第118話 挿話2
一閃。
今日この日、この戦いにあって、どのような流れがあり得たとしても、ここしかないとそう実感する僅かな好機。それを逃さず最大の力で聖剣を振るった。
少し時間を置いて落ちる首。縦に割れた瞳孔を持つ禍々しい赤い目は、まだ命を失っていないかのように怪しく輝いている。肌に感じるマナだけが、この怪物と言っていい魔物から命が失われていこうとしている事実を僕に伝えてくる。
目の前に横たわる黒い巨体から注意をそらせない。首が落ち、地響きを立てて全身がゆっくりと崩れ落ちていく。
いや、ゆっくりというのはそう感じるだけで、本当はそれなりの速さなのだ。変わらない重力加速度と比較するもののない巨体のせいで錯覚してる、そのはずだ。
こんなところでも兄さんに習ったことを思い出すのか。そう感じたところで少し緊張を緩めることができた。
呼吸すらも止めたままであることにやっと気づく。
地竜。目の前に横たわる巨体の種族を定めるのならばそういうことになるのだと思う。
竜という魔物について知られていることは少ない。
なぜかはわからないけれど、峻厳な山間(やまあい)であったり、土の痩せた荒野であったり、そういった場所に住んでいることが多いから。
そしてただの人ではまず敵わない強さを持つから。
それでも、目の前の遺骸をみればそれが普通の物ではないであろうことが容易に判別できた。
まず巨体。竜というものは決して小さな生き物ではないが、だからといってここまでということはないのではないか。
ごくまれに、命知らずが持ち帰って来た竜の骨というものが展示されるようなことはある。そこから推測される体長を大きく逸脱しているのは間違いない。
兄さんが作った船、海龍丸と同じほどの大きさだろうか。
そして漆黒と言ってよい色もまた不気味だった。
鱗に光沢はなく、まるで全ての光を吸い取ってしまう深さの分からない穴の様な黒。
この薄暗い山影の森だと、その巨体にも関わらず見逃してしまいそうな不思議な存在感のなさだった。
そして最も恐ろしいのは、この竜が自身の特長をしっかりと把握し、目的を果たすために活用していた点だ。
見上げるような巨体。そして見た目通りに頑強で鎧のような鱗。
ただ考えなく暴れまわるだけで小国が滅ぶのではないかという恐ろしい存在。その強大な力は、僕たちがこの地で接敵するまで、人に向かってふるわれることはなかった。
だけど、それはこの竜が人畜無害だったというわけではない。
「カイル様、こちらに向かう魔物はいません。黒竜を落としたことをなんらかの方法で察知したのかもしれません」
この竜は、自身の力ではなく、他者の力を破壊のために使役していた。
千を大きく超えるであろう魔物を従え、自分の目的のために使っていたのだ。
そして自身は人里からそう遠くないこんな場所で、目立つはずの巨体をうまく隠しおおせていた。
近くにはまだ魔物に襲われていない村がある。この襲撃事件を調査した人たちも、まさかこんなところにこんな形で首謀者が隠れているなんて夢にも思わなかったはずだ。
「……うん……、そうなると、ユークスが心配だ。援護に向かおう。先に行ってくれる? すぐに追いつくから」
そうは言ったものの、ちょっと今は動けそうになかった。
類まれな力の反動。人知の及ばない巨体と金剛石のような固さの鱗。
そこから首を落とすために僕は少し無理をしていた。
まだちゃんと使いこなせていない聖剣の力を無理に解放したのだ。
女神の加護と、戦いに赴く前にマリオンが施してくれた加護。
二つの力に守られていなければ、今こうして立っていることすらできなかっただろう。
「いいえ、そんな様子でお一人にしておくことはできません」
ルイズは僕のやせ我慢を見逃してくれるつもりはないらしい。
「じゃあ、悪いけど肩を貸してもらえる?」
問答をするのも時間の無駄だ。
僕らの作戦は成功したけど、目的は村の人を守ること。
こっちがうまくいっていなければ意味がない。
都市国家群を行き来して集落襲撃事件を調査した僕たちは、ある一つの仮説を立てた。
それは何者かが魔物を高度に戦術的な方法で運用し、効率よく人々に混乱を与えようとしている、という話だ。
普段なら一蹴されるようなバカげた話。
でも、魔王が関わっているとなれば無視はできない。
この集団の恐ろしいところは、魔物の力だけでことを成そうとしていない点だ。
わざと異なる統治者のいる地域の境目を狙って被害を広げ、疑心暗鬼から相互の戦いを誘発させようとしていた節がある。
それは、魔物の長が、国家や都市の間の力関係をそれなりに把握していることを意味する。
そもそも、この都市国家群を選んでいること自体が、そういった目的のための戦略である可能性があった。
これはとても恐ろしいことだ。
一体一体が人より精強な生き物が目的を持って集団として動く。
しかも、この集団の母体となる魔物という存在は全体で見れば人よりもずっと多いのだ。手をこまねいていては、お互いを信用できない人間たちには勝ち目がない。
