第62話 此処に至る道のり(下)

 年が過ぎれば自分も先輩ということになる。

 このころまでに身に着けた知識があれば、当初予定していた方法で王宮での戦力を増やすこともできたかもしれない。

 まったくそのための努力をしなかったわけではないが、実際のところ、そんなことに対する興味は大分失せていた。

 生きる場所は王宮の中だけではないのだ。


 だいぶ学院というものに染まっていた私は、そんなことより新たな上級生という立場を謳歌していた。

 寮生ということもあって頼ってくる後輩も結構いたのだ。


 極めつけはアイン先輩が連れてきた女の子だった。

 「しょうがないですね」という体(てい)で世話を引き受けたが、先輩に頼まれごとをされるのは存外少ないので頑張ろうと思っていた。

 同じ年頃の友達が増えるのも嬉しかった。


 テッサはやせっぽちのちびだったが可愛い女の子で、お互いが寮生であることを活かして夜更かしして色々な話をした。

 自分が王家の人間であることは話せなかったから、学院生になって知った、学生らしい遊びについて。

 それに対して彼女はあけっぴろげに自分の境遇を語った。


 もう何度目かになる学院に入ってからの衝撃。

 その半生は言葉で聞いただけでは想像もつかないような苛酷なものだった。

 彼女は目にした小さな生き物で口にしたことのないものは無いのだという。

 なんでも食べなければ生きていけなかったから。

 当然そこらの野草だって大概は口にして、病気にかかったことも何度もあると。

 今生きているのは運が良かったからだねと笑いながら話すのだ。


 そんな彼女が大切にしているものはお金でもここで食べることができるようになった美味しいお菓子でもなく、その境遇を一緒に生き抜いた兄、家族なのだという。


「兄ちゃんが生きてくれてるなら、私がいなくなったって、命は残ると思うんだ」


 ぽつりとつぶやいた、意識もしていない彼女の本音。

 私は父に、母に、そして弟に、そう思うことができるだろうか。

 ……無理だ。


 自身を守ることで精いっぱいで彼らのことなど考えたこともなかった。

 守られて当然だと考えていた。

 自分が弱者だからなんて言い訳にもならない。

 だってこれは私の何倍も辛い場所にいた彼女の言葉なのだ。

 それに対して自分はどうだ。

 自らの身の安全?

 あの地獄に渦巻いていたものはそんなものだけじゃなかったはずだ。

 目の前の小さな親友。

 彼女のような人達の命が数えきれないほど漂っていたのではないか?

 あの世界で力があれば、誰かを救うことだってできるんじゃないか?


