第110話 人事を尽くして

 コヴェント諸島までの船旅。

 これは海上にぽつんぽつんと連なる、島を渡る旅だ。

 それぞれの距離自体はそこまで遠くないのだが、やはり外洋に出る航海というのは緊張する。

 他の船を付かず離れず追いかけたり、フヨウの助言に従って雨雲をやり過ごしたりしてゆっくり進む。

 フヨウの気象予報能力の効果は絶大で、嵐と言わず、風の変化やにわか雨をかなりの確度で事前に知らせてくれた。

 それも方向まで。

 一方で海龍丸の巡航は驚くほどスムーズで、これだけ正確に天気がわかり、この速さで移動できるのなら外洋航海も可能なのではないかというのが現在の見立てだ。

 ……あれ? これ、フヨウが船を動かせるようになったら、俺たち必要ないのでは?


 ……思わずして将来の大探検家候補を生んでしまったなと思いながら、やってきたのはコヴェント諸島の南端、『門の島』と呼ばれる場所だ。

 ここ以降は人の住まない小島しかないため、南大陸へ向かう上で最後の休息地ということになる。

 つまり、俺たちが俺たちの船で大陸間航行を行うかどうか決める分岐路だ。


「やっぱり、想定していたよりもサトウキビ畑がずっと広いな。外縁をみても、近年拡大したものだと思う」


「ってことは最近南航路からの砂糖が値下がりしてるのは、このあたりの島で作ってるからってことか?」


「ほぼ間違いないだろう。島の人口が極端に増えたという話はないみたいだったから、何か効率の良い農法の開発に成功したのかもしれないな」


「そういうことって、なかなか船乗りの噂を集めてもわからないからなぁ。商人たちは自分の利益のために知ってても隠すだろうし。自分の目で見て、初めてわかることってのはあるもんだ」


