第76話 集う噂

 なんとかエトアに到着し、陸路での旅を始めた俺たちの前には大きな壁が立ちはだかっていた。

 物理的な壁ではなく、護衛を行う上での試練だ。


 二人の仲間と離れ離れになり、一人に裏切られた護衛任務。

 それは最初に想定していたものと比べてあまりにも苛酷だった。

 別に刺客の波状攻撃にあったとかそういうことではない。

 単純に見張りをする人間のローテーションが厳しいためである。

 なにせ、見張りを任せられる従士はデニスだけ。

 そのまま考えれば実質俺との二人体制だ。

 そんなもの破綻するに決まっている。


 それにマナ感知の問題もある。

 なんだかんだいって、これはかなり優秀な探知方法なのだ。

 まともに使えるのが俺だけというのは不安だった。

 厳密に言えば、魔術院で多少の手ほどきをしたメイリアも感知を使えなくはない。

 とはいっても彼女自身が護衛対象だし、残念ながらカイルやルイズほどあてになる腕ではなかった。


 唯一の救いはオリヴィアさんが率先して警備側の手伝いをしてくれていることだ。

 彼女は名目上はミリヤムさんと同じ、メイリアの御付きメイドだが剣の腕も中々だ。

 そのあたりは姫殿下の懐刀という役回りなのだろう。

 そんな彼女は当然護衛任務にも明るく、全方向で力を貸してくれている。

 ……最初の頃に、いろいろ茶化したような扱いをしてごめんなさい……。


 恐らくメイリアが色々ととりなしてくれたのだろう。

 あるいは、会話の中で俺が化粧品方面に明るいのが効いたのかもしれない。

 あとはヘルゲの様子に早めに気が付いたこととか。


 とにかく、初期ほど信用されていないということもなく、協力を得て頑張っている。

 しかし、それでも決して楽とはいえない日々が続いていた。

 いや、解決方法はわかっている。

 ヘルゲにも警備を任せればいいのだ。

 一人分の力が増えて監視対象がいなくなれば状況は各段によくなるに決まっている。

 恐らく頼めば真面目にやってくれるだろうこともわかっている。

 だけど、任せられないのだ。

 このあたりの塩梅は正直難しいなと思う……。

 結局、日中の力仕事や雑事を主に負担してもらうというあたりでお茶を濁している。


 もう一つ付け加えるなら、当然カイル達のことだって心配なのだ。

 警備のシフトこそ厳しいものだが、特に不審人物も見かけない以上、考え事をする時間だけは嫌というほどあった。

 おかげでふとした瞬間に彼らの安否が気になってしまう。

 我が子を旅に出した親の気持ちというかなんというか。

 大丈夫だとは思っているのだ。

 優秀な子たちだから。

 でも心配するなといわれたらそれは無理だ。


 そんなわけで、結果論で言えばただ目的地への道を辿るだけとなった旅はかなり俺たちを疲弊させていた。

 しかし、そんな状況もここで少し変化することになる。

 目の前まで迫っているアムマインの街で。


 アムマインはエトアに流れるシュネイ川を起点とした水上の要衝だ。

 河川と侮るなかれ、その雄大な姿はちょっとした内海のような姿を見せている。

 行きかう船も大型のものが多く、馬車や大型の動物も当然のように乗り降りしていた。


 一方で海とは大きく異なる点として波の無さが挙げられる。

 ゆったりとしたその流れは、うまく航行すれば川上へ遡上することも可能な程度。

 非常におだやかなのだ。

 おかげで大量の物資を運搬できるということでエトアにおいては無くてはならない交通手段となっていた。


 この街、俺たちにとっても中々都合が良かった。

 テムレスからエルトレアに向かう道中にあるというわけではない。

 しかし、上陸した俺たちと陸路の双方からそこまで離れているわけでもない。

 その絶妙な距離感は、エトア国内でメイリアを探しているはずの敵にとっては非常に面倒なものであるはずだ。

