第106話 重ねた手紙
「秘伝の技は門外不出。何人たりとも知られてはならない。という方向でいきます」
いやいやいや。
仮にメイリアがそれで良くてもオリヴィアさんが許さないでしょ。
止めてくれという視線を後ろに送る。
「アイン」
そうそう、言ってやれ、って俺?
「姫様のことを頼みます」
いつも比較的真面目な顔をしているオリヴィアさんだったが、今回は殊更真剣に言っているような気がした。
これでは茶かすこともできない。
「え?」
「託宣の儀の折り、あなたは姫様を守り切りました。それを見込んでのことです」
「だからって、オリヴィアさんがついて来ない理由にはならないでしょう」
その言葉に、返答はなかった。
「先輩、オリヴィアにはオリヴィアのやるべきことがあるんです。全部、ちゃんと話し合った上でのことですから」
変わりにメイリアが答える。
ずっと一緒にいた二人の決めたことなら、それ自体には何も言えない。
「だから、最後に、姫様のことを守ると約束してもらえませんか」
すぐに返答はできなかった。
これは以前受けた依頼とは違う。
仲間とやることではない。
ここにはゼブ達もいるのだが、これは俺一人だけに向けた言葉だ。
「……約束、……できません。これまでオリヴィアさんはずっとメイリアのことを考えてきたんでしょう。同じことを俺はできません。できる範囲で友達のことを守るだけです。ただ当たり前に」
真剣さが違うのだ。
失望させてしまったかもしれない。
それでも、本当のことを言わざるをえない。
しかし、それに対するオリヴィアさんの答えは予想外のものだった。
「それで良いのです。あなたは何かあれば友のため、家族のために全力を尽くせる人。それを前の旅で見てきました。だから、姫様があなたの友だというのなら、そういうことなのでしょう。安心して任せるというわけにはいきませんが」
そりゃあ、まあな。
むしろそこまで信頼されていたことが意外だった。
最初は結構突っかかられた印象だったんだけど。
「まとまった時間が作れるようならもう一度ロムスにも来てくださいよ。今度はゆっくりご案内します。手紙さえもらえれば高速馬車も手配しますよ」
「……ふふっ、それもいいですね」
あ、笑った。口角を上げるだけじゃなくてちゃんとしたやつ。
最後にレアなものを見た。
「オリヴィア……」
そこで前に出てきたメイリアはオリヴィアをゆっくりと抱きしめた。
これまで、驚いた顔の彼女は何度も見てきたが今日のこれが見納めになるかもしれない。
しかもそれは一瞬のことで、ふっと目元を緩めて優しい顔になると、抱きしめ返す。
「ずっと、ずっとありがとう。いろんなことがあなたのお陰だった」
「……望外のお言葉です」
「弟の、クリスのことをお願い」
「身命に変えましても」
「オリヴィアは頑張りすぎちゃうから、もっとみんなのことも頼っていいのよ」
「……姫様がそれを申しますか?」
「私もいろいろと学んだのです」
俺もメイリアとの付き合いはだいぶ長くなってきたが、おそらくオリヴィアさんはそんなものではない長い間を一緒に過ごしてきたのだろう。
横から口を出すこともできない。
しかし、本当になんでこうなったんだろうなぁ。
感動の別れの最中ではあったが、心のどこかでクルーズたちにどう説明したものか、途方にくれる自分がいた。
「オリヴィアは本当はクリスの、弟の身の周りの世話をするはずだったんです」
旅の途中で、彼女のことを聞く。
「元々クレーフェ、母の実家の出身で、その侍女をしていたあの子のお母さんと一緒に王都に来たらしいです。でも、私がずっと小さい頃に母はクレーフェに弟と一緒に戻っちゃって。本当はその時、帰るはずだったんですけど……」
向かいに座るはずの俺でも、俯いたメイリアの表情は読めない。
「その頃の私って全然友達とかいなくて、それが当たり前なんですけど。それで家族まで減っちゃうのを見て不憫に思ってくれたんだと思います。王都で私の面倒を見ますって。自分だってそのころは子どもだったはずなのに残って、護衛のために剣の修業なんかも始めて。でも私にはあの子がいるのが当たり前で学院へ行くまでその有難さもわかってなかったんですよね」
溜息を一つ。
顔を上げたその様子はもういつもと変わりがないように見えた。
「オリヴィアは王宮に戻った私を凄く心配してくれました。去年、本当に危険だったあの時は一緒に旅に付いてきてくれて。私、本当に全然知らないところで幸運だった、幸せだったんだなって思いました。
そんなあの子が、この前言ったんです。「お暇を頂きたく」って。別に裏切られたとか、そんな気持ちには全然ならなくて、私は大丈夫になったんだなって思いました。話を聞いたら、お母さんから手紙があって、去年のこと、断片的に聞いてたみたいで心配してて。今、自分の仕事を引き継ぐ人間が必要だから帰ってこないかって言われたみたいです。本人は言いませんでしたけど、お母さん最近はちょっと病気をして、それが心配なんだろうなと思います。
だから、私からも言ったんです。ちょっとは親孝行してきなさい、私はちょっと修行してくるからって。王都は今大変ですし」
なるほど、俺への意趣返しばかりではなかったってことか。
「あ、今、先輩、自分が理由じゃないのか、って思いました? それはちょっと自信過剰じゃないですかねー」
言葉もない……、のだがちょっとむかつく。
「嘘です。先輩がいないなら、さすがに一人で向かうような無茶はしてなかったですよ。それと、忘れないうちに、これ、渡しておきます」
手紙?