「代わりに、カーラの方からの輸入量に影響があるかもしれませんね……。香辛料とあわせて、砂糖は二大戦略輸出品なはずですから」


「今くらいの規模なら、値下がりでちょっとわりを食うくらいで済むかもしれないが、これ以上安くなるようだと向こうは不審に思うかもしれないな」


「この島の自助努力でよその国と仲たがいをするというのは腑に落ちない話だがな」


「かといって喧嘩の種をそのままにしておきたくないですね」


「王国の方で新しいお菓子を流行らせるっていうのはどうだ。値下がりは止まらないにしても、新しい需要が生まれれば暴落はしないんじゃないか」


 これでも甘味は昔と比べてかなり広まってはいるらしい。

 それでも、ちょっと街中で買っても肉とかと比べてかなり高いからな。

 そのあたりを調整できれば誰もが得をできるはずだ。


「良いアイデアです。どんどん流行らせましょう。南大陸なら甘味の本場。まだ見ぬお菓子もたくさんあるはずですし、これは綿密な市場調査が必要ですね」


 下らない話をしながら、サトウキビ畑を抜けてなだらかな丘への道を進む。

 そこは海風のせいか高い木のない見晴らしのよい草原が広がっていた。


 丘の先は海、そしてその先には俺たちの向かう南大陸があるはずだ。

 なぜ、こんなところを俺たちが歩いているか。

 それはお宮参りのためだった。


 厳密に言えば神道のないこの世界でお宮参りというのもおかしな話なのだが、内容としてはおおむねそのままだ。

 この丘には灯台がある。

 そこまで古い物ではないらしい。築百年経っていない。

 それでもその間に、多くの船乗りを助けてきた海の道しるべなのだ。

 大陸に属する国の中では最も南に位置する灯台と言われていることもあり、大陸間を渡る船乗りはよくここまでお祈りのためにやってくる。

 イセリア教を始めとした宗教とは関係のない、実利のための不思議なゲン担ぎ。

 それがこのお宮参りならぬ灯台参りなのだ。


「なんだか煙たくないですか?」


「ああ、それなら向こうの方だな。おおかた狼煙を焚いて船に知らせているんだろう」


 鼻の良いフヨウは随分前から気が付いていたのだろう。

 灯台の影になっている場所の方を指さして説明した。

 日中は火を灯してもなかなか見えないから代わりに狼煙を使うのだ。


 近づけばなかなか大きく迫力のある灯台だったが、残念ながら上の方まで登るのはだめらしい。

 今の時間は別の場所で仕事をしているのか、灯台守もここにはいないようだったが、ルールはちゃんと守ることにする。


 かわりに灯台の内側、一階は入場が可能で中には何やら安っぽい祭壇のようなものが用意してあった。

 見てみれば、その上には賽銭箱のようなもの。

 この箱、石でできた祭壇の下まで中でつながっているようだ。

 おそらく、賽銭は灯台守しか入れない地下で回収されるのだろう。

 そして目の前には石に彫られた「貴方の旅路に幸あれ」という簡素な文章。

 ここでお祈りをしていけということだな。


 やっつけの祭壇ではあったが、ここで払ったお金は灯台がちゃんと運行されるために使われるのも事実だろう。

 みんなで話し合って、ちょっと豪華な食事がとれるくらいの額を納めることにした。

 ここまでの行商でそれなりに利益が出て懐が暖かかったからというのもあるが、やはりこの旅の無事を祈るため、というのが一番の理由だった。


 そう、俺たちはここから自分たちの力で南大陸を目指すことを決めたのだ。

 旅に何か一つでも問題があれば、ここまでの間に一度、テールーの港へと戻るつもりではいた。

 しかし、事実、俺たちはここにいる。

 もう目指す場所は次の大陸をおいて他にないのだ。


 ここまで船旅がうまく行った理由は二つ。

 一つは言うまでもなくフヨウの天候予測。

 想定を大きく上回った精度で旅の安全を担保してくれた。

 そしてもう一つ。

 海測、現在地の把握が想定の範囲に収まっているという点が大きかった。


 俺たちは何もない海上で自分の居場所を知るために、主に星、太陽、そして時間を利用している。

 星図はエトアの大聖堂で入手に成功した。

 これは使ってみてかなり正確なものであることがわかっている。

 太陽は季節によって日の出、日の入りなど細かい点が変わるのだが、正中、これらの中間時間に太陽が南(赤道を越えれば北)へ向かう点は変わらない。

 同様に、地磁気による方角の把握も可能だ。


 そんな中で問題になると思われたのは正確な時間の把握についてだ。

 そもそも、俺はこの世界の一日が二十四時間からどれくらいずれているのかを知らない。脈拍なんかから、かなり近い数字なのだろうという予測はあるが、物理法則が異なるこの世界で脈が同じテンポで刻まれている保証もない。

 重力加速度だって異なる可能性の方が高い。

 単位はなにもかも目算を越えて前世と比較することができていない。

 当然化学的な反応速度もだ。


 あるいは、水晶振動子、いわゆるクオーツ時計の原理を使用した回路なら同じ数値を示すのかもしれないが、今のところ再現には成功していない。

 前世の俺の知識として専門分野から少し外れる、ということもあるのだが、あまり急いで必要がなかったのが理由だ。


 なぜなら、この世界にはかなり正確、と思われる時間の測定技術がある。

 ちゃんとした時計のある世界なのだ。


 今更当たり前のことではないか、とそう思うかもしれない。

 しかし、機械を利用して時間を計るというのは決して簡単なことではない。

 知識にある範囲で言えば、水時計、砂時計、蝋燭時計、振り子時計。

 どれもが製造に精度が求められる上に、揺れる船舶での利用に適していない。

 地球でも、そういった技術は長い時間をかけて開発されていった。

 しかし、この世界にはそれを一足飛びに乗り越える技術が存在する。

 言わずとしれた魔術だ。


 魔力を込めた魔術具のマナ放出速度を利用すれば、かなり正確に時間を計ることができる。

 このために必要な術具は相対的には高価なものではないので、そこそこのお金を払えば精度の高い時計を手に入れることができるのだ。


 とはいっても、魔術師による定期的な魔力の補充が必要で、公的機関やかなりの富豪以外は一般的には使用していない。

 普通はみんな、魔術師が駐在する教会の鐘等から時間を把握するのだ。


 話がそれてしまったが、この魔術時計と日時計を併用することで何もない海上で時間の変化を測定することが可能になった。

 この集大成が現在位置把握の精度の高さだ。


 望遠鏡に錘をつけたような、六分儀と呼ばれる機器を使って、北極星といくつかの星の角度と方角を正確に測る。

 これらは一日で一回転しているので、時間経過分を角度に変更し、ずれを見ることで経度と緯度を把握することができる。

 気合を入れて測量をすればこの星の大きさもわかるはずだが、今のところそれを行ったという文献は読んだことはない。

 いつか必要になるかもしれないが、面倒なので是非誰かにやっていて欲しいと思う。


 つまり、航海に必要なものが揃った。だから決断した。

 丁寧に準備を行い、最後のお祈りも済ませた。

 ある意味、これからが俺たちの本当の旅の始まりだ。


 これまでの航海と、南航路を渡る船乗りの話から導き出された南大陸へのここからの距離は、前世の感覚で二千キロメートルほど。

 俺たちの船は魔力にさえ気を付ければ、昼夜を問わず巡航ができるので、二週間足らずでたどり着ける算段だ。

 場合によってはもっと早い可能性もあるかもしれない。


というのも、俺たちの航行する二大陸間では常に西から東へと海流が流れている。この中を可能な限り南を目指して行く形になるのだが、当然真南よりかなり東へ流されることになる。

 海龍丸は他の船より巡航でかなり速度が出るため、その流される距離が短くなるのではないかと思うのだ。

 結果的に移動距離も短くなる。

 特に、帆船は風向きを気にする必要があるのでその差は結構馬鹿にならないのではないかと。


 この予測が当たるのなら、一般的な船舶よりもかなり西に到着するはずだ。

 これまで調べた南大陸の地形を考えれば、それでも大陸をやり過ごしてしまうようなことはないはずだが……。

 一般的に異国の船が航行しない辺境に行く可能性は高いので、上陸にはかなり気を付ける必要があるだろう。


 これまでもいろいろなことを試し、いろいろな旅をしてきたが、これほどの冒険というものはなかったかもしれない。

 そんな時に、となりにカイルやルイズがいないというのは、数年前には想像もできなかったことだ。


 この旅は、俺の二人への依存を断ち切る旅なのかもしれない。

 それでもフヨウやメイリアの助けが必要なあたり、どうも情けない部分が残るな……。

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