僕たちはそういった仮説を立てたが、残念ながらこの話は各国の騎士や軍を動かすには説得力が足らなかった。
緊張した局面に他地域の武力を介入させるというのはそれだけ難しいことだから。
でも、なんとかしなければいけない。
今この時も被害に遭おうとしている人達がいる。
そんな焦りの中で力を貸してくれたのはディマスとレッダ、二人の冒険者だった。
ディマスはかつては名の知れた傭兵団の副団長だったらしい。
十年程前の王国東部の平定と当時の団長の死から傭兵団を解散させ、冒険者になった。
彼の仲間の一部は、彼同様に近年魔物の活動が活発化している都市国家群で活動している。
そこに声をかけて組織的な防衛の枠組みを瞬く間に作り上げていった。
一方でレッダはディマスの手紙を各所に届けながら、僕らでは手の届かない範囲で調査をすすめ、精度の高い魔物の動態予測を行ってくれた。
ディマスの仲間はたいしたもので、足りない戦力を融通させながらうまく集落を守ってくれていた。
しかし、もしも現在の想定以上の魔物の動きがあれば、いつ組織が瓦解してもおかしくない。不安定な状態だったのも確かだ。
そんな中で、調査結果から浮かび上がってきたこと。
この襲撃の指揮をしている存在とその居場所の推測。
レッダは危険地域を命がけで調査してくれた。
そこに、僕ら――ルイズ、ユークスと僕――は攻勢に出た。
少数精鋭と言えば聞こえは良いかもしれない。
しかし定石で言えばあまり良い手とは言えない方法。
それでも、この攻撃が最も有効なのは、自分が攻め手だと相手が思っているこのときだ。
今ある情報を無駄にできない。
それに時間をかければ新たな被害が出る。
そういった諸々の話を勘案した結果が、僕らが放置して帰ることになった後ろの怪物の死骸だった。
マナの反応から考えると、巨大な魔法石を内包していると思う。
だけど、この巨体を解体したり埋めたりする時間はない。
みんなの安否の方が重要だった。
「カイル! ルイズ!」
ユークスとはすぐに落ち合うことができた。
彼は僕ら二人を怪物の元に送り出すために殿を務めてくれていたのだ。
「ユークス、良かった……。こっちは目的達成だよ……」
「ああ、突然、魔物たちが消極的になったから上手くやったんだろうって、そう思った」
そうして三人で肩を貸し合いながらディマス達が待つはずの集落を目指す。
こうしてみると三人ともぼろぼろだ。
ユークスの鎧は目立って傷こそついていないけど返り血と泥で元の色もわからないような状態。
それに左足を引きずっている。
ルイズは右手に力が入っていない。
もしかしたら怪物の攻撃で骨にひびくらい入っているかもしれない。
こんなに怪我をさせたんじゃ、兄さんに叱られちゃうなぁ……。
そんな僕もあまり良い状態ではない。
小さな怪我はたくさんあるけれど、もっと根本的な命の力が足りていない。
最後の一撃を放つための攻撃は、僕の体からごっそりとそれを持って行ってしまった。
二、三日は安静にする必要があるだろう。
でも、三人とも生きている。生きて帰って来た。
敵の強大さ、狡猾さ、恐ろしさを考えればこれでも幸運だったのではないかと思う。
後は僕らが命を賭けた理由。集落のみんなが無事なら……。
一日で辿り着いた道のりを二日かけてゆっくりと戻る。
野営というには雑すぎる雑魚寝でも、多少は体力を取り戻すことができた。
最初に僕らを見つけたのはレッダだった。彼自身は防衛線に参加していたはずだから、魔物の様子が変化したことを察してすぐに捜索に来てくれたのだろう。
疲労が無いはずがない。それでも僕らを慮ってくれる。
彼に会えたということは、みんな無事な公算が高い。
それだけでも涙が出るほど嬉しかった。
疲れ果て、けれど周囲を警戒することをやめることもできない。
ここは普段から魔物の跋扈する場所だから。
そんな中をとぼとぼと帰るべき場所を目指す。
そこは森を拓いて作られた集落。
燃料や建築資材となる木材を切り出すための村らしい。
そこにはよく見知った一つの気配。僕が守りたかったものの半分。
それが、飛び出してきた。
「カイル! 兄さん!」
マリオンと、名前を呼ぼうとしたけれど、喉がかすれてうまく声が出なかった。
彼女はそんなことはお構いなしに距離を詰め、僕の胸元に縋(すが)りつく。
「……ただいま」
今度はちゃんと声が出た。伝えたかった言葉を伝える。とても大切なこと。
それをやりとげると、急激に疲労が体にのしかかってくる。
少し遅れて聞こえてきた歓声がどこか遠くのもののように感じる。
マリオン、そろそろ離れないと泥がついちゃうよ。
地竜のこと、早くみんなに伝えないと、とか、結局偉い人に言われた調査を逸脱してしまったな、とかそんなことが頭の中をぐるぐる回る。
だけどどれ一つ具体的な行動にはつながらない。
ただ一番大切なことだけはやり遂げた。それだけを実感しながらむりやりつないでいた意識の糸をゆっくりと手放した。
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