第73話 出会い(下)
蜂蜜のような色合いの柔らかそうな髪。
傷一つない真っ白な肌。
中性的な顔立ち。
そして信じられないほどの量と清涼さをもった魔力を帯びている。
突如現れたその天使は私の前に膝をつくと、伸ばしたままだった手を優しく握りこむ。
「もう、大丈夫」
たった一言。
だけど有無を言わせない安心感。
それは言葉とともに手から流れ込んだ魔力によるものだった。
優しい力が私の体の中に流れ込み、息も止めてしまうほどの痛みと苦しみを何事もなかったかのように取り払ってしまった。
癒しの魔力?
いや、それとは違う、でも確かな力。
これは私だけにわかることだ。
握ったままの手を引かれて上体を起こすと、彼の背中越しにかけられる声があった。
「なんだぁ? 坊主、どこの駆け出しかしらねぇが、正義の味方ごっこはよそでやれよ。怪我だけじゃすまねぇぞ?」
そうだった、ここにはまだ、あの悪漢がいるのだ。
そして、目の前の天使はよく見れば少年と言える背丈だし、服装も駆け出しの冒険者が着るような使い古しの軽鎧と旅装束だった。
冷静に考えるならば、ただの身の程知らずのなりたて冒険者という方がしっくりくる。
みんなのことを思うのなら、すぐにでも逃げるべきだ。
たとえこの助けてくれた彼を置いていくことになるとしても……。
……できない。
自分の甘さが嫌になる。
ルネを今もなお危険に晒しているというのに。
それすらも無駄にしてしまうというのか。
「僕はただの通りがかりなんです。でも、あなたたちのやり方は目に余る。それだけの理由があるというのなら、武器を降ろして説明してもらえませんか?」
私の甘さどころの話ではなかった。
何も言わずに攻撃すれば、あるいは相手をひるませることができたかもしれない。
なのに、あろうことか対話をしようとしている。
「はっ、馬鹿をいっちゃいけねぇ。仕事に金以外の理由があるかよ。まあ、ここにあるもん全部自由にしていいて言うんだから多少の余禄はあるかもしんねぇけどな」
当たり前のように少年の言葉を跳ねのけて、武器を構える。
刃幅は短いが柄の長い、特異な形をした斧。
木を切るためではなく人と戦うための武器なのだろう。
護衛のみんなは彼らに退けられてしまった。
弱いはずもない。
少年は唯一の勝機を逃してしまったのだ。
「そっか」
なのに彼は感慨もなさそうにただその言葉を受け入れた。
考えている時間はない。
心の中でみんなに謝る。
――ここは私より少年の無事を優先しよう。
そう決めた。
もうこれ以上、こんな思いをするのには耐えられない。
たとえそれが最悪の選択だとしても……。
最後に天使の影を見るというのは聖女と呼ばれる私には悪くない。
目の前の悪漢も、まさか標的の私が襲い掛かってくるとは考えていないだろう。
隙を作ることができるかもしれない。
「心配しないで」
いざ行動を起こそうと体に力を込めたところで、それを計っていたかのように声をかけられた。
「すぐに終わります。それに君の仲間もこっちに向かっているから」
その言葉にあっけにとられているうちに戦いが始まってしまった。
悪漢が少年の体めがけてその斧を振り下ろす。
多少の鎧などでは防ぎようはずもない。
私は目をつむることすらできずにその様子を見ていた。
なのに何が起こったのかよくわからない。
斧は振り下ろされたはずなのに、肉が受け止める音も地面を打つ音すらもしなかった。
ただ悪漢は両手だけを振り下ろしており、そこには何も握られていない。
変わりに、いつの間にか少年の手には何の変哲もない剣が握られていた。
それは振り上げられ、天頂を指している。
「あ?」
私と同じように、理解の及んでいない悪漢に少年が近づく。
ただ歩く速さで。
それは戦いのさなかとは思えないゆるやかさだ。
しかし、少年が近づくのを悪漢は止められない。
