第65話 静かな出立
「それで、俺たちはお前をどこに連れていったらいいんだ?」
「言ってませんでしたっけ、聖都ですよ、エルトレアです」
腫れてしまった目元をオリヴィアさんに水の入った革袋? のようなもので冷やしてもらいながらメイリアが答える。
あれは氷嚢的ななにかか?
しかし、目的地はエトアか。
やっぱり情報収集中に名前を聞いた魔王の啓示だの女神の託宣だのが関係しているのかもしれない。
「だったら、結構僕ら向きの仕事かもしれないよ」
「そうだな」
この行先については運が向いているといえる。
なにせ、エトアに行くなら通るのはアーダン領、俺たちのテリトリーだからだ。
ウィルモア国内では交通の裏表を知り尽くした俺たちが護衛する。
こっちにはマナ感知もあるし、当然高速馬車を使うわけで、ただ追いかけるだけでも至難の業だろう。
単純に逃げ切れる可能性は高い。
襲撃できるとしても大人数では襲えない。
国内の主導権はこっちのものだ。
一方、向こうの国の内情はわからないことも多い。
しかし、国外である以上、打てる手は限られてくるだろう。
なにせ暗殺なんて起きれば外交問題待ったなしだ。
色々と裏工作が必要になるはずだ。
ではそれなら敵はどう動くか。
このあたりで盤面をひっくり返してみる。
ターゲットを暗殺したいとき、存外足の速い対象と護衛に国内でどう対応するか、手駒の限られる国外でどうやって手はずを整えるか、そのあたりがキーポイントになりそうだな。
「なんとかする方法は考えてみるけど、この後はどうする? そう何回も打ち合わせするってわけにはいかないよな」
定期ミーティングで後宮訪問ってのは無しだろう。
「そんな余裕ないですね。会えば会うほど危険が増すと思って下さい」
そりゃあそうか、情報とか漏れやすくなるだろうしな。
「だから、今回の旅程、全部お任せします。指定の人数を指定の期日までに目的地へ連れて行って連れて帰って下さい。方法は問いません。私が知らない方がかく乱できると思いません?」
……大胆だな。
オリヴィアさんが眼を剥いている。
その表情でも黙ってる点については評価しておこう。
「その間、私は色々準備しておきますよ。あいつらが気を抜いてるうちに手遅れになるようにしてやります」
逆襲じゃーと言わんばかりだ。
というかそのままだ。
だんだん調子が出てきたな。
「……信用してくれるっていうならこっちでなんとかしてやるよ。小まめな連絡がとれないってのは本当は結構困るんだけどな。必要そうな情報は今のうちに教えておいてくれよ」
「わかってますよ」と答えたメイリアはオリヴィアさんに声をかけると何かの書面を準備させた。
必要事項は用意してあるってことか。
なんだかんだ信用してくれてるじゃないか。
書面を受け取ろうとしたところで、オリヴィアさんが用紙を手放してくれない。
何? いじめ?
「部外秘です。ここで覚えていって下さい」
まあ、紙一枚でも外には出したくないのかもしれないけどさ。
端から端までってなると結構情報量あるぞ。
それに、どうも最初からこの人当たりがキツい気がするんだよな。
ここにいるってことはたぶんメイリアの側近のはずなんだが。
雇い主――メイリア――の方を見てもなんだかよくわからない笑い方をしているだけで助言はもらえないらしい。
しょうがないので魔術を使って結晶保存することにする。
これならよほど精密な光源でも持っていない限り参照もできないので安全だろう。
最後に、二、三疑問点を確認してここでできる仕事の話は終わりだ。
なんにせよ、やるべきことは決まった。
現在、俺たちは非常に恐ろしい立場にいるのだが、それでも作戦の成功を祈る以外にやれることがあるというのは多少の気休めになる。
「それじゃあ先輩、ひとつよろしくお願いします」
そういって手を振るメイリアと別れる。
ここが後宮であることを忘れてしまいそうな風景だ。
学院で何度でも見た日常。
それが場所と服装が変わるだけでどうにも奇妙に感じるものだ。
俺たちだけが残っていても仕方がないので、メイリアを送って帰って来たオリヴィアさんに連れられて来た道を戻る。
この人、やっぱりエルトレアにも来るのかな、仲良くできるだろうか。
後は、例の馬車に乗って戻った。
ハーガンさんは律儀に待っていてくれたが、依頼の内容について詳しく話すことはなかった。
この人はこの件について味方とは限らないのだ。
ただ、それでもギルド本部で別れた時の丁寧な礼と表情を見れば、俺たちを、そしてメイリアを心配していることがわかる。
敵味方みたいなことを考えずにまた会えたらいいな。
「――ご無事そうでなによりです」
指定していた場所で落ち合ったゼブは開口一番にそう言った。
ほんと、ちゃんと帰って来れてよかったよ。
冒険者として依頼の内容を聞きに行っただけなのにね。
「心配させてごめん。実は話せないことも多いんだけど、できるだけ説明するから聞いて欲しい」
今回の依頼は情報の秘匿が命だ。
隠せる札が多いほど有利になる。
そのためにはゼブにすらできない話が多かった。
それでもこのことだけは伝えておこう。
「――だから、今回の依頼は断ることもできたんだ。でも、俺たちは俺たちの意志で護衛任務を受けようと思う」
「……そう決断されたというのならば理由があるのでしょう。ルイズ、お二人をしっかり守るように」
「もちろんそのつもりです」
忙しくさせて悪いのだが、ゼブには一足先にロムスへ向かってもらうことにする。
