第70話 判決の舞台

 全てが凍り付いてしまったような静寂。

 俺はヘルゲに対する警戒を強める。

 破れかぶれでメイリアを害しようとするのではないかと思ったのだ。

 その体はしっかり椅子に拘束されてはいるが、どうにかして暴れるかもしれない。


「――――!?」


 ヘルゲが選んだのは慟哭だった。

 彼にとってこの船の上での暗殺は自分の命と引き換えに成功させるものだ。

 たとえ首尾よくやったところで生きて帰ることはできない。

 それに失敗した。

 これまで自分が積み上げてきたものすべてを投げうってまで守ろうとしたものがその手を離れていく。

 その両腕、両足に至るまで念入りに拘束され、流れる涙を拭きとることもできない。

 歪む顔を隠すこともできない。

 醜態といっていいその姿を晒してなお、そんなことを気にする様子もない。

 今の彼にとっては真にどうでも良いことなのだ。

 押し殺していた心の底に残ったひとかけらだけの感情のすべてが今、行動に現れていた。


「……私が王宮を出る時にした約束を覚えていますか?」


 しばらくの間、ヘルゲはメイリアが何か言ったことにすら気が付いた様子は無かった。


「聞きなさい。約束を覚えていますか?」


 だから、語調を強めて繰り返す。


「――……やく……そく……?」


 まだ正気を取り戻したとは言い難い目に少しだけ理性の光が宿る。


「そ……れは、みんなを、……殿下が守ると。……そのために命を……賭けると……」


 それを口にすることで光は少しずつ強くなっていった。


「私は誰を守ると言いましたか?」


「与するもの全てを……」


 自分で言っていて信じられないという顔をしたヘルゲがメイリアの方に顔を向ける。


「そう、生き残りの一人や二人ではだめなのです」


 その意味をヘルゲが理解するまで、しばらく間があった。


「二つ、あなたに謝るべきことがあります。一つはあなたの家族の危機を知っていながら黙っていたこと。これは、こうして王国内にいる敵にはあなたが自分たちの味方だと信じさせるために仕方がありませんでした」


 知っていたということは対処できたということだ。


「あなたは敵の切り札なのです。最も私に近い場所で必殺を狙う刃。私たちがどうにかして相手の仕掛けを掻い潜った時の保険。それを『説得』するためにはどうしても王国を出て間者との接触を断つ必要があった」


 わかっていて危険に身をさらしたと。

 そのために命を賭ける必要があったから。


「ノイラートが危機に陥ることはありません。アンハルトにはもう手を打ってあります。この度の暴挙を理由にアンハルトは失脚し、力を失います。これを見逃すつもりはありません」


 ヘルゲの頬を新たな涙がつたう。

 先ほどとは異なる安堵の涙。

 そこでメイリアは視線を少し動かした。

 ヘルゲと目線を合わせるために。


「この船の上では私の言葉の裏付けをとることはできないでしょう。しかし、あなたにその時間はありません。今、判断をしなければいけません。私の言葉を信じることができますか?」


「しかし、自分……は、あなたを、裏切って……」


「今、あなたが決めるべきことにそれは関係ありません、が、それを気にするならもう一つ先に謝っておきましょう。先ほど、私はあなたの懇願に対してわざと意地悪な言葉で答えました。まあ、暗殺の危機にあったわけですからあれくらいの意趣返しはあっても良いと思うのですけれどね。あれだけ泣き叫ぶほどに苦しんだのなら、先ほどのあなたの行動に対して一時的に目をつむっても良いでしょう、幸い未遂に終わりましたし今は人手不足の時です。おあいこ、と言うんでしたっけ? とにかく、これまでの行動に関係なくあなたが選ぶとしたらどうしますか? 今、この場で決めて下さい」


「――……信じてくれとは申しません。ただ、自分はあなたの言葉を信じます。あなたの慈悲に感謝します。この身命。すべてをあなたの為にお使い下さい。罪の一部でも贖えるなら喜んで差し上げます」


「人手不足と言ったでしょう。そう簡単に命を使い潰されては困るのです。この言葉を信じるというのなら、命令です。しっかり王都まで私を連れて帰りなさい。それから贖罪の機会を与えましょう」


