第107話 もう一つの懸念
当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、メイリアを受け入れることになったロビンス男爵家はそれなりの混乱に陥った。
俺への通知に先んじて送付されたという手紙を、外ならぬ俺たちの馬車が追い抜いてしまったためでもある。
クロエが狼狽するところというのは、この人生の中で初めてみることになった。
どうか心臓とか悪くしないで欲しい。
とはいえ、一番順応できなさそうなゼブとイルマを早々に陥落させ、子供組とも旅の途中で良い関係を築いていたので下地はできていたのかもしれない。
その他、多大な問題の発生が想定されたのだが、比較的すんなり受け入れが済んだのには理由がある。
旅から帰るよりはるかに早い段階で、フヨウがこうなることを知っていたからだ。
メイリアとフヨウは何年も橘花香でともに働いており、信頼関係が築けていたのだとは思うのだが……。
「もしかして、出発前に色々と忙しそうだったのはメイリアのことが理由か?」
「それもある」
それだけじゃないのか。
でも、やっぱりかなり前から知ってたんだな。
「だからってこんな大ごとを黙ってなくても」
「王女様に直々に内緒にしてくれと言われたんだ。約束を破るわけにはいくまい?」
そんな顔をしながら言っても説得力はないんだが。
どちらかというと留守番させてばかりの俺たちに対する意趣返しのような気がする。
今回はちゃんと誘ったじゃん。
あのタイミングだと遅かったのか。
こんな言い方はしているものの、フヨウはメイリアにいつものぶっきらぼうな話し方なのに対し、メイリアは学院時代の敬語という非常に不敬な関係が成り立っている。
まぁ、二人とも慣れた話し方だろうし年齢的にもフヨウが上だ。
思ったほどの違和感もない。
最も難題となることが想像できる住居についてなのだが、
「フヨウと一緒に住む?」
「ええ。いきなりやって来て部屋を専用に用意させるなんて不作法はしませんよ。住むところがなんとかなりそうだから来たんです」
当初、クルーズは突然の王女来訪に狼狽しながらも領主屋敷(元代官屋敷)に部屋を準備しようとしていた。
しかし、それに対してメイリアが提示したのがこの条件だ。
ロムスにやってきたフヨウは領主屋敷の周りに少しある建屋のうち一つに、手を入れて住んでいる。
これは以前師匠が滞在していたときにも使っていたもので、まあ、この国では普通の家だ。
一方で絶対に偉い人が住むような場所でもないのだが。
学院生活に慣れたメイリアには無理ということもない。
当然、迎え入れる側としては、はいそうですかとはいかず、多少の話し合いの末、フヨウの家屋を改装して質の良い寝具や家具を新たに入れることで話がついた。
どうせこういったものは新興貴族として段階的に増やしていく予定だったし、フヨウの住環境も改善されるということで、俺にも異存はない。
彼女はお金持ちのくせにちょっと清貧すぎるので良い機会だ。
そんな感じで、大事件ではあったがなんとか生活に落ち着きを取り戻しつつあるのが現状だ。
導師の修行とかいうわけのわからない目的でここを訪れたメイリアだったが、案外忙しく過ごしている。
具体的には迷惑、(主に心労)をかけた新領主クルーズの統治に関わる相談に乗ったり、俺の研究所で薬剤の生成魔術を練習したりだ。
そのあたりの采配はフヨウがやってくれており、思ったより上手く回っている。
魔術良し、政治良しの人材には今のロムスではいくらでも仕事があるしな。
一方で、家の方でも生活魔術をフヨウと一緒に練習しており、改装以上に住環境が改善したという話も聞く。
あまりにも生活力のある王女様の様子に、修行が終わったらちゃんと王宮に帰れるのだろうかという懸念すら浮かぶほどだった。
日常が忙しければ気も紛れる。
それでもカイルやルイズから手紙が届けば、みんなで集まって開封する程度には遠くの家族を心配していた。
二人ともマメな性格なのでそれなりの頻度で連絡をくれる。
現時点ではソーベリアが窓口になってくれるため、こちらの手紙がちゃんと届くのもありがたかった。
最新の報告では、カイルは都市国家群に向けて聖女様と一緒に予定通り声明を出したようだ。
現時点ではこのカイルの手紙以外にそういった話はないが、じき、船乗りの噂としてもこの街に届くはずだった。
ついに、公式に勇者の存在が認められた。
すでにウィルモアとエトアの後ろ盾もある。
今後は都市国家群の中で不審な紛争を調査し、勇者としての実績をあげる。
加えて魔王の下僕、あるいは魔王の居城となるダンジョンに関わる情報を集めていくことになる。
ただ式典に出て提灯として働くのと比べればずいぶん危ない仕事になるわけで、心配の種はつきない。
加えてもう一つ、俺には懸念している問題があった。
「やっぱり、カーラ関連の船で期間内に行方不明になったものはないみたいだね」
「そっか、だとしたら陸路か何か、他の理由の郵便事故かな?」
「そうかもしれない」
俺たちが到着を心待ちにしているもう一つの手紙、フルーゼからのものがかなり長い期間届いていない。
この世界、手紙の紛失についてはよくある話だ。