 この時、私の中に新たな決意が生まれた。

 魔術の知識も多少増え、金銭の稼ぎ方も学んだ私は、もうあの地獄になんて帰らない生き方があるのではないかと考え始めていた。

 ちゃんとやればどうにかなるというのがあの人の教えから学んだことだったから。

 その気持ちが真逆の方向へと動く。

 あそこへ帰れば彼女を救うことができる。

 すでに助かった目の前の親友だけではない誰かを。


 数年間の生活を経て、紆余曲折した私の考え方は最初の場所へと戻って来た。

 でも、今の私はこれまでの私ではない。

 沢山のものを与えられてきた私だ。

 何かできることをやろう。


 こうして、最後まで学生という生き方を楽しんだ上で、故郷ともいえるこの場所へと帰ってきたのだった。





 それからの私は精力的に活動を開始した。

 ただ誰かを救うために。


 帰って来た王宮は相変わらずくそったれな場所ではあったが、守りだけではない攻めに出たやり方を選べば、案外上手くいく部分もあった。

 何事もやってみるものだ。

 多少なりとも不条理を正すために動けば、王女という立場の清廉な印象もあって味方をしてくれる人間は多かった。


 一歩一歩確実に力をつけていく。

 一人一人の話を真摯に聞いて考える。

 それは自分で考えていた以上の速さでまわりに影響を与え、翼が生えたかのように広がって行った。

 これがこの五年間で学んだやり方。

 上手くやれていると今でも思う。

 注意もしていた。

 それでも、私は王宮にあって強い人間になれていたわけではなかった。

 ここは彼らの戦場なのだ。

 相手は『正しいやり方』で、静かに私の様子を伺い、力を危惧し、用意周到に排除の準備を行っていた。


 先日のある日、私のもとに外遊の依頼があった。

 多少珍しいことではあったが今の立場を考えればおかしなことではない。

 目的を考えればありがたいといってもいい依頼。

 いくつかの理由が重なって、私が断る理由のない仕事だった。

 それが引っかかる。

 ここでは都合が良すぎる時は謀略を疑うものだ。

 案の定、丁寧に調べてみればそれに符号するように暗部が、外交官が動いていることが確認された。


 これは不味い。

 まだ時間があることが不味い。

 この時期に私が察したということはもう避け得ないほどに十重二十重に計画が巡らされているということだ。

 私がまだ魔術院にいるころから準備が行われていたのだろう。

 これは状況の打破は困難かもしれない……。


 調べれば調べるほど現状が深刻であることがわかる。

 先に私の心を折るのが目的なのかもしれない。

 周りの者への見せしめを兼ねた死刑宣告。

 実に王宮らしいやり方だ。

 この死刑という言葉は誇張ではない。

 方法は違えど、私の死だけは確実になるように準備されている。

 違いはどのように死ぬか、誰を巻き込むかだけ。


 悔しい。

 テッサから聞いた言葉が思い浮かぶ。

 誰かに迷惑をかけて死んで、私は命をつないだと言えるのだろうか。

 助けるために私は戻って来たのではないのか。

 弱音ばかりが心の内で澱んでいく。

 目の前には黒い黒い闇のような壁が広がっている。


 ……苦しい、助けて欲しい、先輩……。

 自室の棚に大切に保管してある学院の思い出の品々。

 後輩からもらった寄せ書き、テッサとお揃いの髪飾り、そして一番手前に置いてある論文の束と簡素な小箱。

 およそここには似つかわしくない宝物たち。


 その論文を取り出して読み直す。

 こんなことをしている間ではなかったはずだが、どうせ何をしても状況は悪くなるのだから、かまわない。

 ただ少しでも気持ちが軽くなるのなら。


 それにしても、変な内容の研究だ。

 魔術による光の発生と応用。

 そして光というものが持つ特性について。

 先進的すぎて理解できない箇所も多い。

 ただ、魔術に関わらない部分が多すぎるのが気になる。


 論文の最後には、特殊な光を使ったときのみ色が現れるインクについて記載されていた。

 先輩から餞別にもらったあれ。

 いわゆる試験なのだろう。

 どこかにコメントが隠されているのだと思う。

 光の魔術は難しいものだったのでまだ充分に成功したとは言えない状況だった。

 しかしせっかくもらったのだから試して見よう。

 そういう気分になった。


 半日かけてなんとか目に見えない光、明るくない光を発生させることができるようになった。

 夕暮れに沈む私室の暗さは丁度良い。

 その光で論文を精査していくと案の定言葉が書き込まれていることに気が付く。

 それは非常に短い一言だった。


『分光は宝石でも発生する』


 どっと疲れが出た。

 まだ試験は終わっていないのだ。

 恐らく以前もらった卒業のときのあれで何かしろということだろう。

 たしかに少し変な形をした宝石だった。

 論文が難しくて読み飛ばしていた部分だ。


 寝台に手を伸ばして寝転ぶ。

 はしたないと言われるようなことだがどうでも良かった。

 続きは明日にしよう。

 もう寝よう。

 億劫な気持ちで侍女を呼んで着替える。

 もう、指一つ動かす気にならない。

 その日は久しぶりの熟睡に身を委ねることになった。


 翌朝、早速論文を再読する。

 朝食の呼び出しまでの時間で形にしておきたかった。

 分光とは魔術と関係なく光に備わった特性だという。

 波長というものの理解がいまいちだったが、それでも不可視の光は使えるようになった。

 そこは曖昧でも問題ないようだ。

 小箱にインクと一緒に収められた宝石をとりだして朝日にかざしてみると虹のように色のついた光が発生することが確認できた。


 ……綺麗。

 ぐりぐりと宝石を動かしていると壁に映った虹に影があるのがわかる。

 光と方向を色々調節しているうちに文字のようなものが浮かび上がってきた。

 これが試験の解答?

 文章を読み進める。


「よく頑張ったな。見ての通り、頭を使って魔術を使えばできることは沢山ある。それでも無理そうなら人を頼れ――」


 あれだけ頑張ったあとの言葉がお説教とは。

 でも先輩らしいかもしれない。

 そのまま読み進めた私は最後の一言に目をとめる。


「――困ったことがあったなら俺を頼れ。約束だ」


 不覚にも涙が出てくる。

 今、一番欲しかった言葉。

 この一日足らずの無駄足で私はここに辿り着いた。

 気が付けば、目の前にあったはずの真っ黒な壁は跡形もなく崩れ去っていた。


 困ったことがあったのだ。

 相談しよう。

 方法は、最初に先輩が教えてくれた。

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