第99話 夢

 久しぶりに二人と過ごす旅路はごく当たり前に過ぎ、予定通りに終わりを告げた。

 あと一緒にいることができるのは、ロムスに到着してから旅立ちの日が来るまでの間だけだ。

 残りの時間で彼らに何をしてやれるか、そればかりをここ最近は考えている。


 アーダン伯爵は、以前面会したときと同じく豪放なのに繊細な人物だった。

 新たに責務の発生するクルーズを励まし、貴族という立場の責任の重さを冗談交じりに話して苦笑させていた。

 嫡子であるドミニクさんとも出会ったのだが、カイルと会えないことを残念がっていたことが印象に残っている。





 ロムスに帰った俺には目下あまりやることがない。

 本当なら領地運営の勉強が必要なのだが、あまり気乗りはしていなかった。

 それでも、情報管理について魔術が使用できるのでおざなりでも結構なんとかなる程度に事務仕事は進んでいた。

 変わりといってはなんだが、可能な限りカイル、ルイズとの時間を持つようにしている。

 ただ、それはみんなと一緒の時間。家族の時間だ。

 それぞれとちゃんと話したいと、そんな気持ちもある。

 だから、ある一つの気づきを試そうと、そういう気になった。





 真っ暗で広大な空間。

 空から降り立ち、空気に溶けるようにして消えていく柱。

 なぜか落ち着く不思議な所。

 ずいぶん昔、おそらく何度か来たことがあるはずだ。


「……兄さん」


「おう、遅かったな」


 この場所では時間の感覚がおぼろげだ。

 ただ、初めてここで人を待とうという気持ちになった俺には少し遅いと感じられた。


「ごめん、でも、それなら寝る前に一言いってくれれば良かったのに」


「いや、俺もいろいろ試そうと思っててさ。一回目で成功するとは思わなかったんだ」


 ここは夢の中。

 カイルと俺だけが出会える場所。


「兄さんらしい答えだね。本当は僕とマリオン以外は来られない場所のはずなんだけど」


 聖女様もOKらしい。

 むしろ俺が闖入者なのか……。


「密会を邪魔したか?」


「もう……。実際に、って言っても夢の中だけど、ここで彼女と会ったことはないよ。ただそういうものだっていうだけ」


「ここは、『女神の膝元』だったんだな」


「その名前が正しいかはわからないけどね」


 夢中にあって俺たちのいるこの場所は、大地の奥深く。

 地脈の底にあるどこかだ。


 あの日、聖剣に認められ、聖女の祝福を受けたカイルのオドは大きく変化してしまった。

 女神の加護と思われる大きな力が体に満ち、普通の魔術師では考えられないほどの魔力が常にカイルの周りには渦巻いている。


 その力の根源はこの場所で、おそらくこの大陸で大地に触れる限りカイルを守っているのだと思う。

 だから、今思えばずっと前からカイルは勇者候補だったのだ。

 本人の記憶には無いかもしれないが、幾度となくこの場所を訪れていたのかもしれない。

 それに稀に俺が巻き込まれていた。女神様の力は少しだけ雑らしい。

 それでも、だからこそこうやってカイルと話をすることができる。


「ここでなら、もしかしたら本音が話せるかと思ってな。あれから色んなことがありすぎて、どんどん二人で話す時間がとれなくなって。……いや、違うな。二人で話すのが怖かった。カイルのオドがあまりにも変わってたから」


「……そっか。確かに託宣以降、いや、マリオンと会ってからかな。僕の魔術は変わったと思う。でもあんまりやりたいこととか気持ちが変わったとは思えないんだ」


「……そうだな。普通だった。ずっとこれまでのカイルだった」


 それだけに渦巻く魔力が特異に見えた。


「ずっと一緒にいた兄さんがそう思うならそうなんだよ。僕は変わってない。ただ僕自身の気持ちで旅に出ようと思ってるんだ」


 やはり、カイルには覚悟がある。

 そしてその理由もおそらくはっきりと自覚している。


「聖女様のことか?」


「そういうことを知られてると恥ずかしいね……」


 言葉の割には平静な様子でカイルが言った。


「マリオンはさ、あの年になるまでずっと大変だった。小さいころから政治と宗教の世界で翻弄されてきたんだ、お兄さんと二人で。それを助けたいってそう思った。これが彼女の運命なら、僕が一緒に行くのも運命だって。運命を自分で選べるんだって証明したい」


「そっか」


 たった一言。

 カイルの近くで助けられない。その不安は全然なくなっていない。

 でも納得はできた。

 弟がちゃんと俺の弟のままだってわかった。

 何を決意しているのかも確認した。

 ならその意志を尊重しないという選択肢はない。

 馬に蹴られて地獄に落ちるつもりはないのだ。

 いや、地の底がここである以上、この世界には地獄はないのだが。


「もういいの?」


「話したいことは話したからな」


「なら、僕の方からも一つだけ。ルイズともちゃんと話をしてあげて。あの子は自分の責任という言葉で今の状況を受け入れている。兄さんとの話が必要なのはルイズだよ」


「わかった」


 もとよりそのつもりだ。


「カイルもさ、ルイズのことよろしく頼むな」


「うん、もちろん」


 これで今度こそ話は終わりだ。

 どういったことがスイッチになるのか、いつかと同じように体から重さが消えて天頂部に吸い込まれるように浮かび上がった。

 じき、意識も薄くなっていく。

 カイルが旅に出ても、この方法で話をすることができるならいいのに。

 なんとなくだが、距離が離れてしまえば無理なのではないかという予感があった。





 カイルと約束したルイズとの時間はなかなか取れずにいた。

 なぜなら夢を見た翌日に聖女様とユークス一行がロムスに到着してしまったからだ。

 思っていたより早い。

 彼らが来てしまえばタイムリミットも明確になってしまう。

 これは困った。





「ここが、以前仰られていた薬学と医療のための研究所なのですね。少し、想像していたものと違っていたようです」


 見学に備えて多少は掃除してみたのだが、溶剤の臭いだけはどうしようもない。

 塩素系のものなんかは特に慣れてない人にはキツいと思うので、この反応も致し方なしか。


「想像、と言いますとやはり薬草の集積や乾燥、煎じる工程についてでしょうか?」


 俺の知る限り、この世界の薬学というものは薬草を中心に一部鉱物等を配合して製造することが多い。

 どうしても前世の記憶のせいでこういった手法を前時代的ととりがちだが、生薬の効果というものは馬鹿にならないことがわかっている。

 この合成室でこそ、そういったものは少ないが、そちらの研究を中心にすすめているセクションもあるにはあった。


「ええ、暗い部屋で薬草を擦り、大鍋で煮るようなものを想像していました。自身の不明を詫びるばかりです」


「あながち、それも間違ってはいないんです。以前もご説明した通り、この研究所の最初の仕事はいくつかの植物から薬効を取り出すことでした。実際に熱をかけて煮だすような処理も多用します」


「とてもそうは見えないのですが」


「機材の形でそう見えるのかもしれません。ただ、やっていることは同じですよ。より効率よく、より洗練された形を目指した結果、こうなりました」


 研究所を紹介するときはどうしても、こう舌が回るというか。

 調子にのってしまうので気をつけなきゃいけないな……。


「こちらがそうして抽出したペニシリンです」


 褐色の液体が入ったアンプルを見せる。

 俺がいない間も、リーリアが精力的に活動してくれた結果がこれだった。

 すでに実用に耐える精製が終わっている。


「こちらはカイルとルイズに持たせます。使用方法も教えてありますので必要に応じて旅で使ってください。足りないようならロビンス商会の方から送らせますから、使用に躊躇はしないでください」


 残念ながらカイルでもまだペニシリン自体の完全合成には成功していない。

 だから、必要なら俺たちが送る。これくらいのことはやる。

 これまでの話から、聖女の奇跡は感染症とあまり相性が良くないことがわかっている。

 カイルならうまく使いこなして彼女をフォローしてくれるはずだ。


「しかし、このような透明な小瓶。安いものではないのでしょう? それにとても軽い。これは秘匿されているのでは?」


 実は渡したアンプルはガラス製ではなくPET(ポリエチレンテレフタレート)、いわゆるボトルに使われるペット樹脂だった。

 当然石油由来素材のほぼ存在しないこの世界では俺たちだけが作れる一品ものだ。

 ガラスで作ると移動中に破損したらいけないからな。


「大丈夫です。価格は気にしないでください。この研究所は必要な薬を安価に提供することが目的でつくられたものですから」


「……篤志家なのですね」


「病に倒れる者をただ見ていることしかできない無力が嫌なんです」


「……よく、わかります」


 その後も、同様の施設をエトアにつくるために必要なものの話等、結構時間をかけてしまい一日はすぐに終わってしまった。

 俺のいないエトアでは溶剤、素材を簡単に手に入れることができない。

 だからまず、酒造技術を応用した精製エタノールの生産、ガラス加工に必要な高温の炉の設計等から始めることになる。

 そういった資料をまとめるうちにルイズとの時間がどんどん失われていく。





 たしかにこれは大切な仕事だが、後にまわせる仕事じゃないか! やっとそれに気が付き、職員に事務作業を投げてなんとか時間を作ったころにはカイルたちの出立はすぐ目の前に迫っていた。

 さすがに自分の不明を恥じるばかりだ。


 ただ、その間でルイズとコンタクトは何度かとろうとはしたのだ。

 だが、タイミングの問題か絶妙に避けられてしまってそれは叶わなかった。

 もしかして、何か嫌われるようなことをしたかとも思ったがそれはさすがにないはずだ。

 ……ないよね?


 ある夜。

 多少無理にでも二人で話そうと、意を決して声をかけようとしたところでルイズの方から声をかけられた。


「少し、歩きませんか」


 仕掛けようとしたところで仕掛けられる。

 完全に虚を突かれたかたちだ。

 ルイズ、カウンターも得意だもんなぁ……。


「あ、あぁ」


 用意していた言葉も全部忘れ、ただ言われた通りについていくことしかできない。

 それでもとぼとぼと歩いているうちに少しだけ頭が整理できてきた。


「なんどか話をしようと思ったんだけどさ」


 そのわりには凡庸なことしか口にできない。

 これは今本当に必要なことか?


「……私の中で話すことが整理できていませんでした」


 それでもルイズは真面目に答えてくれる。

 この様子だとただ嫌われたということはなさそうだ。


「なら、今は大丈夫なんだな」


「ええ、実はお願いがあるんです」


 なんだろう。

 他ならぬルイズの願いだ。

 全力をつくすことにやぶさかではないが。


 俺の思いをよそに、緊張気味のルイズの口から願いが伝えられる。

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