第69話 船上裁判

 その日の釣果は悪くなかった。

 王国では魚を食べる習慣はそう珍しいものではないが、その多くは干物など保存性を高めたものだ。

 新鮮な魚ともなると一転、一部の地域のみで楽しめる高級食材となっていた。

 だから今、目の前の七輪の上で地獄焼きになっている哀れな食材の庶民感は俺個人だけのもののはずだ。

 新鮮な魚をその場で焼いたものなのだから、王女様に出してもおかしくない高級品だろう。


「本当に魚を生のまま食べることがあるのですか?」


 七輪に付きっ切りで焼き加減を見ていたミリヤムさんが、俺の世間話に答えた。


「本で読んだだけなんですけどね。ロムスは港街だから、うまくやれば名物料理にならないかなって」


 最初の方の発言は嘘なのだが。

 当然、本当は前世の知識由来の話だ。

 せっかく新鮮な魚のがあるのだから、刺身で楽しみたいというのは元日本人の心情としてわかってもらいたいと思う。

 実際のところは寄生虫等が怖いので試すことが出来ずにいた。

 醤油のような調味料も見つかっていないので先の長い計画になる。

 せめて他の地域で生で食べられている魚があればと思って今も情報収集をしていたところだ。


「たしかに港町以外では真似できませんものね。もしかしたら話題になるかもしれません」


 慣れない人には結構気持ちの悪い話題だったかなと思っていたのだが、いきなり否定とかしないあたり、この人の育ちの良さが垣間見えるな。


「そういえば、東の方の国で生で魚を食べる話を聞いたことがあるな」


 後ろで同じように七輪の上で鍋ものを作っていた従士のデニスさんが話に入って来た。

 一緒に旅をしてわかったことなのだが、彼は鍋とかで一度に大量につくる料理が上手い。

 兵としての経験のたまものだろうか、調味料とか一切計量しないのに味付けが絶妙だ。

 全員分一度につくる鍋料理は毒見の簡単さもあってこの旅の定番になりつつあった。


「たしか、小さく切り分けた魚と油、酢を混ぜて塩、薬草、香辛料で味をつける料理だったと思うが」


 東、と言われたときに思わず東洋的なものを思い浮かべたのだが違ったようだ。

 これはマリネの一種になるのだろうか。

 地中海料理とか。

 しかし伝聞の話のはずなのにレシピが結構細かい。

 鍋物に限らず料理に造詣が深いのかもしれない。


「面白そうですね。どこの国かわかりますか?」


 醤油にはたどり着けなかったが、生食できる魚がわかれば大きな前進だ。

 自然、質問が前のめり気味になる。


「商人から話を聞いただけだからな。東大陸への航路の話をしていたから、カルワートあたりじゃないかと思うんだが」


 カルワートは大陸の東にある自治都市群の一つだったかな?

 話の流れからして大陸間航路の拠点なのだろう。


「都市国家群ですか。いつか、行ってみるのもいいかもしれないなぁ」


「この船があればどこへでも行けそうですね」


 自分たちでつくりあげた船を褒められるのは正直すごく嬉しい。

 たとえお世辞であってもだ。

 それに、本気でこの船をどこへでもいけるものにしようというつもりもあった。


「そんな旅も、まずは護衛をしっかり済ませてからだな」


 その通りだ。

 俺はともかく、この船に乗っているみんなは決死の覚悟でこの旅に出たに違いないのだ。

 今回の仕事を全うするというのはそれだけ重い意味のあるものでもあった。


「帰りはカイル達も一緒にみんなでこの船で帰りましょう。ちょっとどこかの街に寄り道して一緒に美味い物を食べるのもいいかもしれませんね。任務達成祝いに王女殿下に奢ってもらうのはどうですか」