そのまま少年の剣の柄が悪漢の懐、胸当ての下の腹部、おそらく帷子のあるあたりに吸い込まれるように近づいていき、それで終わりだった。
悪漢は白目をむいて膝から崩れ落ちる。
少年は何事か呟くと剣を鞘に納めてこちらに近づいてきた。
同時に遠くからごとんと何か重いものがぶつかるような音がする。
そこで初めて、悪漢の斧が打ち払われて空を舞っていたのだと理解した。
「君と似たような格好をした女の人にお願いされたんです。君を助けてくれって。彼女もこっちに向かってるはずです」
……ルネは無事だった。
今日、初めて良い話を聞いた。
しかし、そこで気が付く。
目の前でのびている悪漢は先ほど仲間を呼んでいた。
急いで逃げないと。
「敵は一人だけではありません。急いでここを離れて!」
思い出してみればこの場所は相手に気付かれているのだ。
一刻の猶予もない。
なのに、少年はそれに思わぬ言葉をつづけた。
「それだったら大丈夫、もう終わっているはずだから。それよりも動けますか? 怪我をしてる人を助けないと」
もう危険はないのだと言う。
彼は何者なのだろう。
どこかの騎士団の所属なのだろうか? 兄のように。
義信のあるその一員なのかもしれない。
彼の手を借りて、立ち上がると少し遠くにルネが走ってくるのが見えた。
……もう会えないと思っていた。
今まで我慢していた気持ちが心からあふれ出る。
まだ、泣いてはいけない。
私に何かできることがあるとすれば、これからなのだから。
◇◆◇◆◇
その少女は不思議な魔力を帯びていた。
魔術師なのだとは思うけど、こんなオドは感じたことがない。
危険な目にあったというのに、怪我人を助けると言った僕に対して毅然と立ち上がり、「私も向かいます」と言った。
王宮でのメイリアを思い出させる気丈さだ。
人となりは全然違うけど彼女も人の上に立つ人間なのかもしれない。
さっき助けたもう一人の少女に彼女を預け、馬車が連なっているあたりに向かう。
そこでルイズは倒れた兵たちの応急処置をしていた。
「待たせてごめん。怪我をしている人たちの様子は?」
「何人かはもう……。 今はなんとかなりそうな者の止血をしています。カイル様には黄色い帯のオド循環をお願いします」
そう言われてあたりを見回す。
そこはひどい有様だった。
応急処置を施された兵士。
ルイズが倒し、拘束した野盗と思われるものたち、そしてもう助からないと言われた人。
その全てが身動きを取れずに横たわっている。
ルイズに言われた通り、何人か黄色い帯をつけた者がいる。
応急処置は施されているが出血のせいか顔色が悪い。
そこに向かい、オドの循環を施していく。
これは兄さんが考案した緊急時の対応方法だ。
被害者の状況に応じて段階を色で付けていく。
黄色は処置の必要な重篤者だった。
本来この上にも要治療者がいるのだが、僕たちの技量では救うことができない……。
一人でも多く救うための無情の判断。
兄さんはときどき、驚くほどの意志の強さでそういったことを行おうとする。
この手法もその中で生まれたものだ。
そうして循環処置を行っていると、さきほどの少女たちが遅れて現れた。
「この中に、一刻も早く治療が必要な者はいますか?」
最初に助けた少女に聞かれる。
「赤い帯の人達がそうです。止血はしてありますが、僕たちではもう……」
その言葉を聞いたもう一人の少女は返事もせずに、彼らのもとへ駆け寄った。
僕たちと同じくらいの年頃に見えるけど、もしかしたらなんらかの専門的な医療技術を持っているのだろうか。
とはいっても、この街道の真ん中でこれ以上の処置ができるとは思えない。
少しでも治療をすすめようと骨折した人に添木をあてているところで、でマナに異常な反応を感じた。
これは……。
すぐに視線を向けたその先では、さきほどの少女が祈るようにして赤い帯の者の近くに寄り添っている。
問題はその周囲を渦巻くマナだった。