「――御心のままに」


 大岡裁きと言っていいのだろうか。

 傍から見ていた俺には不満もないではない。


 結論から言えばこの流れはメイリアが演出した舞台の上だったということだ。

 演者ではない俺は最後まで蚊帳の外だった。

 この舞台のために旅に出る前から準備を整えて自分の身を危険に晒したのだ。

 護衛という立場である以上、もっといいやり方があったんじゃないかと思うのだが、終わってしまったことに口も出せない。

 デニスさんやミリヤムさんはともかく、オリヴィアさんが黙って話を聞いてたのは俺より先にこのことを知っていたのかもしれないな……と今になって思う。


 なんとなく上手くまとまった感じになったが、それですべて今まで通りというわけにはいかない。

 ヘルゲは日中ずっとデニスさんに監視されることになったし、今後は夜寝る時も拘束されたり閉じ込められたりする。

 面倒だが建前上も安全上も仕方がない。


 みんなとの距離感だって元通りというわけにはいかない。

 これまでの旅の途中は緊張もあってそんなことにそこまで気を遣うこともなかったが、なんだかんだいって仲間だったのだ。

 そこに変化があればギクシャクもする。

 それでもほどほどの関係を早く構築したいと思う。


 ヘルゲは凶行に及ぶとき、俺やデニスを先に殺したりはしなかった。

 現実にはそうすることは難しかったとは思う。

 それでも暗殺成功のためには必要な措置だった。

 それをしなかったのは彼のミスだ。

 あるいは、意志の薄弱さかもしれない。

 しかし、俺はそれを優しさのあらわれだと、そう思いたいのだ。

 その選択が、また彼を仲間だと感じさせる鎹(かすがい)になると。


 王都に帰れば罰が下されることになっているが、それはどんなものなのだろうか。

 周りが悲しむものでなければいいと思うのは俺の甘さなのだろうか。

 もやもやする部分は当然あるが、結果から見ればヘルゲが罪に見合った罰を受けることになるよりずっとマシな結果なのは事実なのだ。

 それはメイリアが頑張ったお陰だ。

 今ならまだ、みんなで王国に帰るという約束を果たすことができるのだから。





 手元にはエトア国内の地図があるのだが、これの出来がどうも適当らしい。

 特に海岸線が酷い。

 船乗りは別の種類の海図を使っているのだろう。

 需要のない海に関してまともにできているとは言い難かった。


 そんな中で都合の合う停船地を探すのにも苦労した。

 この航海の一応の終着点として、港へは入らないことを決めている。

 他国からの入港手続きはそれなりに煩雑なものだし、理由なんかを聞かれればそこからメイリアの入国が敵にバレる可能性もあるからだ。

 そんなわけで、停泊地として少し集落から離れた岸壁を選んだのだが、当然出航時と同じように荷物の積み下ろしという課題があった。

 隠れやすくても、森の中なんかだと馬車が下ろせないのだ。

 来た時のように砂浜に一時的に停めて荷下ろしを行うことも考えた。

 しかし、人が減り、ヘルゲを監視している状況でデポジットした荷物に見張りをたてるのも難しく、可能なら避けたいということになった。

 なんとか街道からそう遠くない岸壁を見つけたので隠しドックをつくる。

 最初は浅瀬を船が干渉しないように変形させるところから順番に。

 なんとか海龍丸を隠したところで本番の荷下ろしだ。

 今回は時間があるということで丈夫なタラップを下して運んだのでロムスほどの大変さではなかった。

 それでも人手の減った状況で出発できる準備が整うころには日が暮れていた。

 定例通り船上でヘルゲを処刑するなんてことにならなくて本当に良かった。

 今、俺たちは本当にギリギリの人数でやっているのだ……。


 本人の言葉通りヘルゲは勤勉に働き、今は疲れて休んでいる。

 それでもこれまでのような緊張はマナからも感じられなかった。

 やるべきことがある方が彼にとっても救いになるのだろう。


 ドックの近くで一晩を過ごした翌朝、早朝のうちにデニスさんだけがキャンプ地を離れる。

 馬を確保してくるためだ。

 馬車は船に乗っているのだが、馬はそういうわけにもいかなかった。

 船上で動物の世話とか大変だからね……。


 この馬車は俺たちが時間をかけて開発した魔術具でもあるので、やろうと思えばそれ単体でも魔力で走ることができるのだが、目立つのをさけるためにまだ人前で使うつもりはない。