 しかし、俺の目標はみんなの想定のもう一つ上にある。

 フヨウに約束したように全員で帰らなければならない。


「……まったく不敬な話だ。でも、それもいいかもしれないな」


「その時はみんなで内緒にしておきましょう」


 ミリヤムさんが珍しく冗談に乗ってくれた。

 言いたいことをわかってもらえたのだと思う。


 無事、王国を出ることはできたが、この後しばらくはたった五人で警備を続けなければいけない。

 そのためには仲間の団結が不可欠だった。


 ……外敵との接触がないこの船の上で、今のうちに少しでも懸念事項を減らしておきたい。





 なんとか目的地近くまで海上の旅を続けることができた。

 何度か現在地を見失って恐ろしい思いをしたが、それは島と街の位置を確認してなんとかした。

 運が良かった点としては天気が大きく崩れなかったことが挙げられるだろう。

 試作品のこの船は竜骨こそ丈夫さが保証されているが時化(しけ)ともなれば本格的な船乗りのいない俺たちには恐怖だ。

 ここ数年対応方法は勉強してきたつもりだが、歴戦の船乗りにとってさえ、最後は運頼みだというので可能なら避けたいところだった。

 幸い、今回の旅は大きく陸地から離れる必要はないので最悪岸壁にでも穴を掘って避難するつもりではある。

 それもこのままなら実行せずにすみそうだが。


 今、この船の上に操船ができる人間は魔術の使える俺とメイリアだけなので、夜間は錨を降ろして航行はしないことにしている。

 徹夜で進まなくても充分な速度が出ているので、王国内のように無理をして急ぐ必要もなかった。

 そんなわけで護衛の面々も相対的に少しだけ弛緩した空気が流れている。


 たった一人の例外を除いて。





 もう明日には目的とする場所に到着しようかという頃だった。

 この船はあまりたくさんの人間を乗せるつもりで設計していないので船室は多くない。

 今回も男女で一部屋ずつ使っているような状況だ。


 夜、みんなが寝静まったころ、部屋から静かに抜け出すものの気配があった。

 それに気が付いた俺はすぐに寝台から起き出して後を追う。

 見れば、旅の荷物から薪を割るために持ち込まれた斧を片手に女性部屋の方へ向かう影があった。


 ――もうこれは勘違いとは言えないだろう。

 あの斧で部屋の戸を壊して押し入るつもりなのだ。


 魔術でボーラを射出して後ろから足をからめとる。

 その陰は押し入ることだけを考えていたのか後ろからの攻撃に一切の反応を示すことができずに倒れこんだ。


「ヘルゲさん、そこまでです……」


 明かりの無い真っ暗な船内。

 そのとき、窓から偶然僅かな月明かりが差した。

 そこには現状に理解が及ばないという顔をした従士の一人が床に半身を起こしてこちらを見ている。

 向こうが行動に出る前に魔技を使って斧をとりあげる。

 俺の行動に気が付いたヘルゲは一瞬斧を握り直そうとしたが、それも抵抗というほどのことはなくほどくことができた。

 念のため、刃を変形させて潰しておく。

 他にも何か武器を持っている可能性もあるが、これで部屋に押し入ることはできないだろう。


「……そうか、失敗したのか……」


 恐らく、彼が今夜遂行しようとしたのは王女の暗殺。

 本来、彼自身が身代わりになってでも防がなければいけなかった危機そのものだ。


「拘束します。大人しく従って下さい」


 失敗を悟って諦めたのか、さして抵抗することもなく俺の行動に従う。


「アインか! どうした?」


 そこで、件の戸の内側からオリヴィアさんの声がした。

 自分たちの部屋の前で何か起こればちょっとしたもめごとでも気が付くのは普通のことだろう。


「ちょっと問題が起こりました。もう危険はありませんが少し話し合いをする必要があります」


「何かあったのか!?」


 物音に気が付いたのだろう、みんなを集めるまでもなくデニスさんが部屋から出てきた。

 俺の目の前であった事実だけを簡潔に説明するのにそう時間はかからなかった。

 ヘルゲも言い訳をすることなく黙っている。


