第71話 信じるということ

「――黒の三番で」


 必要最低限のことだけ決めて海龍丸を飛び出す。

 船さえ出発してしまえば、その先はエトアだ。

 僕がいなくても護衛はできるはず。

 今は目の前のハイムを助けたい。


 立て続けに矢が飛んでくる。

 しかもこれは闇雲に射っているんじゃない。

 一射一射がこちらを丁寧に狙っている。

 夜間の馬上でこの腕、相手がかなり強いのは間違いない。


「ハイム、僕だ。これから壁を作るからまずそこに隠れて」


 馬車の影に身を隠していたハイムに近づくと海砂を使って簡易な防壁をつくる。

 これで矢は防げる。


 ハイムも何も言わずにこちらの言葉に従ってくれた。

 これで時間が稼げる。


 様子をマナ感知で伺うと、どうやら相手は馬を降りたようだった。

 近づいてきてはいるが、暗さを警戒しているのか走ってきたりはしていない。

 好機だ。

 こちらに時間を与えたのは失敗だよ。


 魔術を使ってまわりに罠を仕掛けていく。

 下地が砂浜なのであまり大がかりにはできないけど、多少深い溝があるだけでも夜の戦いでは困るはずだ。

 そこで船から飛び出してくる反応があった。

 間違えるはずもない、ルイズだ。

 兄さん……。

 こちらのことを心配して援軍を出したのだろう。

 信用されていないのかと、ほんの少しだけ不満を感じないでもないけど、万全を期するなら正しい選択だ。


 これで万が一はなくなった。

 反撃開始だ。


「ルイズ! 『戦場は作ってある』。相手は手練れだよ。気を付けて」


 返事は無かった。

 馬車の近くに一瞬だけ砂を巻き上げて着地したルイズはそのままはばたく様に相手に向かって飛んで行く。


 ――結論から言えは相手の実力はかなりのものだった。

 ルイズの初撃に耐えたのだから。

 とびかかったルイズの一撃を半身になって無理やり体を下げるようにして避ける。

 でもそこまでだった。


 風魔術の力で瞬時に身を翻したルイズの二撃目は左後方上という普通あり得ない方向から脇腹の後ろに入り、それで決着になった。


 その後は消化試合のようなものだった。

 手早く手練れを拘束して後続に備える。

 彼らは一人目の優勢を疑っていなかったのか隙だらけだった。


 続いてやって来た数名はルイズがいつも持っている小さな寸鉄の投擲をうけて即座に昏倒した。

 後から馬で近づいて来た者も僕の仕掛けた罠にかかって落馬、それで終わりだ。

 総勢五名。

 これで全員だろうか。

 念入りに周囲を警戒したけど、他に人はいないようだった。


 彼らの怪我は全員打撲程度だ。

 どうやらあの状況でルイズはみねうちをしたり寸鉄を刃の無い方向で投げる余裕があったらしい。

 ともあれ治療の必要もあまりなくて、後始末が簡単だったのは助かった。


 拘束した彼らを一人ずつ連れ出して簡単な尋問を行う。

 あまり情報に期待はしていなかったのだけれど、思ったよりちゃんと話をしてくれた。

 どうも彼らは最初の一人の強さを相当信頼していたらしく、それを倒してしまった僕らを恐れているらしい。


 それによると、やはり彼らの所属はナッサウ領だった。

 末端である彼らの知っている情報は限られていたが、目的はメイリアの確保か暗殺で間違いないみたいだ。


 王国を裏切ろうとしている貴人の移動を食い止める任務のためロムスに駐在しているが、彼らの任務はまだ数日先の予定だったため、暇を持て余していたと。

 ひとつ現地の治安維持活動でも手伝ってやるかと警邏をしていたところ、海辺に怪しい灯を見たため飛び出して来たそうだ。

 大きなお世話だよ……。


 その行動の良し悪しはともかく、警告も無しに攻撃してきたのは完全に彼らが悪い。

 これからたっぷり後悔してもらうことにしよう。


「……終わったのか?」


 これまで静かに事の流れを見守っていたハイムが話しかけてくる。

 大人しくしてくれていて助かった。


「うん。もう大丈夫。怖い思いをさせてごめんね」


「いや、足手まといになっちまった……。謝らなきゃいけないのは俺の方だ」


 矢を射かけられるという恐ろしい状況で冷静でいてくれただけでも助かったと思っている。

 そのうえ、巻き込んだのはこちらなのに。


「僕らが手伝ってくれって頼んだんだよ。お陰で兄さんは出発することができた。助けてもらったのは僕たちの方なんだ」


「でも、お前らが残っちまったじゃないか。大丈夫なのかよ」


「もちろん、僕たちも追いかけるよ。でも、兄さんなら大丈夫。知ってるでしょ。兄さんは凄いんだ」


「……そうだな。あいつならなんとかできるのかもしれないな」


 僕にはその確信がある。

 ルイズだってそう思っているからこっちを手伝ってくれたんだ。


「しばらく、兵隊たちといざこざがあるかもしれないからさ、悪いけど代官屋敷まで来てもらえないかな。君の家には一報入れておくから」


「ああ、頼むよ。うちの方はこのくらいの時間じゃ何も心配してないと思うけどな。アインに付き合って夜もあれこれやってるうちに完全に不良息子扱いだ。今回のことでせいぜい代官さまのお手伝いしてるんだって教えてやってくれ」


