第96話 長い廊下(上)
「カイル・ロビンス子爵。これより王命が与えられる。傾聴せよ」
宰相が続けた。
王がそのまま話してもよいと思うのだが、いろいろ作法があるようだ。
「ウィルモア王国は汝を勇者として認める。子爵、これよりルイズ・エルフェン士爵とともに盟国エトア教国の聖女を迎え入れよ。その後、世界を脅かす魔王の調査任務を命ずる」
「……王命のままに」
あわせてルイズも頭を垂れる。
「クルーズ・ロビンス、汝は嫡子とともに領土の安堵に努めよ。期待しておる」
この言葉は事前に伝えられていたから知っている。
俺がここにいるのに理由があるとすれば、この一言を聞くためだけだからだ。
……それでも、意味するところに歯を食いしばらざるを得ない。
感情を制御できない。
俺は、ずっといっしょにいた家族が危機に立ち向かおうとするそのときに、となりにいてやることはできない。
そういうことだ。
「勿体なきお言葉。身命を持って努めます」
……簡単に言えば、クルーズと俺は勇者カイルに対するご褒美でここに呼ばれたのだ。
そして、兄である俺を領地に封ずる形で実家の安寧を約束する。
貴族(かれら)のやり方で最大限の配慮、優しさなのだろう。
しかし、そこに心を慮(おもんぱか)るという考え方はない。
もう一か月以上も前、メイリアの時とは異なる、ちゃんとした書状がロムスに届いた。
その内容は婉曲なものだったが、今日この日、こうなるということは明確に示されていた。
それだけ心の準備をする時間が与えられてなお割り切れないのは、単に俺の未熟さ故(ゆえ)だ。
しかしこの感情を外に出すことだけは許されない。
この場での振る舞いには家族の、ひいてはロムスの未来がかかっている。
王前で詳しい話がされることはなかったが、クルーズの領地はこれまで代官を務めてきたロムス一帯がそのまま引き渡される。
このままだと、その領地を持っていたアーダン伯爵家が丸損なのだが、そうでも無いように調整されていた。
冬のエルトレア襲撃については王国からも手引きがあったことがわかっている。
そして王国内で何度かあったメイリア王女暗殺未遂事件。
責任を取らされて何人かの高位貴族が立場を追われた。
外交や派兵関係でちょっかいをかけてきたナッサウ伯なんかがこれにあたる。
結果的に増えた広大な天領から、上等な場所がアーダン領には編入されることになっている。
ロビンス男爵家はアーダン伯爵家の寄子となり協力関係を維持するという算段だ。
これまでとそこまで変わらないと言っていい。
一方でクルーズの仕事は増えるが、領地経営に取れる権限も増える。
それ単体でなら確かに悪くない話だった。
王家としても、内部で派閥をつくり争わせようとするような面倒な有力貴族を整理でき、懐を痛ませずに褒章を与えられたということで気楽なものなのだろう。
この場にいるのも、だいたいはそんな相手と対立していた者たちなので、さして厳しい目を向けられることもなく受爵は終了した。
すべてが終わり、王宮の長い、長い廊下を歩いている。
「アイン、待て」
クルーズと一緒に準備されていた部屋へ向かおうとしていると、声をかけてくるものがいた。
振り返るとクラウス殿下が立っていた。
謁見の後なので御付きもつけずに一人でいる。
俺たちは王族に対する礼をとり、言葉を待つ。
今日から貴族ということで、これまで平民として取っていたものとはまた異なる礼儀作法が必要なのだが、なんとか正しいふるまいができたと思う。
「楽にして良い。クルーズ男爵、しばらく子息を借りたい。話したいことがあるのだ」
「仰せのままに」
わずかな驚きの感情が伝わって来たが、それは殿下が一貴族にそれなりの礼を示したからだろうか。
どちらにせよ断る選択肢はなかったので、クルーズは俺に一瞬だけ目配せをすると一礼してこの場を後にした。