 彼の様子がおかしいと気が付いたのはロムスの砂浜を出航してからしばらくしてからのことだ。

 一人だけマナにあらわれる心情に極度の緊張が継続していた。

 それまでの旅ではみんな似たり寄ったりの反応なので目立たなかったが、外敵の襲撃の恐れのない環境になって少しずつ緊張は緩和されていった。

 そんな中で彼の状態が浮き彫りになった形だ。


 護衛中という現状を考えれば裏切りの可能性がある。

 ただ、何の証拠もなくヘルゲを弾劾してしまえば、この海上の密室ともいえる環境で人間関係にヒビが入りかねなかった。

 この集団で部外者といえば俺のことなのだ。

 かといって説得して諫めることができるほど彼の人となりも知らない。


 だから、監視を続けていたのだが、ついに決定的な犯行まで事態を納めることができなかった。

 後少し早く声をかけるべきだっただろうか。


 食堂代わりに使っているスペースにみんな集まる。

 メイリアだけは身だしなみを整える必要があるとかで遅れていた。

 命を狙われたばかりだというのにそういうことに気を付けなければいけないというと、権威も大変だなと思う。


 その間、俺とデニスさんに見張られていたヘルゲはただ黙って俯き、大人しくしていた。

 不思議なことといえば、これまでずっとマナ感知にあった極度の緊張が若干緩和されていることだろうか。

 任務に失敗したというのにだ。


 これからとるべき行動について思いを馳せていると、メイリアの準備が整ったようだった。

 船室の戸が開いて中から略式の礼服を着てあらわれる。

 これは身内の話では終わらせないということだろうか。


 起きたことは既に話してあったのでここで俺の役目はあまりない。

 ヘルゲはだまって俯いており、メイリアがそれを見つめている。


「何か申し開きはありますか」


 オリヴィアさんが発言を促す。


「……何も。すべて自分の不徳の成したことです。自分の意志で犯行を行いました」


 嘘だ。

 俺の見てきたヘルゲには深い葛藤の様子があらわれていたし、メイリアに対して何か恨みを持っているようでもなかった。


「――ノイラート男爵家は無関係であると?」


 その一言はヘルゲにとって何か大切なものだったようだ。

 表情に変化があった。

 しかし、どこか諦めたような部分は変わらない。


「自分の発言を信じてもらえるとは思いませんが、父は、自分の家は関係ありません」


 ヘルゲ、男爵家の人間だったのか。

 王女殿下の護衛なんだからそんなものなのか。


「言い方が悪かったようですね。私はノイラート男爵の叛意を疑っているわけではありません。彼らの身柄を人質に、あなたに指示した人間がいることを知っているのです」


 ヘルゲが目を見開く。

 そして何かを決意したかの様に話始めた。


「……自分に話を持ち掛けたのはアンハルト家のイーゲンです。この度の王女に『降りかかる事故』で多くの貴族の首が飛ぶと。その中に自分の家が含まれると言われました。ただ、お前ならそれを防ぐことができると」


 どんだけマッチポンプだよ。


「殿下が無事エルトレアで託宣に参加されてしまえば、自分の家は助からない。アンハルトの侯爵として持ちうる力を尽くして一族郎党を追い込むと言われました。このことを殿下に知られれば、家族の命すら保証しないと」


 王女の命と家族全員の命を天秤にかけられたのか。


「恐らく、それは事実でしょう。アンハルト侯は面子にこだわります。あの者が関わっているならば本当にやるでしょう」


 そんな義理堅さ要らない。

 話を聞いてヘルゲが項垂れる。


「……自分がやったことは分かっているつもりです。それでもお願いします。王都に戻られた時、家の者が誰か一人でも生きていれば助けてやってもらえませんか……。どうか、どうかお願いします」


 あまりにも悲しいヘルゲの嘆願に対してメイリアの口から出てきたのは、


「――その約束はできません」


 そんな非情な一言だった。

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