第109話 物は試しの
「だから相談したいんだけど」
真っ先に声をかけたのは、やはり海龍丸のことを良く知るこの男。ハイムだった。
「とは言ってもな……。俺は船乗りなわけじゃないし。ただ、海龍丸自体には南大陸に行ける力があると思うよ。そういう風に作った。親方だって太鼓判を押してくれたろ」
竜骨が丈夫なら、という前提があったが。
それにしてもありがたい言葉だ。
少なくとも機能的な問題は少ないと。
「どっちかというと船旅で起こる問題の方を気にするべきじゃないか。難破遭難、物資不足、病気」
そういう怖くなる話は、もう少しマイルドにして欲しい。
「とはいっても、それって普通の航海でも発生するからな」
旅に出る以上、対策は必須ということだ。
「俺たちの船を信じるか、歴戦の船乗りを信じるか、だな。言っておくが、海龍丸は良い船だぞ。風を読まなくて良いって凄い強みだからな」
それはある。
この船は波に流される可能性はあるが、一定の速度で一つの方角に移動することが出来るという一点だけでも、この大陸随一の機能を持っているといっていい。
それはすなわち、事故がなければより早く南大陸へ到着できるということも意味する。
「どれくらい急ぐのか知らないが、それなら一度コヴェント諸島まで行ってみたらいいんじゃないか? 島伝いで行けるし、カーラへ行くならどうせ寄るだろう。それで無理そうならどこか大きい港まで戻って定期便を探してもいい。どうせ、ロムスからカーラへ直行する船はないしな」
試験航海か。
すでに何度か活用した船ではあるが、この案は悪くないかもしれない。
「参考になったよ。もし、海龍丸を使うことになったら、いろいろ世話になると思う。よろしく頼む」
「いいよ、あの船は俺にとっても面白いからな。魔導船なんておとぎ話の話だぞ。それにフヨウさんにも遠出の準備を手伝って欲しいって言われてたからな。このことなんだろう?」
こんなところにまで根回しが……。
フヨウおそるべし。
「いっそ、いっしょに行くか? いろいろと助かるんだけど」
男女比的にも検討して欲しい。
「無理だ」
きっぱり言われてしまった。
「去年は家族に心配かけたし、妹の面倒も見ないといけない。それに俺は船乗りじゃないからな。仕事には責任を持ってあたるべきだ」
それは正しい、正しいのだが。
趣味で無茶をやっている俺の無謀さが浮彫りになる意見だった。
「――それで、コヴェントまで試しに行ってみたらどうかってハイムが」
「お試し期間ってやつですか」
その例であってるか?
「コヴェント諸島か」
フヨウは何事か考え事をしている。
「ダメそうなら、大きい港に寄って定期便を探したらどうかって言うんだ」
「確かに、それだとそこまでの船旅が無駄になりませんね。ただ、物資とかどうします? せっかく自分の船で行けるなら余裕を持って積み込みたいですよね。機材はともかく食べ物なんかはそのままにしておくと痛んじゃいますよ? かといって他所の船に持ち込める量にも限界がありそうですし」
この疑問には、考え事にきりがついたのかフヨウが答えた。
「……それは恐らく大丈夫だ。コヴェント諸島もそうだが、あのあたりは多くの航路が重なっている。航海に必要そうなものは安めに値付けをすればすぐ捌けるだろう。なんなら利益を出すこともできると思うぞ」
まさに行商人の意見。
うまくすればそこで外貨を得ることもできるかもな。
「私は良い案だと思う。何事も試して見るべきだ。それに海龍丸にも一度ちゃんと乗って見たかったんだ」
そうだったのか……。
フヨウには船旅はデリケートな話題かなとか思って、あまり積極的に誘ってなかった……。
悪いことをしてしまった。
「私もあの船好きですよ。特に私にも操船できる、っていうところが。前の時はあまり触らせてもらえませんでしたけど、今度はそういうのも良いんですよね」
「人手が少ないんだ、当然手伝ってもらうけど」
そうだ、そのあたりの話もしておくか。
「俺たちが行くとして、他に誰に声をかけるか相談しておきたいんだ」
ハイムは断られてしまったが、頼れる人材はいつでも募集している。
ただ、俺の知っている人たちは、大体自分の仕事を持って忙しく働いているのが現状だ。