「いかがしましたか、殿下」
「人払いは済ませた。だから率直に言う、父上のことだ」
確かにマナ感知に反応らしい反応は無い。
「陛下、ですか」
「お前たちに対する言葉は本当に褒美として出たものだ。だからあのような顔をするな」
……直々に釘を刺されてしまった。
気を付けていたつもりではあるが、この人の目は欺けなかったようだ。
「あの場にいた者はお前たちを敵視はしていない。しかし、王宮(ここ)にはそういったことに敏いものが多い。不必要な感情は要らぬ敵をつくるぞ」
面倒な立場に長年晒されている殿下の言葉だけあって含蓄がある。
「カイルとルイズについては私の方からもとりなしておく。お前が同行するというわけには行かぬだろうが、何かあれば都度連絡がいくようにしておこう。だから倦まずに目の前のことに努めよ」
「……失礼致しました」
「良い。それに、これはついでと言えばついでだ。実のところ、ただ礼が言いたかった」
たとえ、大きな助けを得られても、臣下に王族が礼を言うことは少ないというのは前述の通りだ。
「よくメイリアを助けてくれた。私がやりたいと、そう願ったところで叶わなかったことだ」
クラウス殿下はこの件に関しては中立だったはずだ。
「よくわからない、という顔だな。王族にとて家族への情はあるのだぞ。メイリアのことは赤子の頃よりよく知っているしな。あれで兄上は兄弟からは信頼されているのだ。周りの貴族はそう思っておらぬようだが」
つまり、家族を思うのは当たり前だろう、とそういうことだろうか。
それならよく理解できる話だ、本当に……。
「……彼女は大切な友人ですから。それを助けたことにお礼なんて」
率直な言葉には率直な言葉を。
殿下は立場らしからぬ話をわざわざしてくれているのだから。
「……友か。あれも存外運の良い娘だな。王族というものはそう簡単には得られないのだ、友など。それも自らのために命を投げ出してくれる者が何人も。何年か前は境遇に拗ねていたものだが、成長したな」
メイリアにもいろいろあったのか。
「それも、殿下の『繋ぎ』がなければできませんでした。友人を亡くさずにすんだのは殿下の御力添えのお陰でもあります」
「そうか。まぁ、私が何もしなくともお前たちもメイリアもなんとかしたかもしれないが、力を貸せたというのは悪くない気分だな」
そこで殿下はすこし稚気のある笑みを浮かべた。
「それでも恩義に感じてくれるというのなら、例の『特許』の執務、真面目に考えよ。せっかく王宮に出入りできる身分になったのだからな」
「……お礼を述べに参られたのでは?」
「貴族相手に隙を見せればこういうことになるということだ。この件は冗談ではないからな。お前が頷けばすぐにつける役職も準備してある。考えておけ」
そういって鷹揚に笑うと、俺とは逆の方向に向かって歩こうとしたところで振り返る。
「そうだな、もうひとつ忠告しておこう。この国で最も高みにいるのは父上だが、我ら兄弟が最も怒らせると怖いと考えているのは兄上、長兄殿だ。よく覚えておけ」
言葉の意味を確認する間も与えずに、今度こそ歩き去ってしまった。
一人、廊下に残される。
しょうがないので少しだけ考え事をすることにした。
どの話も、急ぎ呼び止めて話すようなことではなかった。
それでも殿下は俺のことを心配して声をかけてくれた。気を使わせてしまった。
殿下だけではない。
あの『襲撃』の日を越えて半年、多くのことがあって多くの仲間に迷惑をかけた。
近況と無事を伝えた俺たちには毎日、身近な人たちから手紙が届く。
ただ、安堵の感情を伝えるために。
この世界では手紙の送付は決して安価なものではない。
それでもみんな送ってくれるのだ。
このことの意味を忘れないようにしなければならない。
大聖堂で襲撃があり、なのに託宣の儀を遂行したあの日からしばらく、当たり前のことだが俺たちは事件の後始末に追われることになった。
