第77話 想定外のことだとしても
俺は今、野次馬に紛れて、来訪するという聖女の到着を待っていた。
建前は聖都で出会うことになるだろうという話の、かの人物の様子をうかがうためではある。
ただ、実際にはそこまで必要な仕事ではない。
言ってしまえば周囲の人間と同じ野次馬そのものだった。
でもまあ、ご尊顔を拝めるというのは悪くない話だ。
実際に出会うことになったときに顔がわかって困ることもない。
俺の場合はマナ感知の反応も覚えることができるので、今後何かに活用できるかもしれないし。
しかし、凄い人だな。
人込みのせいでなかなか近づくこともできない。
噂によると、聖女様というのは結構民草の前に姿をあらわすものらしい。
人気商売ということか、歴代みんなそうだったというから確かなのだろう。
そのせいで、居場所が割れるとこうして人が集まってくる。
写真なんて無いこの世界、実際に顔を見ることができれば一生ものの思い出だ。
かといっていちいち相手をするわけにもいかないわけで……。
面倒ごとを避けるためにお忍びで旅をしたりするのだから本末転倒という他ない。
「あ、見て下さい、来られたみたいですよ」
同伴しているのは買い出し担当のミリヤムさん。
今回の任務はその荷物持ちとの兼業であった。
とはいえ、どちらかというと息抜き要素の強い仕事ではある。
長い護衛任務にあってガス抜きはかなり重要なことで、休めるうちに休むという考え方は全員の中で共通していた。
そのお陰でこうしてデートに与(あずか)れることになったのだった。
「やっぱり結構時間かかりましたね」
随分前から停泊していた上流からの貨客船は、野次馬に囲まれたまま小一時間沈黙を保っていた。
それがやっと動きを見せたのだ。
「聖女様ですもの。私たちの主のように準備に手間がかからない方は珍しいんですよ?」
いたずらっぽく言われているのはもちろんメイリアのことだ。
人も多いので念のため言葉を濁している。
「そうだろうなぁ。それでも男の俺からすると大変そうだなと思うけど」
毎日、起床、化粧直し、風呂とそのたびに女性陣は忙しそうだ。
身近な人間でもルイズはそんなことはないので始めのころは驚いたものだ。
「それでもお若いですし、旅の途中はかなり簡単にしているんですよ。内緒ですけど、本人も気楽でいいとおっしゃってました」
さもありなん。
しかし、こんなに面倒なら学院生活が気楽だったというのも本音みたいだな。
「あれで簡単ですか……。おっと、もう少ししたら来そうです。人が集まり始めたみたいですよ。でも、なんだか随分人数が少ないような」
昨日聞いた噂によるとお忍びらしいので(バレバレだったが)その関係かもしれない。
それにしても俺たちよりちょっと人数が多いくらいでこの人込みに入るのは不用心じゃないだろうか。
「本当です。馬が降りて来ました!」
先導者だろう。
遠目にも高そうな全身鎧を着た騎士がやってくる。
しかし、ちょっとぎこちない感じがしないでもない。
儀礼用の鎧で日ごろ使わないからだろうか。
ん?
そこで違和感というか親和感に気が付く。
この反応。
……間違えるはずはない。
でもなんでだ。
「……なんだか想定外のことが起きてるみたいです」
ミリヤムさんの反応も聞かず、どう対応したものか思案していると、もう一つ問題の火種になりそうなものを見つけてしまった。
これは早く動かないとまずい。
「ちょっと行ってきます! 合流は予定通りで!」
そういって近くの建物に適当に魔術ロープを張って空中移動で向かうことにした。
これだけ人が多いと上を通った方が早い。
先導する騎士に続いて小ぶりだが豪奢な馬車が続く。
中の反応が動きはじめた。
これは窓を開けて手を振ろうとしている? まずい!
人込みの中で声を上げてもこの距離だと届かない……。
鋭く二回マナに干渉して伝える。
頼む、気付いてくれ! お前ならわかるだろ!
そのまま魔術ロープで飛ぶようにして目的地に向かう。
鋭く重たい殺意を持った人間のいる場所へ。
間に合うか?
俺が相手に勢いそのままで上から飛び掛かったときには、敵はつがえたボウガンを馬車に向けて矢を放った後だった。
くそっ!
