第59話 暗雲

 研究所(なかなか名前が決まらずただそう呼んでいる)の運用が開始された。

 まだまだ収益化にはほど遠いが、計画から考えれば驚くほどスムーズに研究が行われている。

 それもこれもリーリアの精力的な活動のお陰だった。

 この調子なら治験に入る時もそう遠くなさそうだ。


 この研究所、初期こそペニシリンの製造に力を入れるが、化学的なアプローチは柔軟に行えるようにしてあるので、他の研究もどんどんすすめるつもりだ。

 頭痛止めとして有名なアスピリン、アセチルサリチル酸なんかは練習にいいかもしれない。

 主要原料であるサリチル酸は特定の植物から得られそうなので石油の調達がなくてもなんとかなりそうなのがいい。

 そこそこ実用性もあるはずだ。

 余談だが、この合成方法は高校の化学の教科書なんかにも載っている。


 もう少し大人になったら酒の醸造や蒸留の研究をするのもいいな。

 薬よりも抵抗なく商用できそうだ。

 いずれ溶剤を生産するときも、エタノールの多段蒸留は避けて通れないだろうし。

 そんな未来の計画を考えながら研究を進めている。





 俺とカイルが十四歳になった夏、いつもの様にそれぞれの仕事をすすめているところにみんなで集まって欲しいとルイズから連絡があった。

 なんでも冒険者ギルドからの指名依頼があるらしい。

 わざわざ全員呼び出すほどなのでよほどのことなのだろう。

 内容のわからない緊急呼び出しってのは心臓に悪いな。

 良くない予想ばかりが頭に浮かぶ。


 ロムスの実家こと俺たちの屋敷はアリス達、ちいさな子もいるため、あまり真面目な話に向いてない。

 冒険者への依頼などという聞くだけならワクワク案件ともなるとなおさらだ。

 そのため、代官事務所の会議室を借りることにする。

 職権乱用と言えばそうなのだが、ここで仕事をすることも結構あるので何も言われることはない。

 真面目な話には向いた場所だった。


 集まったのは俺たち三人とクルーズ、ゼブの大人組だ。

 集めた本人であるルイズの顔に浮かぶのはいつもの凛とした表情。

 だが、ここにいる全員がその陰に困惑が隠れていることに気が付いている。


「これを。説明するよりも読んでもらうのが早いと思います」


 冒険者ギルドの公式書式にのっとった何の変哲もない書類に見える。

 内容は話に聞いていた通り、特命依頼。

 見てみればルイズ、俺、カイルの名が宛名として並んでいる。

 対象を指定した依頼であるため、いついつまでに王都の冒険者ギルドを訪れたし、とのことだ。

 他には拘束期間や報酬体系等しか書かれておらず、必要最低限にもとどいていない情報量だ。

 王都に行って話を聞くだけでも結構な報酬が出るが、正直気の向くものではない。


 しかし、問題は依頼書の一番最後の署名欄にあった。

 王都のギルド責任者、ロムスのギルド責任者のサインに並んでかかれているハーガンさんの名前。

 以前、秘術解放運動の調査依頼をしてきた物腰の丁寧な貴族だ。

 今回は苗字まで書かれている。

 この人、エルベンさんっていうのか。

 そして王家の代理人としての印章……。

 これがある次点で俺たちには拒否の権限はない。

 期限に遅れないように準備をせざるをえない。


「これってどういう依頼なんだろう」


「王家が冒険者を雇うケースはそんなに多くないからね。あるとすれば、自分たちの部下を動かせない時、表立って動けない時、勢力が足りない時の傭兵とかかな」


 何気ない疑問にクルーズが答えてくれる。

 どれも捨て駒要素がありそうで気が滅入る。


「なんで俺たちなんだろう。そこまで等級は高くないけど」


 冒険者としての等級はルイズで二級、俺たちは四級のままだ。

 信用できないとは言わないが、わざわざ偉い人が選ぶような人材だろうか。

 ハーガンさんの俺たちの評価はそこまで高いのか。


「一級冒険者ともなるとそれぞれに王家や高級貴族とのつながりがあったりするからね。冒険者ギルドを通すならその下の等級を使うことはあるかもしれないな」


 そういうものなのか。


「あとは、子どもの方が向いてる仕事ってことはないかな?」


 学校みたいな場所や子どもが侮られやすいところで情報収集とか。

 これは結構考えられるか?


