第100話 別離の前に
「――――――」
最後まで聞いた。何を言ったのか理解した。
ただちょっと……、混乱している。
いや、これだけ真剣な言葉なのだ。軽率に返すべきではない。
自分に何ができるのか考えるべきだ。
「少し、少しだけ考える時間をくれ。どうも頭がうまく回っていないんだ」
「……変なことを言って申し訳ありませんでした。忘れてください」
「いや、忘れたりしない」
少し強い語調になってしまったかもしれない。
今日、この日のためにルイズがどれだけ葛藤したか、今生ほとんどを一緒にすごしてきた俺にはわかる。
魔術を使わなくてもわかる。
そのわりにはここまで避けられてへこんだりしたが、それはしょうがない。
不安というものは、理だけでは払拭できないからだ。
情けない思考の中に思い浮かんだ、一つの方法。
もしかしたら、ルイズの願いに答えられるかもしれない。
これはこれで伝えるのに勇気が必要なのだが、今がそれを振り絞る時だろう。
勇気には勇気で答える必要がある。
「実は――」
俺の考えを包み隠さず話すことにする。
これはお互いの合意がなければ成り立たないことだから。
「――お願いします!」
説明が終わると同時に、一切の逡巡なくルイズは答えた。
その早さに再び虚を突かれてしまったが、なんとか立て直す。
「……わかった、じゃあ早速になるけど」
そう言ってルイズの手を握る。
いつも剣を振っているとは思えない細く綺麗な手。
手のひらはさすがにマメの痕が固くなっているけど、あまり見た目には目立たない。
体温の問題なのか、彼女の緊張があらわれているのか、ほんの少しだけ冷たいなと、そう思った。
◇◆◇◆◇
ルイズの気配がちゃんと遠ざかったのを確認して、倒れこむようにして近くの立ち木に背中を預ける。
ここまで……、キツイとは思っていなかった。
自分から言い出した手前、ルイズの前ではなんでもない振りをしていたがちゃんと隠し通すことはできただろうか。
正直それはわからないが、約束はちゃんと果たせたと思う。
なんだか別れがより一層辛くなってしまった気がするが、それは俺個人の感傷だ。
ルイズの、いや彼女とカイル、そしてその一行。
彼らの旅路が明るいものであることを祈ろう。
みんなのためにやれることをやる。
祈りだって、女神様のいるこの世界でならまったく無意味なものではないはずなのだ。
◇◆◇◆◇
「「行ってきます」」
カイルとルイズ。
しばらく聞くことができなくなる二人の言葉が、形骸的だとしてもまた戻ってくることを意味することに少し安堵する。
ロムスの港。
俺たちが見送り、見送られるのはいつもここだ。
すでに乗船してしまった聖女一行を二人もすぐに追いかけることになる。
聖女の来訪はお忍びなので見送りも身内だけの簡素なものだ。
「気をつけてな」
「手紙、待ってるよ」
俺の言葉の後にクルーズが続ける。
エリゼ母さんはカイルを抱きしめていた。
聖女たちの乗船前はいなかったフヨウも、いつの間にかやってきて見送りの輪に入っていた。
……良かった。
彼女は出自が出自だから、無理にこの場に呼ぶことはできない。
でも、家族を見送るくらいのことはちゃんとさせてやりたかった。
ルイズはフヨウにしか見せないほんの少し膨れたような表情で会話している。
今日だけはイルマもゼブもそれをたしなめない。いつも通りの別れ。
自分の立つ側が異なるだけで見える風景はこんなにも変わる。
この旅の行先は東方、都市国家群と呼ばれる中小国家の集まり。
近年大陸中で増加傾向にある魔物だが、中でも特にそれが顕著なのがこのあたりだった。
ここからはまさにおとぎ話になるのだが、魔王は多くの場合六つの下僕(しもべ)を従えている。
そいつらは高度な知性を持ち、魔物を操って人々に害をなすのが歴史の習いらしい。
また、その一体一体が一軍を持ってしても容易には倒せないほどの強さだそうで、記録ではほとんどが勇者によって討伐されているとか。
実際に都市国家群にその下僕が潜伏しているかどうかはともかく、現地で魔王討伐に対する協力をとりつけ、魔物の増加対策を行うのが旅の最初の目的だ。
都市国家群というだけあって、それぞれの地域が独立して自治を行っているので、国境付近での魔物を原因とした紛争が後をたたない。
農作物荒らしひとつをとっても隣国のことを疑い、疑心暗鬼になっているのだ。
そこに勇者と聖女が協力を呼びかけるというのは政治的にも大きな意味のあることだった。
おそらく為政者たちに快く受け入れられるだろうという予想だ。
もう一点、ベスティアの動きは気になるところだが、こちらに目立った情報は今の所はない。
聖都の襲撃から半年ほどたつが、あれだけの規模を用意するのはやつらにとっても簡単ではないのかもしれない。
今のところ、ジョエルさんをはじめとした諜報専門のひとたちが手掛かりを追ってくれている。
しばらくは待ちの姿勢にならざるをえない。
そんなわけで、最初の仕事は外交関係。
予測通りなら、去年の旅とは異なり、比較的危険の少ないものだと思う。
彼らもそこまで気負いなく出発できるようで、気持ちとしては少し弛緩しているかもしれない。
とにかく安全だという分にはその方が俺も嬉しい。
あっけない別れの後、ちょうど職場が近かったこともあって少ない見送りに参加していたハイムと話す時間があった。
話題はメイリアの護衛の途中、砂浜でナッサウ軍から攻撃されたときのことだ。
「あの時、置いて行ってごめんな」
無事だということはカイルからも手紙でも確認はしていた。
ロムスに戻った時は顔もあわせた。
でも思い出してみればゆっくり話をするのは久しぶりだ。
「船出す準備をしてたときのことか?」
「そう、ちゃんと謝れてなかったなと思ってさ」
「いいよ、どちらかというと俺がへましたんだよな。それに、しばらく代官様に匿ってもらっただけで、問題もすぐに解決したからな。困ったことはほとんどなかったよ。どちらかというと、あのとき助けてくれた二人が勇者だったって、一生酒場で自慢できる」
王国では二人の噂が少しずつ広がりつつあるようだ。
たしかに、勇者になるきっかけの旅で最初に助けられたハイムはちょっと特別かもしれない。
「あのとき攻めてきたやつな、有名な武芸者だったんだと。今だから話すけど、矢が飛んできたって気が付いたときは本当に怖かったよ。何本か射たれるまではそれが何かもわからなくて、わかった時には血の気が引いた。とっさに明かりを消そうとしたけど手が震えた。そんな時に飛んで助けに来るやつがいたら、男でもお姫様の気持ちがわかるな」
このことは内緒だぞ、といいながらハイムは続ける。
「で、そんな武芸者を二人はいとも簡単に倒しちまって、今、こんなことになってやっと納得している部分がある。やっぱりお前たちは凄いよ」
『お前たち』か。ちゃんと俺をいれてくれてありがとう。
「カイルたちはすぐロムスを出ちゃっただろ? その後は大丈夫だったか」
「そっちの方があっけなかった。何日かお屋敷にかくまってもらったけど次の日には母ちゃんたちに会えたし、飯も美味かったし。家に帰ってからの方が叱られて大変だったくらいだ」
イルマたちのご飯を気に入ってくれたようでなによりだ。
「俺も聞いた話なんだが、代官様は兵士を捕まえたことで怒鳴り込んできた相手の偉い人を、逆に丸め込んじまったみたいだな。ロムス所縁(ゆかり)の商会に警告もなく射ってきたのはそちらでしょう、って。最初は話も聞いてくれなかったみたいだけど、相手の兵士と一緒にその証拠を集めてきて。相手はそれでも激高して何か言おうとしたけど、代官様の後ろでゼブさんが目を光らせてて何もできなかったって。実際矢を射ったのはあいつらだけで、しかもみんな殴られた以外の怪我もない。他領で何か起こって困るのはあなたたちでしょう、って言われたらそれ以上は何も返せなかったみたいだ。現場検証、だったか? それにつきあった父ちゃんが言ってたよ」
ああ、俺の家族だなと思う。
それに、ハイムの父親は船大工としてそれなりに忙しい。
そんな中で表に出てこれない息子を助けるため、できることをやったんだと思う。
ハイムだって自分では言わないが、それはわかっているのだろう。
ちなみに、クルーズはすでに受爵しているのだが、秋の公示まで代官のままということになっている。
「その後はさ、兵士たちと街でぎくしゃくするかと思ったけどそんなことはなかった。カイルたちが倒したやつ、向こうではよっぽど信頼されてたみたいだな。それを簡単にのしたってのが効いたみたいだ。それで、そのまま兵士たちを追い出しちまうのかと思ったら違ってさ」
そこからの話は少し聞いているのだが、クルーズは「うまくやっといたよ」としか言わなかったので具体的な話は知らない。
どうやらその真相を知ることができそうだ。
「兵士たちに酒を送って慰労会を開いた。それが原因でうちの港の気の荒いのと喧嘩になったんだけど」
笑いをかみ殺すような顔で続ける。
「そこに見回りに来たゼブさんが両方とも叩きのめしちまって、「喧嘩両成敗だ」って」
結構大ごとだと思うのだが。
「青タン作った顔でみんな飲み屋の女将に叱られて。でもなぜかそれから雰囲気が変わったんだ」
喧嘩して仲良くなったんだろうか。
「あのあとゼブさん、代官様に頼まれてまた酒を持って兵士たちのところに行ったんだと。「今度酒を無駄にしたら全員ああだ」って端っこでしゅんとしてる青タンを指さして。それから兵士たちがちょっとずつ盛り場に来るようになって。でも暴れたりはしないで女将にも謝ったらしい。そしたら、ゼブさんと喧嘩なんてあんたたちも災難だったなって声かけるやつが出始めて。それからは二か月くらいして帰っていくまで大きな問題もなく過ごしてったよ。ここは飯が美味いから帰りたくないってやつもいて。この街を褒められたらあいつらでも嬉しいもんだな」
どうやら飴と鞭をうまくつかって収めてくれたようだ。
実にクルーズとゼブらしい。
あの護衛を成功させることができたのはロムスや王都にも頼もしい味方がいてくれたからだな。
「だからさ、あのとき代官屋敷にいた俺にはわかるんだよ。代官様も奥様も、兵士なんてなんでもなかった。ただ、お前らのことを心配してた」
急に話題が自分のことになって驚く。
「いつも飄々としてる代官様がエトア関係の話になるとすごく真剣な顔になるんだ。毎日代官事務所から冒険者ギルドや港に通って、「新しい話はないか」って。港の方は俺も何回も見たから確かだよ。聖都から届いたっていう手紙が届いたときにはその場で開封して読んで、封筒を握りしめてたって」
俺がちゃんと知っておかないといけない話。
「そっか……」
思わぬところから聞かされた内容に、間抜けな一言しか返せない。
「ああ、なんだか話がそれたな。とにかくさ、せっかくこっちに長くいるなら、代官様だけじゃなくてアリスちゃんとかみんなと一緒に過ごしとけよ。アミカス先生も会いたがってたぞ」
「ああ……、わかってる」
そのあとには、「あいつらの分も」という言葉が隠れているように思った。
でもそれを言わなかったのはハイムの優しさなんだろうな。
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