第29話 わたしの勇者さま(下)

「それでは今日はここまでです。このあとはしばらく経過観察になります。何かあったら夜間でもかまいませんので鈴を鳴らしてください。お大事に。」


 投薬後、一時間ほど片付けや注意事項の確認をして様子を見たが、現時点では特に様態の変化はない。

 あるいは投薬量が少ない可能性もあるのだがそれは現在判断不能だろう。

 たとえ上手くいっても長い戦いになることは分かっていた。

 今日は早く休もう。


 それから三日間、トルドに治療を続けながらリーリアの家の衛生管理システムを構築して様子を見た。

 容態は安定しており、酷い投薬の副作用は無いように見えた。

 オド循環は進めているため多少の食事も摂れるようになり、それが家族には劇的な恢復に見えるようだった。

 リーリアから話を聞いた家族からは泣いて感謝されたが、なんだか騙しているような気分になる。

 ただ、お陰で色々と融通を効かせてもらえるようになったのは助かった。

 今では時間的余裕もあって庭で剣術の訓練なんかもさせてもらっている。


 多少迷ったのだが、明日から学院に復帰することにした。

 あまり長くは休めない。

 前世でも医療機関では衛生管理を行って職員は帰宅していたはずだ。

 魔術も組み合わせてできる限りの滅菌処理を施すことにする。

 その日、久々にベルマン屋敷に帰った。

 あんまり心配させてくれるなというリーデルじいさんに感染症の治療に関する考えを正直に明かす。

 お前が頑張っているなら気にしない、治療行為なんだから胸を張れと言われてだいぶ気が楽になった。

 ルイズとカイルは自分も一緒に手伝うと言ってくれて不覚にも泣きそうになった。

 これまで気が張っていたのかその夜は久しぶりにゆっくり眠れたと思う。





 それからの日々は緊張感がありながらも穏やかだった。

 図書館で病気について調べたところ、結核と思われる病気は古くから知られているようだ。

 残念ながら明確な治療法は確立されておらず、日光に当てて隔離するのが一般的であると記載されていた。

 魔術の医療への応用はあまりされていない様子が伺われる。

 しかし、一部には怪我の治療時の魔術の操作や魔術具の利用に関する書物も少数ながらあり、非常に興味深いものだった。


 一週間でリーリアも学校に復帰した。

 俺だけ登校が許されるのもおかしな話なのでこれは自然なことだ。

 日中のトルドの世話は殺菌の手順を覚えてもらってメイドさんにやってもらっている。

 これは、俺とリーリアが離れても大丈夫な程度には容態は安定していることを意味していた。

 俺は道場にも復帰して一応の日常を取り戻したことになる。

 もうちょっとしたら橘花香にも顔を出すつもりだ。

 カイルもあんまり行けなくなってるし疎遠になってしまうとなんだか寂しい。





 最近、トルドは俺の教えたストレッチもどきを行うためにベッドを離れるようになった。

 最初こそ尋常でない体の固さだったのだが、みるみる人並みに体が曲がるようになっていった。

 「他にやることがないからね、気が付いたらすとれっちをやってるんだよ」とは本人の談だ。

 今日も調子がいいのか庭で木刀を振っている俺を窓から見学している。

 どんどんカイルに差をつけられてしまうからな。

 ちょっとでも取り戻さないと。


「もうちょっと動けるようになったら剣術を教えてくれるかい?」


「うちの道場は師範代に認められるまで他の人を指導したらいけないんですよ、怪我させちゃうから。でも内緒にしてくれるなら素振りを見るくらいならいいですよ」


「楽しみだ」


 自分の病状が悪化するとは考えてもいない。

 いい状態だ。


「まずはこの庭を散歩できるようになるのが先ですけどね。それよりもっと元気になったらうちの道場を紹介しますよ。結構人気なんですよ」


 王都に名を轟かせているのだ、誰も入門できないくらい。

 まあ、ひとりくらいなんとかねじこめるだろう。

 だめならヘイリーさんを拝み倒して出張してきてもらおう。

 あの人は子どもに甘い。


「本当かい? 目標ができると励みになるね。まずは庭の散歩からだ」


「だからって勝手に歩き回ったらだめですよ。誰かと一緒の時だけです」


 あるいは、この時、俺はやっとトルドが病気を克服しつつあると確信したのかもしれない。

 ずっと罪悪感があった。

 俺は無駄な、もしくは回復を邪魔するようなことをしているのではないかという迷いがあった。

 本当はオド循環だけで、食欲の回復だけでトルドはもっと早く乗り越えていたのかもしれない。

 知識の無い俺の偽善を信じてもらったことが心苦しい。

 それでも今快方に向かっているなら、あの時リーリアに身勝手な希望を与えて良かったと思えるのだ。





「なんとか、落ち着いてきたよ。あの時のナイフがこんなことになるとは夢にも思わなかった」


「ふーん。そんなことになってたのねぇ……」


 最近は小まめに橘花香にも顔を出している。

 「仕事が溜まってるぞ」とフヨウに叱られてしまった。

 俺、ここの職員じゃないよ?


 ただ、エレナに会うのは久しぶりだ。

 丁度いいので、仕事の合間の世間話としてこれまでのことを説明することにした。

 思えばこいつが発端だったのだ。


「リーリアから話を聞いてないか? もう学校に復帰して長いだろう?」


「あの子、あんまりお兄さんのこと話さないのよ、特に病気のことは。ただ、家族のこと凄く大事にしてるんだなってわかるの」


「あ、俺が話したらまずかったかな? 黙っててくれるか?」


「いいわよ、これは私が持ち込んだ話だしね」


 思いのほかあっさり了承してもらえた。助かる。


「それにね、あの子って最近よく笑うの。絶対いいことあったんだなってみんなわかってるわ。あと、勉強とか色んなことを一生懸命頑張ってる。だから男の子にも凄くモテるのよ」


 笑顔の女の子ってのは魅力的なもんだよな。

 コロっといくのはわからないでもない。

 ただ……。


「モテるモテないって話は当分もういいよ……、カイルも大変そうだし。リーリアももしそれで困ってそうだったら力になってやってくれ」


「……そうね」


 エレナは眉根を寄せた変な笑い方でひとことだけ同意した。

 その笑顔じゃモテないぞ、ってもうこの話はいいか。



  ◇◆◇◆◇



『わたしの勇者さま』


 「天使なんかじゃないよ」とあの人はわたしにそう言った。


 天使なんていないのだと、だから乙女の心臓なんて捧げても意味は無いのだと。


 わたしはその言葉に衝撃を受けた。


 だってそれだけの覚悟をしていたのだもの。


 でも事実、一目見て天使に違いないと思ったあの人は天使なんかではなかった。


 天使なら絶対浮かべない顔を、わたしが隣にいる間中ずっとしていた。


 ずっと難しい顔でお兄様のこと、その先のことを見据えて考え続けていた。


 だから今、今度こそ確信していえる。


 天使なんていないのだと。


 でも勇者ならば、いるのだと。


 思えば、物語の中でお姫さまに命を捧げられた勇者はずっとこんな顔をしていたのではないだろうか。


 険しい顔でだれも敵わない怪物を前に、ただただ未来を見据えて血に濡れた剣を振るったのではないだろうか。


 今だからわかる。


 あの時、わたしの心臓は捧げる価値のあるものではなかった。


 捧げるべき相手を見ていなかった。


 だからわたしは努力する。


 いつか必ず勇者さまには剣が必要になる。


 そのときに、心臓(こころ)を捧げるのにふさわしいお姫さまになるために。


 その相手を追いかける。


 わたしのちいさな勇者さまを。

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