第94話 此処より始まる物語

 避難できるのは魔術師のみ……。

 それでも考えている時間はない。


「なら、入れる人だけでも、あなたも早く!」


「魔術師がいるのか。なら、その者は行きなさい。私はみなを置いて行くつもりはない」


 教皇も意地悪で言っていたわけではないらしい。

 この判断が正解なのかはわからないが……。


「私は行きませんよ」


 メイリアの言葉に、何を言っているんだと思う。

 しかし、彼女の言葉に、その視線の先を見て気が付く。

 聖剣、そして怯えた参列者たち。


 もとより、命がけでここまでやってきたのだ。

 この託宣が失敗すれば王国に彼女の居場所はない。

 それくらいのことは思っているのかもしれない。

 参列者を見捨てて生き残った王国の王女は各国にどう思われるか。

 そういうことなのだろう。

 周囲がどう思うかはともかく、それくらい覚悟はしていると。


 正直に言えばその考え方には同意はできない。

 命さえ助かればやりようはあると、俺はそう思っている。

 最悪、亡命でもなんでもすればいい。

 ここまでやってこれたなら、それくらいのことはできる。


 でも、あまり問答をしている時間もない。

 彼女の意志を尊重したのではないが、託宣の間へ避難させることはいったん諦め、次善の策を用意する。


 祭壇の後ろにかかっている大きな旗を掴むと目いっぱいオドを流し込む。

 この部屋に入った時、まず確認したことはそれだった。

 循環による身体能力の強化とオドを使った魔術の行使。

 地脈はあまり拾えないがオドなら自由が利く。


 それに幸運なことにこの旗は主に絹でできているようだった。

 これならできることがある。


 錬金術。

 対象に対する理解が深ければ深いほど、魔力の消費を抑えて行使することができる技術。

 そして、俺には化学の知識がある。


 絹、絹糸はフィブロインと呼ばれるアミノ酸を主体とした高分子だ。

 当然それは炭素、水素、窒素等を主体に構成されている。

 有機素材の主原料となる炭素や水素は自然界に豊富に存在する。

 それでも空気中に存在するのは二酸化炭素でも0.04パーセント程度。

 一立方メートルに炭素は0.2グラムしか存在しない。

 それを集めるほどの魔術はここでは行使できなかった。


 しかし、素材となるものがあれば話は違う。

 この旗は見上げるほどの大きさ。

 目算百キログラムは有りそうだ。

 それだけの高分子があれば!


 既に壇下は死屍累々だ。

 倒れた人間ばかり、そして三か所ある入口からは少人数ずつではあるが敵の増援が入り続けていた。


「アイン君、ここは任せる。私は下で戦うよ」


 それまで聖女を守り、参列者の避難する道を作っていたユークスが言った。

 もう、戦える者を遊ばせる余裕は無いと踏んだのだろう。

 俺の知る限り、数年前の時点で彼の強さは一線級だった。


「ご武運を!」


 問答する余裕もなく、魔力を行使しながら答える。

 ユークスもそれ以上何も言わずに飛び出した。


 魔術を使うことに集中する。

 少しでもオドを節約するため、フィブロインの構造を想像する。

 主な構成はアミノ酸、それも特殊なものじゃない。

 グリシン、アラニン、チロシン……そして結晶性、非結晶性それぞれの部分を持つ……。

 なんとか全体にオドを行渡らせてその物性を変性させていく。


 横目で戦局を確認すると、想像以上に好転していることがわかる。

 ユークスは落ちているものを拾ったのか、槍を片手に獅子奮迅の大活躍だ。

 まさに蹴散らすように進んでいた。

 これならあるいは……、そう思った時に敵の後続が持っている武器に気が付いて一気に背筋が凍る。

 あれは、ボウガン……。

 それも一つや二つではない。

 おそらく五名以上が斉射の形で構えているのが目に入った。

 それもその全射が壇上、こちらの参列者を狙っている。


「伏せて!」


 そう叫んだが、従ったものはごくわずかだった。

 焦りながらも旗の中のオドを使って天井部の留め具を外す。


 間にっ、合えっ――。


 落ちてくるそれを一本背負いの要領でメイリア達参列者の方へと投げ飛ばす。

 遅れて発射される矢。

 覆いかぶさった旗にばすばすと音を立てて立て続けにそれが突き刺さっていった。

 その様子に上がる悲鳴。

 だが、大丈夫なはずだ。

 矢は全部旗に捕らえられているはずっ!


