第97話 長い廊下(下)
俺たちが事件の後始末に走り回っていた間、護衛対象のメイリアもそれなりにやることのある日々を過ごしていた。
女神の託宣が公開されるさまを見届けた時点で、彼女の大本の目的は果たされたことになる。
仮にこの後、なんらかの不幸があって王国に帰り着くことができなかったとしても、王宮の敵対派閥にとっては失敗なのだそうだ。
すでに彼らを追い立てる指示は出されているそうで、こちらに滞在していても主要な敵の排除は進むだろうという予測だった。
貴族の政治というものはよくわからない。
それでも、メイリアを支持して王都で働いてくれている味方を援護するため、しばらくの間彼女は忙しく手紙を出したり、託宣で同席した他国の人間と面会したりを繰り返していた。
俺の仕事は事件の調査に加えてその護衛ということになる。
なにせ、こういった場にカイルを連れて行くわけにはいかなくなった。
ルイズも激戦の結果、結構な怪我をしている。
本人は無理をして動こうとするのだが、俺の見立てでは骨折らしき腫れもあったりしてどう考えても安静にする必要があったので、そこは強制的に療養措置をとらせた。
正直、この頃の俺にとって一番の心配事はこれだったと言える。
その結果、俺を含めた残りの五人はメイリアに付いてまわることが多くなったというわけだ。
しかし、そんな生活も事件後ひと月を過ぎたころに大きく変化することになった。
その転機は一通の手紙だったように思う。
複雑な封蝋が施された親展の手紙。
それを繰り返し読んだメイリアはがっくりと項垂れ、しばらくして椅子に背を預けると天井を仰いで動かなくなってしまった。
何事かと心配して声をかけるミリヤムさんに、「大丈夫、どうやら全部終わったみたいね」と一言声をかけると机に山積みになっていた書類や手紙の片付けに入ってしまった。
その後は、人と会う仕事こそ続けるものの、それまでのような精力的な活動ということはなくなっていった。
急な変化にみんな心配したのだが、本人に聞けば全部うまく行っているという。
あとでオリヴィアさんがそっと教えてくれた内容によると、その時の手紙は王太子によるものだったという話だ。
それでメイリアが暇な人になったかというとそうでもない。
それには女神の託宣の内容そのものが関わってくる。
襲撃直後に公開された託宣の内容は以下の通りだ。
『聖剣が魔王降誕を知らせる。導師と聖女の導きにより勇者は南よりエトアを訪れる。彼の者と聖女に命運を託し、東へ向けて送り出せ』
随分と他人任せな感じがしないでもない。
それでも敬虔なイセリア教徒にとっては重要な言葉には違いない。
そしてその内容が問題だった。
当代の聖女はマリオン・オーディアールさんだと随分前から決まっている。
彼女が導いた勇者というのも、これまでの経緯からカイルなのではないかという話が有力だった。
確かに聖女によって南から連れてこられたと言えなくもない。
そして聖剣を従えた実績もある。
それではもう一人の導師というのは何者なのか。
どうせ、その後の託宣には出てこないのだから重要ではないのではないかと思うのだが、教会の人達は違ったようだ。
彼らはその導師特定の為に力を入れた。
そこで白羽の矢が立ったのがメイリアというわけだ。
実際、カイルがこの国を訪れたのは間違いなく彼女の行動が発端だし、一緒にエルトレアにやって来ている。
友好国であるウィルモア王国の貴人という立場も聞こえが良かった。
勇者と魔術院で学友だった時期も長い。
俺たちの背景が明るくなっていくにつれ、これ以上の適任はないという雰囲気になっていった。
メイリア自身にもそれを否定する材料がなく、「実感はない」という意味の言葉を繰り返しても謙遜としか受け取られない。
あれよあれよという間に託宣の重要人物として祭り上げられてしまった。
この導師という立場。
歴史の中で何度となく現れて後に偉業を成す人物に知明を与える役割を担うらしい。
メイリアはそれに任命されることになった。
百年もすれば聖人の一人に列せられるというから、その人となりを知る俺には苦笑いしか浮かばない。
まあ、実害が無いならいいか。この時はそう思っていた。
国内の政治工作が一段落したのと入れ替わりに、宗教上の重要人物として外交業務にせいを出していると今度はウィルモア本国からこちらを訪ねるものがいた。
それも完全武装した騎士が五十人以上も雪の街道を通って。
王太子殿下、メイリアのお父さんが送って来た近衛騎士団一個中隊だそうで、人数は中隊というには少ないものの精鋭揃いだそうだ。
封蝋の手紙が関係あるのかどうかはわからないが、娘を守るために遅ればせながら護衛を出したということだろうか。
もとからこの人員を割いていれば俺たちの出番はなかったように思うのだが、これはどういった経緯なのだろう。
オリヴィアさんたちが言うには、これ以上信頼できる兵力もないとのことで俺たちの護衛業務はこの後かなり縮小されることになる。
実際彼らは優秀で、精神制御対策の相互確認方法等、自分たちを疑うような体制もすんなり受け入れてくれた。
主を守るためならこれくらい当たり前なのだそうだ。
