第112話 陸酔いすらも待ち遠しい

「先輩、先輩! あれ、あれ、あそこの緑、陸じゃないですか!? ついに南大陸到着しちゃいましたか!?」


 朝食の準備を無言でしていると、とんと聞くことのなかった元気な声が船室の外から飛び込んできた。

 内容が内容なので机の上に食材を置いたまま、外に出る。

 揺れて落ちたりしませんように。


「お! 本当だ! 南大陸かどうかはともかく、あれ陸地だろ! 久しぶりに揺れない地面に降りられるぞ」


「出航十二日目か。結局、想定より早く着いたじゃないか」


 俺の後ろからついて来たフヨウが言う。


「まだ、見えただけだからな。でかい島かも」


「恐らく大陸だ。風の匂いがかなり変わった。何にせよ準備が必要だな。上陸、するんだろう?」


 是非もない。

 島だろうと大陸だろうと、もう陸(おか)に降りられるということの魅力に耐えられそうにない。


 ここまで船旅は順調だった。

 それは間違いない。

 嵐を避け、自分たちの位置を把握し、風に悩まされないこの船旅は、世の船乗りに羨まれるような安定したものだった。


 しかし、人の心とは贅沢なものなのだ。

 風景の変わらない中で何日も過ごせば真っすぐ進んでいるのかどうかも不安になってくる。

 お陰で想定していたより頻繁に星測を行うことになってしまった。

 加えて外洋特有の荒波であったり、赤道に近づくにつれて順調に上がる気温だったりにはじわじわと苦しめられた。


 とはいえ、俺たちには魔術という心強い味方がいる。

 より安定したオド循環による揺れ対策や、氷をつかった空調装置(人力)を次々と開発することで一つ一つそれを解決していった。


 そういった日々の不満解決にすら飽きてきたころ、なんとか見つけることができた陸地というのは、言葉にできない感慨がある。

 正直、どこか景観の良い所を見つけて喜望峰とか名付けたい気持ちでいっぱいだ。


「よし、このまま陸に向かって微速前進。朝飯を食べたら探検するぞ!」


 せっかく準備してたしな。


「あいさー」


「楽しみだな」


 恐らく最も暇に耐えられないメイリア、船旅にトラウマがあるわりには泰然自若としてるフヨウ。

 それぞれの反応を確認してから調理へと戻ることにした。





「……これ、結構まずくありません?」


「ああ、ちょっと想定外だったな」


 意気揚々と錨を降ろして小舟でたどり着いた、丁度いい感じの入江の砂浜。

 南国らしいといえば南国らしい、通気性の良い服装で並び立つ。

 そこで俺たちは、一転、ある不安に襲われていた。


「地脈、拾えないんですが」


「それに王国と比べるとずいぶんと薄いマナだな」


 言葉通りだ。

 この地域の特色か知らないが、全体的にマナが薄い。地脈が遠い。

 せっかくの陸地だというのに、海上とほぼ変わらないレベルでしか魔術が行使できない。

 むしろ、海を離れるとマナが薄い分もっと魔力が少なくなる可能性がある……。


 これは、基本的に魔術師の集団であるところの俺たちにとっては死活問題だ。

 すべての行動の根源となるエネルギーが少ないわけで。


「これから探すフルーゼさんって魔術師なんですよね? 何か言ってなかったんですか?」


 何かと言っても、船上で暇な間、南大陸に関する情報はほとんど共有しきったはずだ。

 新しいことなんてなにも……。


「あ、そういえば最初の手紙で、ちょっと魔術のことが書いてあった気がする」


「何が書いてあったんだ?」


 随分昔の話だからな。

 持ち込んだ水晶の中に写しを記録はしていると思うが。


「たしか……、『カーラに着いてすぐは魔術の勝手が違って少し驚きました』って書いてあった」


「まさかこのことじゃないですか? すごく大切なことだと思うんですけどなんで見過ごしてるんですか!」


「いや、そのあとに、『でも、すぐに慣れました。アイン達に教えてもらった技術はやっぱりここでも便利です』って続いてたから。ちょっとマナの感じが違うくらいの話かなって」


 実際に内容を確認してみる。

 小さな結晶から砂浜に映し出された文字にはおおむね同じことが書き記されていた。


「これだけの文章だと判断できないな。あるいは、別のことを言っていて、マナの薄さや地脈のことはこのあたりだけの特色かもしれない。まずはいろいろ調べてみた方がいいんじゃないか?」