俺にはもうその矢に対応することはできない。
運動エネルギーを活かして相手を蹴倒すと、拘束しながら馬車の方を確認する。
そこには馬から飛び降りながら、飛来した矢を剣で切り落とすという神業を果たした騎士の姿があった。
良かった……。
気が付いてくれたか。
さすが俺の弟(カイル)だ。
もしかしなくても、俺の警告は必要なかったのかもしれないな。
あとはちゃんと、なんでそんなところでそんな格好をしているのか教えてくれよ……。
見れば後ろには俺たちの作った馬車も付いてきている。
なんだか宗教的な装飾が加えられていて気が付かなかった。
御者はルイズがやっていたようだ。
なぜ過去形なのかというとそのルイズは今、一台目の馬車の上に乗って周囲を警戒しているからだ。
カイルのような騎士姿ではないが、御者として男性的な正装をしているルイズがそうして腰の剣を抜き放っていると、舞い広がった黒髪とあわさって息を飲むほど格好が良かった。
いや、そんなことばかりを気にしていたのではない。
ちゃんと周囲の警戒を続けていたのだが、あたりに他の暗殺者は発見できていなかった。
連絡係の一人もいるかと思ったのだが、よほど周到に準備をしているのか、こいつが考えなしの襲撃なのか。
少なくとも、こいつが示した殺意は感情的なものではなく、ただただ冷たく機械的なものだった。
暗殺を生業にしているものが、訓練通りに仕事をしようとしている。
そんな表現がしっくりくる。
運が良くなければマナ感知でも気が付けなかった可能性があるほどだ。
どうやら、命を狙われているのはうちのお姫様だけではないらしい。
物騒すぎて本当に嫌になる。
そこでやっと周囲は何かが起きたことを悟ったらしい。
じわっと辺りが静まったかと思うと、さざ波のように人の声が広がり始める。
それはうねるようにして大きなどよめきへと変わって行った。
馬車の上のルイズと少しだけ話をしたカイルは、馬車の中にも声をかける。
マナに感じる安堵の感情からすると、どうやら俺の動きも把握してくれいるようだ。
その後、馬に戻るカイルの動きがおかしい。
どうやら馬車からの指示でなにか気の重いことを言われたようだ。
ルイズは何事もなかったかのように後ろの馬車に戻り、カイルが少しだけ馬の歩みをすすめる。
ちょうど見栄えの良いあたりで歩みをとめると、腰の剣を高く掲げた。
そして声変わり直前の澄んだ、慣れ親しんだその声で高々と声明を上げる。
「女神イセリア様に弓引く者は、聖女の加護にて討ち果たされた! あまねく見よ! ここには神の御業があるのだ!」
そう言って剣をふり、鞘に戻す様子は声の清涼さと相まって尋常でなく絵になった。
その気に充てられて口元を押さえて涙を流すご婦人までいる始末。
顔を見せていなくてもこれかよ。
カイル、役者だな……。
集まった野次馬たちの中で何が起きたか把握している者は少ないと思うが、カイルの行動で凄いことがあったというのは理解したようだ。
少しずつ、女神と聖女を称える声が広がり始める。
その高まる歓声の中、聖女の行列は上手く集まった人々の間を抜けて行ったのだった。
そこには拘束されたフードの男を連れた俺一人が途方にくれている。
……おい、この下手人どうするんだよ。
逡巡のための時間はごくわずかだった。
ちょっとでも、できることをしておこうと暗殺に使用されたボウガンの弦を切っていると人込みをかきわけてこのあたりを調べているらしき数人を感知する。
おそらく衛兵だろう。
暗殺者の手のものという可能性もあったが、どちらにせよこれ以上関わり合いになりたくなかったのでこの場を離れることにした。
どうか真面目に公務を遂行してくれますように。
しかし、ちょっとした立ち回りをしたので結構人に見られてしまったなぁ。
これから街中を歩く時は帽子か何か被った方が良さそうだ。
幸い、ミリヤムさんはまだ近くにいてくれた。
わざわざ合流地点へ行く必要はないようだ。
「すみません、ちょっと色々あって……」
「ご無事そうでなによりです。なんだか騒ぎが起きたみたいで驚きましたけど、すぐに収まったみたいですね」
存外肝の太い人だ。
それくらいでないと、メイリアの護衛にはついてこれないか。
「わからないことも多いんですけど、できるだけ説明します。ただ、ちょっと目立ってしまったので先にここを離れさせてください」
そうしてやっと、元の仕事である荷物持ちに戻ることができたのだった。
念のため尾行を警戒したが、ついて来る人間はいないようだった。
そうとなれば手早く宿へと戻る。
「――カイル先輩、ルイズ先輩の安否は確認できたけど、お二人は聖女様の護衛をしていたと。全然意味がわからないのですが……」
「俺だってそうだよ……、甲冑は被ってたけど、あれは間違いない。ルイズの方は顔も見えたし」
「あの時遠くから声がしていたのはカイルさんだったんですね。アインさんが飛んで行ってしまったので、てっきり何かをしたのかと。堂々としていてかっこよかったですよ」
? ああ、俺もあんな声なのか。
双子だし当たり前だよな。
自分で聞く声とはだいぶ違うんで全然わからなかった。
しかし、ああいう風に真似できる気はしない。
「なんでこんなことになったのかはなんとなく想像できるんですけど、本当にそんなことが起こるのかというと疑問の残る話ですねぇ」
「俺にはなんでそんなことになったかも全然わからないんだが……」
「おおかた、悪を見逃せなくて困っていた人を助けたのでしょう。それがたまたま聖女さまだったというだけで」
えぇー……。
「それで見過ごせなくて今も護衛をしていると? ちょっと出来すぎじゃないか?」
とはいってもカイルの性格を考えると無い話ではない。
ただあいつは責任感も強い。
こっちの護衛を放り出したというわけではないだろう。
「なんにせよ、話をしないことにはどうにもならないと思う。こっちが手すきになって悪いがもう一回出て来るよ」
聖女の滞在先は明かされていないが、あの馬車が向かいそうな場所は限られるはずだ。
マナ感知も活用すれば探すのは難しいことではないだろう。
「しょうがないですね。この仕事は先輩にしかできなさそうですし、デニス達に頑張ってもらいましょう。向こうの都合はわかりませんが、こっちも人手不足なんです。なんとかお二人を引っ張ってきてください」
「言われるまでもない」
俺の家族なのだ。
「――先輩」
このまま出かけようとしたところで呼び止められた。
「必要そうなら私の名前、出してもらって構いませんから、そのあたりはお気遣いなく」
「……すまん。できるだけうまくやるようにするよ」
メイリアの名前を出すということは、彼女の所在を外に漏らすということだ。
ここまでおそらく上手く行方をくらましているので、本当のところを言えばもう少し粘りたい。
それでも、二人のことをなんとかするために自分はリスクをとると、そう言う彼女の信頼に答えたいと思った。
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