 加えて、上記の理由によって中々大きな街であるため、たった数人で移動してる集団を探すのはかなり難しい。

 一瞬の判断にしてはカイルはいい場所を指定したと思う。


 急ぎ、旅を進めてきた俺たちはこの街にしばらく滞在することになる。

 当然、カイル達と合流するためだ。

 最悪、合流が果たせなければ先に聖都へと出立することになるのだが、現状、時間的余裕はかなりある。

 ぎりぎりまで待とうと思っている。


 というのも、これまで王都からロムスまでの高速馬車、そこからエトア入国までの船旅とこの世界基準を大きく上回る速度で移動してきたため、正直時間はあまり気味なのだ。

 早く目的地に到着したところで、待ち構えている刺客に狙われる危険を増すくらいなら、このあたりで時間を潰すのは悪くない策だと思われた。


 人通りの多い街だし、ここに到着したからといって護衛任務の手が抜けるというわけではない。

 しかし、旅というのは中々手間のかかるものだ。

 炊事洗濯買い出し、身の回りのことすべては移動していない時間にやることになる。

 魔術を使うことでかなり楽にはなっているが少人数で回しているとそれも重労働だった。


 そういった雑務の多くは街に滞在すれば軽減されるので、体制の立て直しにはもってこいだ。

 うまく二人と合流できればその負担はもっと減らすことができるし。

 そんな理由で、これまでの生活にかなり疲弊していた俺たちは、それぞれが少し明るい気持ちで街へと入ることになったのだった。


 初日は宿をとってゆっくりと休んだのだが、今日は一つイベントがある。

 簡単に言ってしまえば河を渡るのだ。

 アムマインの中心に横たわるこのシュネイ河、大きすぎて橋がかかっていない。

 そのため何種類かの運航便が渡し場から出ているのだが、俺たちは馬車ごとの移動になるため、予約の必要な本数の少ないものを使う必要があった。

 カイルたちと落ち合うのはエルトレア側である向こう岸。

 面倒でも避けることはできない。


「聖女様ってどんな方なんでしょうねー」


 朝一番で渡し場に向かい、乗船の順番を待っているとメイリアが話しかけてきた。

 その言葉に、昨日のことを思い出す。


 この街に到着した俺たちは宿をとり、渡し船の予約をとると、大きな街での定番作業に入った。

 つまり消耗品、生鮮食品の購入と情報収集だ。

 シュネイ川によって南北に分かたれたこの街はそのまま『南』、『北』と地域名として呼ばれている。

 今回到着した南には一日だけの滞在になるので、ここにしかない情報でもあるかと思い色々と調べてみた。

 結論から言えばそれは空振りに終わったのだが、一つ気になる情報を聞いた。

 それは、この街に近く聖女が立ち寄るかもしれないという話だ。


「齢は俺たちとあまり変わらないって話だろ。聖務のために聖都に向かってるって成人したかどうかって頃だろうに大変だな」


「……先輩、それわざと私に言ってますよね」


「やっぱり、俺たちの『仕事』と関係あると思うか?」


「まあ、間違いないでしょう。出席者として名前を聞いていたわけではないですけど、同じ時期に聖都にいれば関わらないわけがないです。女神様に関わるお仕事ですから」


「うまくやりすごさなきゃな」


「本当はご挨拶の一つもした方がいいんでしょうけどね」


 今回は社交辞令より安全重視だ。

 目立てば狙ってくれといっているようなものだからだ。


「まだ、噂の段階だしな。この街に寄るっていうのも護衛のための嘘情報かもしれないし」


「うちじゃないんですからそんなことしますかね?」


「それもそうか。大方、大仰な聖堂騎士団でも引き連れて来るんだろう」


 二人の貴人のニアミス。

 本当に何事もないといいんだが。


「その時は、うまく私たちも守ってもらえないものでしょうかね?」


 コバンザメ作戦か、それは考えていなかったな。

