第92話 今日、この日のために(上)
準備していた正装に袖を通す。
いよいよ目前に迫った託宣の儀に参加するためだ。
「結局、同席する護衛は誰にすることにしたんだ?」
儀式は特別な部屋で行われる。
もとより武器は持ち込めないし、連れて入ることのできる護衛も各一名と決まっていた。
聖女の場合はおそらく兄であるユークスが受け持つ。
メイリアが言うには、こちらもそれはもう決まっているという話だったのだが。
「何言ってるんですか、先輩に決まってるでしょう」
「……聞いてないぞ。なんで早く伝えてくれないんだ」
精神制御の話があったのでこういった話は直前まで伏せられていたものも多い。
だから、俺でない以上同性のルイズあたりがやるのだと思っていたのだが。
「ルイズじゃなかったのか?」
「要人の多い環境で現場の判断が求められますから、アイン様の方が適任かと」
ルイズは剣を持っていなくても強い。
勘も働くので護衛としてありだと思っていたのだが。
「先輩、前に渡したレリーフ、持ってますか?」
「ああ、持ってこいって言われたからな。財布に入ってる」
懐から革袋を取り出して見せた。
それに対して、オリヴィアさんたち侍女と従士組が驚いてみせる。
「それはウィルモアの直系王族のみが下賜することを許された騎士の証です。それを持つ者は他全ての法を超えて主を守ることを優先することが許されます」
大体知りたいことをミリヤムさんが教えてくれる。
メイリアの出自がわかった時点でただの装飾品でないとは思っていたが、そんな物、文鎮とか言って渡すなよ!
「……おい」
「だからって悪用しようとしたらダメですからね。無法が赦されるわけではないので注意して下さい」
注意とかいう問題か!
「ということで、それを持っている人以上に適任はいません。王国の流儀ですのでそこのところをひとつよろしくお願いできればと」
……どちらにせよ、戦力を考えれば俺たち三人の誰かだったのだ。
驚いてはいるが、それだけ情報攪乱も出来ているだろう。
……なにせ本人が直前まで知らなかったんだからな。
「詳しい事はちゃんと後で聞かせてもらうぞ」
どうせ今一番重要なのは仕事(ごえい)の話だ。
やるべきことに変わりはない。
今回は武器の持ち込みはできない。
別室で控えることになる他の護衛も同様だ。
そのため、色々と仕込みとして緊急事態用の装備を全員に持たせてある。
そのチェックを行う。
当然、メイリアも例外ではない。
ドレスというものは存外隠し場所も多く、もともと非常時を想定した設計なのかなと思わないでもない。
オリヴィアさんたちは侍女服だが今日のためにあつらえた高級なもの。
ルイズは何気にパンツルックの男性的な格好だがこれはこれで似合っている。
動きやすさを重視した本人の要望を取り入れたものだ。
カイルは俺と同じ服なので割愛。
従士二人は今回は大聖堂に同行しない。
大聖堂まわりで非常時の退路確保を担うことになっている。
おかげでおしゃれな礼服というわけにはいかなかったが、代わりに俺が開発した例の新型防具一式を装備している。
「本当に軽いな。これならいくらでも走れそうだ」
「強いて言うなら、弱点は衝撃です。鈍器を持っている相手がいたら注意して下さい」
注意事項を説明していく。
「本当に俺も武器を持っていていいのか?」
ヘルゲは海龍丸に乗る時以来の武装ということになる。
監視対象だった自分が武器を持たされることに困惑していた。
「人手が足りないんです。みんな今更疑ったりしないですからお願いしますよ」
正直、敵の魔術で誰が操られているかわからない以上、他の人間でも同じ、というのは口にしない。
どうせ任せるならよく知った人間の方が良いというのも事実なのだ。
だからメイリアだって仕事を任せた。
「……わかった」
俺の本音を知ってか知らずかわからないが、覚悟は決めてくれたようだ。
「アイン」
女性陣が化粧のために退室したところでデニスさんが声をかけてきた。
「どうかしました?」
何か説明し忘れていただろうか。
「そのレリーフは、誰もが知っているようなものじゃない。持っていても俸給が出るようなものでもない。でも、王宮で働く男にとって憧れのものだ。