 いわゆる切り札の一つだ。


 そんなわけで、ちょっとだけ空いた時間ができた。

 みんなも護衛の緊張感がありながらも、久しぶりの地面の上で思い思いの時間を過ごしている。


「それは何をしているのですか?」


 俺もその時間を有効活用しようとしていると話しかけてくる者がいた。

 オリヴィアさんだ。


「魚の干物を回収してたんですよ。これ」


 アジのような魚を手に持って見せる。

 ロムスでも常食される一般的な種だ。


「そういえば、昨日の夕食後に釣りをしていましたね。その時のものですか」


 その通り。

 昨日の夜に釣れた魚を開いて塩をすりこんで干しておいた。

 いわゆる一夜干しだ。

 塩は魔術を使えば海水からいくらでも回収できるのでふんだんに使った。

 ちょっとしょっぱいかもしれないが日持ちさせるほうが重要だ。

 汁物の具材なんかにつかえばちょうどいいだろう。


「これでしばらく海ともお別れですから。食材は色々あったほうがいいでしょう」


「ええ、助かります」


 オリヴィアさんと仲良くするにはご飯の話だ。

 この人は料理と喧嘩が得意なのだ。


「……釣りとは、そんなに面白いものなのでしょうか?」


 そこで終わるかに見えた会話にオリヴィアさんが続けた。


「ええ、俺は時々するくらいでしたけど、好きな人は暇があればやってますね」


 港街出身のたしなみとして覚えた釣りがこんなところで役にたつとも思っていなかった。


「姫様も、船の上で頻繁に釣り竿を握っておいででした。日に焼けますと何度もご注意申し上げたのですが」


 メイリアは旅の途中、基本的に仕事を割り振られない。

 立場上当たり前なのだが、船の上なんかだとかなり暇だったはずだ。

 そんなわけで最近はその暇をよく釣りで潰していた。


「考え事なんかには向いてるかもしれませんね。あと、慣れてくると魔術の訓練と一緒にできたりするんですよ」


 ただ座ってるだけなのでそう難しいことではない。


「魔術の訓練ですか……。姫様は、魔術院に行って変わられました。魔術とは心に作用するものなのでしょうか」


 どうだろう。

 そういわれても、俺の知っているメイリアはだいたい会った時からあんな感じだった。

 いや、最初は猫を被っていたかな?


「どうでしょうね? 確かめたわけではないですけど、あんまり関係はない気がします。環境が変わったことの方が大きいんじゃないですか? 色々な人と会って影響を受けるのは、俺たちの齢くらいなら普通のことだと思います。それに、メイリアは根っこの部分はずっと変わってないんじゃないかって気がしますけど」


 そこで、オリヴィアさんは俺のことをじっと見つめた。

 ちょっと恥ずかしい。


「……その不敬な呼び方にも慣れてきましたね……。姫様も嗜めませんし……」


 話とは全然別のことを気にしていたらしい。

 申し訳ないが、本人もあまり持ち上げるのを気に入ってないようなのでこの旅の途中くらいは続けさせて欲しい。

 人前で出ないように気を付けないとな。


「そうだ、日焼けといえば、――」


 ちょっと都合の悪そうな話だったので強引に話題を変える。

 メイリアも日差しの下にいることが多かったので渡しておいたのだが、橘花香にいるときに開発した日焼け止めのことを話しておく。

 材料はチタンさえあればわりと簡単に作れるので旅の途中でも増産が効くのだ。


「そんなものがあるのですか!」


 思いのほか、食いつきが良かった。

 化粧品はやっぱり女性共通の話題だな。

 これでオリヴィアさんトークのネタがひとつ増えた。


 話題もうまく変えることができたし。

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