なかなか良い人というのが思い浮かばない。
あえて言うならゼブなのだが、ゼブだって本当はクルーズの側近としてやらなければいけないことはちゃんとあるのだ。
たとえば新設される男爵領の兵団の管理だとか。
いつまでも俺たちのお守りはさせられない。
「私たちだけではだめなのか?」
「だめってことはないけど、人手はあるに越したことはないだろう」
「多分アリスちゃんが付いて来たがるんじゃないですかね?」
それはあるかもしれない。しかし、その希望は聞かないつもりだ。もっと近場の冒険者依頼とかならいくらでも手伝うんだが、今回はなぁ……。
「それはだめだ。ちゃんと俺の方からそう話しておく」
「かわいそうじゃないですか。歳のことなら先輩もあのくらいでかなり冒険的なことしてませんでした?」
アリスたちももう、メイリアが俺たちのことを知ってた年頃なのか。月日が流れるのは早いな。
「今回は、俺たちだってどうなるかわからないんだぞ。なんならメイリアも考え直すか?」
「私は、ほら、いろいろ経験も積みましたし。仕事もできる女ですから?」
最後が疑問形でなければもう少し信用したんだが。
「あの船は普通の船乗りの仕事はほとんどないんだろう。物資の消費を考えると無理をして人を増やすより、物を乗せて万全を期した方がいいんじゃないか。向こうについたら売れるものでもいい」
根っからの商売発言。
ただ一理あるか、な。
「まだ、引継ぎ関連は少し時間がかかるし、もし優秀な人材にあてがあったら教えてくれ」
そんなことを言ってはみたものの、結局人は集まらなかった。
その点では船大工の知識があるハイムが最初に脱落したのは痛かった。
あとは、急な体調不良に対応するために医師がいてくれれば、という気持ちはあった。
しかし、この世界の医療のレベルだとほとんど薬草師と言う方が近い。
自前で医薬品を準備してしまうと、治療方針で意見が分かれる可能性もあり、良し悪しの面がある。
結局、魔術で簡単に準備できてしまう薬品の方で手をうつことになった。
フヨウが準備を進めてくれたこと、自分たちの船で向かうこと、この二点は旅程を随分と繰り上げることに役立った。
結局ボトルネックになったのは言い出しっぺのはずの俺の準備であり、二人に尻を叩かれながら引き継ぎ業務を進めることになってしまった。
同時に、案の定アリスはこの旅に興味を示した。
最初に危険性を丁寧に説明したこともあり、駄々をこねるようなことはなかったが、明らかに機嫌が悪い。
それを無視する気にもなれず、旅の準備の合間に妹のメンタルケアのための時間を割き、愚痴に付き合う日々だ。
方々から責められるのは普通につらい。
どうしてこうなった……。
そんな日常も、一つずつ済ませればいつかは終わる。
当初考えていたよりかなり早く、出発の日がやってきた。
アリスには申し訳ないが、兄ちゃんちょっと行ってくるからな。
お土産期待していてくれよ。
結局三人で出発することになった俺たちの船出はまず、西へ向かう。
順当にエトア領海へと入り、テールーという港に到着した。
ここまでは陸地からそう離れることのない旅だったし、以前も通った航路だったためそこまで不安はない。
物資も大して消費していないので、例によって生鮮食品を買い込み、ロムスから持ち込んだ品の一部を売りさばいたくらいだ。
こんなところでわざわざ商売しなくても、と思わないでもないのだが、フヨウの希望に沿った形になる。
確かに行商は、こまめに価値のあるものを売って、その土地で割安なものを購入する方が利益になる。
高速馬車事業では積載量の都合であまり効果的ではなかった方法だが、船便の今回は違う。
わざわざ反対する理由もない。
この地域でとれる柑橘の砂糖漬けや干した果実、香草などをたんまり買い込んであとは出航するだけだ。
目指すはコヴェント諸島。南大陸航路の玄関口だ。
しかし、さあ出発という段になってフヨウから待ったが入った。
「天候が崩れる?」
「ああ、風の匂いが違う。二日ほど荒れると思う。だからこの港にもう少し滞在するべきだ。」
航海をする上で気を付けるべきこと。