現場検証に立ちあい、事件の全貌を把握し、敵の黒幕を追った。
わかったこと、わからなかったこと、それぞれあるがやはり襲撃は例の精神制御を軸に企てられたものの様だった。
教会関係者が手引きし、冒険者として入国したものが襲撃を行う構造。
この事件を重く受け止めたエトア教国は黒幕を『ベスティア』という名で呼称、超国家的な反体制組織として徹底抗戦を声明発表した。
ベスティアとはかつて首脳陣が魔王に与そうとし、人類に敵対して滅びた国に関する言葉のようだ。
実際のところ、託宣にあった魔王との関係はわからない。
しかし、こうすることが都合が良かった。
組織に浸透し、内部から破壊工作を行うような敵は『人でなし』でなければならない。
敵は人ではなく魔物。だから容赦は必要ないと。
魔王と協力する敵という存在は人々の間に不安を呼んだが、希望もあった。
聖女(マリオン)と勇者(カイル)の存在だ。
彼らの行使した奇跡は便宜上『解呪(ディスペル)』と呼ばれ、邪術に対抗策があることを知らしめた。
教会の持つ秘術を組み合わせれば一定の再現も可能ではないかと言われている。
教会がどの程度それに成功しているかはわからないが、おそらくこの情報の確度は高い。
なぜなら、魔術の本質に近づいた俺にも時間をかければ可能であるという見立てがあるからだ。
解呪に成功した実行犯たちの証言で、精神制御の及ぶ範囲もわかった。
彼らはそれぞれ普通に生活していたが、気が付けば捕縛されていたのだという。
しかし、おかしな点としてエトアを訪れる予定はなかったはずなのに、なんの疑問も持たずにここに来ていたという者が数多くいた。
偽ドルー騎士団のときと兼ね合わせて考えると、邪術は催眠術のように行動を操れるが自覚症状は無い。
なんらかのスイッチによって強い衝動のもとに行動させられる。
操られた状態でも作戦行動がとれる程度の自律的な思考能力がある、そんなところだろうか。
非常にやっかいな術だ。
それでも具体的なことがわかってくれば組織的な対策もできるということで、エトアや友好国の間では少しずつ精神制御の対抗策がとられていっている状態だ。
他に、面倒ごととしては教会内派閥からの敵対工作があった。
事前に聖堂騎士団から精神制御に関わる通告があったにもかかわらず、襲撃の手引きをしてしまった教会は大きく発言力を低下させた。
聖女の身は一つなので、聖別を受けられた人間が限定的なのは仕方がない。
しかし、どうも彼らは精神制御対策自体を軽視していた節がある。
後から集まった証拠によって、少なくない人間の進退が窮することになった。
これに一部の派閥が大きく反発したのだ。
他国からやってきた自称勇者――カイルは自称なんてしていないのだが――が聖女を誑かして国難を呼ぼうとしていると、レッテルを張り付け悪役に仕立て上げようとした。
実際、教会関係者でもないカイルが勝手に聖剣を手にして武器御法度の大聖堂内で振りかざしたのだからそれは罪といえば罪だった。
とはいえ、そんな難癖が通るわけもない。
教会のタカ派がどう考えたかは知らないが、あの場に居合わせたものでそんなことを言うような人間はいない。
キトリーという名の高位司祭はこの意見に強く反対し、カイルの立場を守るために精力的に働きかけてくれた。このことには感謝している。
教皇も、早々とカイルのことを勇者と認めたため、この派閥の運動はじき、収束することになった。
こういった調査といざこざのお陰で、結局エトアにはまるまる冬の間、四カ月も滞在することになってしまった。
冬の雪で身動きがとれないからという理由もある。
どちらにせよ、あまり楽しい日々とは言えなかった。
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