジュークやテッサはその被害者だ。

 フルーゼが同じ立場にあるとすれば、平静でいることは難しい。


 それに、サンドワームが数を減らすという見立ては正しいのだろうか。

 何を食べて生きているのか調査が必要だが、彼らも子孫を増やす機能はあるだろう。

 下手をすればこれから数を増やす可能性もあるのではないか?

 時間が俺たちだけの味方であるとは限らないのではないかという疑念が頭をよぎる。


「だけど、やつらはわかっちゃいねぇ。あの数のサンドワームは普通じゃない。絶対に増えた理由があるんだ。たとえそれを乗り越えたってあのでかぶつがいたんじゃ神殿に辿り着くのは無理だ」


「噂でも聞いたんですが、本当にそんな化け物がいるんですか」


「……この目で見た。異常にでかいスキュラだ」


 聞けば目の前の男、煮え切らないカーラの軍にしびれを切らしたギース氏とともに有志を集ってエンセッタを目指したらしい。

 比較的天候の安定した日を選び、サンドワームをやり過ごした先で見たのがその化け物だったそうだ。


「まず、スキュラっていうのはどんな魔物なんですか?」


 王国では聞いたことがない。


「このへんならちょっと内陸に行けば珍しくない。やつらは、同じ場所から動かないんだ。そのかわり長い触手を持っていてそれで食い物を集める。近づかなきゃそれ自体はどうってことない。ただ、サンドワームと共生関係(つるんで)る。こいつは大概やつらが沢山いる場所で巣を守ってる。変わりにサンドワームの運んできた餌のおこぼれにあずかってるらしい」


 陸上のイソギンチャク的な生き物だろうか。こんな状況でなければ興味深い生態だった。


「あの化け物は見た目だけならそのスキュラだ。ただし特別でかい。体は信じられないくらい固い殻に覆われていて槍も通らない。おまけに場所が最悪だ。嘆きの峡谷に居座っているせいで、避けて通ることもできない」


 嘆きの峡谷というのはエンセッタへと向かう唯一の道らしい。風が強く、いつも叫び声のような音がしている。崖を上がることに成功したものはいない。

 つまり、この化け物をどうにかしなければ目的地にたどり着くことは不可能だということだ。


 これまでの話を纏めてみると、ここでたむろしている人たちは、ギース氏に協力してエンセッタの神殿への道を復帰させようとしたが、幾重にも発生する問題のせいでとん挫し、燻っていたということになる。

 名目上は有志を募る受付ということになるらしいが、こんなに人員はいらないし、酒を飲んでいるのも問題だった。


「それで、アバスさん。俺たちはなんでそいつにぶちのめされたんです? 実力を示すってだけなら他にも方法があったでしょう。フェリペの野郎の折檻ってだけなら俺たちを巻き込まないでくださいよ」


 どうやらそれはアバスさんのご主人の名前らしい。

 後ろの方でより一層縮こまっていた男が肩を揺らす。


「うちの宿六だけじゃないわ。コバート、あんたこの間エンリに手を上げたね。あんたたちは嫁をぶつために日頃から鍛えてるの?」


 何かを思い出したのか、急激にヒートアップしていくアバスさん。

 一人ひとりお説教タイムが始まる。

 漏れ聞く内容を聞くとそれなりに怒りには理由があるようだ。


「だいたいあんたたち、昼間っから酒を飲んでそれで本気の仕事って言えるの? そうやってだらしないのがうまくいかない理由じゃないかしら?」


 海の男は割と明るいうちから酒を飲む習慣がある。

 しかしそれも早朝に漁から帰って来る生活習慣が関係しているわけで、事務仕事をしている人間がやると外聞が悪い。

 それまで叱られて肩を落としていた男たちは、ついにとどめを刺されて黙り込んでしまった。

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