「その可能性はありそうだな。ただ、王家の名前を使って何かさせるっていうのが不安だ……」


「この依頼書だけでわかることは少ないかもしれないね。印章がある以上、断ることはできない。ゼブ、悪いけど、今回は一緒に王都に行ってあげてくれないか。依頼の場にはいかなくてもいい。ただ、何かあった時に手伝ってやって欲しい」


 ゼブさえいれば大丈夫というわけではないが、かなり心強いのは事実だ。

 単純に信頼できる強い人物が味方にいるならとれる手段が段違いに増える。

 ゼブの苦手そうな搦め手は俺が頑張ろう。


「承知しました。それでは出発はいつに致しましょう」


「断れない依頼な以上、焦らしていいことは一つもないね。ただ、情報収集はちゃんとするべきだ。早めに王都に向かって下調べをしておくといい」


 そう言って、現状の王家の力関係や関連する噂話の調べ方を教えてくれる。


「こっちでやってあげられることは少ないけど、いくつか手は打っておくよ。出かけるときに手紙を渡しておくから、王都に着いたら指定した住所に郵送して欲しい。こっちで出すより君たちの方が早く着くだろう?」


 ゼブを付けてもらって根回しまでやってもらえるなら少ないなんてとんでもない話だ。

 高速馬車では封印している技術を色々使えば二、三日のマージンは安定して稼げるだろう。

 敵対者がいるかどうかはわからないが、仮想敵の想定を数日でも上回って稼ぐことができればアドーバンテージは大きい。

 早めに出発するに越したことはないか。


「ありがとう父さん。兄さん、準備ができ次第出発ってことでいいかな?」


「ああ、それがいいと思う。ルイズとゼブは異論はないかな」


「いつでも出れます」


「異存はありません」


「わかった、手紙の方はこれからすぐに書くよ。君たちは屋敷の方で出立の準備をしてくれ」


 仕事の引継ぎや旅の準備を急いで済ませ、翌日には出発とあいなった。

 フヨウ、色々急に任せることになってすまん!





