第24話 悪意(上)
その日、橘花香のことを嗅ぎまわっている人間がいるとフヨウから相談を受けた。
絶対に看過できない情報だ。
一緒に旅をしたときから継続して、フヨウにはオド循環をはじめとする魔術の訓練を行っている。
本人がその気になれば魔術院に入ることもできるはずだが、今のところそのつもりもないらしい。
魔術と関わりの深い『女神の教え』に忌避感があるのかもしれない。
それはともかく、フヨウはそこそこ魔術を使いこなしており、特にマナ感知が得意だ。
獣人族特有の嗅覚と組み合わせることでちょっとした感情なんかも読み取れるようになっており、彼女の前では簡単には嘘もつけないような状況だ。
そんな彼女が昨日から身近で怪しい行動をする人間を感知しているという。
最初は自分のことを良く思わない人間がいるのかと考えた。
王国でもイセリア教徒は沢山いるし中には獣人を嫌う宗派の人間はいてもおかしくない。
しかし、観察を続けるうちにそうではないと思うようになった。
怪しい人間はフヨウの知る限り五人いるが、その全てから獣人を蔑視する感情を特に感じないからだ。
また、自分が店を離れても橘花香から監視が離れることはなかった。
彼らは橘花香の店そのものを監視している。
フヨウはそう結論づけた。
橘花香は女所帯だ。
日中は男性従業員もいるが夜間になると男性はアルバン伯父さんだけ。
そしてその伯父さんは三日前からミレーアさんと一緒に隣街であるレーダへ買付に出掛けている。
帰ってくる予定はこれから三日後以降。
状況は思っている以上に悪い。
伯父さんが不在の間、夜は近所のおばちゃんが家政婦兼保護者としてやってきてくれるらしいのだが、流石に荒事となると当てに出来ないだろう。
そこで、カミラ達と従業員に相談しようとしていたところでやってきた俺に先に話をしたそうだ。
こんな時だが、信頼されてる感じがして嬉しいな。
必ずみんなは守ろう。
「今いるのは何人?」
「二人だ。大通りの向かいの小道に入ってすぐのところに一人と通りから資材搬入用入口が見える位置に一人いる」
んっと、こいつらだな。
マナ感知でチェックしておく。
「確認した。まずは内部で情報を共有しよう。店内は見張られてるみたいだから裏には誰か居る?」
「だいたいは店内だな、今ならエレナがバックヤードに居るはずだ」
「じゃあ、カイルとルイズも集める。作戦会議をしよう」
昼間のうちにある程度守りの体制を整えておきたいな。
呼び出したエレナ達に俺の知っている情報を知らせる。
カイルもマナ感知で怪しい奴を確認したようだ。
話し合ってまず、今晩の安全確保のために動くことになった。
ルイズには克技館に、カイルにはベルマン屋敷に向かってこの話をしてきてもらう。
動き回るなら橘花香の人間じゃないほうがいいだろう。
残念ながら一番頼りになりそうな師匠は今日は不在だ。
貴族の主催する夜会に参加することになっているらしい。
一方、リーデルじいさんは今日は家に居るはずだ。
もともとこの店はベルマン商会に連なる店舗なので人の手配等対応では頼りになるはずだ。
俺はフヨウとともに橘花香に残って犯人グループの逆監視を続ける。
人員の入れ替えがあれば相手を覚えるのも俺の仕事だ。
正直に言えば先制攻撃も手かなと思っている。
現状ではアルバン伯父さんが帰ってくるまでの数日間ずっと防衛できる保証はないし、帰ってきた後も監視がなくなるとは限らない。
防衛する間はずっと攻撃のタイミングを相手に委ねることになる。
仕事の都合上、どうしても店を出ることはありえるし、人質を取られれば店だけの防衛は無意味だ。
長期戦をするかぎり攻撃の手は無数にある。
可能なら短期決戦でいきたいところだ。
しかし、現時点ではただ店の近くに居るだけなので捕まえてもしらばっくれられる可能性が高い。
