第117話 港と門(下)

 説明された通りに向かった場所には石造りの大きな建物がそびえたっていた。

 建築様式が異なるので単純に比較はできないが、王都で言うなら大商会の本店規模だ。

 入口は解放されたままになっており、中はそれなりの喧噪につつまれている。

 看板にはいくつかの言語でおそらく『在カーラ外国人相談事務所』という意味の言葉が書き込まれているのだろう。

 なぜわかるのかというと、俺たちの見慣れた大陸語もその中にあるからだ。


 雰囲気としてはやはり冒険者ギルドが近いだろうか。

 部外者でも入りやすい開けた雰囲気があった。


 内部ではありがたいことに言語ごとに受付が分かれており、看板ですぐにそれがわかるようになっている。

 文字が読める場所が向かうべき場所。シンプルで良い。

 大陸の言葉はこの事務所ではメジャーな様で受付の数も多い。

 空いている場所を選んで並ぶことにする。


「本日、ウィルモア王国より入港した者だ。通訳ができる人間を探しているのだが」


 今回、交渉を買って出たのはフヨウだった。

 橘花香やロビンス商会で人を見る目を養い、感情を察知する能力に長けた彼女にはうってつけの仕事だ。


「はいはい、そちらさんは文字は書けるかね? それと入港許可証か案内状があったらそれも見せてくれ」


「ああ、大丈夫。入港許可証はこっちだ」


「……はい、確かに。ほう、男爵様が自前の船ねぇ。随分と景気がよろしいようだ」


 わざわざこちらをちらっと見てから言った。

 これは……、挑発されている、か? ちなみにこの船は俺の船でクルーズの物ではないのだが、船籍は男爵家になっている。

 外洋航行能力のある船はかなりの資産になるので、男爵家が持っていれば目立つのは事実だ。


「旦那様はお顔が広いからな。自然と人が集まってくる。景気が良さそうだと感じるならそのおかげだろう」


 俺に伝わるようなことはフヨウにもわかる。

 そして彼女にとってそういう輩の相手くらいはお手の物だ。

 殴りかかってきたりもしないので酒場の酔っ払いと比べても楽な相手だろう。


「(旦那様ですって)」


 後ろに控えたメイリアが茶々を入れてくる。ここで言う旦那様はクルーズのことではなく、俺のことだ。

 建前だけだが彼女は俺の御付きということになっているのだ。

 正直、フヨウにこういう風に言われるのはちょっとムズムズしないでもない。


「(先輩ドキっとしました?)」


「…………」


 図星をつかれた時に二番目に正しい選択肢は沈黙。そんな様子をよそに話は進む。


「……良いご領主様のようだね。通訳というと、経験と技能によるが値段は日割りでこんなところだ。他の都市へ連れて行きたければ個別に交渉してもらうことになるが、うまくいかないようならまたここへ相談しておくれ」


 北の大陸で使われるものとよく似たそろばんで提示されたのは、そこそこ良い値段だった。しかし、吹っ掛けられているというわけでもないのだと思う。

 品質保証の信用代といったところだろうか。当然交渉慣れしたフヨウはそんな所でごねたりしない。


「もっと出してもいい。商売に関わるから口の堅い者はいないか?」


 この答えは想定外だったらしい。それまで眠たそうだった男の目を少し開く。


「うちで紹介する人間はみんな秘密は守るよ。それとも、あれかい? 通訳という名目で綺麗どころをご所望かい? 別嬪さんを二人もお連れのようだが、それでも足りないなら二本裏の通りにそういう店が並んでいるからそっちへ行っておくれ。なんなら紹介状を書いてもいい」


 ああ、これは俺を試しているんだな、たぶん。

 これまで子どもの身空で色々分不相応なことをやってきたので時々こんなことはあった。

 今回は貴族のぼんぼんがおいたをしないようにって感じだろうか。

 ちなみに綺麗どころと言われたメイリアはなんか普通に嬉しそうに照れている。こいつはこいつで余裕あるよな。


「旦那様は私たちで満足してくれているよ。本当に通訳を探している。あなたたちを疑うようなことを言ったのは悪かったが、出来たら人探しもしたくてね。ああいう言い方になった」


 淡々と話をすすめるフヨウ。しかし、その受け答えはどうなんだ。

 こっちの信用が全然回復しないのだが。


「……いや、謝るのはこちらの方だ。試すようなことをして悪かった。ここを訪れる者にはね、ごくまれにだがあんた方みたいな外国の偉い人がいる。そういう者はよくこっちの人間ともめごとを起こすんだ。『自分の国で当たり前のことをやっただけだ』と言って、気の荒いのを怒らせる。この国ではそういう、よその家格みたいなものは軽視されるからね。むしろそんなことで手を引いたら面子に関わるってすじ者も多い。お互い、それが後でどういうことになるかわかってないんだ。だから先にここで試すことにしているのさ」