 行先は同じなんだから付かず離れず行けるだろうか。

 ちょっと真面目に検討してみるか。

 でもさすがに名前を明かして助けてくれ、っていうわけにはいかないよなぁ。


 そうして、真面目なんだか不真面目なんだかわからない話をしているうちに乗船の時間がやってくる。

 河を渡る時間はそう長いものではなかったが、ゆったりとした風情のあるものだったことを記しておこう。

 なんだか旅をしているという感じがして良かったと思う。

 今度はもっと余裕のあるときに来たい。





 北の街での潜伏はうまくいっている。

 今のところマナ感知にかかる不審な人物もいないし、ここ数日の滞在で鋭気を養うこともできた。

 宿の周囲の地理は細かい所まで把握しているし罠の仕掛けはばっちりだ。

 これなら少しは安心して過ごすことができる。


 そうなってくるとやはりカイルたちのことが気になる。

 ああいって出てきたものの、本当にナッサウ軍とのもめごとになっていないだろうか。

 話がロムスに届けばクルーズたちが好きにはさせないと思うが、安否の確認できていないハイムのこともあわせて不安の種は尽きない。

 移動の日数なんかをざっくり計算してみたところ、そろそろこの街に到着してもおかしくない頃だと思うのだが、やはりロムスか国境あたりで手間取っているのだろうか。


 そんなわけで、日課になっている周囲の見回りのついでに冒険者ギルドへと向かう。

 もしも二人が到着していれば一報入っているはずだからだ。


 街の北(こちらがわ)にやってきて何回目かの訪問になるギルドの中へと入る。

 受付に並ぶ前にまずは新しい話でもないかと掲示板を見ることにする。

 やっぱりこのあたりでは船の護衛だとか荷運び関連だとか、地域性のでた仕事が多いな。

 ちょっとロムスと似ているかもしれない。

 国外の情報も見てみたが、東の方の都市国家群の評議会でもめごとがあったという情報以外は特に目新しいものはなかった。

 当然ウィルモア王国の情報も無しだ。


 そんなことをひとつひとつ確認していると併設された酒場の方から噂話が聴こえてきた。

 船乗りが多いからかなんなのか知らないが、日中だというのになかなかの賑わいだ。

 しかし、酒場の噂話は冒険者にとって仕事道具であり娯楽。

 聞けるものを聞いておくには丁度いい。


「どうやら聖女様、ついに到着されるらしいぞ」


「あの話、本当だったのか。ただの噂だと思ったんだがなぁ。だって護衛の集団が通ったって聞かなかったろ」


「いや、ケーザに入ったって話はあったんだよ。ただ、その後に動きがなかったんで嘘なんじゃないかって言われてただけで」


「それが本当だったってことか。ケーザからなら、この街を通らないわけがないもんな。しかし、なんでその後の話を聞かなかったんだろうな。あそこからなら船に乗ればすぐだろうに」


「よくわからんが、ちょっと厄介事があったって話は聞いたな。それでお忍びで移動してるとかなんとか。大方道中で聖女様の奇跡に縋(すが)る人間でも多かったんじゃないか。ひとりひとり相手にしてたらいつまでたっても移動できないだろう」


「ちがいない。それでも、うちの街に入るともなると噂にっちまうのはお可哀そうだな」


「まあ、人の多い所では、領主様を無視するわけにもいかないんだろう。俺たちには旅の安全を祈らせてもらうことくらいしかできないな」


 他の噂なんかとあわせてみたところ、細かい部分はともかく聖女様が明日にもやって来る予定というのは確度の高い話のようだ。

 一方でカイルからの連絡は入っていなかった。


 どうやら懸念していた聖女は俺たちとはすれ違いになるようだな。

 向こうが先に出発することになる可能性が高い。

 大ごとにならなくて良かったと考えるべきか。

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