第57話 勇者の剣(上)
自由な時間ができたことで進めている趣味の活動はいくつかあるのだが、そのうち一つに研究所の設立がある。
これまでも、倉庫の片隅や空き部屋を利用した魔術実験室もどきはちょくちょく作って来た。
だが、この研究所は一線を画している。
なぜなら、魔術師以外が主に運用することを想定しているからだ。
研究や発明が一人の人間の閃きによって大きく飛躍することは珍しくない。
しかし、その閃きが人々の手元まで降りてくるには必ず、人、モノ、金を総動員したフェーズがあるものだ。
俺は前世の知識であったり、魔術師しか触れられない書物の情報を活かしてブレイクスルーを提供することはできるのだが、それを多くの人まで普及することは一人ではできない。
高速馬車事業についてもアイデアこそ俺が出したものが沢山あるが、それ以外のほとんどの工程を多くの人間に頼って拡大させた。
それは今、大陸中に広がってみんなの生活をより良いものにしているはずだ。
同じことを別の分野でやりたいと思った。
その一歩目にして要(かなめ)がこの研究室だ。
主要目的は医療の質の向上。
すべての人類の敵である病気との闘いの前哨基地を作るつもりである。
そんな俺の計画に、リーリアが参加したいという。
どこから話を聞いたのだろう。
たしかに、前々から準備を重ねてきた事業だし、場所も決めて魔術で作った資材の搬入も済んでいるのだが、あんまりこのことは人に漏らしていないのだ。
なぜならこの世界では先進的すぎて理解されない。
むしろ、異常なものとして人々の目に映るだろう。
製薬にせよ外科手術にせよ、それを知らない人間にとっては悪魔の所業なのだ。
当然、動物実験だって繰り返すことになるわけでどうやったって不信がつのる。
だからある程度実績が上がるまでは秘密にする予定だった。
予定の期日ぴったりに我が家を訪問したリーリアは、御者や護衛、身の回りの世話をする人間を入れても五名程度という小所帯で現れた。
貴族ではないとはいえ大商会のご息女としては異例の少人数だ。
よくご家族が許したな。
「ごきげんよう、アイン様。お久しぶりです、お会いしたかったです」
迎えに出た俺に対してリーリアは薔薇の蕾が綻ぶような笑顔で挨拶してきた。
なんでもない言葉なのだが、なんというか凄いパワーを感じる。
以前から気品のある立ち振る舞いをしていたが、ここにきて才能を開花させた感じだな。
凄みすら感じさせる物腰に万人の心を蕩けさせるような笑顔のコンボは生き馬の目を射抜く商人の世界でも充分以上に戦える武器なのだろう。
成人したての少女とは思えないオーラがあった。
「こんにちは、ご無沙汰していました。お元気そうでなによりです。それと俺の方が年下ですし、よかったら様付けなんてしないで気軽に話しかけて下さい」
「まあ、それでは私のこともリーリアとお呼び頂けますか?」
以前はなんと呼んでいただろうか。
心の声的にはずっと呼び捨てだったんだが……。
「……リーリアがそれで構わないなら」
そう言うと、例の笑顔で答えた。
「もちろん! そう呼んでもらえるだけでこちらに来て良かったと思えるわ。アインも私に気なんて使わないで普段の話方でかまいませんよ」
俺が敬語が苦手なのを知っているのだ。
正直に言えば助かる。
「ありがとう、助かるよ。あと、こんなことで喜ばないでも、ロムスは良い街だからもっと他に面白い所を沢山見せられると思うよ。なんせ俺の自慢の故郷だからね」
「楽しみね」と答えるリーリアを迎え入れ、御付きの人たちにもそれぞれ滞在の準備をお願いする。
長旅の後だ、まずはゆっくりしてもらおう。
応接用に使っている部屋に招くと、お茶を出す。
うちでも滅多に飲まないちょっと高級なやつだ。
お茶請けはドライフルーツとチーズを使った菓子。
このあたりはなにも言わないうちからクロエが準備してくれていた。
ありがたい。
「いい香り、これは南大陸の高山帯のものかしら? こちらのお菓子も不思議な味、ちょっとだけしょっぱいのね。でもおいしい」
あっという間に銘柄を当てられてしまった。
さすが大商家の娘さん。
「気に入ってもらえたみたいで良かった。このお茶はあっちに知り合いが住んでいて、時々手紙を出すから同じ便で入ってくるのを時々買ってるんだ」
ちなみに、我が家はこの世界では異常に甘味が充実している。
ルイズが事業と冒険者としての仕事で稼いだお金を惜しみなくつぎ込んで集めているからだ。
陸海物流の拠点であるロムスでお金をかけて集まらない食材は無い。
一人で食べられる量なんて知れてるだろうに。
しかし、そのおかげで俺たちもご相伴にあずかれているわけだ。
このお菓子はお酒にも合うので大人組にも好評な一品だった。
しばらく談笑したあと、今回の話の本題に入る。
「今回の訪問の目的に出資の依頼とありましたが……」
「その通りです。アインは人助けのために新しいことを始めようとしているのでしょう?」
「どちらでその話を?」
「フヨウから聞きました。明言したわけではないけれど、「アインがまた人助けを始めようとしている。今度はかなり大がかりだ」と」
身内から漏れていた……。
いや、ギリギリセーフか?
