第93話 今日、この日のために(下)

「これより託宣の儀を始める」


 ゆっくりと壇上に上がった年配の司祭の言葉とともに部屋の明かりが落とされる。

 一部護衛達の間に緊張が走るが、どうやら演出だったようだ。

 舞台には魔術具と思われる魔力的なやわらかな明かりが灯っており、照明が消えたことでそれが目立つような造りになっていた。

 とはいえ、薄暗い室内は襲撃を考えるとあまり気分の良いものではない。

 こういったものに合理性を説いても仕方ないのかもしれないが。


 続いて入場してきたのは、先ほどまで忙しく聖別を行っていた聖女様、マリオン・オーディアールその人だ。

 カイルたちが結構親しげにしているせいで気にしたこともなかったが、一国で象徴となっているだけあって神秘的な佇まいをしている。

 光の演出効果もあって見慣れていない人達に荘厳さを演出するには十分だ。

 護衛のユークスは壇の下で待機し、聖女様の様子を見つめているが、こちらはこちらでオーラがあった。

 続いて他方から一人の司祭服を着た男が入場してくる。

 深い皺(しわ)が刻まれた厳しい顔つき。

 そこから感じさせられる年齢にそぐわない綺麗な姿勢。

 古びた一本の剣のような印象の男。


 彼が託宣を受けるという教皇だろう。

 俺たちは受領した託宣の公布を見届けるという話だったので、彼がここにいるということは、すでに女神の言葉は賜っているということになる。


 その儀式は苛酷なものだったのだろうか。

 峻厳な印象の額には汗が滲(にじ)み、その姿勢から考えられないほど疲れを感じさせる足取りで一歩一歩進んでいる。

 両手には一振りの長剣。

 それがこの場に現れた時から、俺の心の警戒段階は最大限に上がっていた。

 武器の持ち込みが禁止されたこの部屋にそれがあるからではない。

 その剣がただただ異常だったからだ。


 この部屋の特殊なマナの状態。

 俺はそれを巨大な魔術具によるものだと思っていた。

 あるいはなんらかの遺物だと。

 だが違う。

 これはその一本の剣が起こしている現象だ。

 大気のマナのすべてを従え、そこに『ある』ようにしている。

 一つの道具の域を超えた力だった。

 マナを詠む技術を鍛えてきたものにとって、受け入れがたい存在。

 メイリアもその剣に対して目を見張っている。

 だが、ここに参列している幾人かにとっては歓迎すべきものだったようだ。


「聖剣……」


 静かだったはずの部屋に微かなざわめきとともに聞こえた言葉。

 どうやらあの剣はありがたい存在として知られているらしい。


 周りの様子から、少なくとも人を害すために持ち込まれた剣でないことを悟った俺は少しだけ警戒を緩めた。

 とはいってもすぐに部屋から逃げ出す、とか飛び掛かって剣を奪い取るという行動をとらないというだけだが。

 教皇は介添えをしようとした他の司祭を手で制し、祭壇の前までなんとか向かうと手にした剣をその上に安置した。


「聖女よ、こちらへ」


 それだけつぶやくと、深く息を吐いて目を瞑る。

 言葉に従って祭壇の前に立った聖女様は、何か教皇と言葉を交わすと両腕を組んで祈り始めた。

 すると、一瞬だけ、部屋中のマナが反応を示す。

 説明が難しいのだが空気全体が毛羽立った感じだろうか。

 そのマナに答えるように輝きを放つ聖剣。

 当たり前の話なのだが、やはり魔術具の類なのだろう。

 部屋中から驚きが伝わってくる。


「女神の託宣は下った」


 儀式は続く。


「見よ、この光を。これこそ魔王降誕の証。勇者ジリルの剣は世界の異変に呼応しておる」


 場を支配する不安。

 魔王という現実味のない言葉。

 ただ、ここにいる人間にはその実感があった。

 大陸中で発生している魔物の活動活性化。

 ここ数年、明らかに個体数が増加している。

 それにあわせて人的、物的被害は増加しており、どこの国でも治安維持と経済不安対策にかかりきりだ。

 そこにわかりやすい理由がついたことになる。


「静まりなさい。託宣はただ危急を示すものではなかった。女神の慈悲は常に我々のために向けられている。我らの救い、勇者ありと」


 その言葉で何がどう静まるというのか。

 とはいえ、続く言葉は聞き逃せない。

 結果的にみんな沈黙を選ぶことになった。


「『南の地の勇者、導師と聖女の導きによりエトアを訪れん』、これがイセリア様の示したお言葉だ」


 聖剣により抑えられたマナの中でも感じられる参列者の希望。

 ここにいる人間は本当に『勇者』という個人に状況の解決を委ねようと考えているのだろうか。

 あるいは、おとぎ話ではない歴史の中に、何か勇者という存在の超越性を示すものがあるのかもしれない。


「――聖女よ……」


 教皇が、傍らの聖女に何かを語りかけようとしていた時だった。

 外から何かせわしなく走り周る物音、そして争うような声が聞こえる。

 儀式の最初に司会をしていた男が、顔色を青から赤へと変えながら外の様子を見に向かった時、外から入口が開け放たれた。

 照明が落とされた室内に光が差す。

 眩しさのせいで正確に視認できていないが、そこに立っているのは三人の男だった。

 それを司祭がたしなめようと向かっていく。


「神聖な儀式の途中です。あなたは何を――」


 ――そして、

 司祭が一刀のもとに切り捨てられたとき、部屋の人間の四割ほどはすでに行動を開始していた。