クルーズへの報告や護衛任務の下準備をできるだけ早めに進めるためだ。
ついでにエトアの情報も集めてもらおう。
ロムスの方が国境に近い分早く正確な情報が集まりやすいはずだ。
そこまで余裕のある日程では無かったが、王都での工作はだいたい終わらせることができた。
出来うる限りの伝手をつかったし、ロビンス商会も厳戒態勢に近い状態にしておいた。
最悪人的損害さえなければどうにでもやり直すつもりでいこうと思う。
護衛初日の早朝。
二台の高速馬車で約束の場所へと向かう。
あえて王宮からは少し離れた広場。
早朝と夕方は馬車のジャンクション的な役割を果たし、日中はデートスポットになる、そんな所だ。
そこでしばらく待っていると豪奢な馬車の列が遠くに見えてくる。
あれがメイリア達か。
さすがにすごい規模だが、王族ともなるとあれでもかなり少人数な方になるらしい。
どちらにせよ彼らには囮をやってもらうことになるのでどちらでもいいのだが。
隊が休憩するふりをして一時停車する。
列の中で忙しく伝令や護衛が行き来して連絡しているがすべてブラフだ。
その中をメイドさん数名とやたらでかい荷物を持った従士らしき二人がこちらに近づいて来た。
そのまま俺たちに目線で合図を送ると馬車へと乗り込んでくる。
無論、彼らがメイリアと護衛だ。
本当にたったこれだけで来たんだな。
手早く鞭を入れると、目立たないようにゆっくりと馬車を出発させた。
後ろのルイズもうまくついてきているようだ。
「カイル先輩はどうしたんですか?」
おい、顔出すなよ。
なんのために工作していると思ってるんだ。
「まわりで見張りをしてるよ。このまま走らせてれば合流してくるはずだ」
そんなことを言っていると近くの店の軒先から件のカイルがちょうど隣に飛び降りてきた。
俺はマナ感知でわかっていたが、メイリアは驚いたようだ。
後ろのメイドさん、変装してるけどオリヴィアさんだな……、腰の後ろに手を回している。
あれって仕込み武器かなんかか。
「わっ、ってカイル先輩驚かさないでくださいよ。ちょうど今、先輩の話をしてたんです」
「ごめんごめん、でもメイリア、もうしばらく前には出てこない方がいいよ。結構な人数が君たちのこと監視してたみたいだから」
その言葉にすごすごとメイリアが後ろに下がる。
「それで、どうだった?」
「明らかに馬車を監視していたのは十一人かな。でもそのほとんどは王宮から出てきた隊を見てる。他にも路地裏で怪しい感じの人が何人かいたから、そっちは適当に魔術で壁を作ってかく乱してきた。こっちを追いかける様子は今のところいないみたいだから第一段階はうまくいってると思うよ」
たしかに馬車を追う反応はないな。
ってことは次に気を付けるのは待ち伏せか。
暗殺の危険があるポイントは何か所か想定しているが、王都出発、つまり今このタイミングがその一番目だった。
王宮の近くでやるのは相手にとってもかなり無理筋ではあるので本命としては考えていなかったが、それでも明らかに場所と時間が決まっているのは計画を立てやすいというメリットがあった。
実際に監視する人員が配置されていたわけで、そこをうまく処理できたのは上首尾と言えるだろう。
「次は関所のあたりか、どう思う?」
王都の外縁に城塞は無い。
徒歩ならわりと出入り自由なのだが、馬車の出入りについては検査が入るようになっていた。
今回、行商人として事前に通行を申請をしてあるので手続きに時間はかからないはずだ。
ここに相手の手が回っていると強硬策をとることになるのでかなり面倒な話になる。
「この馬車に気が付いてない可能性は高いと思うけど……、念のため先回りして様子をみてくるよ、落ち合うのは街道に出てからにしよう」
「頼む。無理するなよ」
「わかってる」
関所が見えてくる。
ここを抜ければ道が広くなるし交通量も減るのでスピードが出せるようになるはずだ。
目の前には先に並んでいる荷馬車が二台か。
空いている場所を選んだつもりだったが捕まってしまったな。
しょうがないので後ろに並んで待つことにする。
マナ感知に変な反応は無いと思うんだが。
前の馬車にも人が隠れている様子はない。
なら、一番危険なのは衛兵が刺客の場合か。
「メイリア、念のためそこの毛布被っておいてくれ。首元まで覆う感じで」
「? わかりました。……なんですかこれ? 軽いのはいいですけどあんまり温かくないんですけど」
「魔法の毛布だ。っていっても切れない燃えないってだけだけどな」
渡したのはアラミド樹脂の繊維を主に使用した毛布だ。
いわゆる防弾チョッキなんかに使用される繊維でめちゃくちゃ丈夫にできている。
このポリマー、重合の方法を変えることで難燃性も付与できたりして工業的な実用性がすごい。
今回の馬車にも要所で同じ素材が使用してあった。
「なんだか凄いものなんですね? ありがたく頂戴しておきます」
やったつもりは無いのだが、この旅の間は実質こいつの物みたいなものか。
「オリヴィアさんもいつでも動けるようにしておいてください」
「……言われるまでもありません。……変装しているのにわかるのですか?」
「? ええそりゃあまあ」
別に背格好が変わったわけでもひげが生えてるわけでもない。
髪型をいじったりちょっと化粧を変えたくらいじゃあな。
納得いかなそうなオリヴィアさんを他所に馬車を前に進める。
俺たちの番が来たからだ。
どうかちゃんと集中しててくれよ。
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