これで人を入れ替えて同じことをされるとこちらには手立てがなくなる。
防衛体制を整えたら情報収集、その後に敵の首根っこを押さえる戦術で行こう。
先に帰って来たのはルイズだった。
克技館については、弟子たちに今夜、魔術による破裂音がしたら橘花香で何かあったはずだから確認して欲しいと伝えただけなので早かったのは頷ける話だ。
なお、この魔術は最近俺が開発したもので相当遠くまで確認できるはずだ。
マグネシウムを原料としたもので炎色反応でさまざまな色合いで光るようにしてある。
雨でも打ち上げられる優れものである。
遅れて帰ってきたカイルはなんとリーデルじいさんとユンさんをそのまま連れてきた。
今日はこのまま全員で泊まる予定だという。
リーデルじいさんだって孫が狙われているかもしれないと言われれば落ち着いていられないのはわかる話だ。
すでに家政婦さんには今日は自分が面倒を見るから来なくて良いと連絡まで入れていて、手回しがいいなと驚く。
考えてみるとこれは悪くないアイデアかもしれない。
多少目立ちはしたかもしれないが、息子の不在に祖父が孫の面倒を見るのはそうおかしなことではないだろう。
それにリーデルは多少高齢とはいえ腕が立つ。
抑止力になってくれるはずだ。
監視人員が入れ替わった。
今も二人が店の周りにいるが、一人はフヨウの知らない人間のようだ。
最低六人。
一度に相手にはしない方が良さそうだ。
人員の入れ替えに合わせてフヨウを休ませることにした。
こっちはカイルと俺が居るので逆監視は継続できる。
昨日から気を張り続けていたフヨウはすぐに眠りに落ちた。
夕方になりフヨウが眼をさました。
幾分すっきりした顔をしているのでやはり疲れが出ていたのだろう。
寝起きで悪いが手短に監視をフヨウに引き継ぐ。
日中立てた作戦を実行するため、俺は窓を開けると監視人に気が付かれないように店舗の屋根の上に上がった。
今、季節は冬だ。
夜間、ほとんど人通りの絶える通りから寒さの中、見つからずにじっと監視を続けるのは不可能だ。
実際、フヨウの話によると昨日の夜、この店を監視していた人員は一度引き上げている。
仮に監視が減らないようなら今晩何かしらのアクションがあるかもしれない、例えば襲撃。
それがあってもなくても動けるように魔術の準備をしてその時を待つ。
最近は建物の屋根の上くらいまで地面から離れても軽い魔術は使えるようになってきたので、高さを活かしていこう。
今気が付いたが、オド循環ってちょっと寒さ対策にもなってるな。
店舗を閉めて職員が帰宅を始める。
しばらくすると監視をしていた二人も移動を始めた。
今からすぐ襲撃、ということはなさそうだ。
魔術で作った樹脂のロープを煙突に固定すると魔術で長さを調整しながらするすると裏通りに降りる。
さて、追跡開始だ。
この伸縮ロープの魔術、オド循環による身体強化と組み合わせるとちょっとしたアメコミヒーローのようなアクションが可能だ。
今回は目立たないのが重要なので派手に動くつもりはないが、路地裏など込み入った場所では有用なのではないかと考えている。
一定の距離をとりながらマナ感知で相手を追いかける。
この時間になると外にはほとんど人が居ないので追跡は簡単だった。
しばらく歩くと監視を行っていた二人が時間差で同じ建物に入っていく。
隠れ家を一つ把握した。
これで一方的に攻撃される状況を打破できる。
感知できる限り、中にいる人数は四人。
少なくとも六人以上居るはずなので、どこかにまだ潜伏していることになるな。
橘花香の方へ行っているとまずいな、一度戻るか。
そう考えているとぽつぽつとこの隠れ家に近づいてくる人間が現れた。
屋根に上って様子を見るとその全員が中に入って行く。
……新たに四人、これで全部か?