「そこの後ろの三人と向こうの五人は何かあった時の用心棒といったところか。折衷役も大変だな」


 こっちを注視していた船乗り然とした男たちがその言葉に驚いた顔をする。


「……そこまでわかっていたのかい。護衛らしい護衛もいないのが不思議だったんだ。どうやら、旅慣れた方たちのようだ。たった三人でここに来た理由もわかるってもんだね。こっちの負けだ。信用できる通訳を探しておく。値段も割引きしておこう。……ところで、人探しっていうのは罪人かい?」


 罪人……。断じて違うが。

 そうか、悪事を犯してよその国に逃げてきた者を追ってここに来ることもありえるのか。


「いいや、違う。友人からの手紙が届かなくなっていてな。こっちに来たから様子を知りたいんだ」


「そうかい、それならいい。お友達が息災だと良いね」


「罪人だと何か困ることがあるんですか?」


 話が終わったと見たのかメイリアが聞く。


「ん? ああ、この国にはこの国の法がある。よそで悪さをしたからといってこの国でも罪人とは限らないのさ。それに、その罪が本物であることも確認のしようがない。そういう注意だね」


 なかなか気さくに答えてくれた。どうやらこっちが本当の顔らしい。


「でも、本当に悪いことをしていたらどうするんです?」


「もちろん罪人探しを邪魔したりはしない。でもこっちの衛兵と協力は難しいってことだな。それに、見つけたからって、手荒なことをすれば逆に法に触れることもある。だから先に注意しておく。あんた方の様に案内人や通訳を雇えば、その者たちも巻き込まれるからね。少なくともそっちは守ってやらないと」


 なかなか良い職場のようだ。ただし、少なくとも俺たちには関係がない。


「もう十年以上も前になるが、ちょうどあんたたちの様に北大陸から来た人達がちょっと傍若を働いたことがある。罪を犯した騎士を探しているっていってな。教会関係者を名乗っていた。それでこっちの人員を人探しに使おうとするし、それに加えて獣人の人達に危害まで加えたのさ。あれで神の僕(しもべ)だっていうんだからね、まったく」


 思い出すことがあったのか、昔話が始まった。しかし、内容は聞き逃せないものだった。


「獣人? この街にいるのか?」


 その言葉は、当然彼女にとって特別な意味を持つ。


「……あんたも教会の人かい?」


 温和だった男の顔が今一度緊張したものへと変わる。

 それを感じ取ったフヨウは、頭に巻いていたターバンを取り払った。

 零れ落ちる長い髪と、ささやかに飛び上がり主張する耳。紛れもなく彼女の獣人としてのアイデンティティだ。


「ただ、仲間がいるなら知りたいと思っただけだ。女神のことは好きでも嫌いでもない」


「そういうことだったか。重ね重ね疑って悪かった。当時彼らは北でもここでも苦労していた。これ以上は必要ないと思ったんだが、お仲間っていうなら話は別だ。でもね、残念ながらあんまり彼らはこの街には残ってないよ。北の人間が訪れるこのあたりより、内陸の方へ移って行ったはずだ。もし、気になるなら簡単な消息は探ってもいいが……、ちょっと時間がかかるね」


「……そうか、生きてここへたどり着いた者たちがいるのか」


「フヨウ」


 彼女の係累がここにいるのならば探すべきだと、そう伝えようと思った。


「いや、そっちの情報は必要ない。私たちが探しているのは獣人じゃないんだ」


「いいのかい?」


「ああ、助かった仲間がいることを知ることができたのなら十分だ」


「……そうかい。でもどうせ、獣人のことといったらうちの仕事だ。何か変わった話があったら教えてあげるからまたおいで」


「感謝する」


 通訳への連絡はしばらくかかるということだったので、日時を指定して事務所を再訪問することになった。いろいろと話は聞けたが、特にお代は必要ないという。

 通訳への支払いから天引きされる仲介料のみが必要なのだそうだ。

 こちらの話が中断されると突然時間の余裕ができてしまった。市場調査や簡単な相場くらいは調べるが、それでも暇が残る。そうなるとこのメンバーではだいたい食事の話になるのだった。