「わかったよ」


 手伝っているのは兄さんなんだけど、今回はそれくらいはしておかないといけないと思うのも事実だしね。


 捕らえた兵士たちを全員ロムスまで連れていくのは僕たちだけだと面倒なので、三人ほどここで待っていてもらうことにする。

 砂の中に簡単には動かせない錘を埋めてそこから鎖でそれぞれの足かせにつなげる。

 放置している間に衰弱しているようだと気分が悪いので簡単な屋根と飲料水用の水がめも設置しておいた。


 今回の襲撃は相手側が始めたことだが、証拠がないとしらばっくれられるのも嫌なので射られた弓を回収したり逆に一部を砂に埋めたりして現場の確保もしておく。


 そうして片付けだとか今後の打ち合わせをしていれば、空が少し明るくなりはじめていた。

 この季節はまだ日の出って結構早いもんなぁ。

 結局徹夜になってしまった。

 御者席に座って兵士を乗せた馬車を走らせる。

 ルイズとハイムは他の馬を二人で連れて歩いている。

 僕たちの馬二頭と相手の乗ってきた馬で結構大きな集団になってしまったのだ。

 自然、移動のペースは遅くなったけど、距離自体が大したことなかったのでなんとか代官屋敷に到着することができた。

 早朝だったこともあって他の兵士に見つからなかったのは運が良かった。

 警邏に出て帰ってこない彼らを捜索してるんじゃないかと思ったけど、どこか見当違いの場所へ行っているのかもしれない。


「カイル様! ルイズ!」


 最初に僕らに気が付いたのは朝の修練のために外に出ていたゼブだった。


「ちょっと襲撃を受けてね。みんな無事だから安心して。後始末が必要だから寄ったんだ」


 兵士が荷台に乗っているので最低限の情報だけで会話する。

 ゼブはすぐにそれに気が付いてくれた。


「それでは私はこの者たちを連れて行きましょう。カイル様はお疲れの所悪いのですが、御屋形様への報告をお願いします」


「わかった。よろしく頼むよ」


 話が早くて助かるね。

 クルーズ父さんはさすがだった。

 朝一番に現れた僕らの話を聞くと、出勤を取りやめて事務所とハイムの家に使いを出す。

 そして、連れてきた二人の尋問と残して来た三人の回収の段取りを瞬く間に整えてしまった。

 その間に僕とルイズが何をしていたかというと出立の準備だ。

 ことが大きくなる前にエトアへ向かった方がいいという父さんの意見に従った形になる。


「僕もエリゼも、ゆっくりしていって欲しいと思ってる。でも、君たちは仕事を請け負ったんだ。そのために万全を期すなら早く出発した方がいい。ハイムのことは僕が責任をもって面倒を見る」


 成長するにしたがって新たに見えてくる家族の姿というものがある。

 その一つが父さんの采配の妙だ。

 彼が家族との時間より優先するものがあるとすれば、それは非常に大きな影響を与えうるという判断なのだ。


「慌ただしくなってごめんなさい。父さんの言う通り、出発の準備をするよ。兄さんのことも気になるし」


「うん。でもやっぱり残念だな。いや、みんなちゃんと顔を見せてくれたんだから贅沢をいくべきではないね。いいかい、困ったことがあったらエトアにいてもロムスを頼ってくれ。すぐになんとかできなくても、必ずどうにかするから。迷惑をかけるなんて思っちゃいけないよ」


「うん、わかった」


「坊っちゃま、ロムスのことはお任せ下さい。駐留している兵たちには少しお灸をすえておきましょう。私が責任をもってやりますので、アインぼっちゃまのことに集中していただいて大丈夫です」


 そこで、珍しくクロエが声をかけてきた。

 いつもは影に控えてほとんど意見を言わないのに。

 実は、この代官屋敷で一番強いのはクロエだ。

 彼女には父さんもゼブも敵わない。

 これはもののたとえだけというわけではなく、たぶん剣で戦っても結構強いと思う。

 王都に行ってから分かったことだけど、立ち振る舞いに隙がないのだ。


 そんな彼女がいてくれて、父さんとゼブがいる。

 兄さんが手をいれたこの街は本当に強い。

 護衛任務に集中しろというのは確かにその通りだ。


 でも、ナッサウの兵たちが僕たちに文字通り弓を引いたのはよほど彼女の逆鱗に触れたらしい。

 あまり大ごとにならないといいなと思う。

 相手側の心配ができるうちは大丈夫かな。


「ルイズ、坊っちゃんたちのことを任せますよ」


「はい、必ずお守りします」


 彼女はその言葉を忠実に遂行してくれている。

 でも、今その心にあるのは兄さんの安否だろう。

 ずっと一緒にいればこそわかることもあるのだ。


 こうして、ハイムを預けた僕たちは、馬車の馬を変えただけでほとんど滞在もすることなくロムスの街を飛び出すことになった。

 何もかもを途中で手放した形になるけど心配はしていない。

 信頼できる家族にちゃんと任せてきたからだ。


 人は弱い生き物だ。

 何をどう鍛えたって手の届く範囲に限界があるから。

 でも人は強い生き物だ。

 協力することができるから。

 離れていても、信頼できる相手がいるならどこまでも手を伸ばすことができる。


 兄さんはまだ僕を信頼するにはちょっとだけ不安みたいだ。

 ルイズを預けるんだから。

 それなら、まずはその不安を振り払う必要がある。

 その先に僕の目標があるから。

 ちょっとくらいは期待を上回る仕事をして見せたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る