彼らが常駐してくれたことで個人的に助かったのは剣技の訓練相手に困らなかったことだ。
雪に閉ざされたエルトレアで手練れが一緒に住んでいるというのは一剣士として得難い経験だった。
青進流の特徴の一つである集団戦。
それに参加することで、武技だけでなく戦術の幅を広げることができた。
ただ、彼らの根性論というのが凄まじく、せっかくの雪だからという理解不能な理由で行われる雪上訓練の苛酷さは正直思い出したくない。
オド循環がなければ絶対に乗り越えられなかったと思う。
月日は過ぎ、雪解けの足音とともに帰国することになる。
王女であるメイリア、勇者カイルに療養の終わったルイズは陸路で近衛騎士団と帰国。
俺だけが海辺に残して来た海龍丸持ち帰りの任を背負って最寄りの港町へと向かった。
いや、厳密に言えば従士組、ヘルゲさんとデニスは俺の方についてきてくれることになった。
船の運航は魔術のお陰で一人でも可能だが、荷下ろしはマンパワーがものを言う。
正直それはかなり助かる申し出だった。
襲撃の日、大聖堂の付近で退路の確保を行っていた二人は最初期に異常に気が付いた。明らかに下見の時と比較して数の多い周囲の冒険者を警戒し、情報収集を行いながら退路確保の任務を忠実に守っていた。
ほどなく始まる大聖堂警備部隊と襲撃者の衝突。
しばらくの間、二人は焦りながらも事態の推移を見守っていた。
彼らの任務は俺たちの退路を維持することだったから。
しかし、続々と集まってくる冒険者姿の者たち。
ついに警備をすり抜けるものが現れるにいたり、ヘルゲは我慢できなくなった。
このままでは大恩あるメイリアが危ない。
大聖堂まで馬車で乗り付けると入口を塞ぐ形で槍を構え、敵を迎え撃った。
これは完全に命令違反だ。
その上、従士二人の格好は襲撃する冒険者とそう変わらない。
味方であるはずの警備部隊に敵と誤認される可能性すらあった。
それでもヘルゲにはこの状況が我慢できなかった。
各地であがる戦いの声から推察するに、この場所は侵入経路のほんの一部。
ここを食い止めても全体の中では焼け石に水に過ぎない。
だが、それでも死守する理由があった。
王女にとって必要な逃走経路。たった一か所を守るために命を張る意味がある。
デニスさんはそんな様子を咎める必要があった。
しかし、彼だって心配なのは同じなのだ。
もう後戻りをすることもできない。
同僚を危険に晒したままにするくらいなら隣に並び立つ方がマシだと判断した。
そしてなんとか警備担当者に声をかけると自分たちが敵でないことをつげ、援護に回ったのだった。
大聖堂の外延部。
最も早く戦いが始まり、最後まで続いていたこの場所を彼ら二人は守り切った。
それは潜伏して逃走経路を確保せよという命令に対する明確な違反。
二人はその責任をとって減給と人夫としての重労働が課せられることになった。
それが俺の付きそいというわけだ。
数か月の間があり随分遅くはあるのだが。
最後に、今回の護衛で公的に彼らが犯した罪はこの『命令違反』のみであることを追記しておく。
ヘルゲは勇敢に戦い、ちゃんとその報いを受け取ったのだ。
デニスさんだけが損をしているような状況だが、それに不満を示す様子は無かった。
三人で気楽な船旅、と行きたいところだったが、春の海は水温が低く、被る波と風で容赦なく体力を奪う。
そして季節特有の荒潮が相まって旅路は想定していたより苛酷なものだった。
もしも風力だけを頼りにした帆船だったら、とてもではないがロムスに辿り着くことはできなかっただろう。
船乗りの技は伊達ではないのだ。
それでもなんとかロムスに辿り着き、陸路の部隊と合流を果たした。
手紙で知らされてはいたが、ナッサウ軍は撤退しておりハイムは無事。
クルーズはきっちり自分の街を守ってくれていた。
この事実に聞き及ぶことで、やっと、長い長い護衛任務が終わったのだと実感することになった。
ここでささやかではあるが、パーティをすることになった。
参加者は最初に王都を出発した八人。
ただみんなで食事をするだけだ。
決して贅を尽くしたものではなかったが、ロムスに集まる食材をふんだんに使った料理はみんなを満足させることができたと思う。
俺やミリヤムさん、デニスさんが行きの船で約束したこと。
すべてがそのまま守れたわけではない。
カイルのこともある。
この後何が起きるのかはわからないが、無事みんなで王国に帰ってきた。
その間にあったことを考えればこれほど喜ばしいことはないのだ。
それを最初のメンバーで分かち合った。……分かち合えた。
ここから王都への旅路ではこれまでのようにはいかない。
王女であるメイリアに近づくのは実質侍女であるオリヴィアさんとミリヤムさんだけだろう。
これが本来の王族(かのじょ)の旅の姿なのだ。
だから俺たちの旅はここで終わりだ。
今後のことを考えなければならない。
他人事ではなくなってしまった魔王との戦いについて、当事者でないなりに準備をする必要がある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます