第28話 わたしの勇者さま(中)

「――私の兄を救って欲しいのです」


 確かに彼女はそう言った。

 何か勘違いがあったか?

 いや短慮はいかん、話を聞こう。


「兄は昔から体の弱い人でした。何かあると熱をだして寝込む、私が物心ついたころからそうでしたし、そういうものだと思っていました。それでも以前は調子のいい日は庭に出たり一緒に散歩に行けたりしていたのです。しかし、ここ最近、様子がおかしいのです。最初はいつもの体調不良かと思いましたがいつまで経っても快方へ向かわず、ここ何日かは食事もとれなくなってしまって……。やせ細っていく兄を見て居られません。父も王国はもちろん隣国の名医を当たって治療をお願いしましたが匙を投げられてしまいました」


 これは全然勘違いだわ、カイルモテ症候群とかじゃない。

 しかもかなり困るやつだな……。


「どうしてこの話をカイルに?」


「教会の方が言われるには、聖女の奇跡や魔術院で秘匿されている術であればあるいは、と。そんな折、エレナ先輩が天使のお知り合いだという話を聞いたのです。あやふやなお話でしたので色々と調べて周ったところ魔術院にいらっしゃる奇跡の存在だと。もしかしたら秘術を扱えるのではないかと思いました。兄は忙しい両親に代わって私を育ててくれたもう一人の親の様な存在です。藁にすがっても助けたかった。私が天使様に差し出せるものは命しかありません。王家の血などという大したものではありませんが、どうかお慈悲を……。奇跡のために私のすべてを捧げます」


 女の子がすべてを捧げるとかいわないで、悪い大人に騙されるやつだから。

 これは俺の手に余るやつだ。

 カイルにも無理だろう。

 あるいは魔術院の図書館に何かある可能性はあるが……。


 正直に言えば、前世の知識の中に関係しそうなものが少しだけある。

 しかし、俺は前世も今も医師ではない。

 この世界には医療に関わる道具も知識も圧倒的に不足している。

 人の生き死にに関わるなら、生兵法ではいけないのだ。


「……頭をあげて下さい。この話はカイルにも伝えましょう」


「ありがとうございます!」


「最後まで聞いて下さい。断言しますが俺もカイルも、この病気を治す魔術は知りません。だからこの短刀はお返しします。あなたの命では救えないのです」


 厳しいことをいうようだが、それは知っておいてもらう必要がある。


「そう……です……か……」


 その表情を隠すように俯く少女を見つめる。





 ――俺はそれで助かる人が居るのなら、偽善という言葉を頭ごなしに否定するつもりは無い。

 もしかしたら、希望を与えたあとの絶望はより深いものになるのかもしれない。

 でも、嫌われる覚悟をすれば希望を与えられるのならば、その希望に一筋の光明がつながっているのならば、俺は偽善を選ぶ。

 自分にはとれない責任を人に押し付けて、仮初の希望を選ぼうと思う。


「もし助かる可能性があるとしたら、命を賭けるのはお兄さん自身です」


「……え? それは、どういう?」


 カイル、勝手なことをいって悪いけど、この仕事は俺がもらうよ。


「確かに弟は見た目も性格も天使みたいなやつですが、天使なわけではありません。俺の弟ですしね。だから奇跡も秘術も知りません。ただ、もしお兄さんの病気が俺の知るものなら、あるいは治療法があるかもしれません」