上等な封筒にちょっとデカすぎる封蝋。
かなり細かい意匠があり、一目で権威ある立場の物だとわかる。
そのわりには印がずれていたりしてちぐはぐな印象も受けるのだが。
「なあ、これ、差出人が書いてないんだが」
ついでに宛先もない。
「父からです。私信なので下手に自分の名前を書けなかったのでしょう」
……ん?
……いやいやいや、ちょっと待って、ちょっと待とうな?
「……なんで王太子殿下の手紙がここにあるんだ?」
質問こそしたが、推測はつく。
そしてその想定を受け入れたくない。
数奇な理由で結構王族と縁が増えてしまった俺たちだが、基本コンタクトの度に大変な心労を患っている。
経験則的に近づきたくないことというものがある。
「先輩に、だそうです。中身については知りません」
ぃや、もうそういうのはちょっと、な、人には受け入れられるキャパシティーというものがあるんだよ。
「いや、厳密に言えば先輩の名前を知ってるわけじゃないですから。そんな見たこともないような顔色しないでくださいよ……。渡したこっちが不安になってきます。いろいろあって、ここに来る前に当然父も丸め込んだんですけど、そのときに渡されました。「お前がそこまで信用している導師殿に挨拶をしたい」からだって」
――――。もう何も考えたくない。
「私信なんですからそこまで気にしなくていいですって。法的な効果もないですし。ただまあ、出来たら読んであげて下さい」
なんで娘なのにちょっと保護者っぽいのか。
ただ手に持っているだけで力が失われていくような気がする。
もう退路はない。
魔術で簡易樹脂ペーパーナイフを作り、震える手で開封した。
文字が脳裏を滑る。
最初の言葉すら頭に入って来ない。
それでもなんとか解読を進める。
『時候の挨拶を略す無礼を許して欲しい。娘より既に紹介があったと思うが、私の名はベルホルト。メイリアーナの父だ。家名も立場もあるが、この手紙に限っては父親としての立場で書き綴るため記載するつもりはない。ただのベルホルトだ。
最後まで娘はあなたのことを詳しく説明してくれなかったので、書き様によっては失礼なこともあるかもしれない。先に謝罪しておく。予定通りにいけばこの手紙を読んでいるのは『真なる導師』殿であるはずだ。
この手紙によって伝えたいことというのはただ娘のことを頼むと、それだけのことではある。
そのために書かねばならないこと、というのが沢山ある様に思うのだが、今もなおその内容が定まらずにいる。だから、祐筆も立てずに自ら筆をとることにした。
こんなことは久しぶりだ。』
ここで便せんは次の用紙に移っている。
不思議なことに、二枚目の手紙は少しインクの様子というか筆致が違うような気がした。ただ、素人の見た感じでは筆跡自体は同じように見える。
その理由は最初の文を読むことでだいたい理解できた。
『ここまで何度か書き直しをしたのだが、どうにも伝えたいことが伝わらないように思った。だから、率直に今考えていることを書こう。
昨年、娘は大変な事件に巻き込まれた。それを知った私はこれまでの行いを強く後悔した。今もなお後悔している。
誤った時間は取り戻せないが、今できることもある。そちらに注力する。
しばらく、私は全力で職場の『掃除』を行おうと思う。そのときに娘がいれば手が鈍る。息苦しい思いもさせるだろう。
だから、貴方にこの子の面倒を見てほしいというのはそういうことだ。報酬が必要だというのならば如何な方法でも良い、伝えてくくれれば求めるだけ与えよう。
余談になるのだが、旅支度をしようとしている娘のそれが、仲の良い男友達との約束に向かうそれに見えて仕方ない。それがどうにも言いようの無い不安を掻き立てるのだ。
関係の無い話だったな。失礼した。
導師殿には是非娘に変な者が近づかぬよう気を付けて欲しい。英知ある貴方ならそれも可能だろう。
ただ、忘れないで欲しい。私はメイリアーナの父でありたい。そのために死力を尽くす覚悟を決めた。そのことを。
願わくば、真なる導師殿がこの曖昧な手紙から私の言いたい事を理解してくれることを。
ここまで読み進めてもらえたのならば、この手紙は燃やして欲しい』
溜息しかでない。
オリヴィアさんにせよ王太子殿下にせよ、ただメイリアのことを心配しているだけだが、なぜか俺が重い。
この子は確かに剣の腕がたつというわけではない。
だが人としては十分に強い子であるはずだ。
そして二人ともこのことをちゃんと知っている。
……それでも心配なんだろうな。
俺がルイズとカイルのことをずっと気にしているようなものだ。
そう思えば多少は共感もできるようになってきた。
「どうしたんですか? さっきまであんな顔色で脂汗かいてたのに。疲れた笑顔なんて浮かべて」
そういう気分なんだよ。
「いや、メイリアはお父さんに愛されてるな」
「……何が書いてあったんですか?」
「ただ、娘が心配だから頼む、ってそれだけだよ」
他の枝葉は……、俺の胸の内に留めてしまっていいだろう。
メイリアは俺の言葉を聞いて渋いものを口に含んだような、変な顔をした。
でも、俺にはそれが少しだけ嬉しそうに見えた。
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