 王都到着までに費やした日数は六日。

 これは驚異的な速さと言って良いはずだ。

 連絡からすぐ出発したし、これ以上早くロムスから王都に連絡する方法はないことに『なっている』はずなので、俺たちの動きは想定されていないはず。

 旅の疲れが無いとは言えないが、簡単な仕事もある。

 その辺をすませておこうということでクルーズから預かった手紙を郵送し、食事がてら情報収集を行うことにした。


「あまり変わった情報はありませんでしたね」


 ここは王都にいくつかある酒場が併設された冒険者ギルドの支部だ。

 今、俺とルイズはここで食事をしながら情報を集めていた。

 カイルとゼブは別のギルド支部に行って同じ様に情報収集を行っている。


 冒険者ギルドの酒場では酒や食事を奢ることで多少の情報を集めることができる。

 特に時事ネタや現地の情報にこの手法は向いていた。

 このために酒場をうろつく事情通は多いし、鮮度の悪いネタやガセを流そうとする輩は同業とギルド職員が相互に監視しているので情報の精度も悪くはない。

 専門性の高い話は集まらないがそれは当たり前のことだし、手始めとしてそこまでのものは必要ない。


「そうだな。ただ、今回の場合は目につく話が無いってだけでもそれなりに価値のある情報だ」


 決して奢り損ということはない、はずだ。

 彼らも飯を食った分は働かなければ評判に関わるので、関係なさそうな情報も多少は集まっていた。


「事態が影で進行しているということでしょうか」


「そう。後は普通の人が興味が無さそうな小さな依頼とかね」


 小事で王都まで呼びつけられてはたまらないのだが、王族の印籠を見せられてはしかたない。

 それに、今回に関してはこれは希望的観測と言っていいものだった。

 影で進む暗殺計画の陽動を知らないうちにさせられて、汚名を被せられた上で足切り処刑とかいう無茶苦茶なことだってあり得るのだ。

 そういう事態はクルーズの布石で防いでくれそうではあるが、自衛だって必要だろう。


「依頼者がハーガンさんってことは(クラウス)殿下が関係していると思うんだけど……」


 こちらに注意を払っている人間がいないのは確認済みだが、話題が話題なので多少ぼかして話す。


「殿下にも動きは無さそうですね」


 そうなのだ。

 さすがに王都だけあって王家の話題はたくさんある。

 しかし、クラウス殿下に関してはぱっとした話題は無かった。

 王都に滞在こそしているものの、多くの平民はあまり感心を寄せていない。

 第六王子で継承権から遠いこともあり、大きな派閥も持っていないようだ。


 かと言って評判が悪いということもなく、政局に関係しないところで細々と仕事をして無駄飯食らいと呼ばれない程度に国に貢献している。

 多少なりとも殿下の人となりを知っている俺たちかれ見れば、自身を守るために上手くやっているのだなと感じさせる立ち回りだった。


 一方でそれは冒険者に頼るほど追い詰められてはいないことを意味する。

 以前の依頼のようにお忍びか個人の趣味での調査依頼だといいなと思う。

 あとは子どもの方がやりやすい仕事。

 やっぱり学園潜入とか丁稚になって商会内で工作とかか?

 それなら命の危険は少なそうだが。


「そうだな、今の情報だと考えられることは少なそうだ。念のため他の王族のことも整理しておくか」


 確率は低いが王家の印章が使われていただけでクラウス殿下の名前は確認していない。

 他にもこの印を使える人間はいるわけで、そっちも軽く押さえておこう。


「今、王都にいらっしゃる印を使える方は四名。殿下以外だと残りは三名ですね」


 王家の印を使用できるのは王の直系と王妃のみ。

 今王陛下は別の印を使用するため除外される。

 王妃様もすでに亡くなっており、正室と呼ばれる人は居ない。

 それ以外に王子が三名と王女が一名王都に滞在している。

 そのうち一人はルイズの言う通りクラウス殿下だ。


「まず、王女殿下の線は薄いと思う。どちらにせよあまり動きもないし」


 王女殿下は今王陛下の最後の子でまだ十一歳だ。

 側室の子ということもあり継承権はあってないようなものだが王にとっては目に入れても痛くないほどの存在らしい。

 齢をとっての子ということで可愛がられていると聞く。

 印章は代理人に押させることが許されないため、年齢的に依頼したとは考えにくかった。


「となると、二人の王子殿下ですか」


 そういうことになる。


 一人は第四王子アイテル殿下。

 この方は一言で言えば武人だ。

 王国における軍の司令官。

 最も高い地位にいる軍人で直轄の騎士団も持っている。

 王都で武力を持つこと許されているだけあって清廉実直な人となりであると言われている。

 個人の武勇もかなりのものらしい。

 政治には不干渉を貫いているため、明確な派閥らしきものは持っていないが、当然発言力の大きい人物だった。


「お二人はどちらも可能性があるといえばあるな」


 自前で動かせる戦力のあるアイテル殿下が冒険者に何を頼むんだという話だが、目立ちたくない仕事があるのかもしれない。

 あとは魔術にかかわることとか。


「王太子殿下もですか?」


 残されたのはベルホルト王太子殿下、王位継承権一位。

 つまり次期国王である。


 この人は近衛の一番いい部隊を持っているので動かせる戦力が少ないということは当然ない。

 隠密とのつながりもあるだろう。

 ただ、立場上自由に動けるということがほぼないのでお忍びで何かやりたいことがあって冒険者を頼る可能性が絶対ないとは言えなかった。


「両方ともほぼ無い線だとは思うけどね、(クラウス)殿下からの紹介とかあればもしかしたら、って感じかな」


 このお二人はとにかく王都どころか国において力がありすぎる。

 間違っても近づきたくない相手だった。

 ただ、クラウス殿下を除いて印章を使いそうな人物という理由で浮上しているだけだ。


「可能性は低そうだとは思う。ただ、それで除外すると想定外の事態に対応できないからな」


「お二人は私たちのことを知らないわけですから、その場合は(クラウス)殿下の紹介があったことになりますね」


「それかハーガンさんかな。とりあえず、ゼブ達の話を聞いてそのあたりを洗ってみようか」


 簡単な方針を決めてミーティング終了だ。

 あとは、王都報でも読んでからゼブ達と合流するか。


 それにしても、調べてみても今回の依頼は謎だな。

 とりあえず、恐れ多くも王家の御印を悪用して俺たちを陥れようとする人間がいないことを祈るばかりだ。

 王家が直に俺たちを陥れようとしている場合?

 そんなときはわざわざ依頼なんてする必要はない。

 彼らにはそれだけの強権があるはずだ。

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