第98話 もどかしい距離
気の遠くなるほどの長さだと、そう思っていた王宮の廊下はここ半年にあったことを思い出しているうちにいつの間にか歩き終わっていた。
目の前には王都滞在中、ロビンス家に与えられた客間、中には俺の家族が待っている。
「ただいま」
「おかえりなさい、兄さま」
最初に出迎えてくれたのはアリスだった。
ロムスを留守にすることの多い俺は、どうしてもこの子の成長をとびとびで見ることになる。
背がのび、どんどん大きくなっていく様子を会うたびに指摘していると、もっと他のことも見てと叱られてしまった。
確かにあまり自分の妹に言う言葉ではないかもしれない。
今年十歳になったアリスはロムスの学校を無事修了したようだ。
カイルたちのように一足飛びではないが、かなり優秀な結果だと思う。
しかしそれを褒めても、「兄さまたちはもっと早かったんでしょう」とムクれられてしまうのだ。
年頃の女の子は難しい。
それでもたまにしか会わない兄を敬ってくれる心優しい子に育ってくれていて俺はうれしい。
最近は都会というものにあこがれを持っていて、今回の王都訪問を一番喜んだのは彼女かもしれなかった。
「クルーズから話を聞いたわ。みんな立派だったって」
エリゼ母さんがいつもの柔らかい表情で言う。
なのに俺はそれに曖昧な返事しか返せない。
「……大丈夫だったかい?」
クルーズはクラウス殿下のことを聞いているのだと思う。
まぁ、気になって当たり前だろう。
「殿下は俺のことを心配してくれてたみたいだ。あの方は情に厚いんだよ、たぶん」
重ねられる曖昧な返答。
「……そうかい。何事もなかったのならそれが一番だ」
なんだかわからないうちに貴族になってしまった俺たちは、当然多方面に気を遣う必要がある。
望んだことではないとはいえ、羨む人間もいるだろう。
目立った行動に神経質になるのは決しておかしなことではない。
なのに、俺はそういったことをどうでもいいと思ってしまっている。
もちろん、自棄に振舞っているわけではないが、以前のように目上の人間と慎重に距離を置くような行動をとれずにいる。
どうせ、メイリアと友人なのだ。
師匠との付き合いだってある。
腹をくくったという言い方が正しいのかもしれない。
「この部屋はちょっと広すぎるわね……。アリスと二人の時はなんだか心細かったわ」
エリゼ母さんがぽつりとこぼした言葉に、アリスが「私はそんなことなかったよ?」と答えた。
個人的にはエリゼ母さんの方賛成だ。
この部屋は俺たち四人には広すぎる。
「アリスは強い子だね。でも僕もエリゼと同じ気持ちだよ。たとえ狭い部屋でもみんな一緒がいいな」
自らの力で爵位を得たルイズには別の部屋が準備されている。
そこにはゼブたち一家が同じように過ごしていることだろう。
俺たちのように慣れない環境かもしれないが、それでも家族が一緒にいる。
それならカイルは?
たった一人で、用意された部屋に残されたはずの弟のことが気になる。
親戚筋とはいえ、クルーズとは異なる新たな家の当主となったカイル。
もしも勇者として実績を残せば領地を得たり、より大きな家格となることもあるかもしれない。
そのときには心強い仲間や新しい家族がいるかもしれない。
……でも、今は一人だ。
それを思い浮かべると凄く苦しい気持ちになる。
あいつが一人でいるなら、なぜ俺はそれを助けることができずにいるのだろう。
煩悶に対する答えは出ないまま、王都での日々を過ごすことになった。
翌日以降、事務手続きや挨拶周りの合間を縫って家族と一緒に王都を周る。
道場、学院、橘花香、ロビンス商会。
どこも暖かく迎えてくれた。
現状はだいたい手紙で伝えてあったが、やはり顔を出しておくのは重要だろう。
爵位のことを知っても気安く話してくれる友人が、ここまでうれしいものだとは思わなかった。
最後に、長らく過ごしたベルマン屋敷を訪ねることにした。
エリゼ母さんにとっては実家ということもあって、カイルとルイズ以外は勢ぞろいしている。
以前ここに住んでいたリーデル伯父さん一家も一緒だ。
さすがのベルマン屋敷もこれだけの大所帯だと手狭になる。
忙しそうにしているユンさんを手伝ってみんなで会場の準備をしていると、まさに親戚の集まりだ。
たとえごちゃごちゃしていても、やっぱりこういう空気の方が落ち着くな。
「兄さま、お友達が多いのね」
しばらくエレナたち姉妹と歓談していたアリスが、俺に向かってふと聞いてきた。
どうやら王都での俺たちの暮らしぶりを聞いていたみたいだ。
「そうかな? いや、たしかにこっちにも沢山友達がいるな」
学院、道場、商会。
気の置けない仲間がそれぞれにいる。
「アイン君、いっつもどこかから新しい友達を連れてくるのよね。人種も、服装も齢も、全然違う子たちが集まって、アイン君が思いついた遊びをやってるの。あれは不思議な光景だったわ」
エレナの言葉にカミラ姉さんも「そうそう」と相槌をうっている。
そんなこともあったかな?