 少し高めの宿をとる。

 ここまで滞在した集落には宿らしきものはなかったので、野営を除けばカーラ初宿泊ということになるだろうか。

 為替を考えると宿代は王都とそう変わらない印象だった。

 ぱっと見だと物資で積み込んだ化粧品や酒類がなかなか良い値段でさばけそうだったので収入の当てはある。ここで奮発するのはありだろう。

 頑張ってくれた二人へご褒美も必要だろうし。


 宿には併設されたレストランがあり、それがなかなか良さそうだったのがここに決めた理由だ。

 おそらく、この大陸では珍しいであろう噴水が設置されており、気持ち的にすごく涼やかな感じがする。

 どうやら湧き出た水は生活用水としてキッチンなんかで使ってるみたいなんだが、動力はどこから来ているのだろうか。

 気にはなったものの言葉が通じずに質問することができなかったのが悔やまれる。給仕の人に指をさして『凄い』と伝えるのが限界だった。

 どうやら気持ちだけは通じたようで感謝を意味する言葉を受け取ることができたのだった。

 このレストラン、ありがたいことにお勧めメニュー、あるいはランチメニューらしきものが価格と一緒に看板に書き出されていた。

 詳細はまったく読めないのだが、それを三人分挑戦してみる。

 恐らく無難な選択肢だと思うが。三人とも好き嫌いはないので多分大丈夫だろう。


 果たして、俺たちはその無難な賭けに、無難に勝つことに成功した。

 運ばれてきた皿は、香り高いスパイスが食欲をそそる明らかに美味しそうな一品だったのだ。その匂いでやっと、これまでの旅が一息ついたのだという実感が湧いてくる。


「これ、このトロっとしたやつってこの間買った果実じゃないですか?」


 ちょっと独特の形をした木の匙でメイリアが料理の検分を始めた。

 どうでもいいがちょっとだけお行儀が悪い。

 俺たちの旅についてきたせいで、マナーがおろそかになるようなら御父上の不興を買ってしまうかもしれない。


「……うん、たぶんそうだ。香辛料と合わせると香りを残して辛味を抑えることができるんだな。それに、これは何か乳のようなものを使っていると思うのだが、ほのかに別の果実の様な甘みがある――」


 俺がマナー改善計画を頭で組み立てているのをよそに、フヨウも協力して本格的なレシピ調査に入ってしまった。彼女は調理のことには殊更真剣だ。


「もしかしたら木の実の油かも。ほら、ここに来るまでにデカい堅そうな実がついた木、沢山あったろう」


 ぶっちゃけ椰子の木だと思う。いわゆるココナッツミルクだ。

 この料理は大皿に野菜、トリっぽい肉、果実等が炒めたり煮たりされた感じでのっており、発言の通りちょっとミルクっぽいスープがある。

 温度は熱々ということもないのだが、気温の高いこのあたりではそちらの方が食べやすいように思われた。


「そこら中に生ってる上に、嵩張るから市で買わなかったあれか。よくわかったな、今度、試しに中を割ってみよう」


 前世の知識由来なので「まあね」と適当に言葉を濁しておく。間違ってる可能性もあるし。

 その後はみんなもくもくと食事だ。疲れた体にスパイスの刺激と素材の甘みは染みわたるように感じられる。

 みんなの匙の動きが落ち着いてきたころにメイリアが口を開く。


「フヨウさん、本当に良いんですか」


 おそらく、さっき事務所で聞いた獣人達についてだろう。


「……私の仲間の話、か?」


 すぐにフヨウも察しがついたようだ。


「だってせっかくの好機じゃないですか。どうせ人探しをしてるんですし、その途中でお仲間を探したっていいはずです。そうでしょう、先輩!」


「ああ、別に会いに行かなくたっていい。ここで消息を探るくらいはいいんじゃないか」


「ありがとう、私のことを考えてくれて。でもいいんだ」


「そんな……」


「聞いてくれ。あの里で私が一緒に過ごした家族はおじいで最後だった。みんな死んだ。それが事実だ」


 おじいとは、最初にフヨウが教えてくれた旅を共にした老人のことだろう。


「……」


 メイリアがフヨウについてどれだけ聞いていたかは知らない。だが、明確に家族の死を伝えられたのはこれが初めてだったのではないかと思う。俺だってそうだ。


「だからここをどれだけ探しても、父や母には会えない、でも――」


 そこで俺の方を向く。


「アイン。お前は私の家族なんだろう。クルーズ様はそういってくれたぞ」


 そうだ、そうなんだ。俺だけじゃない。カイルもルイズも、あの丘の屋敷の人間はみんなフヨウの家族だ。


「当たり前だろう。フヨウは俺の姉さんで、ロムスはいつだって俺たちの帰る場所だ」


 帰るところがないとゆっくり旅もできない。


「なら大丈夫だ。おそらく、南までやってきた人たちというのは、私の知らない別の里の人間だと思う。私の時よりもっと早く、迫害から逃れようとした人たちだろう。それなりの準備がないと大陸は渡れないからな」


 密航に失敗したフヨウが言うと含蓄がある話だ。


「……なんかずるいですよねー。私が質問したはずなのに、お二人だけの世界をつくっちゃって」


「うらやましいならメイリアも家族になればいい」


 ……爆弾発言はやめてくれ。


「家族というものは生まれながらのものもあれば、後からなるものもある。幸い、ロビンス領の懐は深い。その気があれば無理ということもなさそうだぞ」


 そういう綱渡りな発言は避けて欲しいのだが。

 クルーズとエリゼが心労で倒れてしまう。クロエに至っては命が危ない。


「……あー、そうですね。そっか、家族か。それも面白そうですけど、今いる家族をちゃんとする方が先かもしれません」


 落ち着かない話題だったが、メイリアの方は別の部分で思うところがあったようだ。

 こいつはこいつで複雑な家族関係だからな。でもまぁ、ああいう手紙を持たせるお父さんがいるのなら大丈夫だろう。

 メイリアの相手をしながらこっちの方へちらりと向けられたフヨウの視線は、俺の内心の落ち着かなさを見透かすように笑っていた。

 いや正確に言おう、内心を見透かしたうえで笑っていた。その鋭さがずるい……。

 こういう意地悪も距離感の近さ故、なのか?

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