 フヨウ、なんていうか肝が据わってるよな。


「とはいっても不安じゃないんですか、フヨウさん!」


「勝手は違うのかもしれないな。だが、鍛えたものがなくなったわけじゃないだろう。循環は普通にできるし、生き物の反応も別にわからないということはないぞ」


 近くにある背の低い立ち木の葉のあたりを指さす。

 そうすると、ちょうどタイミングが良かったのか、これまで見たことのないような派手な色をした鳥が飛び立った。


「……確かに。生き物の反応は強くないけど、マナが薄い分それも感じ取れなくはないな……。練習はしておいた方がいいかもしれないけど」


 フヨウの言う通りだ。

 積み上げてきたものがなくなったわけではない。

 幸いオドは以前と変わりなく体内を循環している。

 無理をして使うようなことをしなければなくなったりもしないだろう。

 師匠に教えられた戦い方だってもちろん有用なはずだ。


 俺たちほど魔術に依存していないフヨウには、案外いつもと変わりのない場所なのかもしれない。

 その落ち着いた様子でもうひとつ、大切なことを思い出した。


「……杖、使ってみる」


 メイリアは、「その手があったか」という顔でこちらを見た。


 昨年の事件以降、聖女の本物の奇跡を目の当たりにし、勇者に対する女神の加護というものをカイルを通して知ることになった俺は、魔術、そして魔力というものの本質を知った。

 もったいぶる必要もない。

 魔力とは命そのもの、そして魔術とは命の力を行使する術(すべ)だ。

 必然、混然一体となった魔力というものは以前は個々人、あるいは魔物等の生き物としてそれぞれの生を全うしており、欲、あるいは願いを持っていた。

 それが死とともに風化、混濁していく中でも魔力の中に残っている。

 一般的な魔術師は自身のオドでこれらの地脈やマナに働きかけて魔術を行使する。

 以前の俺もそうだったように、『魔力側の都合』などというものを考えたりはしない。


 しかし、丁寧にそれをしてみれば、行使できる魔術は時として想定を超えて拡大する。

 祈り、魔術を精査し、目的をくみ取る。

 すべての命が混ざったマナや地脈には大概の願いが詰まっている。

 その中から自分と呼応するものに語りかけるのだ。

 例えば『生き残りたい、そのために水が欲しい』と。

 そうすればより、まっすぐに、魔力はただのエネルギーとしてではなく意志持つものとして答えてくれる。

 『生きたい』とは誰もが持つ願いだから。


 シンプルに言ってしまえば、聖女や女神の加護を受けたカイルは、それがとてつもなく上手い。

 日々、生者の、そして死者のために祈り、語る術を持つ彼らの強さの根源がそれなのだろう。


 そしてこの発見は俺たちにもう一つの知見を促した。

 随分前に購入し、ただの実験材料になっていた遺物の杖、その使い方だ。

 当初、高度な技術が使われているのに用途のわからなかった魔力の層。

 あれは俺の感覚的に言えばアンテナに近いものだった。


 ただ体の中にあるオドを媒介するのではなく、外部に展開することでマナや地脈に強く意志を伝える。

 結果、杖のないときとは比べ物にならない広範囲の魔力を行使者の魔術のために使える。

 そういったことがロムス滞在中にわかっていた。


 正直、使用できるエネルギーが大きすぎるのでよほど大規模な実験をするのでなければ、やはり利用方法もなく、お蔵入りしていた機材だった。

 今回は船旅ということで地脈を拾えない環境で有用なこともあるだろうと持ってきていたのだが、こんなところで日の目を見ることになるとは……。


 早速船に戻って杖を持ってくる。

 小舟での移動になるのでこれも結構面倒だった。


 杖を掲げ、目をつむり魔力を展開する。

 辺りのマナを感じ取り、想いを伝える範囲を決めていく。

 んー、地脈はやっぱり無理か。

 それらしいものを感じることすらできない。


 マナもかなり薄いがこちらは大丈夫そうだ。

 あえて、それなりにマナのある海を避けて陸地側へ意識を向ける。

 俺たちは今、安心できる住処が欲しい、雨、日差しを避け、外敵が侵入できない。

 どんな動物でも共通するだろう要望を提示し、共感できる『相手』に伝えていく。

 じき、薄かったマナは濃度を増して純粋な力として大地に干渉を始めた。

 後は何度も使った魔術の要領だ。


 速やかに成形、固められた地面はその素材のほとんどが砂であるにも関わらず、脆さの感じられないしっかりした屋根と壁を備えた小屋となった。

 ついでに風通しも良い。


「……できたな」


「ああ、大丈夫そうだ」


 小屋の壁をぱしぱし叩きながら言う。

 うん、ちゃんとできてる。


「ちょっと時間がかかりました?」


「まあ、それはな。やっぱり心の準備というか説得の論理が必要だし。それと地脈は拾えなかった」


「大気の魔力だけでこれですか? 逆に凄くないですか?」


「そう思うよ。とにかく、魔力がまったく使えないってことはなさそうだ。ただ、今までとは勝手が違う部分も出てくるからな。安全重視でいこう。循環も怠るなよ」


 オド循環は船上で必須の技術となっていたのでみんな無意識のレベルでできるようになっていた。

 これは身体能力の強化も意味する。

 陸上でも継続するべきだろう。


「上陸は取りやめて、人の気配が確認できるまで海龍丸で移動するという手もあるが」


 確かに安全第一ならそうなる。しかし、


「それはそれ、これはこれだ。せっかく冒険の機会が得られたのにまた船に戻りたくない!」


 完全に子どもの意見だった。


「まあ……、そうだな」


 それでもこの場に、この子どもの駄々に反対する人間はいない。

 それほどまでに海だけを眺める日々というのは心を蝕んでいた。

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