商会で技術者を集めていたときとかだろうか。
あのころはいろいろめちゃくちゃだったので、弟や妹の子守をしながら開発室にやってくるような人もいた。
そんなときに集まった子どもたちとそんな遊びをしたかもしれない。
「カイル君たちの様子はどう?」
思い出しているうちに変わった話題は例によってカイルの話だ。
「たまにしか会えないんだよ。二人とも元気そうだけど、いろいろ義務とか作法とか面倒だって言ってた」
滞在している王宮で、わずかな時間ではあるが二人に会うことはできた。
二人とも疲れは見えるが存外元気そうで、ちょっと心配しすぎたかなという気持ちになったりもした。
それでもやはり寂しいものは寂しいのだ。
「……二人が魔王退治だなんて、ちょっと前まではこんなにちっちゃな子だったのに……。不思議な気持ち」
厳密には公開されていない情報だが、ここにいる人間には二人がいない理由も伝えてあった。
「でも、普通の子じゃなかったわ。あんな子、学校では見たことないもの」
「……自慢の家族だよ」
「一番普通じゃなかったのはアイン君だけどね」
「…………」
ごめんなさい……。
まあ、俺に限っては、ただ他の世界の人生経験があるだけだ。
「寂しいかもしれないけど、これも良かったのかもしれないわね」
一瞬、ほんの一瞬怒りが湧いた。
俺たちが分たれることの何が良いのだろうと。
だけどカミラ姉さんは俺と違って雑なことは言わない人だ。
何か理由があってのことだろう。
「二人にとってはアイン君のやり方が当たり前だった。アイン君に任せて引っ張られて、それであんなに成長したのかもしれないけれど、それじゃあ勿体ないわ。二人にしかできないことがあるはずだから、一度アイン君と離れてみてわかることもあるんじゃないかしら」
「俺が、引っ張ってた?」
「もう、自覚がないんだから。カイル君たちにとってあなたの存在はすごく大きいのよ。でも、もう大人なんだから自分で決めなきゃいけないときがくるわ。それが今だったってこと」
どうやら、二人のことを話しているが俺に何かを言い聞かせたくて出た言葉のようだ。
言葉の意味はわかるのだが、どこか実感を持つことができない。
なんだか申し訳なくなってきた。
「だけど、それが世界を救う旅だなんて……。さすがに予想外だったわね」
「だから、心配なんだ。遠くにいて自分に何かできないって凄く……」
「……アイン君。それは当たり前のこと。去年、たった一通のあなたたちからの手紙で、みんな凄く心配したわ。詳しいことも何も書いてなかったんだから、今よりずっと。でも、あなたたちを信じてた。大変なことでも乗り越えられる子たちだって。家族と離れるってそういうことなのよ。心配なのは当たり前だけど、二人のこと、信じてあげて」
……そうだった。
今だに色々なところから届く手紙。みんなの心配の声。それを軽視してはいけない。
一通一通に今の俺と同じ気持ちがこもっているのだ。
自分の無力を解決するわけではないが、今この時だからこそ、ちゃんと考えなければいけないことだった。
「……そうだね。俺が一番信じなきゃいけないんだった」
「そう。アイン君はやっぱりいい子ね」
そう言って子どもの頃のように頭をなでるのだった。
さっきは大人なんだからって言ってたのに……。
エレナとアリスの目線が痛い。
カミラ姉さんに窘(たしな)められて、少し考え方は変わったかもしれない。
それでも二人と離れることに不安がある。不満がある。
なのに短い一緒にいられる時間は刻一刻と過ぎて行った。
この後、二人とはアーダンまで一緒に向かうことになっている。
そこで俺たちは今後寄子としてお世話になるゲオルグ・アーダン伯爵にあらためて挨拶。
カイルとルイズは一足先にロムスへと向かうことになっていた。
そこで、エトアよりやってくる聖女様、お馴染みマリオン・オーディアールさんと合流する。
護衛はお兄さんのユークスが一緒に来るというから安心だ。
この人、やっぱりエトア聖国でも有名な人だった。
国でたった一人の聖騎士の称号を持つそうで、知勇仁どれもが優れた人物として有名なのだという。
あの年で騎士団長だもんな、そりゃあ普通ではない。
本当かどうかもわからないのだが、エトア聖国東北部の山岳地帯に住む竜を退治した経歴を持つそうでエトアでは絵本の主人公にまでなっていると。
国の代表として聖女さまとともにカイルたちと旅をしてくれるそうだ。
個人的には恨めしい気持ちが微かにあるが、みんなを守ってくれる存在として信用できる人材なのも確かだった。
しかし、凄い人なのに本人は全然驕らないものだから、それを知るまで随分時間がたってしまった。
なんとか聖都滞在中には知る事ができたのだが、その時には距離感を変えることもできず、モヤっとしたものだ。
閑話休題。
アーダンまでの旅路はたった数日。
この時ばかりは自分が縮めた旅程が仇になった。
それでも王都にいた時とは違い、二人と話す時間をしっかりとることができたのは僥倖だ。
二人は、少なくともカイルは既に勇者の旅路に覚悟があるようだった。
ルイズは見た目平静だが、それなりに思い悩んでいるのだと思う。
それでも、ゼブやイルマが一緒に過ごしたここ数日は彼女にとって安らぎとなったようだ。
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