フヨウ、気を付けてくれよ。
それにしても、こんな曖昧な言葉で王都から駆けつけてきたのか。
これは商人の勘というやつなのか、今回はすぐに儲けにはつながらないと思うが。
「フヨウを責めないであげて下さいね。私がアインのことを詳しく聞き出したのだから」
「リーリアだから話すけど、今回のは形になるまで外に出したくないんだ。それに俺の趣味の部分も大きい。当分は出資に見合う利益は見込めないよ。せめて、ここで話すことはまわりには内緒にして欲しい」
それを聞いたリーリアは「まあ、二人の秘密ですね」とか軽く反応している。
情報を漏洩させるタイプだとは思わないがフヨウのこともある。
ちゃんと守ってくれるだろうか……。
そんな不安が顔に出ていたのか、リーリアの表情が真面目なものに変わる。
「アイン、覚えておいて下さい。私があなたとの約束を破ることは絶対にありません。だからここで約束しましょう。このたび、ロムスで見聞きしたことを私と連れてきたものたちはアインの許可なしに口外しません。これでも信用できる者を選んできたんですよ?」
商人の約束。
リーリアは俺のことをよほど信用してくれているらしい。
それならこちらも相手を信じねばなるまい。
「わかった。色々と驚くこともあるかもしれないけど、聞いてくれればちゃんと説明するからその約束だけは守ってくれ。到着そうそう真面目な話をさせて悪かったな。疲れてるだろう。お連れの人もあわせて部屋を用意してあるからゆっくりしていってくれ。詳しい話はまた明日、現物を見せながら説明するよ」
そうして最初の商談? は終わりとなった。
その日、リーリアは俺の家族と一緒に夕食をとった。
話上手な彼女はすぐに我が家に溶け込んで終始和やかに会食は終了となった。
彼女が俺の昔の話をうまく聞きだして恥ずかしい思いをする一幕もあったりしたが、忘れることにする。
翌日。
早速ロムスの街を紹介してまわる。
近年、都市計画で俺が力を入れているのは上下水道の整備だ。
土魔術という裏技があるのでむりやりすすめ、ここ数年で市街の衛生状況を各段に良くすることに成功している。
さすがに前世の下水処理場や浄化槽のようにはいかないが、安全に人が整備できるようにうまく設計したつもりだ。
おかげで急成長を遂げるこの街でスラム化や感染症の拡大を防ぐことに成功していた。
女性が相手なので汚い話をするのもどうかと思い、簡単に話を終わらせるつもりだったのだが、リーリアは予想外に食いついてきた。
結局、汚水の衛生リスクから段階的な浄排水機構まで丁寧に説明することになる。
トルドの治療にあたって細菌や微生物の存在について説明していたリーリアでなければ理解できなかったと思う。
他にも、物流拠点であるロムスの市の品ぞろえや上水用貯水池の運用などそれなりに面白い話ができたと思う。
いや、年頃の女の子はこういう話面白いのか? どうも彼女が聞き上手なのか並々ならぬ関心を示されると自分のやったことの成果を誇りたくなる。
ちょっと気を付けよう。
それでも市で舶来品の万年筆を買って送ったり、王都でも普及の始まっている手押しポンプの技術供与を約束したりしたので、公私にわたってリーリアにもお土産を渡すことができたはずだ。
午前中のしめとして、お気に入りの店に入り昼食を一緒にとる。
このお店、ルイズが甘味を提供したり俺が前世由来のレシピを提案しており、各地からロムスに集まってくる食材と合わさって非常に特殊な料理を出すところだ。
大陸広しといえど、同じような食事ができる場所は無いはずなので楽しめるのではないかと思うのだが。
「こちらの料理は見た目が全然違うのに、カーラ料理のような風味がするのですね。柑橘のソースと合わさってとても美味しいわ」
「俺がカーラのスパイスが好きなんだよ。ソースの方はこの辺りの海際で栽培されている果実で、酸っぱいけど日持ちするし料理の素材として重宝してる。船乗りが長旅の病気予防のためにゲン担ぎで船に載せたりもしてるんだ」
おそらくビタミンC不足による壊血病予防のためだろう。
彼らは経験的にそれを防ぐ方法を知っているのだ。
「スパイスは嵩張らないし良かったらお土産にどうぞ。変わったやつだと紅茶と相性のいいやつもあって面白いよ」
「ありがとうございます。本当に料理もお上手なんですね……」
それなりに食事を楽しんでくれていたはずなのだが、細かい作り方なんかを語るとちょっと表情が陰った。
「これは思わぬ難題です……」とかなんとか言っている。
もしかしてしゃべりすぎたか。
興味の無い話の蘊蓄(うんちく)なんて苦痛でしかないだろう。
聞き上手に甘えすぎた。
ここは話を変えるしかあるまい。
「――、おほんっ。ところで、午後の予定なんだが例の施設の説明ということでいいかな?」
なにやら考え事をしている様子だった彼女の顔が一転真面目なものになる。
このあたりの切り替えの速さはさすがだ。
「ええ、よろしくお願いします」
さて、これが彼女の旅の目的だったはずだ。
今日、見聞きするものをどう思い、感じるのだろうか。
不安と微かな期待が俺の胸の内にあるのを感じる。
この事業は高速馬車の時と違って理解者の少ないものだ。
だからといって止めるつもりはないのだが、それでも味方になってくれる人がいると嬉しいというのは掛け値なしの本音だった。
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