第108話 主導権がどれない

後ろ手に扉を閉める。


「アイン」


 びっくりした。

 いや、ただ声をかけられただけなのだが。


「ど、どうかしたか?」


 そこにいたのはフヨウだった。


「いや、少し聞いておきたいことがあって声をかけたんだが。そっちこそそんなに驚いてどうしたんだ」


 確かに挙動不審だったかもしれない。


「いや、なんでもない。ここに誰かいると思ってなくてさ」


「感知のできるお前が、珍しいな」


 フヨウが笑いながら続けた。

 どうやらこっちの方は誤魔化せたみたいだ。


 たった今、俺が何かしていたかというと、エリゼ母さんと話をしていた。


 クルーズと何を話したのか、それで自分がどうしようと思ったのか。

 聞いていた通り、母さんはこの話を知っていて、静かに俺の考えていることにも耳を傾けた。

 そして涙を流し、その上で俺を激励する言葉をかけて送り出してくれたのだ。


 後ろ暗いことなんて一つもないが、この世界で成人を迎え、一応思春期真っただ中にある男の子であるところの俺は、母親を泣かせたり抱擁されたりということに対してちゃんと動揺する。

 その上でのこの反応だった。

 マナ感知もおろそかになるとか、旅先なら大問題だ。

 メンタルトレーニングは必須だな。


 それにしても、フヨウとここで会ったのは都合が良かったかもしれない。

 俺が旅に出るとなれば両親、妹の次に話すべきはゼブたちとフヨウ、あとはメイリアだ。


 しかし、また置いていくということになると、最近あまり構ってもらえていない俺としてはなんだかまずいのではないかという予感がある。

 いっそ一緒に行かないかと誘ってみようか。

 因縁のある船旅だし、嫌な気分になるかな……。


「ふむ、ちょうど良さそうだな。少し話をしないか」


 『ちょうど良さそう』?

 どういう意味だ?

 まあ、こちらとしても都合はいい。

 誘うにせよ誘わないにせよ旅のことを話さなければ始まらないのだ。


「ああ、相談したいことがあったんだ。最近忙しそうだったし、時間がとれそうなら助かるよ」


 その一言に、フヨウはニヤっと笑って答える。


「こっちも準備ができたところだ。立ち話もなんだしうちに来てくれ。お茶を淹れよう」


 なんだかほのかに怪しい感じで誘われてしまった。

 いや、フヨウのこと信じているけど。





「フヨウさん! 先輩捕まりました?」


 誘われて向かった家ではメイリアが待っていた。


「捕まえるってなんだよ」


 獲物扱いしないでくれ。


「見ての通りだ。首尾は上々だぞ」


「さすがです」


「話が見えてこないんだが」


「先輩にちょっと話というか、確認しようってことになったんですよ。フヨウさんが言い出したことなんですけど」


「確認?」


「それも全部話す。まずは座ってくれ、お茶の準備をするから」


「いいです、私が淹れますよ。フヨウさんは話を進めててください」


 そう言ってメイリアがキッチンの方へ向かってしまった。

 たしかに魔術の訓練にもなるし、メイリアがやるのは効率がいいんだが。

 どんどん姫様が所帯じみていく……。


「それで、アインの方の話はなんだ?」


 単刀直入だな。

 こちらも望むところではあるけど。


「俺からでいいのか?」


「構わない。その方が都合がいいだろう」


 まるで何を話すのかわかっているかのような言い方。

 よくわからないこっちは不安になる。


「いや、ちょっと父さんたちとも話したんだけどさ、また仕事で遠出することになりそうなんだよ」


 相手の顔色を確認する。

 いつも通りのように見えるが。

 そしてなぜ、俺は叱られる直前のような気持ちになっているのだろう。


「それで――」


「今度は私も一緒に行くぞ」


 最後まで話させてもらえなかった。


「え、いや、それも相談しようと思ってたけど……」


 出鼻をくじかれた感じがして、しどろもどろになってしまう。

 落ち着け、どうせ話そうと思っていたことだ。


「どこへ行くかとか、こっちの仕事の都合とか」


 俺自身もしばらくは、仕事の引継ぎや研究所が独自に動けるように走り回らなければならない。


「どこでもいい。仕事の方はもうほとんど終わった」


 え? 終わった? 何が?


「ちょっとどういうことなのかわからないんだ。俺の方から言い出しておいて悪いんだけど、説明してもらえないか……」


 ギブアップだ。

 なんだか会話にカウンターを決められてノックアウトされた気分だ。


「去年、約束したろう。お前が何かをやろうとするなら私も手伝う。カイルとルイズはいっしょに行けないんだ。今度は私の番、単純だろう?」


 ……メイリアの護衛で海龍丸出航の準備をしたときのことか。

 確かに、あのときは先約があると、そう話した。


「でも、仕事が終わったって……」


「そろそろまたお前が何かやり始めるんじゃないかって思ってな。ちゃんと準備をして手伝おうと思っていた。だからずっと今の事業を他の者に引き継いでいた」


 準備が良すぎる!

 なんで俺が今日決めたばかりのことにそれだけ早く対応できるんだよ。

 俺なんてそういうことこれからなのに!