お前がそれを持つのをおかしいとは思わない。こうしてエルトレアにいることができるのはお前のお陰だからな。ただ、ああしてなんでもない振りをしているが姫様がそれを渡したということには必ず意味がある。忘れないでくれ」
「……覚えておきます」
メイリアの真意というものはよくわからない。
出会ったときからずっとそうだった。
ただ、この旅の中で彼女を守ること、それを忘れたことはないということだけは断言できる。
今はそれで良いのだと思う。
しばらくしたころ、迎えの馬車が迎賓館にやってきた。
護衛はユークスを始めとする聖堂騎士団の面々。
ここ最近の滞在で見知った顔ばかりだ。
最も信用できる面子と言っていいだろう。
別行動の従士二人とはここでお別れだ。
さあ出発しようか。
ここからは戦場だ。
想定していた通りの経路で大聖堂に到着し、形だけ持っていた武器を預ける。
ここまでマナ感知をフルに使ってきたが怪しい動きをする者はいないようだった。
以前観光したのとは別の入口から聖堂の中に入り、机と椅子の並んだ広い部屋へと案内された。
すでに先客が結構いる。
どうやら、この部屋が、託宣に直接参加しない関係者の待合室になるようだ。
俺とメイリアはすぐに後にすることになる場だが、それでもここに通された理由があるようだった。
「この日、この場に居合わせるものとして聖別を受けて頂きます」
受付から案内された場で静かに祈る一人の少女。
紹介こそされなかったが、みんな誰だか知っている。
外ならぬ聖女様がユークスを従えてそこにいた。
名目は説明された通りだが、おそらく精神制御に対抗するためではないかと思う。
思ったより出番が早いが……。
ここにいる誰かが操られているようなら外交問題で済まない可能性があるしな。
俺たちだって例外ではなく一人ひとりが並んで祈りを受ける。
手早いと言って良い速さだったが、マナからは真剣さが伝わって来た。
みんなと同じように聖別を受けるカイルは何を思っているのだろう。
処置自体は、拍子抜けするようなものだった。
実際に全身を流れるオドにうっすらと影響を与える力を感じたが、これで良いのだろうか。
彼女の能力(ちから)を信じるしかないが、詳しいことを知らないであろう外部の人間は一様にその真摯な姿に感銘を受けているようだ。
無事、入場を許された先。ここでみんなとはお別れだ。
手早くミリヤムさんたちがメイリアから手袋や扇子を受け取り、服を整え始める。
「カイル」
そこでメイリアが、聖別を続ける聖女に少し気を引かれている様子のカイルに話しかけた。
先輩とは言わない。
王女の顔だ。
「なんでしょう」
自分でもまずかったと思ったのかもしれない。
カイルは気持ちを切り替えるためか、珍しく緊張した様子で答えた。
「ここから先、何か起こった時、あなたに独自に動く権限を与えます」
ルイズも、ではなくカイル一人だけ。
「それは……」
「私たちは女神の託宣の受領という、ただ一つの目的のためにここまでやってきました。そして、それを達成するためには私の身の安全だけでは足りません」
「……」
何かを言いかけたカイルが言葉を飲み込んで聞いている。
「ですから、あなたの判断であなたの守るべきだと思った対象のために動きなさい。それがウィルモアの民のための行動です。わかりましたか」
なんのことはない、カイルにやりたいようにやれと、そう言っているのだ。
託宣を成り立たせるために必要な人材。
すなわち託宣を受ける教皇とそれを見届ける聖女。
自分より優先してそのどちらかを助けに行けと言っている。
命令されたカイルの心情はちょっとだけ複雑だ。
もとから自分の意志で始めたメイリアの護衛。
そこで、アクシデントがあって、別行動をとって、聖女(おんなのこ)と出会った。
その結果、果たすべき責任と恋慕の間にあって板挟みになっている。
人生の中で初めて葛藤というものを抱いているのかもしれない。
……こいつはちょっと真面目すぎるのだ。
兄貴として少しだけ、背中を押しておこう。
「カイル、返事だ。さっきの話、見てただろう。殿下の命令は絶対だぞ」
一瞬、間があった。理解と判断のための時間。
「……失礼しました。仰せのままに」
長い付き合いだ。これだけで充分伝わる。
その証に、カイルはただ命令を受け入れた。
何も起こらなければそれが一番良い。