自分の位置を見失わないこと。
そして天気を読むことだ。
二十一世紀の技術力をもってしても、七十二時間も先の天候なら予測はかなり難しい。
そして気象衛星などないこの世界では明日の天気は把握できないものなのだ。
しかし、何事にも例外はある。
五感の鋭い獣人であることが関係するのか、フヨウはかなり正確に天候を読むことができた。
彼女のこの特技が、俺たちだけの出航を決断した一因であるのは間違いない。
それが早速効果を発揮した。
いちおう、海龍丸が無策で外洋に出ようとしているわけではない。
水銀を使ったもの、減圧容器を使ったもの、二種類の気圧計を設置して天候予測に活用する設計ではある。
しかし、これについては海上でどれくらいの数字なら用心が必要か、そういったデータがまだまだ不足していた。
果たして、フヨウの予測はばっちり当たり、二日間、荒れる海を目の前に暇な日々を過ごすこととなった。
船出していたらと思うと恐ろしい話だ。
その間、気圧計とにらめっこしたりボードゲームで熱戦を繰り広げるだけで終わらせることはできなかった。
ちょっとした事件があったからだ。
元はと言えば酒場の喧嘩にフヨウが巻き込まれたのが原因だった。
この港はエトアの領内なため、獣人のフヨウはカーラ風のターバンを巻くことで耳を隠して、もめごとにならないように気を付けていた。
しかし、風雨の中でそれが濡れてしまい、酒場で巻き直していたのを酔っ払いに見つかって因縁をつけられてしまった。
曰く、獣人がこの国で好きにするな、と。
これは実は珍しい話だ。
獣人排斥派は北部に多い。
南部で、しかも国外から来た人間の多いこの街では、そこまで普遍的な考え方ではないのだ。
だから、そんな態度を嫌がる人間も当然いる。
嵐で港にくぎ付けになってストレスのたまった酔いどれは、理由さえあれば喧嘩をしたがるものだ。
フヨウを庇おうとしたありがたい人間と因縁をつけてきた人間、すぐに周りを巻き込んで喧嘩になった。
この時点でさっさと逃げてもよかったのだが、なんとフヨウはこの喧嘩を収めようとした。
日頃聞いたことのない大音声(だいおんじょう)で「酒場に迷惑をかけるな」と一喝すると、腕相撲で決着をつける段取りを瞬く間に整える。
この時点で因縁男の方が難癖つけてきてもおかしくないのだが、そんな気が起こらないほどの見事な手腕だった。
一喝が百獣の王を彷彿とさせる迫力だったのが効いた。
腕相撲大会は多いに盛り上がり、誰かが決勝に上がるころにはフヨウに対する因縁はわりとどうでもよくなっていた。
俺はずっと因縁男に目を向けていたのだが、二回戦くらいで早々に負けてしまい、やけ酒でつぶれていた。
この時点で喧嘩は終わりだ。
優勝者には当たり前のように賭け事の種にしていた胴元から、少額の賞金が贈られる。
これで穏便に終わるかと思われていたところで、もう一波乱あった。
エキシビジョンマッチとして優勝者とフヨウの勝負が決まったのだ。
そしてフヨウは自分に結構な額を賭けた。
余興もこれで終わりかと考えていた暇人たちはおおいに沸いた。
この勝負、フヨウはなんの手加減もしなかった。
つまり十年研鑽を積んだオド循環を最大限に活かし、古典的な物理学を用いて作用点までの距離を慎重に測り、優勝者の筋肉の疲労と精神的な虚をついて圧勝した。
その上で掛け金を残して勝った金をすべて酒場のおごりに使ったので、もう、この街に敵ないなくなった。
結局、参加者が自分の金で飲み食いしているだけ、という点について突っ込んではいけない。
ついでに胴元の覚えも良くなり、地域の情報を無料で供出させるという余禄も得ている。
こういうやり方はリーデルじいさんやクルーズっぽい。
この二人の血を引いているのは俺のはずなのだが……。
出航までの間、姐(あね)さん姐さんと屈強な船乗りたちに慕われて過ごすフヨウと、そのまんざらでもなさそうな様子は彼女が成長したな、という感慨を俺に持たせるのに十分だった。
なぜかメイリアの俺に対する視線が冷たいのだが、気のせいだろう。
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