建屋にいる八人全員が二階の一か所に集まっているようだ。
何か話しているのかもしれない。
どうにかして中の様子が探れないだろうか。
試行錯誤の末、魔術ロープで体を固定して隠れ家と隣の家の狭い隙間に体を潜り込ませる。
暖炉が近いのか結構あったかい。
ここなら距離も近いはずだ。
土壁を音を立てないように静かにけずり、樹脂で作った底の抜けたコップのようなものを準備して削った部分にあて、聴き耳を立てる。
「……で、店には今、何人居るんだ?」
よし、ちゃんと聞き取れる。
「ガキがおそらく六人とじいさんとメイドがいるはずです」
「多いな、ガキと女だけって話じゃなかったか」
「昨日はガキ三人と近所のばあさんだけだったんすけどね……」
「それはこっちで確認してある。おそらくベルマン商会のリーデルだ。今日は荷物を持って侍女と一緒に外出している。アルバンの父親だから孫の様子を見に行ったんだろう」
「じいさんとメイドとガキだけなら、今夜中にやっちまうか」
「ベルマン商会のリーデル・ベルマンっていやぁ盗賊百人狩り、血濡れのリーデルだぞ。仮にうまく殺せても騒ぎになるとまずい」
物騒な言葉を聞いたな……。百人狩りっておい。
「交渉するにも目立つところで人死にを出すとやりにくくなるな」
「時間をかけるとアルバンが帰って来ちまうんだろ、どうするんだよ」
「まだ二、三日あるはずだ、様子を見ても居座るようならリーデルをつり出す必要があるな。ラダン、そっちの準備をしておけ」
「骨の折れそうな仕事っすね……」
だいぶ状況がわかってきたな。
どうやら相手はことを内密に図りたいようだ。
これなら色々打てる手がある。
特に今夜の襲撃が避けられそうなのは良い情報だ。
形勢はこちらに傾いた。
さて、罠に気を付けて粛々と攻めの手を打とうか。
◇◆◇◆◇
しばらくして兄さんが帰ってきた。
「無理はしないよ」とは言っていたけれど家族のことを心配しないわけがない。
みんなも安心したみたいだ。
あとちょっと帰ってくるのが遅かったらルイズとフヨウは飛び出していたと思う。
兄さんはそれをわかっているんだろうか。
「予想外に上手くいってな」と言って兄さんは想像以上の情報を持ち帰ってきた。
驚くことに作戦も立て終えている。
話を聞いておじいちゃんが渋い顔をしたけど、どうやら相手はおじいちゃんの為の対策を立てているらしいという話を聞いて、最後には作戦の決行を認めた。
兄さんはこのへんのことも想定して安全策を準備していたのだと思う。
朝から走り回って疲れた。
フヨウと兄さんと僕は敵の監視も継続して続けているのでやることが多い。
ただ、お陰で短い仮眠でもぐっすり眠れたので調子は悪くない。
今日の作戦で一番忙しくなるのは僕とルイズだ。
寝不足で失敗というのは流石に格好悪い。
おじいちゃんはユンさんと朝のうちに屋敷に帰っている。
もちろん作戦の内だ。
今日は普通にお仕事があるはずだけどあの様子だと手についてないかもしれない。
いつも通り橘花香は営業していつもの時間に閉店した。
ちょっと前に家政婦さんにも予定通りやってきてもらっている。
戦いに巻き込むことになるが本人には事情を説明してあるし、橘花香は『絶対に』大丈夫、安全だ。
カミラ姉さんたちといっしょに待っていてもらう。
監視は昨日と同じように継続されていたけど、ここからはちょっと違った。
夜になっても人が減らない。
どころか夜が深まるにつれて人が集まってくる。
兄さんの考えていた通りの展開、プランAでいけそうだ。深夜、橘花香の周りの敵が八人になったところで動きがあった。五人が資材搬入用の入口側へ三人が表通りの入口に近い路地裏に移動する。
裏口側で先頭に立つ男が斧の様なものを振り上げたところで準備していた魔術を行使する。
作戦開始だ!
先頭の男の頭から氷水が降りかかる。
氷の礫に頭を打たれ何が起きたかわからないままうめき声をあげて得物を取り落とし蹲る一人目を土魔術で地面に埋めて拘束する。
後ろに居た二人目も氷水の被害を被ったのか「ギャァッ」といい感じに声を上げたので同様に土魔術を使うことにした。
三人目を足元に仕掛けた重しとロープが飛んでくる罠でからめとったあとに四人目の頭に石を落としたところで五人目が逃げ出した。
予定通りだ。
だけどあんまり罠は使わなかったな……。
兄さん、あんなに沢山準備してたのに。
五人目は表通りまで逃げ出したところで文字通り飛んできたルイズに吹き飛ばされた。
状況を確認するため路地裏から出てきた二人のうち一人がそのままルイズの打ち込みをうけて悶絶する。
そこで残った二人が踵を返して逃げ出した。
即断だ。
しかし、すぐに遅れて逃げた方が「ぐぇ」と声を上げて倒れる。
ルイズの投げた石が背中を打ったのだ。
ただの投石と侮るなかれ、克技館で戦術を学んだルイズならそれを必殺の一撃にできる。
もう一人をルイズが『形だけ』追いかける。
どうやら予定通りに進んだようだ。
倒れた七人を土に埋めたところで帰ってきたルイズを確認して一息ついた。
あとは兄さん次第だよ。
作戦の成功を祈って後始末を始めたのだった。
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