 曖昧な言葉に曖昧な言葉を重ねていく。

 だが事実だ。


「お兄さんに俺たちに命を賭ける覚悟があって、治療に協力をしてもらえるのなら、手を尽くしましょう」


 リーリアが涙をあふれさせる。

 できればそれはお兄さんが分の悪い賭けに乗ってしかもそれに勝ったときのためにとっておいて欲しい。

 そのまま涙がこぼれ落ちるのを気にもせずに頭を下げた。


「よろしくお願いします。必ず兄を説得します」


 いまだに俺にはそれが正しいことなのかはわからなかった。





 カイルに連絡をすると言って一度屋敷を出る。

 治療を行うなら長期戦になるし準備も必要だ。

 まず、道場に寄ってしばらく練習に参加できない旨を伝える。

 そういえば学院も休むことになるな。しょうがないか。

 師匠が恨めしい目つきでこっちを見てくるが、あれはサボるなと言っているのではなく愚痴に付き合えと言っているのだ。

 言葉でないと伝わらないので見なかったことにする。

 カイルとルイズにもある程度説明して家を空けることを説明する。

 しばらくは泊まり込みになる。

 ルイズもついて来たがった今回はダメだ。

 感染症の可能性があるので濃厚接触者はできるだけ減らしたい。

 代わりにルイズとカイルには症状に合う病気の記述がないか、明日から図書館で調べものをしてもらうことにする。

 そんな感じで関係各所に連絡を行ったあと、必要な機材を作る方に集中する。

 だいたいは魔術で準備できるはずだ。


 早い方が良さそうだったのでその日の内にリーリアの屋敷に戻った。

 お兄さんは今は目覚めているらしい。

 とっくに覚悟は決まっていたそうで、リーリアが信じる人なら自分も信じると言ってくれたそうだ。

 この家族はみんないい人なんだろうな。

 この二人を裏切りたくないな……。

 なんにせよまずは問診が必要だろう。

 先んじて、リーリアに話を聞いておく。


「お兄さんは今どこに?」


「離れに部屋があります。体調が良ければすぐ外に出れますし、感染る病気をあまり気にせずにすみますから……」


「日頃どれくらいの人に会っていますか」


「私と両親、あとは料理を運ぶ女給が一人。ここ数年、お医者様以外ではこれだけです」


 感染症については疑っていたのかもしれない。

 比較的対処はしやすそうだ。


「しばらくはお兄さんに会えるのは俺とあなただけになります。これは徹底してください。部屋の入退室時に特別な処置を行いますのでこれも覚えて下さい」


 まずはアルコール除菌を徹底する。

 どの程度効果があるかはわからないがやらないよりマシだろう。

 魔術で高濃度のエタノールを作ってきたので四十から五十パーセントで溶液を作って瓶に詰める。


「入退室のときは必ずこの服装に着替えます。造りが悪いですけど我慢してください」

 

 服と不織布のマスクを渡す。

 全部比較的つくり慣れたポリエステル製だ。

 服のことはわからないので浴衣もどきになってしまったが我慢して欲しい。

 念のため作ったポリカーボネート製の眼鏡も渡す。

 効果はあるのだろうか。


「じゃあ、お兄さんに会いに行きましょうか」


 いざ出陣だ。


「兄さん、入ります。アインさんを連れてきました」


「アインです。こんな格好で失礼します。治療のためと思って我慢してください」


 ベッドから身を起こした青年がこちらを見る。

 頬はこけ、青白い顔色をしている。

 この姿勢を保つだけでもつらそうだ。

 その顔に柔和な笑顔が浮かぶ。


「やあ、僕はトルドです。天使様に会えるなんて頑張って生きてみるものだね」


「俺は天使なんかじゃないですよ。弟がちょっと天使っぽいだけです」


「で、ゴホッ、ゴホ、でも病気が治せるなら、ゲホ天使さまみたいなものだよ。すまない。最近ちょっと肺の調子が悪くてね」


 持参した紙束を渡す。

 ノートを量産化できないかと色々やっていて出来た失敗作だ。

 きめが荒くて書き味が悪く使い物にならないが、紙ナプキン替わりにはなるだろう。


「これを使って下さい。まとめておいておくので必要ならいつでもどうぞ。使用済みはこちらに」


 持ってきた素材から魔術で金属のトレイを作って渡す。

 血痰があるようだ。

 あとでまとめて燃やそう。


「僕にはそれも奇跡に見えるよ……。面白いものだね」


「忘れないでください。俺が治すんじゃないんです。トルドさんが治すんですよ。まず、ちょっとした施術をしますので肩に触れさせてください」


 許可を得てトルドのマナをゆっくり循環させていく。

 トルドの頬に赤みが差す。

 前世にはなかったこれこそが本物の魔法だ。

 もしも治療がうまくいくなら、これは効果的なはずだ。

 曖昧な知識だけじゃあどうにも太刀打ちできない。

 出来る手は全部打とう。


「驚いたな。こんなに楽になったのは久しぶりだよ。今なら歩き回ることも出来そうだ」


「一過性のものですから安静にしていてください。歩き回るのはもう少し後です。この施術は一日最低三回する予定ですが、もし体調が悪くなったらいつでも言って下さい。それと、食事を運びますので少しでもいいので口にしておいてください」


「これならちゃんとしたものも食べられそうだ。久しぶりだな、楽しみだよ」


 外まで運んでおいて貰った食事を運び込む。

 スープとか温野菜とか、まぁ病院食だな。

 食材も柔らかく小さく切ってあるようだし大丈夫そうだ。

 リーリアが健気に食事の世話をしている。

 その横で今後の脳内作戦会議だ。


 ここまでの経過は、俺の予想を外れるものではなかった。

 あるいは予定していた処置で快方へ向かう可能性がある。

 しかし、ここからは本当に細い綱渡りだ。

 すぐ隣に助かる手段があるのにこの手のひらから命を零してしまうかもしれない。

 その恐怖に手が震える。

 落ち着け、今ここに居る二人を不安にするのだけは絶対ダメだ。

 同じ不安になるのでもそれは一番最後にする。

 どちらにせよ後戻りはできない。

 次にとるべき手段も……決めた。


 食事の片付けを行う。

 食器については魔術で洗浄、熱処理、アルコール処理とできるだけをやってみた。

 それと同時に離れから出てリーリアと本当の作戦会議を行う。


「ここまでは想定の範囲内です」


 ぎょっとした。リーリアが泣いている。


「あ、あん、なに兄さまが元気に」


 悪いことがあったわけではなさそうなので落ち着くまで待って話を聞く。


「――失礼しました。もう見れないかもしれないと思っていた兄さまの笑顔がみれたのが嬉しくて」


 トルドが笑顔を見せたのは処置の前だ。

 彼女のために力を振り絞ったのだと思う。

 不安はないと思わせるために、彼は戦っているのだ。


「まだ、泣くのは早いです。ここからが治療の本番になります。このあとすぐに投薬治療に入りますので水差しを準備しておいてください」


 そう言い残して薬剤を合成する。

 原料は難しいものではないし準備してきてある。

 作るものももう決めた。

 必要なのは覚悟だけだ。


 リーリアと一緒に離れへと戻る。


「これから投薬治療に入ります。こちらの薬が上手く働けば快方へと向かうこともあるでしょう。しかし、この薬は毒になるかもしれません。飲めますか?」


 ストレートに聞く。


「……飲むよ。命を賭ける必要があるんだろう」


 リーリアが何かを言おうとして、やめる。


「それではこちらをゆっくりでいいのでそちらの水と一緒に飲んで下さい。水もできればコップ半分以上で」


 トルドは小瓶に入れた毒々しい赤色をした薬を飲む。

 今回合成したのは二種類の物質だ。

 小瓶の中にはそれらを混ぜたものが入っている。


 ひとつめはプロントジルと呼ばれる染料。

 かつて、この染料にはもうひとつ使用方法が発見された。

 抗菌薬である。

 スルフォニルアミド、サルファ剤とよばれる薬品群の一種。

 サルファ剤は無数にあるが、俺が薬として実績があって構造式を知っているものがこれしか無かった。


 もう一つの物質はイソニアジド。

 これはある一つの病気の対策として投与を決めた。

 結核だ。

 俺はこの病気が細菌性の感染症ではないかと考えている。

 その中でも結核は対処が難しい病気のはずだ。

 トルドがそうであるか確かめる術はない。

 もし免疫疾患だとかウィルス性だとか全然見当違いだった場合、ただただトルドにリスクを負わせていることになる。

 それでも、今日の症状を見た以上この可能性に対処しておきたかった。

 本来、結核に使用される薬は他にもあるはずなのだが、その多くは生物由来で構造の複雑な物質のはずだ。

 その中でこの物質は俺が構造を覚えており、合成が可能なものの一つだった。


 飲ませる量についても散々迷った。

 ほとんどあてずっぽうにならざるを得ないのだ。

 一般的な薬剤の錠剤が数百ミリグラムくらいだろうか。

 そのうち有効成分はどれくらいなのか……。

 粉薬でのませること、目分量でトルドの体重を考えて、少しでも異常ではない数字を出したい。

 分子量、測りやすさ、そんなことを考えた末に各百ミリグラム、計二百ミリグラムを食後に一日三回とした。

 症状を見てここから増やす、あるいは減らすことが正しいのかはわからないままだ。



 ただ、賽は投げられてしまったことだけがわかっていた。

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