それでも何かが起きた時にカイルが迷う要素を一つでも減らすこと。
それがメイリアのやりたかったことだ。
王女然として言っているが、これは学院の先輩の厳しい恋路に対するエールに他ならなかった。
そのまま、残るみんなと手早く挨拶を済ませ、託宣の間へと向かう。
さあいよいよだ。
ここ数カ月、俺たちが全てを費やして来た任務の本番が始まる。
聖都に到着してここまで、不気味な程、問題は起きなかった。
しかし、それで敵が諦めたとは考えていない。
託宣が行われる今日、この場こそ彼らの標的が必ず現れる所なのだ。
そこに、すべてを賭けてくる可能性は低くないと見込んでいた。
近づいてくる目的地。
先導していた司祭が部屋の大きな扉を開いて入室を促して来たその時。
メイリアが後ろを守っている俺を振り返り、物問いたげな顔を向けてきた。
言いたいことは分かる。
この部屋のマナの異常性についてだ。
静謐、その一言につきる。
ある意味、宗教施設にふさわしい状態ではある。
しかし、中に人の気配があって、これだけマナに動きが無いというのは異常だ。
明らかに自然ではない。
なんらかの魔術具が働いているのか、あるいは託宣のために必要な措置なのか。
どちらにせよ魔術の行使に影響がありそうな現状は、入室を躊躇させるものだった。
俺たちは武器を取り上げられているのだ。
魔術まで使えなければまさに八方ふさがりになる。
……このまま立ち止まっているわけにはいかない。
ここはメイリアが命を賭けてきた任務、最後の博打だ。
総取りをするために、まずは俺が動かなければ。
開け放たれた扉の内側の様子をうかがいながら入室する。
やはりマナに干渉しにくい。
それに地脈の組み上げにもかなりの抵抗がある。
……だが、できないわけじゃない。
丁寧に時間をかけて行使すれば魔術も使えそうだ。
それにオド循環ならほぼいつも通り使える。
それを確認した俺は手早く戦術を組み立てながら、後ろで不安そうにしているメイリアを招き入れる。
彼女も何かを決心したように後に続いた。
内部には二十人以上の人間がそれぞれ着席して静かに待っていた。
それぞれ服装からすれば貴人と護衛。
この国や隣国の王族、上位貴族なのだろう。
三割ほどはイセリア教の祭服を着こんでいる。
おそらく徳の高い僧侶か、その服には高価そうな装飾がところ狭しと並んでいた。
部屋の奥には一段高くなった場所があり、結構な大きさの石造りの箱が中央に配置されていた。
祭壇だろうか。
その後ろには大きな緞帳(どんちょう)のような、あるいは旗のようなものが、いかにもな感じで吊り下げられている。
そこには精緻な刺繍が隅々まで込められているのが確認できた。
この世界には大規模な機械織機は存在しない。
人の手によって気の遠くなるような手間をかけて織られたのだろう。
奥に扉が一か所。
尋常でないマナの密度から、そこが託宣の間であると予想される。
どうやら俺たちが向かうのは人々の中でも最前列。
最も舞台に近いところにある席の様だ。
ウィルモアの王族ともなれば各国の貴族にあっても特別扱いしてもらえるらしい。
用意された席に向かいながら目線を向けずに参列者の顔を覚えていく。
その中で一人、いや二人か、知っている顔を見つけてしまった。
まだ控室にいるはずの聖女たちではない。
司祭服を着ている男性と女性。
先日、この大聖堂で傲慢な振る舞いをしていたやつらだ。
それに気が付いたときはちょっとピクっ、としてしまった。
幸いその反応に気が付いたものはいないようだ。
男性の方は何やら難しい顔で壇上の箱を眺めている。
女性、ええと確かキトリーと呼ばれていた、はこちらの方をちらりと眺めたがこちらに気が付いた様子は無いようだった。
なんらかの動揺があればマナ感知でわかることもあるのだが、この異常な部屋ではそれもうまく働かない。
まあ、以前の出会いも一瞬だった。
気が付かない方が普通だろう。
諍いにならないならそれが一番だ。
俺たちの入室の後、そこに入ってくるものはほとんどいなかった。
たまに司祭服の男がうろうろしていたが、あれは会場設営の仕事をしているのだろう。
そう長く待つこともなく場が整ったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます