第58話 勇者の剣(下)

「簡単に言うと、ちょっと特殊な多目的研究設備を運営したいんだ」


 目の前で話を聞いているのはリーリアと御付きの侍女のマルガさんの二人だけだ。

 マルガさんはトルドの治療の時にもお世話になった人で、リーリアが一番信用しているメイドさんらしい。

 俺の治療行為を目の当たりにしたせいか、俺に対しても非常に良い接遇で対応してくれる。

 秘密を明かす相手としては確かに信用できる人物だった。


「特殊な、ですか?」


「他の地域ではあまり使われない器具や薬剤を常用する。実際に見てもらうのが早いと思う」


 そう言って、有機合成の研究室を紹介する。

 日の当たらない換気のいい部屋にそれでも外から入るとすぐにわかる特殊な臭気。

 これは塩素系の溶剤が原因だ。

 壁際にはそういった薬剤の瓶がずらりと並び、机にはこの世界では他に見ることのできない高度で特異な構造をしたガラス器具が事故を防ぐために細い金属の架台に固定されていた。

 少なくともこの大陸ではこんな研究方法は知られていないはずだ。

 冶金の分野はそこそこ発達しているのだが、これは戦争や魔物との戦いで育まれたものなのだろうか。


「これは……」


 部屋に入ると独特の臭いに一瞬眉をしかめたリーリアだったが、その後に目の前の冷却管に気が付いて言葉を失った。

 手作業で作るとかなり面倒な構造のものだ。

 見聞の広いリーリアにはこの世界におけるこれの価値がわかるのかもしれない。


「それは温度差を利用して薬液の成分を分離する道具で――」


 簡単な機材の使い方をいくつか説明する。


「――これらの道具を使い分けることでかなり幅広い物質の生成や分離が可能になる」


「……アインが内緒にしようとしていた理由が少しわかりました。でも、改めてみるとこの部屋の様子はお兄様の治療の時のことを思い出させます。なんだか不思議」


 その言葉にマルガさんも頷いている。

 医療と化学はそう同じ世界のものでもないが、どこか根っこでつながっているのも事実だ。

 そういった考え方の根幹を五感で感じ取ったのかもしれない。


「これがアインのやろうとしていること、心の奥にあるものなのですね」


 ドキッとした。

 何気なく放たれたその一言が紛れもない事実だったからだ。

 前世の俺が傾倒したもの。

 記憶という形で魂の一部になっているものが確かにこの実験室にはあったから。


「この研究室でアインは何を成そうとしているのですか?」


 何も言えなくなってしまっていた俺に気が付いているのかいないのか、リーリアが続きを促(うなが)した。

 その言葉で俺も一応の平静を取り戻す。


 リーリアは今、「何をやろうと」ではなく「何を成そうと」と言った。

 別にそれで意味が変わってしまうわけではないが、確かにこれは大業だ。

 成すという言葉が相応しいのかもしれない。


「まず手始めに、人々に蔓延する病気の半分を駆逐しようと思っている」


 あえて誇張した表現で説明する。

 リーリアは俺の事を不審に思うだろうか。

 これまでの経緯なら盲信することもありそうだが、そうではない冷静さを持っていて欲しかった。

 黙って話の続きを促す彼女に、説明を続ける。


「前にトルドを治療した薬があるだろう。あれと似た効果のものがある種のカビに含まれているのを確認した。それを抽出できる技術を確立したい」


 俺が最初の一歩として考えているのはペニシリンだ。

 アオカビから発見された人類史に残る銀の弾丸。

 耐性菌の問題や効果の無い種類の病気はごまんとあるが、それでも使い方次第で人死にを劇的に減らせる魔法の薬。


 この世界の生物が前世と同じ生理現象のもとに生きている保証はなかった。

 しかし、一種類とは言え俺がペニシリンの構造式を覚えていたことが幸いした。

 かたっぱしからそれらしいカビに魔術を使うことでまったく同じ成分を持つものがあることがわかったのだ。

 俺が生成するぶんにはそんなまどろっこしいことをする必要はない。

 しかし、今後多くの人が薬剤の効果を享受するためには、魔術に関わらず、それを得て研究できる環境が必要だった。


「お兄様の薬……」


 リーリアとマルガさんの二人は衝撃を受けている。

 もっとも身近で効果を確認した二人だからこそ、この言葉の意味は重いもののはずだ。


「……あれは、危険なものなのですよね」


「そうだ。この薬は別のものだけど同じ様な危険はある。だから、この研究所の初期の目的はいくつかあるんだ。一つ目がさっき言った薬の生産。そして二つ目が安全な使用方法の模索だ」


「それが出来れば兄のように病気を駆逐できるのですか」


「……厳密に言えば出来ないかもしれない。これはあの時とは別の薬だから。それでも似た症状の人を助けることはできる」


 トルドが結核だったかどうかは不明なままだ。

 もしそうだったならペニシリンの効果は限定的だったはずだ。

 投薬治療は病気にあわせて行う必要がある。


「まずは怪我が原因の破傷風や子どもの感染症による死亡を減らしたいと思う。そのためには人が冒涜的だと感じる実験も必要かもしれない」


 小動物を使った投薬実験は必要だろう。

 そして必ず最後には人で試すことになる。

 そういったことを包み隠さずに説明する。

 いつかは人に広げなければいけなかった計画だ。

 身内以外に説明するならこの二人ほど相応しい人もいない。

 真面目に聞いてくれているので、その後の展望、ありていに言えば俺抜きで新薬の開発や運用ができる体制について簡単に説明して見学は終了となった。


「今日は無理を聞いていただきありがとうございました。お約束通り、ここで見聞きしたものは私とマルガの心の内に秘めることといたします。私たちの秘密が増えましたね」


 茶化して言っているが、一番大切なことを最初に宣言してくれる。


「この事業に関する出資ですが、一度持ち帰り丁寧に精査致しましょう。アインが仰っていたように、収益性についてもちゃんと考える必要がありました。少し前のめりすぎたようです」


 わかってくれたようで良かった。


「――でも、それはアインがそうして欲しそうだったからです。心の内では私はもう参加することを決めてるんです。これだけのことをするなら他の人の協力は絶対に必要でしょう。時間をかけて客観的視点から徹底的にあらを探しますが、結局一緒にやることになると思いますよ」


 「ちゃんと秘密は守りますから安心してくださいね」なんて言いながらそう続けた。

 後ろではマルガさんもうんうんと無言で首肯する。


「それに、アインはもう気が付いていますよね。この事業は莫大な利益を生むって」


 ……その通りだ。

 前世でも今世でも、効果のある薬を押さえて巨万の富を得た会社や個人は少なくない。

 今回のペニシリンに至っては成分の同定は済んでおり、生成や使用方法もおおまかには決まっている。

 金にならないはずがなかった。


「だから、アインは気にしているんです。薬の値段がつりあがって必要なところに行き届かない未来を、お金になると気が付いた人間が群がって開発のために不必要なところに被害が広がることを。そうならないように制御するため。それがこの秘密の理由なんですよね」


 そういう事態をまったく考えなかったと言えば嘘になる。

 最大限避けたいとも思っている。


「兄を見たからわかります。たとえそれが実験だったとしても、本当に薬が必要なら人は試したいと思う。その気持ちに嘘なんてありません。それでも辛い思いをしながら迷うんでしょう、苦しんでいる人を実験に使うことを。残念ですけど、私にはそれを無くすことができません」


「それは俺が――」


 勝手にやろうとしていることだから、と続けようとしたところで遮られる。


「でも、必ずその苦しみを分かちあって見せます。アインだってわかってくれるでしょう。私たちならそれができるって」


 否定できない。

 ずっと慎重に考えてきたが、彼女たちほどこの仕事に向いた人材はいないのだ。

 ただ、あまりにもタイミングが良すぎて裏があるのではないかと考えてしまう。

 それで冷静であろうと俺がし続けているだけ。


「いつか受けた恩を必ず返してみせます。いえ、また新しい恩を受けることになるのかしら」


 もう、向けられる言葉もない。

 この短い今世で俺が学んだこと。

 一人の手が届く範囲はあまりにも狭い。

 人を助けたいなら協力しなければならない。

 そんな当たり前の事実。

 だから俺はまた、心強い仲間を得たのだろう。


 そんなの、嬉しいに決まってるだろ。



  ◇◆◇◆◇



 これは運命だ。

 やっと一人になることができた私は逸る心を押さえつける。

 アインの前では平静を装っていたが、こんな事態に落ち着いているのも限界がある。

 両親の仕事を手伝って心を律する術(すべ)を学んで良かったと今日ほど思ったことはない。


 これまで積み上げてきたこと、あの人のためにやってきたこと、その全てが今日この時のためにあった、そう思える。

 兄さまの元に訪れた奇跡。

 それはただただ喜ばしいことだったが、私の心に小さな種を植え付けていった。

 それは今、どうしようもないほどに根を張って最早取り除くことなんて不可能だ。

 その大樹が大きな花を付けようとしていた。


 アインの周りにはたくさんの仲間がいる。

 そのみんながアインのために力を貸すことに一切の躊躇がない。

 私はそんな中の一人だった。


 これまでは、これからも。


 でも、「これだけは」、アインの心の底にある私だけが気付けたはずの欲求、これだけは私が一番近くで助ける。

 私ならできる。

 彼が必要としているものがわかる。

 やった、ちゃんと気が付くことができた。

 それが嬉しい。


 それにしても、彼の口にした言葉の重さに今更ながら驚きを隠せない。

 「世界の病気の半分を駆逐する」と言っていた。

 それも「手始めに」。

 これが、これこそが勇者のやりかた。

 万人に手を出せない、それゆえに自身を孤独に陥れる手段。

 そしてそれを絵空事にしない見識と行動力。

 私は彼の手足となって救世を行わなければならない、一番近くで。

 彼を独りにしてはいけない。

 その確信があった。


 そろそろ落ち着かなければ。


 「客観的に精査する」と約束したのだから、これを果たすべきだ。

 口外できない以上、この作業は私だけで進めなければならない。

 最後にマルガに相談する程度だろう。


 自分に融通できる資産を概算する。

 予算はどれだけあっても困らない。

 今後のことも考えて運用しよう。

 考えうる限りのリスクを並べていく。

 そのすべてに蓋をして逃げ道をつくるために。

 あの人がただ健やかに歩けるように。

 計画を細分化して多面的な事態に対応できるように分類する。

 最終的には人集めも必要なはずだから、信用できる人材を今のうちに考えておこう。


 やるべきことはいくらでもある。

 高速馬車によって短縮化された王都までの道のりは、そのための時間にはあまりにも短かった。

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