 すなわち、自らの護衛対象を守ろうとしたのだ。

 ユークスは一歩で壇上に飛び上がり、聖女と教皇を避難させようとしていた。

 他の護衛も要人を背にじりじりと後退している。

 そしてほんの一部の人間は三人の人影に向かって飛び掛かって行った。

 そのまま押し合いをして膠着状態に持ち込んでいるのはいいが、こちらには武器がない。

 恐らく拘束することはできないだろう。


 その間、俺も何もしていなかったわけではない。

 メイリアと近くの要人に伏せるように指示すると、避難経路を確認しようとしていた。


 そのときだった。

 室内の各所から諍いが発生し始めたのだ。

 確認すると、一部の司祭が周りの要人に襲い掛かり始めていた。

 ついさっきまで静粛に業務を全うしていた者たちだ。

 間者が紛れ込んでいた?

 違う、これは……、精神制御だ!

 

 まずいことになった……。

 教会関係者に対する精神制御の可能性は以前から考えていた。

 旅の途中で俺たちを襲った者が司祭の服を着ていたし、彼らを操る事ができれば襲撃に融通が効くからだ。

 だから、教会側にも注意喚起を促していたのだが、身内を疑われたと思った彼らの動きは悪かった。

 それでも相互に監視する体制を敷く約束を取り付けていた。

 それに、聖別だって受けたんじゃないのか。

 どうやって網目をかいくぐったのか、ここまでの人数を一度に操ってくるとは……。

 恐らく、入口の三人も教会関係者か、彼らが手引きした者たちだ。

 身のこなしからすると恐らく後者。

 どこか戦い慣れている感じがする。

 しかし、今は彼らに関わっている余裕はない。


 メイリアを襲おうとしていた司祭を背負って投げる。


「ここはだめだ、恐らく他の入口も……。周りの動ける人と一緒に壇上に上がってくれ。うまくすれば託宣の間に避難できるはずだ。渡した道具、持ってるな?」


 メイリアは小さく頷くと腰に巻いていたパレオを外し、手早く頭から首を守るように巻き付ける。

 これも俺が渡していた秘密道具だ。

 例の防刃防炎素材なのだが色合いの問題でドレスに使用できなかったものをアレンジしてある。

 薄手だが、刃物なんかから彼女を守ってくれるはずだった。

 そうしている間に新たに飛び掛かってくる司祭の相手をしていると、近くでくぐもった悲鳴が聞こえた。

 あれは、キトリーと呼ばれた老女司祭か。

 どうやら彼女は精神制御を受けていないようで、もう一人の司祭、俺たちに高慢な態度をとったやつ、に首を絞められている。

 どうにか目の前の男を押さえつけようとしたところでもう一人こちらに向かってくるものがいた。

 これでは周囲の人間を助ける余裕がない。


「ぐぁ、あああ」


 そこでキトリーを襲っていた司祭が突然顔を押さえて苦しみだす。

 メイリアがぶつけた小さな巾着が理由だった。

 これは俺たち全員が同様のものを持っているのだが、簡単に言うとトウガラシ爆弾だ。

 合成したカプサイシンを石灰性の粉末に混ぜてあるだけなのだが、どうやら上手く効いたらしい。

 こういうものってあんまり人で試せないしな。

 実戦使用は初だった。


「今のうちに、こちらへ!」


 爆弾の余波を受けてしまったのか、目元を押さえて咳き込んでいるキトリーをむりやり立ち上がらせるとメイリアは周囲の人間を先導して壇上に向かい始めた。

 ……ここは彼女にまかせるしかないか。

 護衛としての仕事を全うできていない自分に歯噛みしながら目の前の敵に当身を行うともう一人の方へ意識を向ける。

 どこから持ってきたのか、棒状のものを振りかぶる相手の懐に飛び込むと軽くしゃがみこんで顎へ頭突きを入れた。

 これ幸いと手首を取ってオドを通しながらその棒を奪い取る。


 どうやら、聖剣のせいでうまく魔術を使用できないこの部屋だが、オドを使えば多少はなんとかなるようだ。

 棒――蝋燭台の柄の部分だった――を振りながらメイリアの方へ向かっていると、一部の参列者がこの部屋から出て行こうとしているのが目に入った。

 まずい!


「そっちはだめです! 他にも襲撃者が!」


 鈍ったマナ感知でようやく把握できた現状は最悪といっていいものだった。

 託宣の間へと続く扉を除いた三か所の入口、そのすべてに誰かしらの気配がある。

 しかも少なくない人数。

 わずかに伝わってくるマナの感情から考えると、こちらの味方だと考えるのは難しかった。


 ほどなく全ての扉が開かれ何人かの体格の良い男たちが中へと入って来た。

 避難のためにそちらに向かった者たちは次々にその男たちに切り倒され、取り押さえられていく。

 最後の逃げ場である壇上へとじりじりと追い詰められながら、なんとか参列者を非難させていく。


「託宣の間へ、避難してください!」


 神聖な場所だろうと人命に優先はしない。

 なんとか無理にでも押し入って籠城戦に持ち込もう。


「それは、できないのだ……」


 顔に汗を滲ませながら教皇が言った。

 この期に及んでそんなことを言っているのかよ!


「違うんだ、アイン君」


 そこで避難者を誘導していたユークスが声をかけてくる。


「あの部屋は、巨大な魔術具だ。そして魔術の使えないものは入れないようになっている。だから避難はできないんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る