それでも、これまでの間ゆっくりでも必ず届いていたものが来ないというのは不安を掻き立てるには充分だった。
クルーズの話を聞いた俺は、無意識に胸元のペンダントを握りしめる。
……あぁ、そうか、これをくれたのもフルーゼだった。
ずっと長い間、もう十年も身に着けている。
胸元にあることが当たり前のものだ。
魔術も込みで手入れは欠かさずしている。
古いわりには綺麗なものだ。
俺たちの知る魔術具とは異なる、しかし何か不思議な力を感じるペンダント。
それを握る俺をクルーズは静かに見つめる。
「……心配かい?」
「? ああ、もちろん。友達のことだから」
「そうか。なら、君に一つ仕事を頼もう」
それと心配かどうかに何の関係があるのだろうか。
「仕事?」
「うん。カーラに行って現地の市場調査をして欲しい。いつも仕入れている物品の価格が適正かどうか、どんなものの需要があるか。君なら必要なことをまとめられるだろう」
……どう考えても急な要件ではない。
つまり、心配なら実際に行って調べろとそう言っているのだ。
しかし……。
「俺はロムスの安堵に努めるように、って」
勅命。
だからカイルたちにはついて行かなかった。
そのことは悔しいが、ここにいて家族を安心させることにだって意味はあるはずなんだ。
「もちろん命令だからそれは守るさ。実際僕はここでロムスを守る。君はロムスの、王国の未来のために、諸外国で経験を積みながら調査を行う。ちゃんと指示通りだろ」
詭弁だよなぁ、と思う。
しかし、クルーズは真面目な顔だ。
「君は、もしもカイルたちが大変な目にあってると知ったとき、国の命令だからとここにいて指をくわえてみているのかい?」
クルーズらしからぬ、厳しい言いようだった。
そして、その質問の答えはとっくに決まっている。
「絶対に無理だよ」
口に出してはいけない言葉。
それでも、すんなり応えられたことを誇らしいとすら思う。
「そうだね。その通りだと思う。実際には、ロムスにいたってカイル達を助けることはできる。君たちに信頼してもらえるように、こうやってこの街を守っているのだってそうだ。非常にもどかしいけどね。信頼を得るということは、それだけで多大に人を助けることができるんだ。僕は、君やエリゼの前でそれを勝ち取るためだけに頑張っているんだよ」
今しがた俺自身が考えていたのと同じこと。
その続き。
……父親というものは偉大なものなのだと思う。
必ずしも寡黙であったり、完璧であったりする必要はない。
時として情けないところを見せることもあるだろう。
だって家族なんだから。
それでも、嘘を一切交えずにこう言える相手を尊敬せずにはいられない。
ふと、メイリアから受け取った手紙のことを思い出す。
わけのわからない爆弾のような手紙。
でもあれも、クルーズの言葉と一緒だったのかもしれない。
この国の王になろうという人間すら一人の父親だった。
「そして僕たちは君のことを信頼している。君は僕のことを信頼してくれるかい?」
「うん、信頼してる。ずっと」
クルーズだけではない。
俺はカイル達のように常軌を逸した強さを持っているわけではない。
何かをしようとすれば、必ず人の手を借りなければいけない。
人のことを信じなければいけない。
そして家族とはその最たる相手なのだ。
そこでクルーズは笑顔になる。
満点をとった息子を褒めるように。
あるいは息子から花丸をもらった父親として。
「なら、君は君の友達のためにできることをするべきだ。取り越し苦労でもいい。友達が無事ならそれでいい、だろ?」
頷く。
「カイル達の行く道は、今後厳しくなることはあっても多分楽にはならない。いつか、君がカイルの元に向かうのなら、それは時間が経つほど現実的になっていくはずだ。なら、今心配な友達は今助けるんだ。できうる、最も早いうちに」
クルーズは、情けない俺を激励してくれている。
「その間に、君がカイルの所へいく上手い言い訳も考えておくよ。この街のこともあわせて信頼してくれていい。これはエリゼとも話したことだ」
「……ありがとう」
俺以上に俺のことも考えてくれる。
それが嬉しい。
ただ、忘れてはいけないこともある。
今日、届いた報告書とは別に用意された皮革の封筒。
いつも執務室の机に置いてあるこれは、いわゆる私信を入れるものだ。
これまでこの封筒が棚に入れられているところは見たことがない。
今日もカイルの話になったときに中から送られていた手紙を取り出していた。
そしてその封筒の中に見えるこれまで俺たちが送っていた手紙の数々。
その中に、いくつか皺が寄ったものが含まれている。
ほんの一瞬だけそれが見えた。
それで十分だった。
おそらく俺たちが聖都から送ったもの。
無事を知らせるもの、帰郷の予定を知らせるもの。
ハイムの口から聞いたクルーズたちの行動。
他の手紙だって何度も繰り返し読んだはずだ。
こうしてロムスに残って、両親の様子を目の当たりにした。
想像するだけでは補いきれない親の情。
それがあってなお、俺の気持ちを尊重してくれている。
その意味を忘れてはいけない。
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