「先輩! なんですかこれ」


 状況がわかっているのかいないのか、突然重い布地を被せられたメイリアの声が聞こえた。

 隣では聖女ももぞもぞと動いているのがわかる。

 良かった……。


「そのパレオと同じだ。この旗は矢を通さない。上手く使って参列者を避難させてくれ」


 内心の安堵を顔に出さないように気を付けながら指示を出す。

 次はあのボウガンを持ってるやつらをなんとかしないとな……。

 装填には結構時間がかかると思うが、護衛対象の多いこの状況で相手に飛び道具があるのは良くない。

 ユークスを見れば、引き続き奮闘している様子が見える。

 しかし先ほどとはちょっと感じが違う、これは、引き付けられている?


 敵方にもかなりの手練れがいる。

 そしてそいつはユークスと真っ向からは打ち合わずに、逃げたり他の敵をけしかけて隙をつこうとしたりしているようだ。

 しかも、壇上の護衛対象を狙うふりを頻繁に見せている。

 これではユークスが自由に動けない。


 俺が行くしかないか。

 なけなしのオドを循環にまわし、奪った棒を手に壇を飛び降りる。

 近づくことができれば容易にボウガンは発射できないだろう。


 しかし、それに気が付いたのか、敵は俺をすり抜けて教皇たちの方へと向かおうとする戦術に切り替えてきた。

 今の護衛の数では抑えきれない!


 看過するわけにもいかず、そいつらの相手をすることになり今度はボウガンの方を自由にさせてしまった。

 しかもこれは……、後ろから増援!? 


 どれだけの数の敵がここに投入されているのか。

 すでに健在な司祭服の者はおらず、そのほとんどは冒険者然とした装備に身を固めていた。

 こちらは礼服に拾った武器。

 相手は完全武装。

 かなり分が悪い……。


 その時、マナ感知に微かにかかる敵の増援らしきものが、少しずつ動きを止めていることに気が付いた。

 その後に左手の扉から飛び込んできた一つの影。


「マリオン!!」


 まごうことなき俺の弟、カイルだ。

 どうやら兄である俺のことは眼中に無いようだが……。


 照明の消えた薄暗い部屋に、外の光を背に立ったカイルの金髪と白い肌はまさに後光が差してしるように見える。


 そして――。


「!?」


 それは本当に突然起きた。

 背中が粟立ったような不気味な感じ。

 俺の後ろ、壇上の聖剣からだ。

 これまで締め付けられるようにただ抑えられていたこの辺り一帯のマナが、湧きたったように一斉に活性化する。

 自然界では観測したことのない状況に、本能的な恐怖を感じる。


 しかし、その混沌とした様子はそう長く続かなかった。

 すぐにそのマナは穏やかになっていき、ある一つの感情を乗せて放たれる。


 ――これは、歓喜?