今まで感じたことがないほどの濃度であたりのマナを引き込み、地脈まで汲み上げて怪我人を中心に渦巻いていた。
その流れに落ち着きが見られると、少女は怪我人に話しかける。
もう、意識は無かったはずだ。
自分で動けるようなら赤い帯はつけられない。
そのはずなのに、倒れていた兵士はゆっくりと目を開き、小さな声ではあるが何かを話すことすらして見せる。
――奇跡。
あるいは秘術。
彼女は、もしかしたら兄さんのように天から何かを与えられた者なのかもしれない。
人に成せないことを成すためにここにいる……。
呆けているわけにはいかない。
彼女が救った命になら、僕にもできることがある。
「その人は僕に任せて下さい。……もしも、先ほどの奇跡が他の人にも起こせるのなら、お願いできませんか?」
そういって意識を取り戻した兵士のオド循環を始める。
やっぱりだ。
さっきまでは循環しても漏れ出てしまうばかりだったはずの彼のオドがちゃんと回っている。
これなら助けることができる。
ルネと呼ばれた一人目の少女があっけにとられた表情でこちらを見ている。
しかし、二人目の少女の動きは速かった。
「ここはお任せします」
僕の言葉に返事をすると足早に他の怪我人の元へと向かう。
そして先ほどの奇跡を『再現』した。
繰り返される奇跡。
それは本来ありうべきことではない。
やっぱり彼女は特別な人なのだ。
そして、彼女の技が影響を与えるのは怪我を負った人だけではない。
あたり一帯のマナを整え、周囲の人間にすら影響を与えている。
僕もその例外ではなく、オド、その中心の魂ともいえる部分が強く揺さぶられているのを感じていた。
すべての怪我を負った人を助けることはできなかった。
それでも、今ここに横たわって治療を待っている人達のうち何人かはどうやっても明日の朝日を見ることはできないはずだった。
それを覆した少女。
自分だってつい先ほど、恐ろしい目にあったばかりのはずだ。
だけど今、気丈に他の怪我人の世話をし、声をかけて周っている。
彼女はこの集団の精神的支柱でもあるのだと思う。
声をかけられた人達は一様に、苦しそうながらも安堵の表情を浮かべていた。
そんな中、僕は数少ない動ける男手として、襲撃者を拘束したまま運んだり、暴かれてしまった荷物の整理などを行っていた。
そこへ、件の彼女たちがあらわれる。
「このたびは、本当にありがとうございました。私はマリオン。マリオン・オーディアール。イセリアの使徒です。この者は従者をしてくれているルネ。共々に助けて頂いて感謝の言葉もありません」
うすうす気が付いていたけど、服が上等なルネという子ではなくマリオンさんが上位者らしい。
「僕はウィルモア王国、ロビンス商会のカイルです。彼女がルイズ。旅の途中で争う気配があったので来ました」
「商会の方、なのですか?」
王国の人間であることではなくそちらの方を確認されてしまった。
商人っぽくないかな?
やっぱり子どもっぽいからだろうか。
「ええ、とはいっても、今は仕事ではなくエトアにいるはずの兄と会うために旅をしているのですが」
「失礼しました。あまりにもお強いのでどこかの騎士団の方かと思ったのです。たったお二人で私たちを助け出したのですから」
「ほとんど彼女のお陰ですよ。剣は王都で学んだものです、行商は危険も多いですから」
それに、全員を助けられたわけではないから。
……せめてできることをしよう。
「そちらも怪我をした方が多くて大変でしょう。何かお手伝いできることがあったら言って下さい」
社交辞令というわけではないが、なんとなく口をついた一言で二人の顔に迷いの表情が浮かぶ。
もしかしたら人手が必要な何かがあるのかもしれない。
「助けて頂いた上で、こんなことを言うのは申し訳ないのですが、一つお願いを聞いていただけないでしょうか?」
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