 寧ろそっちが忙しいまである。


「やっぱり、先輩どこかへ行こうとしてました?」


 そこにちょうどお茶を淹れてくれたメイリアがお盆を持ってあらわれた。

 やっぱりって、こいつもグルなのか。


「そうらしい。詳しい話はこれからだ」


 だってフヨウ、先手をとって話をさせてくれなかったじゃん。


「そうですか、ちょうど良かった。ちゃんと説明して下さい」


 そう言って席に着くメイリア。

 なし崩しに俺の現状とフルーゼのことを説明させられる。


「――フヨウは簡単に言うけど、目的地は南大陸カーラ。海外なんだ。長い旅になるし、よく考えてくれ」


「よく考えたことをさっき言ったんだ。なにせ考える時間はたっぷりあったからな」


 あ、これ、うっすらと去年置いていったことを非難されている。


「しかし、南大陸か。いいな、私は見聞を広めたくてお前について来たんだ。いよいよこの機会を逃す手はなくなった」


 珍しく興奮していらっしゃる。

 そういえば、ロビンス商会参加もそんな条件だった。

 そういう意味では我慢させてきたんだなー、すまん。


「準備も必要そうですね。色々調べておかないと」


「ああ、それなら、昔から一度は行ってみようって思ってたからそれなりに調査は済んでるぞ……、ってもしかして、お前ついて来る気か?」


「当たり前でしょう。もしかして置いていくつもりでした? 弟子をとっておいて無責任すぎじゃないですかね。オリヴィアと約束してたでしょう?」


「いや、長旅になるぞ。今回は自分のことを自分でやらなきゃいけないし、どう考えても危険だ」


「去年以上に、ですか?」


 変なところで腹をくくれるようになってる……。

 そういう問題じゃないだろう。


「危険さの種類が違う。比べられるか」


「でも、フヨウさんは行くんですよね」


 フヨウの方を確認する。

 聞くまでもないという顔だ。


「……たぶんな。約束したし」


「なら、私も約束です。ちゃんと守ってください」


 そこまで人任せにできるのは、ちょっと逆にすごい。


「心配するなメイリア、アインは約束は守る男だ」


 そこでそういうこと言うのかよ……。


「今回はミリヤムさんはいないぞ。ちゃんと自分のことは自分でやれよ」


「当然です。学院の時だって自分でやってたんですから、そこらの王族と一緒にしないでください」


 そこらの王族ってなんだよ。

 そこらにいないよ……。


 何を相談に言ったのかわからなくなるような流れで、旅の仲間が決まってしまった。

 アリスたちが付いてきたいと言い出さないうちに準備をすすめないと。


 結局、旅の準備に一番手間取ったのは俺だった。

 クルーズの手伝いの方はともかく、研究所は俺がいなければ回らない。

 指示指導がどうとかではなく、資材が増えないからだ。

 ガラス器具は破損すると俺しか直せない、消費してしまうと補給が効かない溶剤とかだ。

 幸い、第一収入源であるペニシリンの溶出については、スケールアップ時に金属製機器を運転開始していたので最低限の運行は可能そうだ。


 他には酒の蒸留技術の向上だとか、このあたりで手に入る植物からの成分分離だとか、研究課題を無理のない範囲で宿題にしておく。

 全部は無理だろうが、研究員が暇になったりはしないだろう。


 こういった仕事をメイリアを助手にこき使って進めていく。

 一方で旅に必要な情報や計画については、フヨウがうまく段取りをしてくれた。

 このあたりは物流企業であるロビンス商会をここまで大きくした手腕が光る。


 そんな中で、決めなければいけないことの一つが交通手段だった。

 南大陸へ移動する以上、方法は船一択となる。

 当初この旅を決めたとき、俺は他の大きな港まで移動し、大陸間航路のある場所から大型船へ乗り込むことを考えていた。

 気ままな男の一人旅というところだ。

 上陸するであろうカーラ北部は年間を通して気温が高いらしいので持ち込む荷物も最低限で済む。


 ただ、同行者がいるとなると話は別だ。

 二人ともそれなりに旅慣れてはいるが成人したての男一人と若い女性が二人。

 長期航海の間に他の乗員と喧嘩にでもなれば厄介だ。

 メイリアの立場を考えると特に。


 そして、俺にはもう一つだけ南大陸へと向かう手段がある。

 この間の旅でしっかりと役割を果たしてくれた海龍丸。

 外洋を進む船としては小型な部類に入るが、一応航海に必要なものは一通り取り揃えてある。

 旅から帰ってから、ロムスの工廠に持ち込んで整備もしてあるので、これまでの様な運用だけなら可能なはずだ。

 積み込める物資も多く快速、融通の利く自分たちの船という利点は計り知れない。

 でもなぁ……。


 GPSの無い海上というものは想像以上に恐ろしい場所だ。

 少し陸から離れれば、目に映るものは空と波打つ水面だけ。

 船で最も高いところに立ったところで、見える範囲は十キロメートルやそこら。

 広い海上では目隠ししているのと一緒だ。


 羅針盤の方向と星を頼りに進むといっても、それだけではあまりにも心細い。

 天気がちょっと悪ければ、数日にわたって現在位置も把握できない。

 そういった恐怖と戦う術を経験とともに学んでいくのが普通なのだが……。

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