 あるいは歓迎だろうか。

 たった一人、息せき切って駆け込んできた者。

 俺の弟、カイルを迎え入れようとしている。

 そう感じる。


 このわずかな時の流れのなかで、俺はある事実を理解していた。

 それは言葉にすれば長くなる、しかし経験すれば瞬時にわかること。

 この世界における魔術と魔力の本質についてだ。


 そして、その学びから一つの答えが導きだされた。

 現状を打破するために、選ぶことのできるたったひとつの選択肢。


「カイル、行け!」


 それ以外の言葉は要らなかった。

 俺が理解できたことは弟にもわかっていたはずだから。


 ……それでもこの後、長い間、俺はこのときの言葉が本当に正しかったのかと懊悩することになる。

 一度口にしたことは覆らないし、おそらく俺が何もしなくても同じようなことが起きていたはずだが……。


 小川を流れる落ち葉のように、襲撃者の合間をすり抜けてカイルが壇上へと向かう。

 そして敵の増援は今もなお後を絶たない。

 特にボウガンを持っている敵が厄介だった。

 護衛する対象のいる俺たちにとって、ただ狙うだけで行動を制限される遠隔武器は脅威だ。

 そしてこれまでの様子を見るに相手は自分の仲間がそれに巻きこまれることに躊躇していない。

 これも精神制御のせいか……。


 不愉快な思いをしながらもやれることをやらなければならない。

 当初の目的の通り、後方で矢をつがえている相手に循環で強化した足で一気に飛び掛かかり、攪乱するように一人一人打倒していく。


 こんな中でも頭をよぎるのは魔術の本質についてだ。

 真理と言い換えてもいいのかもしれない。

 多勢に無勢。

 本当なら目の前の敵に集中しなければいけない今。

 それでもこんなことを考えてしまうのは、余裕があったからだ。


 自分のオドが随分回復している。

 あるいは戦場のマナが俺を助けている。

 ここまで、不気味なほどに動きの無かったこの部屋の魔力が、今俺たちを、カイルに与するものを全力で助けようとしている。

 今まで通り魔術が使えるのなら、戦力は倍増どころの話ではない。

 絨毯を固め、相手の足を滑らせる。

 ベルトを硬化させて拘束する。

 振りかぶられた剣を操って手元から離れさせる。

 とれる戦術はいくらでもあった。


 それに加えて、魔術の本質を知った俺はこれまでの人生で最も振るえる魔力が多くなっていた。

 最も強く、最も大きく、最も効率的に。

 ただ一つの気付きが圧倒的な変化をもたらしている。


 そしてその、思わぬ自身の能力強化も、この部屋においてはとるに足らないものでしかない。

 この部屋に聖女と聖剣が揃い、カイルがいるからだ。


 壇上から強い光が差す。

 強いのに優しい。

 それでも圧倒的な光。

 無理やりにでも安寧を与えるような力は一本の剣から放たれていた。


 室内にいるすべての人間が壇上を見つめている。

 一様に、理解できない、という顔を浮かべて。

 敵、味方、戦闘員、非戦闘員の差はない。

 ただ、二人だけが例外だった。


 矢に狙われているにもかかわらず、俺の作った旗の影から出て祈る聖女がいる。

 魔術の才あるものでなくとも目視できるのではないかと錯覚するほどの濃密な魔力が、彼女の祈りによって地脈から汲み上げられている。

 そしてその行先は……。


 何か狙いがあったのか、それとも偶然なのか。

 祭壇のとなり、瞠目する教皇の前には俺の弟が堂々と立っていた。


 ――聖剣を掲げて。


 聖女の集めた魔力はその全てが聖剣へと渡り、この部屋を照らす光となる。

 変化はゆっくりと現れた。

 一人、また一人と光を浴びた襲撃者が倒れ始めたのだ。

 わずかに耐えたものもうずくまって動かなくなってしまう。

 後続の増援も同様に、しばらくすると新たにこの部屋に入ろうとする者もいなくなった。

 あっけない最後。

 絶体絶命とも思われた状況はここに収束した。


『奇跡』


 誰もがそう思う。

 事前に想定することが出来ない、好ましい結果。

 そしてもう一つ思い浮かぶ、奇跡を行使する者の名前。

 誰かがそれをつぶやいた。わずかな熱を持って。


 相対するように、薄っすらとした寒気を感じる。


 お構いなしにその熱は少しずつ部屋の中に広がっていき、祈っていた聖女が立ち上がった時に決定的になった。


「――――」


「――――」


 興奮気味な話声。


「――――」


「――――」


 感情のさざめきは、やがていくつかの限定的な単語に集約され、称えるように繰り返されていく。


 歓喜の渦の中で、俺は取り残されたように立ち尽くしている。

 言葉は聞こえているはずなのに、なぜか内容を理解できない。


 それでもただ一つだけわかっていることがある。





 ――今日この日、俺の弟は勇者になった。





 ――――なって、しまったのだった。

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